第三章

 


 話を終えたヘカート少佐とルナ少尉は部屋を立ち去ったが、ほとんどの新兵がその場に残っていた。生気を失ったような表情をして。

 僕達は誰も席から移動しようとせず、口を開こうともしなかった。

 時間だけが過ぎていく。

 しばらくして、ブラウンが「移動しよう。落ち着いて話せる場所で」と僕達に声をかけた。

 僕達はその場を離れ、男性寮の部屋へと向かった。



 窓の外は闇に包まれている。天井に取り付けられたガスランプが部屋を照らす。

 僕達はベッドの奥にあるスペースにそれぞれ座っていた。皆、床に視線を向けている。 誰も口を開こうとせず、時間だけが過ぎていく。

「訳が分からない! 私達が他国の国民を殺すって言うの」

 辛辣な表情をしたアーセナルが沈黙を破り、声を荒らげる。

「他国の国民を殺すなんて無理だよ。だって他国の国民は悪いことをしていないでしょ」

 アリシアにいつもの元気はなく、声はか細い。

「一旦、落ち着こう。ヘカート少佐の話をまとめよう」

 ブラウンはこの場を落ち着かせようとして、ヘカート少佐の話を簡潔に喋り出した

「魔力は殺人以外の方法では増加しない。だから、他国は魔力を増加させるためにバルトの国民を殺してきた。バルトも例外ではなく、魔力を増加させるために、他国の国民を殺してきたのだろう」

 僕は、その時に理解する。

 オルロに在中する先輩兵士は、罪のない人々を大勢殺してきたと言うことを。

 そう考えると、気分が悪くなってくる。僕達が接してきた兵士達は罪のない人々を殺してきたのだから……。

 ブラウンは話を続ける。

「そして、俺達新兵も魔力を増加させるために他国の国民を殺さなければならない」

「……」

「罪もない人を殺せるはずないでしょ……」

 か細い声でアーセナルは呟く。

「そんなに魔法が大事なのかな」

 アリシアが疑問を口にする。

「敵の兵士は魔法を使うんだ。他国が攻めてきた時に国民を守るためにも、より多くの魔力が必要なんだよ。ヘカート少佐やルナ少尉の魔法を見たろ。魔法なしで勝てるわけがない」

 スペンサーの意見は正しいのだろう。国民を守るためには強大な力、則ち、他国より多くの魔力が必要だ。しかし、だからと言って魔力保有量を増加させるために、他国の国民を殺すことが、正しいとは思わない。それは正義ではない。悪だ。

「自国の死刑囚や敵の兵士を殺せばいいじゃない」

 アーセナルも他国の国民を殺すということを認めることができないのだろう。

「敵の兵士は十万人ほどだろう。自国の死刑囚はそんなにいないはずだ。どちらも獲得できる魔力保有量が少なくて、現実的じゃないだろ。敵は戦争で三千七百万人のバルトの国民を殺そうとしているんだぞ」

 スペンサーは現実を冷静に判断し答えた。

「敵の国民は何か悪いことをしたのですか?」

 いつもよりもレイラの雰囲気は暗い。

「悪いことは、何もしていないと思う。国民が悪いと分かっているなら、ヘカート少佐は新兵を混乱させる真似などせずに、他国民の醜悪さを僕達に言っているだろう」

 ヘンメリーはヘカート少佐の発言から推測しているようだ。

「私達は、罪のない国民を殺すのですか?」

続けてレイラは問いかける。独り言のように。

 僕はそのようなことを認める事ができず、口を開く。

「そんなの間違っている。自分たちの都合のために無関係の人間を殺すなんて、殺人者と変わらない」

「だが、敵国はバルトの無関係の国民を殺してきた!」

 スペンサーは俯きながら声を振り絞る。

「その国に住んでいるからって理由で国民を殺すの? 兵士と国民は違うでしょ!」

 アーセナルは立ち上がり声を荒らげて、前方に座っているスペンサーに近づく。

「なら、どうするんだよ!」

 立ち上がったスペンサーはアーセナルの胸ぐらを掴み、声を荒らげる。

「あんたは、罪のない国民を殺していいと言っているのよ。正気の沙汰じゃないわ」

「他に方法はあるのか?」

「頭を冷やせ、俺たちが争ったって何も変わらない。今日はこれで終わりにしよう」

 ブラウンが二人の間に割り込み、喧嘩を仲裁する。

 女性達は各自の部屋に戻っていった。スペンサーは部屋から出て行く。ヘンメリーとブラウンはベッドの奥のスペースから動こうとせず、座って壁により掛かり俯いていた。



 僕はトイレに来ていた。

 誰とも会っていたくなかった。一人になりたかった。 

天井に取り付けられているガスランプの火がついてないため、トイレは真っ暗だ。

 僕は床に座って、壁にもたれかかっている。

「どうすればいいんだよ!」

 勢いよく壁を殴りつける。

 犠牲が必要なことは分かっていた。僕自身を危険に晒すことで国民を守ることができる。その犠牲は承知済みだった。僕が犠牲になることで国民を守れるなら死んでも、よかった。

 だが、犠牲になるのは僕ではなかった。

 犠牲は他国の国民。

 バルトの国民を守るためには他国の国民を殺さなければならなかった。

(何の罪もない国民を殺すのか?)

 それでは、リベリオで見たエルトニアの兵士と変わらないじゃないか……。

(だが、他国の国民を殺さなければ、他国が攻めてきたときにバルトの国民が殺される)

 どうすればいいんだ……。

(自国の国民を守るために、他国の国民を殺すことは正義なのか?)

 いや、正義ではない。どんな理由があろうと、罪のない人を殺すのは悪だ。許されることではない。

(なら、どうやってバルトの国民を守るんだ!)

