あおいろラスト! ~受験×パン屋×最後の青春!~
たかた ちひろ
アテンド THE 大化改新
第1話 アテンド THE 大化改新(1)
一
「えー、へぇそれは、なんというか……おめでとう、でいい?」
電話越しに私、渡辺結衣はどう言ったものか、と迷っていた。
いわゆる友達の彼氏できました報告。これ自体はよくあることなのだが、お相手は私の知らない社会人なのだという。SNSでアタックされて戸惑っているという話を聞いていただけに、余計だった。
返事を待つ間に机を整理する。電話をする前、流す程度に見ていた英単語帳は閉じてしまって机の隅へ。なにの用事があるでもないのに隣で開いていたスケジュール帳(日記スペース付き)も、今日も今日とてなにも書かずに閉じた。
「いやー、どうだろう。微妙なところー」
ばーゆが言う。これはあだ名で、名前は小林悠里。真ん中だけ取ってきて略して、ばーゆ。
言葉の割に声は上ずっているから、本当はかなり嬉しいのだろう。そこで照れてしまう気持ちは私にもよく理解できたから、あえてなにも言わない。
それに、本音というのは思っていてもはっきりと言うのが存外難しいものだ。今の私だって本当は、ろくな男じゃない、SNSで年下ばかり食い物にしてるんじゃないの、考え直したほうがいいよ、などと思っている。けれど、幸せそうな声を聞いたらそう正直に言うわけにもいくまい。
「おめでとうだよ、絶対! でも、大石くんのことはよかったの?」
だから、少し遠回しにほのめかしてみる。大石くんというのは学年一格好いいと噂の男の子。ばーゆと二人、かっこいいと専ら話題にしていた。
「そこを言われるときっついなー。まぁ叶う見込みのない恋をするより現実取ったって感じかなー」
「出た、ばーゆの変なとこだけ現実主義!」
「うっさいなー、いいでしょ~」
声だけで、電話の向こうの拗ねた顔が浮かぶ。私は結構この親友のその顔が好きだったりする。それで説教したいような気分だったのが、早くも失せ始めていた。
「結局、大石くんのことは顔と背格好ぐらいしか知らないしさー。中身を考えて選んだの!」
「なにそれ都合いいー、今彼もSNSで少し喋っただけじゃなかったっけー?」
それに大石くんに中身がない、と言っているみたい。私もどうだかは知らないけれど。
「違う違う。会ったりもしたって」
「うわ、そんなの聞いてない。いつの間に?」
「……いつだったかなー」
「覚えてるくせして」
「うーん、また今度話すよ。その辺はさ」
追及もむなしく、うまくはぐらかされてしまった。そう簡単に乙女の秘密は教えてやれない、ということか。女子高生っていうのは意外に大胆な生き物で、付き合う前にキスしちゃったりなぁなぁで部屋にお呼ばれしたりそんなこともある。でも出来ればそういう事実はたとえ親友でも人に知られたくないものだ。これも分かる。
「結衣は最近どうなの?」
「どうって……なにもないよ。平常、平常」
「えー、本当に? 結衣っていつもそう言うから逆に怪しい」
「だって本当だから、それ以外言えないんだもん。受験の年だしこんなもんだよ」
私だって話したくないわけじゃない。めくるめく恋愛の話とか、爽やかな空色の青春ストーリーとか。でも、ない。乙女の恥じらいとかではなく、本当にない。学校に行って、勉強して家に帰って勉強して、その繰り返し。
「恋人」といえるのは、お茶をこぼしたり使い込んだりで黄色く変色、歪曲してきたこの英単語帳。どこへ行く時も手の中、かばんの中、ぴったり寄り添っている。割に覚えられない辺り、たぶん私の愛が足りていない。
「受験だもんねぇ、ごめん。勉強の邪魔しちゃったな」
「ううん、気にしてない。今日は全然身が入らなかったからちょうどよかったくらい」
ばーゆはシェフになるため調理学校に進路が決まっている。私は、普通に一般受験だ。今になって指定校推薦貰えるくらい真面目に日頃の授業を受けておけばよかったと思う。
