第3話 アテンドTHE大化改新(3)
三
私のクラスはいつも騒がしい。
あまりの騒々しさに、他クラスから苦情の使者が来ることもしばしばある。今も、鼓膜を震わすわーきゃー声。伸びかけて松の葉みたいな髪の元野球部を中心に、元女バスがその周りを固め耳に痛い金切声をあげている。朝から教室の真ん中で大騒ぎだ。それ以外の人だって大差ない。クラスメイトの多くが元運動部で構成されているこの三年三組は、全体に体育会系独特の空気が漂っている。ほら、今度は元テニス部がなぜか教科書を丸めて野球をし始めた。部活のアイデンティティはどこへやら。
一応、「私立文系組」と銘打たれたこのクラス。しかしそれは名ばかりで、ほとんどは受験をしないか推薦で進路が決まっている人が烏合の集みたく詰められたお気楽学級だ。だから受験間近だなんて彼らには関係ない。残りの高校生活、エンジョイ! とばかり、高らかに青春を謳歌している。
私は教室の隅に収まりながら、煩わしいなと思う。車の初心者マークみたいに、受験生マークがあったらいいのに。ちょっとは遠慮してくれるかもしれない。だが、こんな他人恨みも元を正せば自らの選択の結果と言われたら黙るしかない。
二つ隣。五組の国公立文系クラスは日頃から静かで、勉強環境では月とすっぽんほど差がある。三年生に上がる時、私は私文か国文かのクラス選択で迷った。国文に気持ちは傾いていたが、先生に「国文は本気で受験する奴がいくもの」と脅されて怖じ気づき、消去法的に私文を選んだ。その結果、今のクラスになった。
「昨日のバレーやばかったくない?」
「ほんとそれ。もうプロテクターとか意味あんのって──」
単語の一つが頭に入る前に、邪魔が入る。昨日今日で覚えたのは、「comprehend=理解する」くらい。教室では私と単語帳、蜜月の時間は許されない。まるで禁断の愛、not be comprehended。
教室がこうだから、いつもは始業ぎりぎりに登校する。単に寝坊してのこともあるけれど、朝早く起きても家で勉強してから行くようにしている。私、偉い。
だが、今日は早く来てしまった。ばーゆに彼氏のことを色々問い詰めようと思ったのだ。あぁまでしてはぐらかされたら、気になってしまう。なのに、その本人がまだ来ていない。まさか泊まりからの朝帰りでそのまま欠席? ばーゆの無鉄砲ぶりを考えたら、あり得るから複雑な気分だ。
私はこの通り、クラスにあまり馴染めていない。席の関係もあってホームポジションは教室の隅だ。とはいえ、それには別になんの不満もない、決まった友達だってちゃんといるから。
むしろ望むのは、目立たずひっそりと。ご飯でいったら、たくあんのように何気なく添えられていたい。そして邪魔をされずに勉強を、と思う。しかし、
「結衣、おはよう。朝から頑張ってるねぇ、偉い偉い」
「あ、おはよう。つばき」
「あれ、悠里はまだ? 昨日電話かかってきてさぁ」
「つばきもだったの」
この友人がいると、どうしてもそうはいかなくなる。かばんを探りながら私に話しかけるのは、ひとつ隣の席にして親友の一人、吉良つばきだ。
とにかく全てが抜きん出ている。運動、勉強、立ち居振る舞い、可憐さ、可愛さ。その輝きは本物らしく、休日に一緒に街を歩いていたら、その日だけで五回も芸能事務所の人にスカウトされたこともある。それでいてすごいのは、本人はそれを全く鼻にかけないことだ。なんなら私の方が、友達と公言して自慢してしまうくらい。
もはや、名前からして違う。名前ランキング上位に入ってくるような、私のありきたりな名前とは大違い。つばき。真っ赤に燃える赤の花。花言葉は、「優しさ」と「誇り」というから格好いい。オーラがあるからなのか話しかけてくる人自体は少ないが、その存在はただいるだけで衆目を集める。私とは違って、常にスポットライトのど真ん中に身を置いている。
「そうだ、昨日あげてたクロド美味しそうだった」
「そ? なら、今度食べにきなよ、なんなら今日でもいいよ」
「じゃあ今日寄らせて貰おうかな。あれ夜中に見ちゃうと、お腹空くんだよね、ずるい」
「あは、それも戦略のうちだよ。たぶん余ってると思うからむしろお願いしたいくらい」