 僕はその後も終わることのない問いを続けた。    




 翌日の朝。全兵士は急遽、屋外の訓練場に集められていた。一糸乱れぬ整列をしている。

新兵達の表情は暗い。何かに怯えているような者や悲観した表情を見せる者の姿が多く見られた。

 整列する兵士の前にはグロストフ提督が立っている。

 グロストフ提督は全兵士を急遽集めた理由を説明しだした。

「八日後にフレシアのウォルンに出陣する。今作戦の目的は今季入隊した兵士の魔力保有量を増加させることだ。そのため、今季入隊した兵士は全員出陣することになっている。それ以外の出陣する兵士には後ほど声をかける」

(八日後? ……嘘だろ)

 僕は昨日中、思考した結果、他国の国民を殺さなくても、バルトの国民を守る方法はあるはずだと考えた。僕達はまだ新兵だから、出陣まではまだ十分時間はあるはずと予想していたのだ。その時間内に解決策を導き出すと考えていた。しかし、残された時間は今日を入れて八日間。体が焦燥に包まれる。

(早く解決策を考えないと……)

 グロストフ提督はその後も、ウォルン出陣に関することを淡々と説明していった。




 ウォルン出陣の説明が終わった後、僕達新兵のグループは、元から予定されていた射撃訓練を行っていた。

 今日は、ウォルン出陣に関連する業務は行われないようだ。兵士を混乱させないためだろう。

 射撃訓練の内容は二〇メートルほど離れたところにある人型の的を射撃することだ。時間制限はなく、順位発表もない。

 僕の頭の中は訓練中だというのに、他国の国民を犠牲にしないで、バルトの国民を守る方法を考えることでいっぱいだった。

「コルト。射撃定位置に移動しろ」

「……」

「次はコルト君の番だよ」

 アリシアが僕の腕を掴んで声をかけてきた。どうやら、ヘカート少佐が呼んでも、呼ばれたことに僕は気づいていなかったらしい。

 僕は射撃定位置に移動して銃を構えた。

 二〇メートルほど離れた、木製の人型の的に狙いを定める。

 ……こんな風に他国の国民を殺すのだろうか。射撃した弾丸はその国民の肉を貫き、命を奪うのだろうか。そのような考えが頭をよぎる。

 そう考えていると、木製の人型の的が徐々に本物の人のような姿に変わっていく。年齢は三十歳ほどだろうか。銃を持つ僕におびえる女性の姿が僕の目には映っていた。

 銃の先端が小刻みに震える。僕自身が震えているようだ。

 徐々に視界はぼやけ、世界が歪んでいく。

 地面が近くに見える。土の匂いがするな。僕は倒れているのか? 。

「コルト君」

 僕の名前を呼んでいる声が聞こえてくる。

(だれだろう……)

 僕の意識はそこで途絶えた。




アーセナルは昨日、コルト達との話し合い時に死刑囚や他国の兵士を殺せばいいと発言したが、現実的ではないとスペンサーに言われた。

 発言したアーセナル自身も、死刑囚や他国の兵士を殺すだけでは増加できる魔力量は少ないため、バルトの国民を守る事ができないことは分かっていた。

 あの時、アーセナルは混乱し、感情的になっていたのだ。他国の国民を殺すことを認めることができず、手当たり次第に解決策となりそうなものを言っていっただけだった。

 部屋に帰った後も混乱は収まっていなかったが、時間の経過と供に、理性的に考えられるようになっていった。

 そうして、解決策を考えている内に一つの答えが見つかる。魔法が絶対的な武力でないと、証明できれば、軍は魔力を増加させようとはしないはずだと。

アーセナルはそれを証明するために、今現在行われている近接戦闘訓練で、魔法を使用できるヘカート少佐に近接戦闘を挑むつもりであった。

 上官でもあるヘカート少佐に魔法を使用できない自分が勝利すれば、魔法が絶対的な武力ではないと証明できるとアーセナルは考えたのだ。

ルナ少尉やヘカート少佐の魔法を見た後でも、アーセナルはヘカート少佐に勝利できると考えていた。

 理由は二つある。一つ目は魔力は有限なので、魔力が切れれば使えないこと。長時間の戦闘であれば、勝機があるかもしれないとアーセナルは考えたのだ。

 二つ目は自分の近接戦闘能力が、防衛大学時の近接戦闘訓練の試験でトップであったほど優秀であること。今現在行われている近接戦闘なら勝機があると予測していたのだ。

 朝、グロストフ提督が『八日後に新兵全員がフレシアのウォルンに出陣する』と発表した。解決策を考える時間は今日を含め、八日しか残されていない。なおさら、今から行うヘカート少佐との戦闘は肝となってくることだろう。

(コルトは大丈夫だろうか……)

 午前の射撃訓練時にコルトは意識をなくし、軍内の医務室に運ばれて行った。昨日からの精神負担のせいだろう。

 コルトが目を覚ましたときに、他国の国民を殺さなくてもいい方法があるという希望を見せるためにも、ヘカート少佐に勝利しなければならない。そう考えたアーセナルはヘカート少佐に勝利することを再び固く決意する。

 今行われている近接戦闘訓練の内容は数日前に行った近接戦闘訓練と同じだ。今も名前を呼ばれた二人の新兵は戦闘を行っている。

 昨日のヘカート少佐の発表以来、新兵達の表情は暗く重い。悪夢に苛まされているようだった。

 それから、しばらくして、ヘカート少佐は新兵達に招集をかける。

「今日の訓練はここまでだ」

 整列した新兵達にヘカート少佐は訓練の終了を伝えた。

 それを、待ち望んでいたかのように、アーセナルは挙手をして、発言する。

「ヘカート少佐、私と近接戦闘をしてもらえませんか?」

「……」

「いいだろう」

 ヘカート少佐はしばし沈黙をしたが、提案をのんだ。アーセナルは断れる確率が高いと思っていたが、そうでもなかったようだ。

「魔法を使ってくださいね」

 アーセナルはヘカート少佐に魔法の使用を頼み込む。魔法を使われなければこの戦闘の意味がないからだ。

「最初から、そのつもりだ」

 どうやら、ヘカート少佐も最初から魔法を使用するつもりだったらしい。アーセナルの思惑が分かっているのかも知れない。

 近接戦闘を行うため、ヘカート少佐とアーセナルは向き合う。両者の距離は一メートルほど離れている。新兵達は二人を囲むように移動した。

「これより、ヘカート少佐とルナ少尉の近接戦闘を始めます。ルールは近接戦闘訓練と同じです。初め」

 ルナ少尉の声を機にアーセナルとヘカート少佐の近接戦闘が始まった。

 戦闘が始まった瞬間にアーセナルは地を蹴り、後方に下がる。

 アーセナルの戦略は相手に魔法を打たせて、魔力を切れさせてから、近接戦闘を仕掛けることだった。

魔法が使用できる相手には、アーセナルは勝てないと判断したのだ。だが、魔法を使用できない相手なら、アーセナルは勝てると踏んだ。そのため、アーセナルは相手の魔力を切れさせる戦略を考えていたのだ。

