第24話 テニスボールと海と錆(10)
十
師走祭当日の朝は、あれよあれよのうちにやってきた。
祭の準備、受験勉強と忙しくしているうちに、気づけば世間は十二月も二週目。すっかり空気は冷え切って、朝起きたら喉が少し痛い。日が出ていてさえ、放っておいたら指先がかじかんでしまう。朝は殊更だ。
手をこすりやって包むように息を長めに吹きかけてから、裏起毛のポケットに入れる。厚手のパーカーにジャージという格好も相まって、田舎のヤンキーみたい、とぼんやり思った。
手前では良太が小さく声をあげながら、店からブレッドケースを運び出している。全身、蛍光色の緑ジャージ(学校指定)に目が痛んだ。
「精が出るなぁ」
「なにを他人事みたいに言ってるの。大雅ー、つっ立ってないで手伝ってよ。この上に箱乗せていってくれない?」
俺はあぁと短く応じて、良太の太い腕の上、二段三段とケースを積んでいく。中には、焼き立てのパンが詰まっている。ケースを持つだけで、未だ冷えていた指先が温かくなった。それに気を取られて、なにも考えず四段目を積もうとしたところで、良太からストップがかかる。
「もう持てないってば! あとは、大雅が持ちなよ」
「いや、でもあとケースが四つあるんだ。良太が無理なら、俺も三段しか持てない」
「うーん、二往復する?」
「面倒だな、それも」
「でもひっくり返したら大変だよ」
残り四つのケースを前にして二人唸る。手間か堅実さかどちらを取るか。葵がいてくれたら頭数的にはよかったのだけど、朝は祭全体の運営に携わるらしい。本店からの運び出しを手伝ってくれているのは、良太だけだ。
「半分ずつ持てたら楽なんだけどな」
「じゃあ半分僕の方で、もう半分大雅の方に乗せる? 積み木みたいに」
「あほ。それなら一人で四つ持つ方がいい」
「あ、ヤマトで送ろうよ」
「こんな朝早くから働いてくれないって。それでなくても最近いろいろ問題になってるし」
話がなんとなく大喜利のような様相を呈してきたところで、
「たいちゃん、良太くん、これ使ってねー」
子守帯に妹を抱えた母親が、台車を持って出てきてくれた。そうだ、その手があった。心の中で槌を打った。母親の甘い高い声に見送られ、ケースを乗せた台車を転がす。珍しく親父も店から出てきて、腕組みのまま「しっかりやれよ」と一言だけくれた。
あれから結局、親父は共同出店を認めた。それは俺ががハッパをかけたからなのか、はたまた他の大人の事情があってなのかは分からない。だが、とにかく認めてくれた。やるからには、と寝る間を惜しんで試行錯誤していたほどだ。進学についても、はっきりとではないけれど進展があった。
これまでの完全不干渉から一転、「しっかり勉強しろよ」とわざわざ部屋まで声をかけにきたのだ。受験まで残り一ヶ月ない中、遅すぎるのかもしれない。けれど、少なくとも状況は改善してきている。
「お腹空いたなぁ」
「良太、さっきパン食べてたろー」
「今はフランクフルトの気分なの」
「……偉くお祭り気分だな。近くの店がそうだといいな」
「えぇ逆に地獄だよ。ずっとそんな匂い嗅ぎながら仕事するなんて」
「そうですか」
たわいのない話をしつつ、前日に組んだ店のテント前へ。少し遠くから、既に女子二人がいるのが見えていた。せっせとテントの前垂れ部分になにやら結びかけている。
「おはよー! お二人さん!」
台車の音に気づいた小林悠里が作業の手を止めて、満面の笑みをこちらへ向けた。あの海は、まだ脳裏をよぎる。海風が彼女の短い前髪を沖へとさらった。
「なにやってるの?」
良太が台車から荷下ろしをしつつ二人に尋ねる。
「飾り付け! 可愛いでしょ。もう終わるから手伝わなくても大丈夫だよ」
渡辺さんが顔だけ振り返りながら、若干上ずった声で答えた。今日はいつもの巻いた髪型ではなく、バンダナで髪を後ろにまとめている。よく見れば小林悠里のエプロンポケットにも同じようなバンダナが入っていた。服のチョイスもパーカーにスカートと似通っている。お揃いコーデ、ということなのだろうか。
「僕らも揃えればよかったかな?」
同じことに気がついただろう良太が、聞こえないよう配慮した控えめな声で言う。想像してみてすぐ、誰も得をしないと否定した。学校の外で、その蛍光色を着こなすほど、自分に自信がない。
店の装飾を終え、販売台と会計機を置いたら開店への準備が整う。『菓子パンvs惣菜パン 頂上決戦!』なんて、誇張がすぎる対決を煽るチラシも据えた。まだ店の前は人がまばらだが、駅のある南側からは騒がしい音が風に乗って流れてきていた。いつもはガランとしている通りにも、人出はまずまず見込めそうだ。
