第30話 釈然としない(5)
五
「ごめんね、すっかり忘れちゃってて」
新年になって初めて家を出たのは、三が日も終わり四日になってのことだった。
その日は、大石くんと初詣の約束があった。しかし、勇気を振り絞って誘ったくせに、色んなことがあったせい、すっかり記憶から抜け落ちていた。前日に大石くんからメッセージがあって、はっと思い出す。
焦ってつばきやばーゆを誘ったが、既に先約が入っていた。川中くんも店番で来られないというから、大石くんと江尻くんと三人、神社へと歩く。
「なんだか小さな会になっちゃったけど、まぁたまにはこういうのもいいんじゃない?」
大石くんが軽く言う。
ジーパンに、カーキのモッズコート。ラフな格好だけれど、着る人が着ると綺麗に決まる。控えめに見ても、同じような格好をした江尻くんとはれっきとした差があった。
「うん。少人数の方が楽だったりもするしねー、それに八幡行くぐらいだし」
「たしかに。あんまり大勢で行ったら神様に驚かれそうだな」
八幡というのは、町外れにある地元の神社だ。なにが有名というわけでもない、ただ神社と寺が一緒になっていて、この辺りではまぁ大きいという程度。それも知れている。遠出して、それこそ天満宮に行こうかという話もあったのだけど、大石くん曰く「土地神様の方が縁起がいい」らしい。遠くの神様より、私たちをよく見ていてくれるそうだ。
「休みはなにしてたの? って聞くまでもないかな」江尻くんが、私に尋ねる。
「うん、勉強漬け~。江尻くんも?」
「同じだね、僕も毎日塾と家の往復。三が日も椅子に座ってばっかりで」
「分かる、もうセンターまで二週間もないんだって考えたら」
「それが問題だよね。もうすぐだと思うと、休憩してても不安で、今度は気が休まらないんだ。参っちゃうよ、ほんと」
量の増えたように思う巻き毛を掻きながら、江尻くんがため息を吐いた。勉強に時間を取られて切りに行けていないのかしら、そう思いながらも私は大きく首肯を返す。塾にこそ行っていないけれど、境遇は似ていた。私も同じ理由で参っている。
その上、謎の靄は三が日を過ぎてなお私を覆っていた。未だ、原因は掴めていない。
「でも、だからこそちょうど良かったんじゃない? 受験組だけで初詣っていうのも。ぴったりな気晴らしになる」
大石くんが言う。
「受験組って言っても、大雅いないよ?」
「大雅はー……パン売ってりゃあ気晴らしになるだろ」
「ならないね、絶対ー。嫌々やってるのが想像つくもん。表情変えずに真顔でレジ打ってそう」
江尻くんの台詞に、私がまず吹き出す。想像に易かった。公民館で勉強中、ふと見ると、あらぬところを見つめて上の空だった時のような、たぶんあんな表情をしている。それでも、一応放棄したりはしないのだ。
「お客さんがいなくなったら、真顔のまんまカレーパン食べたりして」
「良太ー、あんまり笑い種にするなよ」
なおも膨らむ江尻くんの想像に私が腹を抱えるのとは反対に、大石くんは冷静そう。けれど、
「で、パン粉かなんかちょっと溢したりして、一気に不満顔。ため息混じりに掃除とか始めるんだよ、律儀に隅々まで」
最終的には堪えきれなかったのか一緒になって笑った。川中くんがこの場にいたら、絶対呆れ顔になっている。
参道口には、そうこうしているうちについた。結構な距離があったはずだけれど、話が盛り上がっていたからか大して遠いとは思わなかった。三が日も終わっている。参拝客も、参道脇に並ぶ的屋も既にまばらだった。そのうちの一つ、ポテトフライの屋台に半ば吸い込まれるように寄っていく江尻くんを、大石くんが「帰りにしような」と引き止めつつ境内へ。途中の地蔵にもひとつひとつ手を合わせて、本殿まで進んだ。
さすがに、少しとはいえ列ができていた。その最後尾に並びながら、
「遠くから賽銭投げる人っているけど、結構危険だよね」
「あ、私当てられたことある。怪我はなかったけど、頭」
「え、危ないね」
「参拝にヘルメット持って行かなきゃいけない時代かー、恐ろしいな」
三人、なんの徳もない話をしていたら、すぐに順番になった。
「願うこと、とりあえず一つだよね」
江尻くんが聞くのに、大石くんが応じる。
私はどうしても、二つ叶えて欲しいことがあった。だから賽銭はいつもの五円より多く、百円にした。
扉が閉まって内陣の見えないお宮を前に、目を閉じ手を叩いて祈る。もちろん一つ目は、受験合格。それから二つ目は、この靄が晴れるように。結構入念に祈った。目を開けると、二人はもう外れで私を待っていた。
「かなり真剣に祈ってたな」
「そりゃあもう、受験は全面的に神頼みだから」
こう言い切ったら、大石くんがははと笑う。
最初は見るだけで、宝物を見つけたような気分になった笑顔も最近は少し見慣れてきた。それでも、綺麗で格好いいのは確かだけれど。
それから私たちは、さらに坂を上ったところにあるお寺の本尊も拝んで、境内を一通り回る。最後に、おみくじを引こうという話になり社務所に向かった。毎年同じことをしても、みくじ筒を振っていると少し緊張する。
大体はその場の一喜一憂で、年の後半になって、おみくじの結果を覚えていたことなんてほとんどないけれど、だ。この一枚で、一年が決まるような気さえする。
結果は中吉だった、良くも悪くもない。心願は努力すれば叶う、と月並みなことが書かれてあった。江尻くんは大吉だ、と喜ぶ。その横で大石くんは一人、凶を引いたらしい。もう一度引いてくる、と再び社務所に向かっていった。意外や、その類のことを信じるんだ、とその背中を見て思った。
「どう? 受験は大丈夫そう?」
江尻くんが喜色の表れた顔で言う。ただでさえ細い目が、より線に近くなっていた。
「うーん、どうだろ。努力次第だってさぁ、これ以上やらなきゃいけないみたい。江尻くんは、良さそうだね」
「うん。自信湧いてきたよ、折角だしここの御守り買っていこうかな」
「流されすぎもよくないと思うよ」
しかしその言葉は届いていなかった。江尻くんはもう、売り場の方へ足を進めていた。残された私は、結果だけスマホに収めてから、みくじを木に結ぶ。
久しぶりに、充実した感覚があった。たまには外に出るのもいい。こうやって過ごしていれば、靄なんか簡単に晴れてしまう気さえした。神社に行くだけでそう思うのだから、買い物になんか出かけたら本当に晴れるのだろう。この靄はきっとそう、あの受験ブルーというやつのせいにちがいない。あと一月もすれば、いつかはそんなものがあったことさえ忘れてしまえる。
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