 ヘカート少佐は上半身を下降させて前傾姿勢をし、アーセナルに接近するために、地を蹴った。

 アーセナルは相手が接近してした場合の戦術も考えていた。

 相手が走り出そうと地を蹴った瞬間に、自身は横に移動するという戦術だ。

 ヘカート少佐は昨日、微少な魔力を手や足裏から噴出することで高速移動ができると言っていた。その場合、最悪、相手が動いてから行動するのでは遅いのかもしれない。相手が接近とともに攻撃をしてきた場合、その瞬間に敗北が決まるからだ。

 そう考えたアーセナルは相手が地を蹴った瞬間に、相手が向かってくる方向から外れれば、接近とともにに来る攻撃は避けられると判断したのだ。

 アーセナルはヘカート少佐が地を蹴った瞬間に横に移動しようとした。しかし、アーセナルの体が横に移動する前に、ヘカート少佐がアーセナルに凄まじい速度で疾走して接近し、腹部に強烈な右の殴打を打ち込んだ。

 速度が上がれば威力も上昇する。ヘカート少佐が繰り出した右の殴打は凄まじい威力を持っていた。 

 アーセナルは前方に崩れ落ちる。

 足裏から微少な魔力を放出した高速移動はアーセナルの予想以上に早かったのだ。アーセナルが横に移動しようと一歩踏み出した時には、ヘカート少佐は既に殴打していた。同時に動いたはずのヘカート少佐がだ。

 アーセナルは起き上がることはなかった。失神しているのだろう。

 魔弾や剣などを生成しなかった相手にさえ、アーセナルは勝利することができなかった。

それは、魔法を使用できない兵士は、魔法を使用できる兵士の足下にも及ばないことを暗に示していた。

 新兵達の表情は近接戦闘が行われる前よりも、暗くなっている。

 アーセナルの近接戦闘が尋常じゃなく、強いことを新兵達は前の近接戦闘訓練で知っていた。そのアーセナルが何もすることができずに瞬殺されたことを見た影響だろう。

 魔法が絶対ではないと証明するはずが、魔法の絶対性をより強固なモノにしてしまったのだ。

 その後、崩れ落ちたアーセナルは軍内の医務室に連れて行かれた。




(ここはどこだ……)

 目を開けると、天井が見えた。自身の体の上には布団が掛けられている。

 どうやら、僕はベッドで横になっているようだ。

「やっと起きたわね」

 誰かの声が聞こえてきた。上半身を起こし、声のする方向に向いてみると、そこには椅子に座ったアーセナルがいた。

 辺りを見渡すとベッドが数個置かれている。ここは、医務室だろう。

 医務室には僕とアーセナル以外の人はいなかった。

 窓から見える外は暗い。大分遅い時間のようだ。

 何故、僕は医務室にいるのだろう。射撃訓練をしていたはずだ。医務室にいる理由が思い出せない。そして、何故か夜になっている。射撃訓練をしていた時は、午前だったはずだ。記憶を失ったのか? 。

 目の前に座っているアーセナルは僕が何故ここにいるか、知っているはずだ。 

「アーセナル。僕は何故、医務室にいるか知っている?」

「何も覚えていないのね。あんたは射撃訓練中に倒れたのよ」

 それを聞いた僕は、的が本物の人に見えて、視界が歪んだところまでを思い出す。そして倒れて……気を失ったのか。

 気を失った僕は医務室に運ばれて、今まで寝ていたのだろう。

 では、何故、アーセナルは医務室にいるのだろう。僕を心配して来てくれたとは考えられない。 

「アーセナルは何故、医務室にいるの?」

 そう質問をすると、アーセナルは目線を床に向けた。 

「私は……ヘカート少佐に近接戦闘を挑んで、敗北して気絶したからよ」

(ヘカート少佐に近接戦闘を挑んだ?)

 いくらアーセナルが近接戦闘が強いと言えど、相手は魔法を使用できるヘカート少佐だ。勝てるはずがない。

 そもそも、アーセナルがヘカート少佐に近接戦闘を挑む理由が分からない。

「なんで、ヘカート少佐に近接戦闘を挑んだの?」

「魔法が絶対では、ないことを証明するためよ」

 話の流れが徐々に見えてきた。

 アーセナルは魔力を持たない自身がヘカート少佐に近接戦闘で勝利することで、魔法が絶対ではないと証明しようとしたのだろう。

 魔法が絶対的な武力ではないと証明されれば、軍は他国の国民を殺さない。そうアーセナルは考えたのかもしれない。

「戦闘は一瞬で終わった。手も足も出なかった」

 アーセナルが手も足も出すことができず、瞬殺された? 。そんな光景想像もできない。魔法はそれほどに強いのか。

「私はバルトの国民を守りたい……。だけど、他国の国民を殺したくない……」

このようなアーセナルは見たことがなかった。いつもの凜々しさは感じられない。

 目の前にいるのは幼気な小女だった。

「ねぇ。どうすればいいの?」

助けを求めているような目で僕を見つめてくる。

 問いに答えることができず、僕は沈黙した。

 僕は変わったと思っていた。兵士になった自分は助けを求める人を救うことができるようになったと。 

 だが、僕は目の前の少女に何もしてあげられない。呆然と眺めていることしかできない。

 僕は何一つ変わっていなかったんだ。




ウォルン出陣まで残り六日

 ブラウンは軍内の食堂に通じる廊下を歩いていた。

 時刻は夜。そのため、廊下は薄暗い。ガスランプが周囲を照らしているため、まだ、明るいが、昼間と比べたら、暗く見える。

 今日の訓練業務は終わっていた。昨日から訓練内容はウォルン殲滅作戦に関連するモノに変わっている。

 初日は皆で部屋に集まって話し合いをしていたが、それ以降、集まって話をしていない。個人個人で悩んでいるのだろう。

 前方を見てブラウンは歩いているが、意識は魔力増加のことを考えていた。

(国民を守るために他国の国民を殺すことが必須であれば、他国の国民を殺すべきだ。俺はそう在るべきはずだ……)

