第20話 テニスボールと海と錆(6)

 六



 急遽始まった師走祭合同出店の計画は、かなり順調に進んでいた。


まさにとんとん拍子、階段を駆け上がる。旗振り役の小林悠里がいて、纏め役は葵、それに膝を打つのは吉良さんと良太。役者が揃っていた。パン屋の子たる二人が、最もなにもしていなかったと思う。端のほうで、「私たちよりパン好きだよね、みんな」「代わりに継いでくれないかなぁ」と囁きあう始末。


それでも参加するのは、実に不純で、ある意味ではとても純粋な動機からだった。憧れというのは、恐ろしい。普段なら煩わしい、面倒だと切り捨ててしまうような時間さえ、こんな貴重な瞬間はないと思わされてしまう。


会議の間、俺はろくに参加せず、吉良さんを眺めていた。本人に視線を悟られないよう、放たれる可憐さの破片を拾い上げる。それに触れるだけで時間が止まりそうだ、とか詩じみたことまで考えた。


「川中くん、自分でパン作ったりするの?」

「えっと、たまに」

「すごい、さすが跡継ぎ。じゃあ一から創作するのもありかもね」

「あぁ、そうかも。吉良さんはなにか好きなものある?」

「ベタだけど、もちチーズ明太とかかしら」


たまに会話を振ってもらえれば、幸せで溶けてしまいそうだ。悩むようにあごに当てた、しなやかな指先に、爪の弧まで魅入られる。吉良さんと連れ添う未来なら、パン屋でも、はたまた政治家でもやれる気がした。渡辺さんではないので、口には出さないが。

その渡辺さんも、初対面に比べれば見られるような接し方になってきていた。言葉を一つ投げては、返答を待つ。そこには、きちんと当たり前の会話が成り立っていた。しかし、分かりやすいのは同じことだ。話しかける時には、オクターブがひとつ上がる。それに葵がたじろいでいることなど、気づきもしない。ただ壁当てではなく、最低限のキャッチボールができるようになっただけである。

相変わらず、小競り合いもあった。


「川中くん、関係のないこと話しすぎじゃない?」

「ちょっと逸れただけだろ」

「ちょっと、って言いながら、どんどん逸れていくんだから、早めに正さないと」

「……渡辺さんは最初から違う話してると思うんだけど」


あまりに俺がうまく吉良さんと会話をしていると、渡辺さんからなんらかの形で茶々が入る。

その度に唇が震えて、今にも例の秘密を口走りそうになっていた。だがそれでも、ぎりぎりのところで堪える。机下ではしきりに足を踏んではくるが、決して口にはしない。根負けすれば、共倒れだ。それくらいの痛みなら耐えられる。

そんな風にしながらも、打ち合わせは回数が重ねられ、共同出店に向けた概要は固まっていった。ひとまず会議だけ、のはずが、いつの間にか立派な実行案が出来上がろうとしていた。


共同制作の新作を一つと、店舗対決メニューが両店自由に三つ。あらかじめ総数を決めておき、先に売り切ったほうを勝者とする。勝利特典は、相手店舗にひと月間商品を置ける権利だ。これは葵が提案した。

俺はここでようやく、葵の「チャンス」という言葉の意味を理解する。ここで勝てば祭の参加者だけでなく、渡辺パンの客にまでアピールできる。まさに一石二鳥の大チャンス、というわけだ。

けれど、大チャンスは大ピンチでもある。裏を返せば、二兎を追う者は一兎をも得ず、いよいよ閉店の危機ともなるかもしれない。そんな希望と不安に揺れる俺の心内を見透かしたように葵は、


「大丈夫、親父さんのパンなら負けないから」


と女子陣には聞こえないよう短く囁いた。

敵わないなと思った。それは思いつきのノートひとつを真似したところで変わらない。

もちろん、勉強だって放棄したわけではない。時に全員で、でも大概は渡辺さんと二人で毎日のように公民館の閉館時間までやった。会議の分、時間が削れるからとずっと真剣みを持って、されどやはりふざける時はふざけてしまい後悔して、またペンを取る。けれど、その後悔も時間が経てば、というよりその日のうちにはまた忘れてしまう。強弱をつけながら、その繰り返しだ。

今は、まさにその弱、集中力の切れてしまう時間だった。


「ねぇ、共同メニューの案決まった?」

「ううん、全く。渡辺さんは?」


日本史の資料集を眺めつつ渡辺さんと雑談を交わす。

まだまだ遅れているとはいえ、会議同様ペースは上がり南北朝時代にまで差し掛かっていた。個人比では目覚ましいがすぎる進歩だ。資料画の後醍醐天皇も、心なし微笑んでいるように見える。


「私も全然。ふざけて案出してる時はたくさん思い浮かんだけど、実際に作るとなるとまた別だね」

「菓子パンと惣菜パンのコラボって、結構難しいよな」

「うん、安易に考えるとゲテモノしか浮かばない」

「生クリームコロッケパンとか?」

「最初にちょっと言っただけのことをいつまでも言わないでよ」


渡辺さんがむすっとつむじを曲げる。座っているのは、もう目の前の席だ。パン嫌いの二人がこんな話をしているのには理由がある。あまりに発言しない二人を葵が見兼ねたのだ。次までの宿題として、共同制作の案出しが課された。