けれど、つばきの近くにいたら自動的に私もその光のおこぼれを浴びることになる。教室の端にいても真ん中にいるような気分だ。今だって、つばきは気づいていないが何人かがこちらを見ている。教室の端でひっそりと過ごしていたいのに。しかも、こんな完璧少女と比較されている、と思ったら心が苦しくなる。
それでもこの女の子と一緒にいるのは、
「よーし、やる気でた。私も英語の予習しようかなって……あれ? あー、持ってくるの忘れちゃったな」
完璧少女は見かけだけで、誰も恐れて触れない蓋をちょっと開けてみれば脆い部分も結構あるから、なのかもしれない。忘れっぽくどこか抜けている。趣味は薔薇の栽培とかしていそうなのに、レゴブロックだし。それがいい。そんな彼女を私たちだけが知っている優越感、と言おうか。
「貸すよ。教科書でいい? このおっちょこちょいめ」
私より頭一つ分は高いところにある頭をちょっと突いたら、つばきが笑う。綺麗な笑顔は、まるで雑草地に咲く一輪の椿。亜麻色の髪からは、ほんのり甘く、そして気高く爽やかな香りがした。私のとは違ういいリンスだ、私のは安物のシリコンリンス。
そんなやり取り一つ、クラスみんなが見ている気がしないでもない。あぁやっぱり集中しようにも気が散る。私が気にしすぎているだけかもしれないけれど。
チャイムが鳴る間際になって、ばーゆはようやく登校してきた。授業の合間に色々聞こうと思っていたら、開口一番「聞いて!」と言って、自分から顔を紅潮させて話し出した。昨日は渋ったくせに。付き合った経緯、昨日の夜のこと、熱くなって語る。制服のまま迫られてさすがに断ったリベンジを昨夜、自分からアプローチかけて果たしたらしい。ここまで大胆なのは、ばーゆならでは。私とつばきは、呆気にとられるように話を聞いた。
つばきに集まる視線が多い分たぶん他の誰かにも聞いているだろうに、ばーゆは持ち前の大きく明朗な声で快調に話す。元女バレだけあって、彼女にも体育会系のテンポが流れている。こうなると、別方面からも関心を集めてしまうわけで。挙句に、
「私の彼氏さー、太ももがフェチで──」
彼氏の癖の話をし始めたから私はここで強制ストップをかける。つばきはとっくにノックアウトされていた。彼氏いない歴=年齢、見た目とは裏腹にウブなつばきには刺激が強すぎたらしかった。
毎日がこうだから、学校にいるとどうも気が休まらない。落ち着いて勉強する時間も限られてくる。親友二人のことはもちろん大好きだけど、たまに困りものだとも思う。ちょっとの苛立ちは日々塵のように募っていく。十月に入ってからは焦りも加わり余計に、だ。
つばきも、推薦でとっくに一流大学に進路が決まっている。私だけが受験生。気持ちにも学力にも余裕がないから、些細なことにさえ腹が立ってしまうのだろうか。でも、その余裕のなさを悟られたくない私は、平気そうな顔して笑う。誤魔化す。耐える。
でも、それにも限界があった。差し迫ってくる受験の日は待ってくれないどころか、小走りになってこちらへやって来るのだ。そして、ついにどうしようもなくなったある日、私は逃げ出した。受験から? いや、教室から。
「じゃあ私、図書室で勉強してくるからまた後で」
「おー、今日も? まだ話し足りないのにー」
「まぁ、また放課後聞くから。最後の模試も近いしね!」
昼休み。弁当を机の上に広げる親友二人を、ローカルルールでの大富豪に盛り上がるクラスメイトを、背にして教室を出る。放課後ランデブーならぬ、昼休みエスケープだ。英単語帳、古典文法書、それからおにぎり二つ。胸に抱えて、廊下を歩く。途中、国文クラスの中を覗き込んだりして。みんなが静かに弁当を食べ、話すにしても小さな声。いい環境だな、と思うとともに、息が詰まりそうだとも思った。
その中に私は大石くんの姿をしっかり捉える。教科書をめくりながらカレーパンを食べていた。格好いいなぁとしみじみ見つつ少しゆっくり加減に通りすぎた。パンをかじるだけでも様になっている。
そのままズンズン歩いて私が向かったのは図書室────ではなく。
しんと静まり返った空間に、私の足音だけが低い天井に跳ね返って響く。別棟の廊下だった。
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