 魔法の詳細をヘカート少佐が発表した時に、ブラウンの答えは既に出ていた。その答えは現在も変わっていない。

 しかし、答えが決まっているはずのブラウンは懊悩していた。頭では理解していても、心が拒否反応を示す。決めきれていなかったのだ。

(そうしなければならないとしても、他国を殺していい理由にはならない。他に方法はないのか……)

そう考えながら、廊下を歩いていると、前方通路の右に曲がった先から話し声が聞こえてくる。

 通り際に右方向に視線を向けると、アリシアとグロストフ提督の姿が見えた。ブラウンは慌てて、一歩戻ってあちらから見えないように壁を背にして姿を隠す。

(隠れる必要などないのだがな……)

 グロストフ提督とアリシアが一緒にいることに驚いたこと、そして、二人を気まずそうな雰囲気が包み込んでいたことによる、自身がそこにいては、いけないという感覚。それらによって、ブラウンは身を隠してしまったのだ。

(辛そうな表情をアリシアはしていたな……)

 昨日から、アリシアは辛そうな表情をしていたが、今の方が辛そうに見える。

 アリシアがグロストフ提督と何を話すのか気になったので、ブラウンはその場に残った。

「私はグロストフ提督に憧れて兵士になりました」

(アリシアはグロストフ提督に憧れていたのか……)

 そう言えば、入隊の有無の確認をしていた時に、そんなことを言っていたな。

「そうか……。それは嬉しいことだ」

 堅い口調で、グロストフ提督はそう言った。

「自身を危険に犯しても、国民を守ろうとする姿に憧れたんです……」

 アリシアは次の言葉を言おうとするが、言葉が喉を取らない。

「ッ……」

 意を決してアリシアはグロストフ提督に問いかけた。

「――グロストフ提督は他国の国民を殺したのですか?」

「……」

 二人の間に沈黙が流れる。

「殺したよ……それも沢山の人々を」

 それを聞いたアリシアは口を開くことなく、呆然とグロストフ提督に視線を向けていた。アリシアの目は虚ろだった。

「君は軍の階級が何によって、決まっているか知っているか?」

「……分からないです」

 俯いたアリシアはそう答える。

「魔力保有量だ。人をより多く殺した兵士は階級が上がる。私は提督だ。私は君に憧れられるような人間ではない。……ただの人殺しだ」

「……」

「話はこれで終わり見たいだな」

 グロストフ提督は歩き出す。

「待ってください!」

 立ち止まったグロストフ提督は後方に振り返る。

「私はどうすれば良いのでしょうか?」

「それは、君自身が考えるべき事だ。どちらを選んでもいい。両方を救おうとすることも間違いではない。私達軍の総意が正しいというわけではないのだから」

 そう言ったグロストフは立ち止まることなく去って行った。

 廊下には残された、アリシアが一人立ち尽くしている。俯き、その場から動こうとしない。

 今アリシアに声をかけるのは得策ではないと考えたブラウンは、その場から離れた。




 ウォルン出陣まで残り四日

 今日の最後の訓練である、屋外で行われたウォルン出陣時の戦闘隊列陣形訓練は今先ほど終わった。辺りは暗くなり始めている。

 兵士達は訓練が終わったため、軍内に向かって歩いている。

 アリシアも歩き出そうとするが、左方向の数十メートル先に一人立ち尽くしている女性の姿が見えた。

 気になったアリシアは、その女性に近づいていく。

 近づいていくごとに、体の輪郭などがはっきり見えてくる。だが、その女性は前方を向いているため、顔は見られない。

 しかし、そこにいるのが、誰であるかがアリシアは分かった。

 そこにいたのは、レイラであった。

 近くにいるアリシアには気づいていないようだ。

 レイラは地面に視線を向けている。そして、暗い雰囲気を身に纏っていた。

 アリシアには少女が、辺りの闇に飲み込まれてしまいそうに見える。一人では危ないと判断し、アリシアはレイラに声をかけた。

「レイラ。何しているの?」

 声に気づいたレイラはアリシアを見る。

「アリシア……」

 レイラの表情には生気がないように見えた。目は光を失っている。その目の下には隈があった。寝られていないのだろう。ご飯も食べられていないのか、魔力の訓練が行われてから、痩せていっているように見える

「一人になりたかったの」

 小さく、小さくレイラは呟いた。消えてしまいそうな声で。

「もうすぐ辺りも暗くなるから、軍の中に入ろう」

 軍に向かって、アリシアは歩き出す。

「アリシアは他国の国民を殺すの?」

 後方から声をかけられ、アリシアは立ち止まる。

「決まってないんだ……。バルトの国民を守りたいけど、他国の国民は殺したくないし。でも、殺さなければ、バルトの国民は守れない。……どうすれば良いのか分からないんだ」

 レイラに背を向けたまま、アリシアは俯きながら、そう答えた。

「レイラはどうするの?」

 後方に振り返ったアリシアはレイラに質問する。

「私は他国の国民の犠牲を出さずに、バルトの国民を守りたい。けど……」

 二人の間に沈黙が流れる

「四日後には決断しなければならないだよね」

 アリシアは切ない表情をしていた。




ウォルン出陣まで残り三日

 ウォルン殲滅作戦に関する業務が終わり、ほとんどの兵士は食堂にいる夜の時間帯。

 その時間にヘンメリーは書庫に来ていた。

 ヘンメリーは自身が見ていることが見抜かれないように、本棚から顔を少しだして、スペンサーの様子を窺っている。スペンサーは椅子に座り、机に置かれた膨大な書類を見つめて、何かを考えているようだった。

 ヘカート少佐に「魔力増加」のことを発表された翌日から毎日、スペンサーは訓練業務が終わると、書庫に何時間も入り浸っている。

 ヘンメリーはスペンサーが書庫に入り浸っている理由は、他国の国民を殺さずにバルトの国民を守る方法を模索しているためと推測していた。

 実際にその方法を模索していると聞いてはいない。遠目から見ているだけなので、何の書類かも分からない。だが、ヘンメリーはそう予測していた。

 ヘンメリーがそう推測する理由は、ヘカート少佐が「魔力増加」のことを発表した日に行われた、ブラウン達との話し合い後の、スペンサーの姿を知っているからだ。




 ヘカート少佐が「魔力増加」のことを発表した日のブラウン達との話し合い後、女性達は自身の部屋に帰って行った。スペンサーも部屋から出て行ったようだ。その後、コルトも部屋から出て行った。

