第38話 あおいろラスト(5)





二月も末になれば、冬の寒さはかなり和らぐ。もちろん風はまだまだ冷めていて、コートはとても脱げないけれど、空気はその一部に春を孕む。


それを肌で肺で感じつつ俺は、大学の構内を歩いていた。

驚くほどに広い。目の届かないずっと奥まで、道や校舎が続いている。休校期間だからだろう、人が疎らなのが、なおさらその広大さを助長していた。自分が通っている姿を想像してみる。いまいち、うまくはいかなかった。


公立入試終わりだった。いくら私立で試験を受けてきたとはいえ、緊張していた。それからようやく解き放たれたのが、つい数分前。今度はその反動なのか、まるで気が入らない。ぼんやり、終わったんだなと底抜けの空を見上げた。その横を同じ受験生が足早に過ぎていく。


ついに終わったのだ。受験だけじゃない、長い受験生生活も。


しかし、まだ実感には乏しかった。明日からも、昨日までと同じ日々が続くと言われても、たぶん受け入れられる。むしろ、その方が自然とさえ思えるかもしれない。それくらい、なにか自分にとっての当然を失った気分だった。

好みのドラマの最終回に似ている。待ち侘びていても、いざ目前になると終わるのが惜しい気がしてくるのだ。見るまでには、そこから結構な時間を要す。


あれだけ惰性でやっていたくせに、と自分でもおかしく思う。もしかすると、そんな風に思うのは、今日が終わることがほとんど同時に、高校生活が終わることを指しているからなのかもしれない。


そのままのろりと歩いて、校門を出る。その頃には、とんと近くに人影はなくなっていた。

四方に首を振りつつ駅を探す。こういう時に限ってマップの調子が悪い。辛うじて止まらない程度半歩ずつ進んでいたら、ビラ撒きに掴まった。いつもならまず受け取らないのに、顔を上げた途端に貼り付けたような笑顔が飛び込んできたものだから、つい握らされる。ついで、と道を尋ねて、ようやく駅に辿り着いた。電車に乗ってから、わけもなく開いてみる。踊る宣伝文句に、目尻が引きつった。

『憧れのベーカリー勤務!』

バイト勧誘のチラシだった。つい、時給の額に自分の労働時間を当てはめる。詮方ないと気付いて、かばんの横ポケットに畳んで入れた。もちろん教科書の間に挟んだりはしない。

代わりにスマホを手に取る。

葵から、メッセージが一件入っていた。同じく試験が終わったのだろう、開くと、どうでもいいようなスタンプ一つ。同じように送り返すと、なにの中身もないラリーが続く。

そのうちに飽きて、アプリゲームを開いた。かなり久方ぶりに開いたものだからデータダウンロードが長い。途中で止めようとも思うのだけど、閉じたところで葵と生産性に欠けたメッセージをしあうだけだと思って、待っているとようやく始まる。不思議なことに、これが面白い。惰性で続けていた頃より、ずっとだ。イヤホンまでつけてのめり込む。

やっと興が引いて顔を上げたのは、運悪くも最寄りの駅を過ぎたすぐ後だった。自分にひっそり苦笑いしつつ、次の駅で降りる。電光掲示板に表示されるは、三十分後の時刻。自分の失態に嫌気がさすかと思ったけれど、今日はなかった。受験終わりの余韻のおかげだろうか。


することもない、けれどもうゲームはやり尽くしていた。ホームすぐ手前にあった駐輪場を空けて眺める。小鳥が飛んできて、錆びた自転車のサドルに乗った。少し羽を休めてから、またどこかへ消えていく。反対に言うなら、それ以外に動きはなかった。かなりの自転車が停まっているけれど、うち何台かは廃車同然に乗り捨てられたものなのだろう。


そう考えてみても、詮方ない。暇になって、半ば手癖、またスマホを手に取る。一度は無視していた葵のメッセージに、返事をした。


『公民館行かない?』


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