第2話 アテンドTHE大化改新(2)
二
窓際の席になったのは、俺・川中大河にとって運が良かった。
それも目の前には大きな柱があって、カーテンが風にひらりと舞えばすっぽり隠れることができてしまう、誰もがうらやむ一番の特等席。自習も睡眠も出来る、たまに授業を聞きたかったら頭を出して聞けばいい。今も二時限続けて数学の時間だが余裕のサボタージュ、日本史の勉強に費やすことができている。一応国公立志望だから、数学も受験科目のひとつではあるが、文系なので優先順位でいったら低い。とりあえずは英語、国語、日本史の三科目だ。
大化改新、白村江の戦い、壬申の乱。年号と順序を一緒に覚えていく。実はあまり得意な科目じゃない。だからかすぐに集中力が切れた。そして一度切れたら、断線してしまったイヤホンのように雑音ばかりを拾う。苦手意識が強かった。そろそろやらねば、とは夏からずっと思っていたが、「日本史は十月からでも間に合う」なんて根のないネットの情報をあてに(実際、見た当時はかなり頼もしかった)、先延ばしをしていたらあれよあれよの十月。遠ざけてきた結果のまだ飛鳥時代という有様だ。これはかなり遅い。
本当は息をついている暇などないはずなのだけど。
冬などには冷気を全く遮らない薄い窓を鏡に、流れていた髪を正す。左前髪を耳まで掛けて跳ね上げるのが最近のこだわりだ。終わったら今度は、窓の外に目を移した。
グラウンドでは女子がサッカーをしていた。黄色い声がする。体操服の色から見て同じ学年だが、どこのクラスだろうか。そう思いながらうつけて眺める。
動きのない試合だった。女子だけに蹴るボールに力はなくゴロで地面を転がるのが大半。躍動感に欠けるパスが、そういう約束でもあるかのように全員に回される。つまらないなと思った矢先、一人の女の子にボールが渡った瞬間、雰囲気が一変した。一度ボールを受けると、そこからもたつく女子たちをさらりと抜いて、ゴールの端にふわりとループシュートを決めたではないか。ゴールキーパーをほとんど動かしすらしない。華麗だった。
黄色い声がさらに大きくなって届く。それには俺も思わず、一人感嘆の吐息。
彼女のことは、きっとこの学校の人なら誰でも知っている。吉良つばき。美しい、スポーツ万能、成績優秀、下世話な話スタイルも抜群。まさに欠けたることもなしと思えば。
モテそうなものなのに、噂によるとこれまで彼氏の一人もいないそう。それがまた男共の想像を掻き立てる。実はあの恋愛禁止のアイドルユニットに所属しているのでは、とか「彼女」がいるんだよ、とか。ミスコンでもあったら、一番は当確だ。
接点はないが、こっそり俺も憧れていたりする。別のクラスにいる友人に会うふりして、近づいたこともある。話しかけようと思ったが、雰囲気と甘い香りにノックアウトされて、結局見ているだけになったのは苦い記憶だ。今日も可憐だなぁ素敵だなぁ、なんて惚けたことを思いつつその姿を目で追う。近くにいる赤の髪飾りをつけた女が重なってよく見えないのが腹立たしかった。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴って数学の授業が終わった。あぁ結局ほとんど進んでいない。また飛鳥時代で足踏みだ。
罪滅ぼしに山川の教科書にラインを引いていると、
「大雅ー。寝てたの?」
「あ、しり。なんだ? 別に寝てないけど」
優しく高い独特の声、友人の江尻良太が話しかけてきた。横に大きく、縦に小さい身体が机の幅からはみ出そうになっている。つまりデブ。にまり、と恵比寿さんのように笑う。ひとつ後ろの席で、昼の弁当を一緒に食べるくらいには仲がいい。
「その呼び名やめて? 僕は臀部でもデブでもないよ」いや、デブではある。
「じゃああれだな、siri。iPhoneの」
「……僕、アンドロイドだし」
「そういう話じゃないからなー」