 ヘンメリーは壁に寄りかかって座っている。両手、両足は無造作に床に投げ出されていた。視線は床からずっと動いていない。目には生気が宿っておらず、死人のような目をしている。

 答えが出ない問いを、ヘンメリーは永遠に自問自答していた。

 しばらくして、床から視線を上げ、周りを見渡す。ブラウンはヘンメリーと同じように懊悩しているようだ。コルトは部屋には戻ってきていたが、スペンサーは部屋に戻ってきていなかった。

 心配になったヘンメリーはスペンサーを見つけようと、軍内を探し回った。だが、どこにもいなかった。

 室内にいないと判断したヘンメリーは屋外に探しに行く。

 推測通り、屋外にスペンサーはいた。

 スペンサーは寮の外壁に寄りかかって座っている。先ほどのヘンメリーと同じような体勢だ。視線は地面に向いている。何かを見ているわけではない。何も見ていないと言うのが正しいだろう。

 いつもの、強気なスペンサーの面影はない。そこにいるのは、懊悩する弱々しい少年だ。

 時間は遅いため、辺りは暗くなっている。暗闇がスペンサーを包み込んでいた。 

 ヘンメリーはスペンサーに近づき声をかけた。

「スペンサー」

 声に気づいたスペンサーはこちらを見る。

「……ヘンメリー」

 いつものような強気な口調ではなく、かすれた声でスペンサーはヘンメリーの名前を呼んだ。

「大丈夫かい?」

 大丈夫なはずはないだろう。しかし、それ以外にヘンメリーはかける言葉が見つからなかった。

「大丈夫に見えるか?」

 こちらに向けているスペンサーの顔は生気を失っていた。何かに苛まされているようにも見える。

「どうすれば良いんだ……」

 独り言のように地面に向かってスペンサーは言葉を呟く。

「スペンサーの答えは決まっているのではないのかい?」

「決まっているわけないだろ! 罪のない人間を殺すんだぞ」

 スペンサーは声を荒らげる。

 このように取り乱したスペンサーをヘンメリーは見たことがなかった。 

 皆には、あのような態度をとっていたが、スペンサーも悩んでいたのだろう。

 スペンサーは現実主義だ。物事を現実的に客観的に判断する。スペンサーは他国の国民を現実は殺すしかないと判断しているはずだ。しかし、殺すのは間違っていると考える自分がいて、葛藤しているのだろう。

「俺はどうすれば良いんだ……」

 独り言のように地面に向かってスペンサーは言葉を呟いた。

 

(僕はどうするべきなのだろう)

 ヘンメリーもスペンサー同様、懊悩していた。

(……どちらかを犠牲にするなんて間違っている。どちらとも殺されていい人ではないのだから。だが、どちらか選ぶ状況が七日後やってくる。……僕はどちらを選ぶのだろう)

 二人は会話をすることなく、しばらく、その場に居続けた。




 あの時のスペンサーは懊悩していた。犠牲を認めることができなかったのだろう。だから、両方を救える方法を模索しているとヘンメリーは推測していたのだ。

 古書ではその方法に役立つ情報を探しているのだろう。

「やぁ、スペンサー。何をしているんだい?」

 ヘンメリーは隠れることを辞め、スペンサーに声をかける。

「調べ物だ」

 スペンサーの机にはバルトの歴史書や世界の歴史書などが置かれている。

「他国の国民を殺さずに、バルトの国民を守る方法を探しているんだろう?」

「何で、知ってるんだ……」

 ヘンメリーに何をやっているのか、的確に言い当てられたことにスペンサーは驚きの表情を浮かべる。

「君と何年過ごしてきたと思っているんだ。それで、何か方法はあった?」

「……こういうのを考えたんだが、どうだ?」

 書類をスペンサーがヘンメリーに手渡す。

 それを受け取ったヘンメリーは書類に目を通していく。

「……」

「うん。これならいけるかもしれない!」




 第四章




 食堂に行った帰りに、僕はヘンメリーに声をかけられた。今から皆で集まって、話し合いをしたいらしい。

 集まる部屋は僕達の部屋だった。部屋に行くと、既に皆は集まっていた。

 ベッド奥のスペースに各々座っている。ウォルン出陣作戦が三日後ということもあり、皆の表情は重く、暗い。視線を合わそうとせず、床を見ている。

 ヘンメリーとスペンサーだけは、表情が以前より、明るくなっている気がする。

 何故だろう……。

「今日集まってもらった理由は皆にスペンサーが考えた『他国の国民を犠牲にせず、バルトの国民を守る方法』を聞いてもらうためだよ」

 思いも寄らない発言に、皆の視線がヘンメリーに集まる。

「どちらも犠牲にならなくて良い方法が見つかったっていうの? それに、見つけたのは、あのスペンサー?」

 アーセナルは信じることができていないようだ。

 それも、そのはず、他国の国民を殺さずに、バルトの国民を守る方法など、あるとは思えない。

 皆、その方法は考えたであろう。しかし、そんなのありはしなかったという結論に至っているはずだ。

 僕も、ヘカート少佐に『魔力増加』が発表されてから、今まで、そのことは考えてきた。しかし、浮かび上がった案はどれも現実的ではなかった。

 僕は悟ってしまった。他国の国民を殺さずに、バルトの国民を守る方法など存在しないと。

 アーセナルもそう考えたから、信じられないのだろう。

 そして、もう一つ信じることができない理由がある。それは、その方法を考えたのがスペンサーということだ。

 ブラウン達との話し合いの時に、スペンサーは、あれほど、他国の国民を殺さずに、バルトの国民を守ろうとするなど現実的ではないと言っていたのだ。

 それが、今では、他国の国民を殺さずに、バルトの国民を守る方法を考えてきたと言っている。意見が一八〇度変わっているのだ。そのため、易々と信じることはできない。

 疑うような目でスペンサーをアーセナルは見る。

「俺で、悪かったな」

 スペンサーは自嘲気味にそう言った。

「あんたは両者を救う理想論は反対だったんじゃないの?」

 疑問をアーセナルはスペンサーにぶつける。

「反対だった。両者を救うなど現実的ではないと考えていた。だが、現実、直面してみれば、どちらか一方なんて選べなかった。気づいたら俺は両者を救う方法を探していたんだ」