が、後悔してももう遅い。ろくに試験勉強もせず、化粧だ漫画だアプリだと明け暮れた一、二年生は返ってこない。過ごしている間はやけに長いのに、振り返ってみれば点のようにあっという間だったように思える。それは、たぶん受験の日までも同じこと。ひっそりと一日一時間、一分一秒と迫って、気づいたら試験当日になってしまうのだろう。
「そうなんだ。なら、ちょうど良かった。今度さー……あっと、彼氏から電話だ。じゃあ切るね、また明日学校で」
「え……あ、うん!」
その感覚について話そうかと思ったのだけど、唐突に切られてしまった。ピーと繰り返される電子音をしばらく恨めしく聞く。恋の話はなくとも、色々話したいことはあったのに。彼氏が出来たら、女の子って大抵こんな風にちょっと冷たくなる。友情より恋情。でも、これも分かる話だから納得して、スマホを閉じた。
いいなぁ、恋してる。すぐに電話をかけ直すあたり、口とは裏腹にちゃんと相手のことが好きな証拠だ。経緯や相手はともかくとして、私もそんな恋がしたい。親友の恋する姿を見ていたら余計に思ってしまう。そうは思えど、私の目の前にある現実は苦い。かなり濃いめのエスプレッソだ。
甘い香りが漂いくるのは恋からじゃなく、ザラメの乗ったメロンパンから。今だって一階のリビングからは、むせ返るほど甘い砂糖の香りが部屋まで届いている。慣れたらなんてことないけれど、初めて家に来た友達はこの匂いに大半が餌付く。
と言うのも、私の家は曽祖父の代から続くパン屋だ。父で三代目、地元の商店街の一角にある、スイーツパン専門店。渡辺パン、通称わたぱん。始めた当初はどんなパンでも売っていたそうだけど、父の代になってからジャンルを絞った。父はいわゆるスイーツ男子で、甘いものに目がない。自分が好きなものを、と追っかけていて気付いた時にはスイーツだけになってしまっていたそうだ。
実を言うと、私はあんまり甘いものが好きじゃない。というより砂糖漬けにされた生活の中で、いつしか好きではなくなってしまった。私の好物はお米、それと梅干しに納豆。パン屋の娘にあるまじき好みだから、あまり人には公言しないようにしている。
「なになに、なんの匂い!!?」
隣の部屋から妹の藍子の大きな声が聞こえる。そのすぐ後に階段を駆け下りていく音が、とんとんと二重に響いた。
築五十年とずいぶんな年季の入った我が家。壁や床はかなり薄くて、筒抜けでそこかしこの音が聞こえてくる。階段はもちろん、リビングや外の音まで。中学二年生、元気盛り。私と違って甘いもの好きの彼女のことを考えたら、この後はもっとうるさくなりそう。
私はコンポをかけて誤魔化すことにした。耳にイヤホンをさす。文字のはげてきたスタートボタンを押したら、きゅるとロムが回ったあと、ハイハットシンバルの音が流れ出す。
そして始まるのは、真似しようとしたら喉が切れるほどの高音で女のボーカルが歌い、楽器が狂った勢い掻き鳴らされる激しいロックチューンだ。サビに向かって、放物線を描くように音が、声が駆け上がっていく。
私の最近もっともお気に入りの曲である。これまでは、アイドルソングばかり聞いていたのだけど、たまたまCDショップでこの曲を耳にした時「これだ」とピンときた。その時の私にティンと沈み入ってきたのだ。なけなしのポケットマネーを捻出して、その場でCDを買った。初めての衝動買いだった。以来気に入ってしまって、通学中、家、ところ構わず聞いて、授業中や勉強中にこのメロディラインで頭がいっぱいになることもある。
聞いていたら、気持ちが身体の底から昂ぶってくるのだ。歌詞もまたいい。「全部全部、世界のばかやろう」とか「目障りなら消してしまえ。全部壊して、君の道を進め」とか、なによりいいのは「あぁ」と刀同士がキンと競り合ったような魂からの高音の叫び。露骨な思いの丈が声に乗っているように感じる。それは私が普段それとなく思っていたことと同じで、彼女らはまさに私の思いの代弁者だ。