「で、三種類のパンなににしたの? 昨日最後まで悩んでたよね」
渡辺さんが俺の隣に来て聞く。対決メニューの三品は、当日まで秘密ということになっていた。その肩口からひょこっと小林悠里が顔を覗かせて、教えてくれる。
「こっちはね、クリームメロンパン、ストロベリークロドに、チョココロネ!」
「あ、こら、ばーゆ。先に川中くんに聞こうと思ったのに!」
「えー! 別に変わんないじゃんか、ほんの数秒の差だよ?」
「まぁそうだけどー……」
女子二人は仲睦じいからこそのやり取りを交わす。良太が「なにそれ」とクロドに興味を示したのを、小林悠里が物知り顔で説明しているうちに、渡辺さんにからかい混じりに言ってやる。
「やっぱりコロネ入ってると思った」
「な、なんのこと」
「分かりやすくていいんじゃない?」
「もういいから! そっちはなににしたの」
俺は運んできたばかりのケースを開けてやる。厳選したラインナップは、ベーコンポテトフランス、カレーパン、もちチーズ明太の三種だ。混ざり合ってなお、ひとつひとつが香ばしい。親父も、今日のために小麦の配合から見直した、と言っていた。
「なんだ、もちチーズ入ってんじゃん」
渡辺さんが笑いを堪えるようにして、俺の脇腹を小突く。
「……悪いかよ。人気商品なんだよ、元から」
「悪いだなんて言ってませんよー、正直でいいんじゃない?」
「渡辺さんもな」
言いつつ、突いてきた肘を押し返した。
どちらも憧れの人の気を引きたい、というのは一致している。なんなら、個人的には勝ち負けよりその方がずっとウェイトが高いかもしれない。
ちょうどそこへ、話の本人が登場する。吉良さんが細い身体の幅の三倍はあろうかというケースを四つ抱えて歩いてきていた。男二人ですら躊躇した四箱持ちだ。
「つばきったら、台車置いてたのに」
「……結構抜けてるところあるよな」
「うん、かなり」
話し込んでいた良太と小林悠里も一緒になって、吉良さんを手伝う。無事箱を降ろした後で、ありがとうと彼女は疲れの色を見せず美しく微笑んだ。これぐらいのことはいくらでもしたくなった。
「もう、つばき。台車はどうしたの」
渡辺さんが仕方なさそうに言う。けれど、その意図は正確には伝わらなかった。
「あ、ごめん! そんなのあった……? 必要なら今から取ってこようか?」
「もういらないよ、もう運んできてくれたじゃん。それより、大変じゃなかった? こんなにたくさん」
「まぁちょっとね、冷や冷やはした。だってこれ、今日の主役だし。躓いたら終わりだった。だから、もうずっと足元見ながら歩いてた」
飄々としたままの吉良さんが、箱を開ける。中からは、高菜バターデニッシュがその甘じょっぱい香りを漂わせていた。これが共同制作のメニューである。紆余曲折あったが、最後には意外な美味さに満場一致で決まった。
「返す返すも、梅さつまパンじゃなくてよかったよ」
「まだ言ってるの」
「いつまで言おうかな」
「もう言わないの! 今ここまで!」
蒸し返した話に蓋をするように、渡辺さんはパンケースの蓋を閉じた。そして話から逃げるように、良太と話し続けていた小林悠里の肩を叩く。
「というかばーゆ、そろそろ始まるよ。なんかやるんじゃないの?」
「あっ、いけない。忘れるとこだった……。ないと締まらないもんね」
小林悠里は他四人を集め真ん中に立つと、おもろに咳払いを一つ、手の甲を差し出した。既に示し合わせていたらしい女子二人が手を重ねていく。意図を理解して、その一番上、渡辺さんの手の上に、俺と良太も手を置いた。
「川中くんの手熱すぎ!」
渡辺さんが言う。
「あー、パン持ってたから。というか、渡辺さんこそ手冷えすぎ」
「……冷え性なの。それに、手冷えてる人は代わりに心あったかくて────」
「はいはい、またぐだっちゃうから一旦やめ! ちょっと聞いてよ。まぁ、本当は大石くんがやるような役なんだけど。いないから私が代理でやるよ。一応、始まる前の気合入れってことで、ね。せっかくみんなで準備してきたんだし、成功させようよ」
小林悠里がファイト、と部活仕込みの一声をあげる。
おう、と乾いた空気に五人の手が弾けた。川中がやったらよかったじゃん、と小林悠里は後から小言を漏らしていた。
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