 その言葉を聞いた皆は各々、驚いた表情でスペンサーを見る。入隊当初と現在のスペンサーは差異が大きいためだろう。

「俺が考えてきたモノが理想的であったら、容赦なく非難してくれ」

 そう言って、スペンサーは話を始めた。 

「ヘカート少佐がこの前言っていただろ、魔力拡大競争によって戦争は終わらないと。俺はその意味を考えたんだ」

確か、魔力拡大競争とは各国が自国の魔力保有量を増やし、他国よりも武力面で優位に立とうとする争いのことだったよな。

 それが、他国の国民を殺さず、バルトの国民を守る方法に何の関係があるのだろうか。

「バルトが他国の国民を殺して、魔力を増加させる理由は他国が、いつ攻めてきても国民を守れるようにするためだ。他国もバルトと同じように自国の国民を守るために他国の国民を殺して、魔力を増加させている。俺はそう考えたんだ。結果戦争が起きる。つまり、各国は自国の国民を守るために、他国よりも魔力保有量を増加させる。その魔力保有量の争いが本当の魔力拡大競争なんだよ」

 バルトも他国も自国の国民を守るために、魔力を増加させているということか。

 僕達が知っていた魔力拡大競争とは、実際に争う訳ではなく、魔力の保有量を争うというモノだった。

 しかし、人を殺さないと魔力は増加しない

 そのため、実際の魔力拡大競争では、魔力を増加させるためには、必ず他国に戦争を仕掛けなければならなかったんだ。

 自国、他国供に自身の国民を守るために、魔力を増加させようとする。

 そして、どこかの国の魔力保有量が増加すれば、他の国も魔力を増加させようと、他国に戦争を仕掛ける。

 これが、永遠に続くと言うことか。

 これでは、一生戦争が終わることがないじゃないか……。

「魔力拡大競争が続く限り、戦争が終わることはない。俺は魔力保有量を増加させない条約を作り、それを各国が守れば魔力拡大競争によって起きる戦争がなくなると思った。そのためには、国同士が信じ合うことが必要だ。だが、信じ合うことは難しい。国民の命がかかっているのだからな。だから、信じ合えるような環境を作ればいいと考えたんだ」

 信じ合える環境とはどのような環境なのだろうか。

 スペンサーは自身が考えてきた条約の内容を述べ始めた。

「九大国はある条約に合意してもらう。その条約の内容は各国の魔力保有量を均等にすること。そのために一国が保有できる魔力量を規定する。殺して良いのは自国の犯罪者のみ。その条約を破った国が出てきた場合、違反した国にそれ以外の全ての国が制裁を与える。……以上だ」

 条約の内容をスペンサーが言った後、場に沈黙が流れる。

「魔力を増加させるために、戦争を起こそうとする国が現れれば、各国が連携し制裁を与える。それが、抑止力となり、戦争が起きない。良く出来てるわね」

 素直にアーセナルがスペンサーの案を褒める。

 確かに良く出来ている案だ。

アーセナルが言っていたことが、信じ合える環境なのだろう。

 九大国は互いに魔力が増加をしていないかを監視し合う。それが抑制となり、均衡が保たれる。仮にどこかの国が条約違反したとしても、違反国以外の国が制裁を与える。それが、抑止力となる。その抑制と均衡が信じ合える環境を作るのか。素晴らしい案だ。

 スペンサーの案は、この世界から戦争をなくすことができるだろう。

 魔力を増加させるために戦争は行われるのだ。その魔力増加を規制させれば、戦争は起きないはずだ。

 これで、他国の国民を殺さずにすむ。そして、バルトの国民も守れる。それどころか、世界から戦争がなくなり、僕の理想とした、善良な人々が苦しむことのない世界が実現可能となるんだ。

 僕はこの数日間、絶望に苛まされていた。だが、スペンサーのおかげで、一点の光が見えた。

 闇に捕らわれていた僕の心は、晴れやかになっていった。 

「これなら、他国の国民を殺さなくて済むね!」

 希望に溢れた表情をアリシアはしている。失っていた元気が元に戻っているようだ。

「安心は出来ないわ。補正した方が良いところが何個か見られるもの」

 確かにアーセナルが言うように、補正した方が良いところが複数点、見られる。だが、今日と明日を使って、皆で話し合えば、案は出来上がるだろう。

「まだ、時間は残っている。直さなければ行けないところは、改善していこう」

 ブラウンにも活気が戻っているように見える。安心することが、できたのか、笑みを見せている。

「……これで誰も悲しまなくて済むのですね」

 レイラは胸に手を添え、息を深く吐いている。安堵しているようだ。

「あと二日で、できる限り、直した方が良いところを改善していこうぜ」

 そう言ったブラウンがこれから、二日間のスケジュールをまとめていく。

「今日はスペンサーが考えた案をより綿密にしていこう。明日はその案に不具合がないかを最終確認する。そして、ウォルン出陣作戦前日の朝にヘカート少佐にこの案を説明しに行こう」

 ヘカート少佐に「魔力増加」を発表された日の陰鬱な雰囲気は、既にどこにも見当たらない。僕達の表情は明るく、希望に溢れ、生き生きとしていた。




 ウォルン出陣まで残り二日

 今日の業務は二日後のウォルン殲滅作戦時に必要な武器や物資などを馬車に積み込むことや、ウォルン出陣時の作戦などの確認などだった。ウォルンに出陣するのが、二日後ということもあり、一日の業務はウォルン出陣準備の最終段階に移行している。

