第13話 アテンドTHE大化改新(13)
十三
「黙っててくれるなら、なんでも答える! なにかな」
「……なんでも、だな」
「う、うん。なんでも」
大声で歌って気分は晴れても、悪い流れは続いたままだった。というより、今まさに底に達していた。
見られてしまった。見ず知らずの突然の訪問者に、なにからなにまで。中肉中背の男子生徒だった、同級生だと言う。
「……この辺に落し物ってなかった?」その奥の目は、私のを捉えてなにかを探ろうとしていた。
「ど、どんなのかな?」極力低姿勢で、聞き返す。
「薄くて、平らで、白くて……」
「えーと、まな板?」
「いや、違う。学校にまな板持ってこないって。えと、紙みたいな」
「メモ。大きさとかは」
「そう。A4かな、たぶん二枚。ちょっと書き込みがしてあって、バインダーに入れるやつ。あ、いや、知らなかったらいいんだけど」
「……ルーズリーフ、……あぁ」
そして、私にはそれがなにを指すかようやく分かった。最悪だ。たぶん、状況は見積もっていたよりずっと酷い。
A4、ルーズリーフ、この二単語だけでもうほぼ決まりだ。十中八九こいつが私の不機嫌の元凶、あのノートの持ち主に違いなかった。
今朝からの鬱憤、全てを怒りにかえてぶつけてやりたいと思ったけれど、まずは胸に手をやり冷静になる。残りの一、二を詰めて、確からしいと裏付けを取らねばならない。変なところで私は狡猾だった。
「ところで、あなた、名前は?」
「……え、川中大雅だけど」
「川中くん……、そう。ねぇ川中くんも受験生なの?」
「あぁ」まずは、第一関門はクリアだ。
「お家の人、なんの仕事?」
「近くのパン屋だな」第二関門も難なく突破。同じパン屋だと知って驚いたけれど、それは顔に出さないようにして次の質問へ移る。
「なんかはまってるゲームとかある?」
「あぁ、モンドリ」
「私もやってる。あれ中々SRでないよね」
「そうだよな、分かる。この前の確率アップでもでなくて、そろそろSR欲しいんだよな、ってなんの話。俺は落し物のこと聞きたかったんだけど」
間のいくつかの項目は忘れていて、飛んだけれどこれもクリア。もうホシと見て間違いなかった。
「じゃあ、最後にもう一個だけ」
「ん? なんだよ」
「吉良つばきのこと好き?」
えいや、と私は核心に果物ナイフ一本で飛び込む。その男子の顔色は瞬時にして青ざめていった。そして、
「…………見た?」と弱々しく一言。
「他のも全部ね」
さぁここから一転攻勢だ。
攻められっぱなし、弱み握られっぱなしでは終われない。なんたって朝から苦しめられてきたのだから。私は英単語帳に挟んだままにしていた例のルーズリーフを取り出し、最低野郎に見せつけるように開く。
指差すのは、昨日拾った紙、「Want to do リスト」と銘打たれたリストの下部だ。
そこには箇条書きで、「・吉良つばきさんと結婚する♡」「・つばきさんとエアーズロックに行く!」と書かれていた。まさに呪いの文章、たった一文でここまで人を不愉快にさせるのはむしろ才能といえる。
「つばきと結婚したいんだって?」
「……わ、悪いかよ! ただのwant なんだからいいだろ!」
「よくない! つばきは親友なの、あんたなんか絶対よくない」
「そ、それは本人が決めることで……」
「だったら、こんなとこに書いてないで直接言ったら? で、つばきとエアーズロック行きたいって?」
「……それも見たの。……あれだ、オーストラリアにあるだろ。で、新婚旅行とかで」
嘘だ。ここで最低男の指しているのは
「嘘つき。ラブホテルのことってぐらい分かるからね!」
うっ、と短く声をあげると男は押し黙る。
エアーズロックは、国道沿いに煌びやかな粉飾で建てられたレジャーホテルの俗称だ。のどかな町並み、畑の多い中に急に出現するからみんながそう呼んでいる。