「でも最近はね、本当にそういう組み合わせも流行ってるらしいの」

「生クリームとコロッケ?」

「ううん、じゃなくて。塩っぽいと甘いの組み合わせ。たとえば、柿の種チョコとかチョコレートポテトチップスとか!」

「うわ、なんだその組み合わせ」

「うわ、だよね。でも、東京の方だとかなり流行中みたい。まぁ、ばーゆが情報源だから、真偽は確かめないとだめだけど」

「詳しいんだな」

「彼氏にプレゼントで貰ったりしてるんじゃない? 社会人の彼氏だったらありそう」


本当にある! と、渡辺さんがスマホの検索画面を見せてくれる。他にも、探せば意外な組み合わせの菓子が結構出てきた。


「嘘だと思ってた」と小さく呟いた渡辺さんに、「それはそれでひどくないか」と返す。

しかし、そんな言葉は落ち葉のように当然に流して、そういえばと画面の方から俺へ視線を切り替える。


「ばーゆと知り合いだったんだよね」

「あぁ、うん。中学の時の同級生で……」


なんとなく言葉尻が濁った。


「ばーゆみたいなタイプ苦手そうだから、なんか意外」

「……小林は誰とでも仲良くなれるだろ。たぶん外国行ってもすぐ適応するぐらい。俺を絆すのなんてすぐだよ」

「あは、そう言われるとなんか納得しちゃう。ばーゆは人たらしだね」


うんうんと首を縦に振る渡辺さんを見ながら、自分でも思う。小林悠里と俺は正反対だ。もしかすると付き合っていました、と言ったところで冗談やめてよと笑われるかもしれない。そんなことを考えてしまったから半ば浮気で、たしかに、と応じた。


「いつもお菓子持ってて、人にあげたりなんかして。そういえば、今日ももらったよ」


渡辺さんはそう言うと、ブレザーのポケットを探る。しかし、なかったらしい。次にプリーツ、セーターと探り、そこにもないと分かって最後、ブラウスの胸ポケットからそれは出てきた。


「なに、……梅?」

「うん、これ結構好きで。でもあんまり近くに置いてないんだよね。どこかで見かけて買ってくれたのかな、って」種付きの干し梅だった。袋には、はっきり『ドライブの目覚ましに』と銘打たれてある。

「……おっさんの嗜好品じゃん、ドライブもしないのに」

「先入観の塊だよ、それ。これが意外といけるんだ」

「そうなの?」

「うん。食べたら本当に美味しいから。ドライブしてるかしてないかは関係ない。しかも種付きだと割ったら、中からもう一つ梅出てくるの。お得でしょ」

「…………割るって、もしかして歯で?」

「歯じゃなくて、なにで割るの。いいから川中くんも食べてよ」


半ば無理に勧められ、手に乗せられてしまった。少し迷ってから返すわけにもいかず、口に放る。人肌に触れていた分、なんとなく生暖かい。その熱は意識しないようにして、もちろんまずいわけじゃないから、噛み続ける。のだけど、出るのは凡な感想と唾液のみ。反応欲しそうにされてもどうしようもないし、種はいくら噛んでも割れそうになかった。

そんな俺とは対照的に、渡辺さんは向かいで相を緩める。梅ではなく、パンケーキなら少しは女子高生らしかったかもしれない。ご飯のアテが好きなのは、本人曰く家がハイカラなパンばかりだから、その反動だそうだ。


「いまいま思ったんだけど、酸っぱいパンって、どうかな。新しくない?」

「たとえば、どんなの。はちみつレモン、みたいなこと?」

「違うよ、それだったら普通の菓子パンじゃん。うーん、梅干しにさつまいもとか」

「……合わなさそう」

「とりあえず案出すって話だから、そこは一旦よくない?」


渡辺さんは手帳を取り出し、さらさらとメモ書きをする。それから、次は川中くんの番ねと手帳を差し出してきた。

俺はそれを前に唸る。すぐには、それらしい案が浮かんでこない。とりあえず、とはいえ、変な案を挙げるのは憚られた。どうにか捻り出そうと、手帳の下、日本史の資料集をペン先でとんとんと叩く。黒いシミのように、繋がらない点だけが増えていった。しばらく考えてどうにも思い浮かばず、ふと顔を上げる。


「……なにやってるの」


なぜか、渡辺さんが目を三角に尖らせ、唇の端を噛みながら妙な形相でこちらを見ていた。なにだろうと思ったら、


「種が割れなくて」


そういうことだった。変顔にしか見えなくてつい吹き出してしまう。そもそも種を砕こうとする女子高生なんてそうはいない。それがまた笑えた。渡辺さんが不服そ

うな顔をして言う。


「あのね、ちゃんと考えてよ。本番だって近いんだから」

「……さっきのはちゃんと、に入ってるの」

「入ってますー、文句は案出してから言ってよ」

「……うーん。俺たち才能ないな、パン屋の」

「それは────そうだね」


話しながら、本番、という言葉に束の間はっとした。

いつの間にかとっくに、会議だけという場合ではなくなっている。合同出店をするには、まだ乗り越えなければいけない壁が残っているというのに。


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