 業務中の新兵の顔は暗く、陰鬱な雰囲気を身に纏っていた。二日後、ウォルンに出陣するためだろう。

 業務終了後、僕達はただちに部屋に集まった。昨日と同じように僕達の部屋だ。

 ベッド奥のスペースに各々座っている。窓の外は徐々に暗くなり始めていた。

 集まった僕達は昨日のこともあり、活気に溢れ、生き生きとしている。

「昨日話したとおり、条約ではなく、国際的な機関に加盟する事で良いわね?」

「ああ、大丈夫だ」

 アーセナルの問いにブラウンが同意する。

 条約を結ぶのではなく、国際機関に加盟することに変わった。

 国際機関を作る主な理由は三つだ。

 一つ目の理由はルールが守られているかを判断する公平な機関が必要であることだ。均等に各国の人間を入れた機関を作ることで公平さが生まれるだろう。各国の魔力保有量を測定する機関としても必要だ。

 二つ目の理由は各国の対話の場が必要であることだ。その役割を国際機関が持つ。違反国家が出てきた場合、迅速な対応が必要だろう。その時にも、対話の場である国際機関を通して、連携すれば迅速な対応が可能となるはずだ。

 三つ目の理由は国際機関に加盟することで、一つの共同体となるからである。つまり、九大国を一つの共同体として、捉えるのだ。

 条約や規約では各国は統率がとることがきない。各国は自国を最優先として物事を考えるので、統率がとれないのは当たり前だろう。

 条約が国際機関となることで、各国は共同体として、物事を見られるようになる。自国を最優先とするのではなく、共同体を最優先するのだ。そうすることで、各国の統率がとれるはずである。

その後も僕達は話し合いを続けた。


 

 窓の外が完全に暗くなる頃、案は完成した。

「やったー! 完成した!」

 両腕を真上に上げて、アリシアは歓喜の声を上げる。

「間に合って良かったです……」

 レイラは胸をなで下ろす。

「やっと完成した……」

 ブラウンは安堵しているようようだ。

「出来上がったんだ……。やったね! スペンサー」

 ヘンメリーはスペンサーと喜びを分かち合おうとする。

「ガキじゃねぇんだから、はしゃぐなよ」

 冷静を演じようとしているが、スペンサーの口角は上がり、表情は笑顔になっていた。

「完成はしたけど、短い期間しか作成する時間がなかったから、不具合があるかもしれないわ」

 アーセナルは完成を喜べていないようだ。心配なのだろう。表情は強張っており、不安を隠せていない。

「不具合があったとしても、案の本質は間違っていないはずだから、修正もすぐ終わると思うよ。それよりも、今は完成したことを喜ぼうよ」

今は素直に喜ぶべきだと思った僕は、そう助言をする。

「そうね……。今考えるべきことでは、なかったわね。……完成した。これで誰も犠牲にならなくて済む」

 そう言ったアーセナルは笑みを見せた。誰も犠牲にならなくて済むことに安堵しているようだ。

「完成できて良かった……」

 自然と言葉が僕の口から出た。安心しているのだろう。

「出来上がったのも、最初に考えたスペンサーがいるおかげだよ」

ヘンメリーがスペンサーに感謝の言葉を贈る。

 僕達がこうしていられるのも、ひとえにスペンサーのおかげだろう。もし、スペンサーが案を言ってくれなかったら、今も悩み苦しんでいたはずだ。そして、このような、案も作ることは出来なかっただろう。

「感謝してるわ」

 アーセナルがスペンサーを褒める。

 昨日も褒めていたが、こんな光景、なかなか見ることはできない。アーセナルは、普段、感謝を言葉にしないからだ。……言葉にする、それほど、感謝しているのだろう。

 他の皆もスペンサーに感謝の言葉を贈っていく。

「あんまり、褒めるな。褒められるのはなれてない……」

 スペンサーはそっぽを向き、皆と視線を合わせようとしない。頬は赤くなっていた。照れているのだろう。

「最終確認をしようぜ」

 ブラウンは完成した案の概要を話していく。

「九大国は国際機関に加盟してもらう。その国際機関のルールの内容は各国の魔力保有量を均等にすること。そのために一国が保有できる魔力量を規定する。殺して良いのは犯罪者のみ。そのルールに違反した国が現れた場合、違反国以外の全ての国が制裁を与える。

以上だ」

 皆、自分なりに案を精査しているのだろう。場に沈黙が流れる。

「問題ないと思うよ」

 ヘンメリーがそう言った。

 その後、他の皆も、自分の意見を言っていくが、その内容は、どれも改善するところは、見当たらないといった内容だ。

 それは、この案が完成していることを示していた。

 僕達がこんな案を作れた理由は皆が国のトップである防衛大学を卒業する知識、知力を持っていることやスペンサーが案の大体の骨格を考えてきてくれたことなどが挙げられるが、歴史書を元にして作った事の要因が大きいだろう。

 歴史書でモデルとなったモノは主に二つある

 一つ目に条約を世界中の国で結び、魔力保有量を管理しようとした歴史。

 二つ目に魔力保有量の条約を作り、それを破った国家には、それ以外の国家で制裁を与えようとした歴史。

 これらのモデルは全て失敗に終わっている。

 僕らは、実現しなかった理由を国の数が多すぎたためと判断している。国の数が多すぎて管理出来なかった。もしくは、国の数が多いため、意見がまとまらなかったのだろう。

 現代では国の数は九つしかないため、僕達は管理出来ると判断した。つまり、実現可能だと。

 実現可能な理由は他にもある。

僕達が考えた案は歴史を元に、条約を国際機関に変更したり、ルールの内容を作ったりしている。歴史から学んで、作ったのだ。

 これらの理由を元に、僕達の案は実現可能であると言えるだろう。

「これで、他国の国民を殺すことなく、バルトの国民を守れるんですよね?」

 レイラは不安なのか、皆に質問する。

「ああ、大丈夫だ。戦争自体がなくなっていくはずだ」

 ブラウンがレイラを安心させようと、そう伝える。

その後、少し雑談をし、明日の朝にロビーで待ち合わせする約束をして解散した。

 後は明日の朝、この案をヘカート少佐に提出するだけだ




 ウォルン出陣まで残り一日

 時刻は早朝、今日の訓練業務が始まる前。

 起きている兵士はほとんどいないだろう。起きているとすれば、今日の業務確認などを行う階級が上の兵士ぐらいだ。

(まだ、誰も来ていないか)