「そういう話じゃないのはこっちだよ。大雅、さっき当たられたのに返事しないから欠席扱いになってた」
「……え? まじで。教えてくれよ」
「言ったけど、反応なかったんだよ」
吉良さんに奪われていたのは目だけじゃなく、残りの五感もだったらしい。
「先生に言いに行った方がいいかも。一緒に行こうか?」
「いいよ。一人で」
そのまま話していたら、担任のおばちゃん・遠山先生がやってきて終礼のホームルームが始まる。確認事項をだらだらと述べたあと、
「進路調査書を集めるから、後ろから回してください」と締めくくった。
良太から調査書が回ってくるのだが、俺は持ってきていなかった。重ねるふりだけして、前に回す。集まってきたのを順番に確認した担任から、
「川中くん、あとで職員室まで来るように」こう御達しがあった。
「行ってらっしゃい、職員室の申し子さん」
「……うるせぇ」
性格の悪い恵比寿さんだこと。
終礼が終わって、荷物をかたす。逃げないようにか待ち構えていた遠山先生に付き添われて職員室へ。まずは数学教師に素直に頭を下げて、次から真面目に聞く約束と引き換えに出席をつけてもらった。
そのあと、流されるように応接室へ通された。木の大きな扉が閉まると、遮断されて外の音が全く聞こえなくなる。壁の上方に飾られた表彰状を見上げていたら、
「早く座りなー。こっちは真面目な話をしに来ているの」
どやされた。大人しく、不相応に大きく荘厳さを感じる椅子に座って向き直る。
「川中くん、あなた調査書は? まだ出してないみたいだけど」
「えと、もう少し待ってもらえませんか」
「今日のは最終確認。もう随分待ったけど、一回も出してないじゃない」
そう、これまでも何度か進路調査はあった。その度に、未提出を繰り返してきた。
「……ですよね。でも、まだ親と揉めていまして」
「よく勉強してるみたいだけど、受験するんじゃないの?」
「一応そのつもりではあるんですけど」
「お金の面? どうしても行きたいなら、奨学金借りて行けばいいじゃない。努力すれば、給付型のものだって、取れなく無いことはないわ」
「まぁそうなんですけど……」
けど、けど、と。煮え切らない返事になるのを、お茶を飲んではぐらかす。どれだけ答えを求められても、今の俺にはこれしか答えられないのだ。長々と説教をされたあと、
「家業を継ぐなら継ぐ。進学するなら進学する。どちらにしてもそろそろ決めないといけない時期よ。どうせどちらかしか選べないんだから。もう一回プリント渡すから、できるだけ早く提出しなさい」
最後の最後にそう言われて、日の傾いた秋空にやっとのことで解放された。もう十月か。風で紅葉散る帰り道を歩きながら、そんな分かりきったことを思った。あと数ヶ月もしたら受験で、学校にも来なくなって卒業式。高校生でいられるのももう残り少ない。
周りはもうとっくに進路を決めている。決めた場所に向かって、誰もが歩を進めている。そんな中、自分だけはまだ未定。流されるように、周囲と同じ方向に進む構えだけをしている。希望する道がないわけじゃない。受験して、大学に進学したい。しかし、別にどこの大学というのはない。学びたいことも特別ないので、なるたけ優秀なところで、無難に経済か法と考えている。
そんな曖昧な俺の考えに対し厳格な親父は、
「行ってからの目標がないなら、行っても意味がない。跡を継げ」
決まってこう言う。簡単には大学進学を許してくれない。母は進学に賛成してくれているが、威厳がなくほわほわしているから援護は期待薄だ。努力、そんなものが関係してくるのは前提条件が全て揃っている時だけ。
家に着く少し前から、小麦の焼ける香ばしい匂いが漂ってきていた。ガーリックフランスでも焼いているのだろう、にんにくの匂いが香ばしい。生まれてこの方、毎日嗅いできたから香りだけでパンの種類まで分かる。
『リヴィエール・パーミ』、日本語なら単に苗字の『川中』。このフランスかぶれな名前の店こそが俺の実家だ。名前は洒落た料理屋のように聞こえるが、その実ただのパン屋である。南北に伸びる商店街の北端に位置する。