自分で楽器が弾けたらいいのだけど、それは出来ないので(一応あるにはあるが)エアギター兼エアシング。歌ったら、家族や通行人に聞こえてしまう。とくに言葉遣いにうるさい母に知られたら、こんな暴力的ワードは目玉ものだ。
部屋の中でボーカルの声に合わせて身振りつきでエアシャウトをしたところを、
「……お姉ちゃん? なにしてるの」
たまたま部屋に来ていた妹の藍子に見られてしまった。私は慌てて口を閉じ手を下ろし、その手で曲を止めイヤホンを外す。
「なんにもしてない」いや、それはそれで変な奴か。
「……アイドルのライブ音源でも聞いて舞い上がってたの? これ、藍子の予想ー」
藍子が短い髪を振り乱して不遠慮に大きく笑う。本当はロックだなんて言ったところでしょうがない。人からしたら同じだ。ただ恥ずかしい、という事実だけがある。
それにしても、あまりに笑うから
「っていうか、部屋に入るときはノックしてって何回も言ってるじゃん」
「したけど反応がなかったから入ったの」
少し文句を言ってみるけれど、あっさり開き直られた。昔はちょっと強く言っただけで泣いたのに、今やふてぶてしさまで感じる。
「夜ごはんだってさ。お父さんが新作パン作ったって」
「……いま行く」
「できるだけ早くね」言い残して妹は、先に出ていった。
私もコンポの電源を切って、手ぐせのように単語帳だけ手にして部屋を出た。少しつま先に体重をかけただけで軋む階段を降り、木目のささくれた廊下を歩く。もう十月である、たしか神無月。外気がすき間から漏れてくるような家、素足ではフローリングがすでに冷たい。床暖房なんかがあるお家が羨ましいったら。リビングに入ると、
「いい匂いだろ~? 新作のチョコクロワッサンドーナツ」
父が自慢げに天板を持って待ち受けていた。
「今日母さんが夜勤だから、ご飯はないけど……パンならいくらでも食べていいからな」
「そんなにいらない。ひとつでいいよ」
夜ご飯がクロドというのは、中々スウィーティーでファッティ。菓子パンは食べると次の日には如実に肉がついてくるから(特に太ももから)、あんまり食べたくないのだけど。
しかし、そこはパン屋の娘である。商店街のサマーバザーで手に入れたブルーエの皿に、出来の良さそうなクロドを乗せる。スマホを構えたら、近くまで寄って写真を一枚撮った。
寄らなかったら、本当は整頓されていないテーブルの上が映ってしまう。一年前の版である旅行雑誌、クシャッと丸まっている使い捨てじゃないマスク。これら生活感の塊たち。
なお端のほうに写り込んでしまったそれらを切り取り加工、さらにはベイビーライトを当ててぼかす。可愛さアピールに、ひまわりのスタンプまで貼った。あとはSNSに「新作のクロド♡」という文言を一緒にアップロードすれば完成だ。女子高生というのは、中々どうして大変である。
「写真もいいけど、食べてくれよー」
「分かってる、宣伝用だって」
言われてひとつかじる。チョコ層、ドーナツ層、クロワッサン層と全部食感が違ってトロ、ふわ、サクッと面白い。が、なによりとにかく甘い。
「どう?」父が私の顔を覗き込む。
「甘い、すごい甘い」
「美味しい?」
「…………甘い」
食べ終わったら、あまりの甘さで気分が悪くなった。単語帳を見ていても一つも頭に入ってこないから、潔く寝ることにして風呂に入った。最近よくうねる髪はとくに入念に洗って、半身浴までして一時間。終わったら、すぐにベッドに入った。
しかしここへきて糖分が頭に回ってきたのだろう、寝られない。今になって巡るは「comprehend」という単語。意味はなんだっけ。もぞもぞ動いて、スマホでチェックする。そうだ、理解する。
人の身体は不便だなぁ、大体何でも遅れてやってくる。気づいたら、そんなことまで調べたくなってネットサーフィンが始まっていた。
そうして、私、渡辺結衣の日曜日は甘さのうちに更けていった。
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