第18話 テニスボールと海と錆(4)
四
「きたよー、川中!」
昼休み、小林悠里は宣言どおり、俺の元に現れた。昨日の売れ残り、ピザパンを食べ終えた昼休み。残りの時間は暇つぶしにアプリゲームにでも当てようとしていた俺の元へ、無遠慮にも踏み入ってきた。今度こそ原因ははっきりとしている。見当は間違っていなかった。
「……小林が来なくてもいいんじゃないの」
「分かってないなぁ、付き添いがいるといないじゃ大違いだよ」
今回は後ろに引っ付くようにして、渡辺さんがいた。
「ばーゆと知り合いだったんだね」
「あぁ、まぁ少し。えっと、なにか用事?」
小林悠里にしたのと同じ問を投げる。だが、これも実際には分かっていた。昨日返信をせずじまいになった師走祭のことしかない。よほど参加したがっていたから、気になって仕方がなかったのだろう。
「……昨日のメッセージ見たよね」
けれど、それにしては様子がおかしかった。さすがに小林悠里には劣るとはいえ、十分にエネルギーに溢れた普段の渡辺さんはそこにおらず、塩もみにした野菜のようにしんなりとしている。
「……見たけど」
「あれなんだけどさ」
ごめん、忙しくて返事ができなかった。咄嗟に沸いて出た言い訳を口にしようとしたのだけど、
「あれさ、別にもういいや」
「…………へ?」
「後から考えたら無理なこと言っちゃったなぁ、と思ってさ。ごめん」
なぜか逆に渡辺さんが頭を下げていた。右に巻いたつむじと、後ろに留めたヘアピンが見える。一つも予想できていなかった。
たしかに面倒だとは思ったけれど、そこまでされることとは思っていない。ちょっと間考えて、合点がいった。
「……葵なら、隣だぞ」
俺は敢えて葵に聞こえるように言う。
「ん、俺? あー、たしか昨日の。こんにちは。大雅に用事か?」
これは口実にちがいない。もしかしたら昨日の流れ、話せるかもとやってきたのだろう。葵がにこりと笑いかける。この反応じゃあたぶん名前も覚えられていないだろうが、これで機嫌も元どおり。
「こんにちは。……うん、そんなとこ」
しかし、その算段も思うようにはいかなかった。昨日と打って変わって、顔見知り以下のひと単語のやり取りで話が終わってしまった。さらに、状況を不安因子が狂わせる。
「大石くん、その辺の詳しいところは私が説明するよ」
「えーと、誰?」
「隣の隣、三組の小林だよ! 以後お見知り置きを。あっ、そこの大きい君も聞く?」
渡辺さんから葵の注意を奪ったかと思うと、良太まで巻き込んで会話を展開し始める。クラス全体から注がれる、淡い批判を帯びた視線は御構い無しだ。
「さすがというかなんというか」俺はそう呟く。
「あはは、あれが始まったらもう止まらないよ。って知り合いなら分かるよね」
それに渡辺さんが反応した。
「……混じらなくていいの」
「うん、あとでいい」
「そうか。なぁ、渡辺さんは何しにきたの」
「だから謝りたくてきたの、川中くんに」
「それだけ?」
渡辺さんは前髪も揺れない程度、真面目な顔持ちのまま小さく頷いた。
「いやさぁ、一晩寝たら頭冷えたの。前にただでさえ家計が大変って言ってたじゃん。なのに、そんなことも考えずに無神経なことしちゃったなぁって。怒ってない?」
それから、一転態度を和らげて普段どおりにめかす。
「……怒ってない」
俺はもう呆気にとられていた、ろくに考えもせず言葉を発す。
冗談や、好意を寄せている葵への照れ隠しだと思った。けれど、そうではないらしいのは他に含みのない目で分かった。
「よかったー。既読ついたのに返事ないからてっきり」
「……えっと、ごめん」
「なんで川中くんが謝るの?」
「……なんでも。ごめん」
「ううん。私の方が、ごめんだよ」
どうしても謝りたくなった。
というより、謝るのは俺の方じゃないかと思った。面倒と思うばかりか、親父に頼もうともせず、その場で作り上げた偽りの返事をしようとしていたのだから。あまつさえそれが最良の選択だと、らしい言い訳までつけて。
「とにかくもう気にしないでいいからさ。ねぇ、また英語教えてよ」
「……掴んだ幸運はいいの」
「迷惑かけてまで掴んでも、仕方ない。それに一応知り合いにはなれたしね。それより、長文が大変でさぁ。昨日帰って過去問からやったんだけど、完全に時間オーバー!」
「……できる範囲ならいいよ。俺もやっと鎌倉時代だし、教えてほしい」
「よかった。でも、だいぶ進んできたね」
「このままじゃ間に合わないけどな」
「冬休みでスパートかければいいじゃん。まだ助走をつけてる段階なの!」
「……もう受験レース終盤だけど」
渡辺さんが笑って、俺もそれにつられた。二人でひとしきり笑う。
既に師走祭の話は流れた。その笑った顔を見ていたら、今さら持ち出すことを渡辺さんは望んでいないのだろうと思った。ならば、せめてやれるだけの罪滅ぼしがある。予習をしっかりとした上で、たとえ渡辺さんがよそ見をしても懇々と教えようと誓う。しかし、