外観して誰がこんなパン屋継ぐものか、と思う。したいことはないが、パン屋にだけはなりたくない。これは確固としている。店の前を通り過ぎ裏玄関から入ると、
「おかえり~、たいちゃん」
出来ればやめて欲しい呼び名で母が迎えてくれた。百歩譲って家の中では許せるが、外でも同じように呼ぶから恥ずかしい。
「今日は多めに仕込むみたいだから~、少し手伝ってあげてくれるとママ嬉しいな。じろちょ、大変そうだし」
じろちょとは、親父のことだ。渋さが光る感じが次郎長みたい、と名付けたあだ名だとか。
「……分かったよ」
「ありがと! じゃあ私はみくるちゃんの面倒見てるからよろしくねー」
ふにゃふにゃと手を振りつつ母は部屋の奥へ引っ込んでいく。若々しいといえば聞こえはいいが、もう四十代に差し掛かった母親とは思えない、ギャルのような軽薄さである。なんだかどっと疲れてしまって、思わず濃いため息をついた。
父と母は全てが正反対だ。名前も二郎と、平梨。昭和ネームとキラキラネームときている。普通なら、ない組み合わせ。出会いの予想はついている。親父の唯一といっていい趣味は、パチンコだ。今も店の定休には決まって、開店時間から閉店になるまで張り付くように通っている。大方、たまたま大玉出していた親父に母が声でもかけたのだろう。それ以外出会う場所が思いつかない。それにこの狭い町だ、そんなことも「運命」となったのだろう。
つまり俺は、とんだギャンブル夫婦の子ども。ソーシャルゲームをやり込んでいるのは、その片鱗の発現と言えるのかもしれない。
そんな不釣り合い夫婦だけれど、仲は悪くない。その最も確たる証拠に、今年の夏には妹・みくるまで生まれた。年の離れた妹の誕生は、俺からすればかなりの衝撃で色々と考えさせられた。俺の知らないところで二人で為したのか、もしかしたらもしかすると別のところで貰ってきたのかもなんて。どこか地に足つかない母のことだからありえなくもないから困る。どちらにしても、あまり快いものではないのは確かだった。
自分の部屋に荷物だけ投げ入れたら、隣にかけてあったエプロンを巻く。仕事にするのは嫌でも、家業だから手伝いくらいは義務の一つだ。
店のキッチンに向かうと、
「おう、帰ってたのか」ちょうど親父が生地を捏ねているところだった。にんにくはもちろん、バジルとオリーブが強く香った。
「多めに作るってなんかあるの?」
「あぁ、挑戦だ。新しいのを作ろうと思ってな」
「…………また挑戦、ね……」
親父はこの言葉が好きだ。挑戦しているほどの余裕がない時でも、いつでも言っている。そして、俺の嫌いな言葉。
今だって決して経営的に余裕はない。スイームブームの煽り、最近は客の数が減っている。南の端にあるスイーツパン専門店に客が流れたのだろう、と親父が分析していた。
だがそこで、「じゃあこっちも甘いパンを」とは考えないのが頑固な性格ゆえ。ひたすらに惣菜パンを作る。それも変わり種ばかり。そして、休みにはパチンコに繰り出す。なけなしの金が増えることは稀だというのに、「友達作って店に来てもらう」なんて大義名分を掲げて。
「今度は、うどん粉を使ってみようと思ってな」
「…………それ、うどん粉だったの」言われて見てみれば、細切りにして茹でたら美味しそう。
「あぁ、ブランド物の中力粉と強力粉を混ぜてある。食感が普段のパンとは違うからな、挑戦するには悪くないだろう」
親父は真面目顔で語る。他人から見たら「お主、血迷ったか」ものを、本気で成功すると思ってやっているから困りものだ。
「中にカレーを入れようと考えてる」
それ、もうカレーうどんじゃん。そう思いはすれど、もう生地は捏ねられている。止めてもしょうがない。
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