「別に本当に連れ込もうと思って書いたんじゃない! その、筆が乗って」
「信用できるかー! だいたい腹立つの! せめて書くなら順序逆じゃない!?」
堰き止めていた苛立ちが溢れ、堤防決壊していた。濁流に乗り、一方的に攻め立てる。
「しかも、この「つばきと結婚したい」のとこ! なにこれ、ちゃんと書き直したら!?」
「……ま、間違いも残しておいた方が勉強になるかと思って」
「間違えるんだったら、書くなー!」
私が指差すのは、箇条書き項目の後ろ。副題のように「~marry with ~」と書いてあって、後からwithだけ二重線で消されていた。手抜きにもほどがある。まだまだ終わらないつもりだった。続けざまに糾弾しようとするのだが、
「二枚目だってね──」
タイミングが悪かった。試合終了のリングとばかり、チャイムが鳴って言いそびれる。昨日から邪魔されっぱなしだ。
「……なんだよ」
「もういい。全部言いふらしてやるんだから」
こんな男に構って、遅刻までしたら災難だ。私はルーズリーフを変態男に投げつけて、荷物を持ったらわざとらしくスリッパの音を立てて廊下を歩く。
「お、おい、待てって」
変態男はすぐに追ってきて、後ろから私の肩を掴んできた。煩わしいったらない。私は苛立ちに任せて、持っていたペンで壁に書きつける。変態妄想野郎! 、とボールペンで。
変態男の「なんてことを」「しかも消えないタイプの」という悲痛な叫びが背中からするが構うものか。
書いたことでさらにすっきりした気分で、私は廊下を早足気味に過ぎる。
「……お、俺も言いふらすからな、別棟で一人で歌ってたって」しかし、男だって黙っているわけではなかった。
「な、なに……。さっき言わないって言ったじゃん」
「いいや、こうなったら話は別だ」
「私の名前も分からないくせに」
「吉良さんの近くにいる、で思い出した。渡辺さんだろ。パン屋の」
「…………どうでしょう」
「当たりだな」
目には目を、歯には歯を、脅しには脅しを、ということか。どこまでも最低な男だ。だが、それは私にとってもクリティカルな問題だ。
「……証拠ないじゃん」
「俺のだって、証拠ない」
最低男がルーズリーフをヒラヒラと得意げに見せつける。その場の激情に任せて、返してしまったのは不用意だった。いっそコピーでも取っていればよかったのかもしれない。
「……とにかく、言いふらしてやるんだから。本人にも告げ口してやる」
だが、私が握っているこの男の弱みの方が、情報として優位にあるのは変わらない。男はまずそうな顔に戻っていく。本当に言うか、は置いておくとして、こう宣言しておけば黙るのは分かっていた。私はまた歩き出す。今度こそ得意げな気分で、ない胸を張って。
「……俺も絶対言いふらしてやるからな、曲名もアーティスト名も調べて」
しつこく噛みついてくる変態男の台詞は負け犬のそれに等しかった。
「葵に言って、学年全体に変人の噂広めてやる」
だが、聞き捨てならない名前を聞いて、ぴたりと足が止まってしまう。
「へぇなんだ、葵のこと気になるのか」
「そんなことないけど?」
「そうか。なら、葵になに吹き込んでもいいよな」
私は返す言葉に窮してしまった。ここで午後の始業チャイムが鳴る。弱みを握られた。土壇場で、形勢互角に持ち込まれてしまった。やるかたのない憤りを言葉に込める。
「もう、本当に言ってやる! 和解なんて絶対しないからね」
「俺だって、するもんか」
「私だって」
「そこ、仲良いのは結構だが喋ってないで早く教室戻れ!」
遅刻チェックをしにきた教師に急かされて、私は走る。変態男も走る。
ポニーテールが横から顔に叩きつけられた。あぁ苛つく。なんでこんな男と並走して、かつ仲良い扱いされなければいけないのかしら。
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