「良太はどう思う?」
「僕は食べれるものが多い方が嬉しいけど」
「なにそれ、見た目まんますぎて笑っちゃう。でもありだよねー、聞いてて私もこれはいけそうって思ってさ。コラボメニューと、対決メニューと二つあるとかよくない? っていうか絶対いいよ、盛り上がること間違いなし」
またしても不安因子の存在は預かり知らぬところで、話を思わぬ方向に向かわせていた。
「なんの話してるの、ばーゆ」
「あ。結衣、そっち終わった? いやー、謝ることになった理由話してたら、出店の話で盛り上がっちゃってさぁ」
「…………えっと?」
「ほらー、二人もぼけっとしてないで話入らない? あんたらが店代表なんだし」
終わったはずの共同出店の話が、むしろトーンを大きくして掘り返されていた。
「えっと、それなんだけど。もうやめよう、って話を今してて……」
申し訳なさげ、控えめに切り出した渡辺さんに、俺は首肯して同意する。
「えー、でもねー? 大石くん」
「うん、俺も面白いと思った。やるやらないは別にしても、もう少し話は詰めてみたいな」
「というわけで、主催者サイド公認なわけ! 水戸黄門、状態なわけ」
しかし、よもやの内通者が隣の席に潜んでいた。小林悠里が「この紋所が~」、と小芝居をやりながら胸ポケットに入っていた紋所、もとい目薬を取り出す。
「……おい、葵?」
「なんだ、俺は思ったことを言ってるだけだぞ」
葵の澄ました顔からは、真意が読めなかった。助けを良太に求めてみるけれど、のほほんと柔和な笑みを浮かべているだけの仏面で使いものにならなさそう。だから、今しがた合意に至ったばかり、確実に味方であるはずの渡辺さんに視線を移して、
「……え! だったら、やりたい!」
「結衣~!! そうこなくっちゃ! じゃあ放課後、公民館にでも集まって作戦会議しない?」
「いいね、それ! いいかな? 川中くん!」
その目の色が変わっているのを見つけた。
本音は、やりたいに決まっていた。ほんの数週間、短い付き合いだけれど、知っている。こうなった渡辺さんは、もう止められない。そんな諦めと、それからここへきて生まれ始めていた少しの認めてやりたい気持ちとに、駆られた。
「……まぁ話ぐらいなら、いいんじゃないか」
俺はそう答える。どうせここで争っても、多数決で否決されるだけだ。余計な面倒ごとを増やすのは本望ではない。話がひと段落ついて、女子二人が去ったあと、俺は葵に問いかける。
「なんのつもりだよ? 変な勘ぐりはやめろよ」
「はははっ、昨日の子と付き合ってないのは見てたら分かるから。むしろ、それよりか」
「なんだ」
「あぁいや、やっぱりいい。単純にいい案だと思ってな。商店街の活性化におあつらえむきのカンフル剤だ」
「……うちは大ダメージだけどな」
「そうでもないさ。ピンチはチャンスって言うだろ? ものは考えようだよ」
返ってきたのは、ピントのぼけた答えだった。聞いても「詳しくはまだ」と、内容のないテレビ番組みたくはぐらかされているうちに午後の授業が始まってしまった。
♢
放課後、葵と良太に連れられ、いつもの公民館に向かうと、渡辺さんと小林悠里は既にいて自習テーブルに陣取っていた。
しかし、二人ではなく三人で。
夢にまで憧れた吉良さんが、そこにはいた。今年一番と断言できるほど、嬉しいサプライズだった。整った顔立ち、美しい背格好。なにより、纏う雰囲気が輝いていた。その居住まいは、近くに置かれた渡辺さんのくすんだノートさえ全て十八カラットに変えてみせる。気だるさの類が途端に立ち消えになった。
師走祭のことも、小林悠里との再会も、一連の出来事全てがこの出会いに繋がったのだと思えば、もうなんだっていいと思えた。渡辺さんがじとりとした目で牽制してくるが関係ない。今度こそ、俺にも幸運のお鉢が回ってきたのだ。
「はじめまして。よろしく、吉良さん」
「川中くんだよね、知ってる。北のほうのベーカリー」
「うん。知ってるなんて驚いた」
「買いに行ったことあるよ」
いつ、どこで、なにを。もしタイミングが良かったら、会えていたのに。狭い器に話したいことが溢れんばかりに注がれてきたけれど、渡辺さんの失敗を目の前で見ていたから努めて自然に(?)初会話を交わすことができた。冷静さが大切、久々にあのノートにメモしようと思った。
「じゃあ早速始めよっか! 作戦会議その一~~!」
小林悠里が号令をかける。
急転直下、即席。友達二人と、元カノと、憧れの人と、それから────渡辺さんはなんと言ったらいいのだろう。とにかく関係の奇妙な六人。公民館のテーブルが初めて全席埋まった。正面にはかばんではなく、渡辺さんが座っていた。
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