第5話 アテンドTHE大化改新5

     五



「ただいまー!」


  ばーゆが鍵のかかっていない、不用心な引き戸を横に開けて声を張る。私とつばきは、それを後ろからついて家に入った。

 奥から返事もないうちに、ばーゆは靴を脱ぐ。慣れた様子で、自分用のスリッパを棚から引っ張り出した。破れて綿が漏れた箇所を白ウサギのアップリケで隠した、手作り感いっぱいのものだ。

「はい、結衣のはペンギンで、つばきのは猫!」揃えてくれたスリッパを履いて、私たちも上がり框に足をかける。

「準備しとくから、飲み物取ってきて!」

 ばーゆはせわしない。そう言うと、私たちより先に廊下を歩いて、階段を上っていった。

「あ、もうばーゆったらー!」

「つばき、あれは言っても変わんないよ」

 階段のみしみしと軋む嫌な音を聞きつつ、私は、自分のと一緒にばーゆの脱ぎ捨てていったローファーも揃える。つばきは、その横に丁寧に自分のものを置いた。

 並んだ三つのローファーを見てみたら、私のだけ明らかに背が低い。もう履き潰してしまって、底がないのだ。だがこのローファーを履くのもあと三か月ほど、ここで買い替えるのはもったいないというもの。

「ばーゆ、本当すごい。人の間合い、って言うの? どんどん踏み入ってく。大物になるかもね、政治家に切り込んだりして」つばきが小さく笑う。

「コメンテーター? 無理だよ。勉強嫌いだもん、ばーゆ」

「あは、言われればそうだね。お邪魔していいかな?」

「うん、もちろん」

 つばきが私に了解をとるのは、ここが私の家だから。

 高校で出会って以来、ばーゆはこのぼろ家によく遊びに来ていた。週二回以上二年間、持ち前の愛想のよさで両親ともすぐに打ち解けた彼女は、いつの間にか本当に渡辺家の子どもみたく出入りを公認されるようになった。以来、私が不在の時に来ても、両親と世間話を数時間でもしていくほど。

 つばきと一緒に、リプトンのボトルを持って自分の部屋へ向かう。甘い物好きのつばきは、加えていい? とガムシロップを追加で持ち出していた。もう十分甘いのに、と思うが、彼女にとっては市販のものでは甘さが足りないらしい。

「お、紅茶♪ ありがとー!」

 ばーゆは組み立て式テーブルの前、ちゃっかり私のブランケットを折り畳んだ上に座っていた。これも気の知れた付き合いだからできることだ。つばきの前には低反発クッションが一枚、私のところには三百均で買ったクッション。いつもこの配分だ。つばきにだけ高待遇なのは、


「ごめんね、毎回教えてもらっちゃって」

「よろしくお願いします、つばき先生!」


 こういう理由。ずば抜けて頭のいいつばきに教わろう、という勉強会だから。


「そんな大層なことじゃないじゃんか。友達なんだから」


つばきはそう言うが、講師に雑な扱いとはいくまい。各々の参考書を開いて、ペンを持ったら準備は完了。しかし、


「なんか久々に来たなぁ」


握ったばかりのペンはすぐに机の上に転がされることになる。ばーゆが座った体勢のまま後ろに倒れ、床にひじをついて言う。ある種、勉強会の宿命みたいなものだ。


「……そういえば、そう? 一か月ぶりぐらいかな」

「一か月かー、結衣の部屋は相変わらず汚いなー」

「言わないでよ、一応気にしてはいるんだから」


 私は隠しきれないことなど分かっていながら、両手を広げて親友二人の視線を阻む。部屋をじろじろと見られると、生活を覗き見されている気分で落ち着かない。

 でも全くその通りで、私の部屋は雑然としている。物が多いせい、いくら整頓しても応急処置程度の効果しかなく、すぐにまた元どおりになってしまうのだ。物というのも、ハーゲンダッツの蓋とか、もう使えないくらいすり減った消しゴムとか、いわゆるガラクタ。それら全てがなぜか捨てられない。


「ほら、これとか引き抜いたら全部崩れそうじゃん?」

「あー、もう触んないの。怒るよ、ばーゆ!」私はちょっと語気を強くして言う。

「……木刀。抜いたら崩れるって黒ひげ危機一髪みたいだね」つばきはくすっと口元に手を当てて笑った。


ばーゆとしばらく抜く抜かないの攻防を繰り返していたら、


「もう、結衣。片付けしなさいっていつも言ってるでしょ」


 そこをたまたま部屋にやってきた父に見られた。扉を開け放ちにしていたんだった。私たちはひとまず休戦と木刀から手を離す。危機はすんでで免れた。

 二人が父に挨拶をする。私は不満顔を悟られないように目を逸らした。


「汚くてごめんねー、もっと言ってやってくれていいから」

「いやー、結衣らしくて落ち着くってのもあるんで! ね、つばき?」

「たしかに、そういうところもあるかも?」

「もう馬鹿にしてー、受験が終わったら絶対片付けるから! やろうと思えばいつでも」


 本当は今日にでも、と父が答えて欲しいのは分かっていたが、こっちには「受験」という大義名分がある。


「そんなこと言って、ちゃんと勉強してるのかー?」

「してるよ」

「本当かー?」

「それは本当ですよ。結衣、昼休みは図書室に勉強しに行くくらいなんです」


 紛糾しかけた親子の言い合いに、つばきがフォローを入れてくれる。私は二度三度頷いて応じた。涙ぐましい、昼休みエスケープが思わぬところで活きていた。それ自体、実は真っ赤な嘘なのだけど。図書室にすら行っていないが。


「へぇ、珍しく熱心じゃないか」

「しかも一人で! 結衣おかしくなったのかと思ったもんね。今日もだし、すごいよ。ストイック!」


 しかし、ばーゆが盛り上げ、徐々に展開されていく嘘の話を聞いているのは、どうにも居たたまれない。私はここで会話の腰を折る。


「というか! 部屋に来たのは、なんか用事があったからじゃないの」

「……ん、そうだった。二人の声がしたからね、おやつでもと思って」


 げ、と思わず声に出てしまった。しかし、それは私だけ。二人の表情は笑みに崩れる。


「もしかして、噂の新作────待ってましたー、結衣パパ!」

「ありがとうございます! 行きます! すぐ!」


 ばーゆはがばっと父に抱きつき、つばきもその上からかぶさった。

 学校の人からしたら、夢にも考えないような光景だろう。学園のアイドルたるつばきが、なんだか中性的なおじさんにハグしているのだ。

 実際おかしな絵、そのはず。しかし、威厳がないからだろう、女子高生に囲まれて抱きつかれていても大して違和感を覚えない。


「善は急げって言うし、早く早くー♪」

「危ないよ、悠里ちゃん。うちの階段急だから」

「もう慣れっこ。何日通い詰めたと思ってるのーっと!」


 団子みたいにして部屋から出て行く華の女子高生二人とおじさん一人、すっかり出ていってしまってから私は呟く。


「あの、勉強は……って言っても仕方ないかー」

「先にスイーツ!」


 廊下からばーゆの声が聞こえた。そうだ、この部屋は音が筒抜けだった。「いつから結衣はあんな勉強っ子になっちゃったのかなー。昼休み、弁当も一緒に食べてくれないんだよ?」とぼやきが続く。

私も部屋を出る。とても言えない、私が本当にやっているのは──だなんて。

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