 僕は約束通り、ロビーに来ていた。ロビーには僕以外は誰もいない。早く来すぎたようだ。

室内には、ロビーに取り付けられている大きな窓から、太陽の光が入り込んでいる。そのため、ロビーは明るい。

 日差しが入り込んでいるおかげか、暖かい雰囲気がロビーを包み込んでいた。

 窓に、僕は視線を送る。

 外は曇り一つない快晴で、空は輝いていた。

 しばらくして、ロビーに皆が集まった。

「誰も寝坊していないわね」

 さすがに今日寝坊する人はいないだろう。

「行きましょう」

 相当、気合いが入っているのか、雑談することなくアーセナルは一直線に、ヘカート少佐の部屋に向かって歩き出す。

 兵士は階級が上がれば、自分専用の部屋を持つことができる。ヘカート少佐は階級が高いので当然、自分の部屋を持っていた。

「緊張するね」

「うん……。そうだね」

 アリシアとレイラは緊張しているようだ。

 僕も緊張している。心臓が強く波打っているのが自分でも分かった。

「緊張しているのか?」

 ブラウンが僕に近づき、そう聞いてくる。

「……うん」

「心配するな。あの案ならヘカート少佐も認めてくれる。そうだよな、ヘンメリー」

「ブラウンの言うとおり、心配しなくて大丈夫だよ」

 二人にそう言われたおかげで、少しは気持ちが落ち着いたように感じた。

「スペンサーも肩の力抜いた方が良いぜ。目が怖いぞ」

「ああ。そうだな」

 そんなことを話していると、気づけば、ヘカート少佐の部屋の前にたどり着いていた。

「ヘカート少佐に何かようか?」

 後方から声をかけられる。

 声をかけてきたのは、女性兵士だった。両襟に付けられている階級章は上等兵を表している。

「ヘカート少佐に話しておきたいことがあったんですが」

 ブラウンがそう答える。

「ヘカート少佐は先ほど出かけられた。帰ってくるのは今日の夜だ」

「えっ! そうなんですか」

 予想外のことを聞いて、ブラウンは驚く。

 驚いているのは、ブラウンだけではない。他の皆も、予想外の出来事に動揺を隠せていない。

「ヘカート少佐はいないが、ヴェルナルディー大佐はいるはずだ」

 僕達の困惑する姿を見て、目の前の兵士はそう助言してくれた。

 いきなり、ヴェルナルディー大佐の部屋に行くわけにもいかず、僕達は一度、ロビーに戻って行った。


 

ロビーに戻ってきた僕達は今後のことを話し合っていた。

「ヘカート少佐が帰ってくるまで待つか?」

 ブラウンがそう提案する。

「ヘカート少佐が不祥事に遭って帰れない場合があるかもしれない。仮に帰ってきたとしても、私達の話を聞ける状況であるかは分からないわ。ヴェルナルディー大佐が今いるなら、ヴェルナルディー大佐に話すべきよ」

「ヘカート少佐に話すことができなければ、明日、別の誰かに話さなければいけなくなるしね。今話しておくべきだね」

 アーセナルの提案にヘンメリーが同意する。

 他の皆も異論はないようだ。

「ヴェルナルディー大佐って入隊の有無の確認をしたときにいた人だよね」

 入隊の有無の確認時を思い出したであろうアリシアが、そう発言する。

「そんなことはどうでもいいわ。時間がない。早く行きましょう」

 僕達はヴェルナルディー大佐の部屋に向かった。



 ヴェルナルディー大佐の部屋の前に僕達は立っている。

「ここで合っているのか?」

 ブラウンがアーセナルに質問する。

「ここで間違いないわ」     

入隊した日に上官達の部屋番号の書類は新兵に配られている。アーセナルは上官達の部屋番号を記憶しているのだろう。

「入るわよ」

「ちょっと待ってくれ、深呼吸させてくれ」

 ブラウンは深くゆっくり深呼吸をする。

 皆も緊張しているのか、ブラウンの真似をして、深呼吸をしていた。僕も緊張しているので深呼吸をする。

 皆が落ち着いたところを見計らって、アーセナルは扉の奥にいる人物に声をかけた。

「ヴェルナルディー大佐。自分は戦兵科に所属するアーセナル・スレインです。お話、しておきたいことがあります。お時間頂けないでしょうか」

「……」

「入れ」

扉の奥から低く、重みのある女性の声が聞こえてきた。

 アーセナルを先頭にして、僕達は部屋に入って行く。

 大佐の部屋というだけあって部屋は広い。僕達の部屋の三倍ほどありそうだ

 天井にはガスランプが付けられ、左右の壁には大きい本棚が置かれている。床には紅色の絨毯が敷かれていた。部屋の奥の真ん中には比較的大きい机が置かれている。 

 部屋に入った僕達は横一列に並ぶ。

 目の前には二人の女性兵士がいた。

 一人は中央の椅子に座っているヴェルナルディー大佐。

 入隊の有無の確認時にも、見たことがあったが、やはり、ヴェルナルディー大佐の顔は整っており、美しかった。瞳と同色である、黒に紫を混ぜたような色をした髪は彼女の美しさをより引き立たせている。

 そして、大佐というだけあって、威厳ある雰囲気を身に纏っていた。

 ヴェルナルディー大佐の鋭い目つきをした瞳で見つめられると、震え上がりそうになる。全てが見透かされている感覚に陥るのだ。

 二人目はヴェルナルディー大佐の右隣に立っている女性兵士だ。

 年齢は二十代半ばぐらいだろうか。体型はすらっとしていて、身長は僕より少し小さい。

 髪は短めで、透き通った水色をしている。顔立ちは整っており、美人といえるだろう。水色の透き通った髪と端麗な顔立ちは相まって、見目麗しい。 

 彼女は美しいが、冷たい美しさであった。氷のような女性とでも呼ぶべきだろうか。

 感情というモノが存在しないような冷たい雰囲気を彼女は、漂わせているのだ。

 女性兵士の両襟に付けられた階級章は中佐を表していた。

「話とは何だ」

「他国の国民を殺さず、バルトの国民を守る方法を私達は作りました。ですので、他国の国民を殺すことを辞め、私達が考えた方法を実地して、もらいたいのです」

 ヴェルナルディー大佐の質問にアーセナルが答える。

「……その方法とは何だ」

 アーセナルの言葉を聞き、少し沈黙をしたヴェルナルディー大佐は、その方法の内容をアーセナルに問う。

「九大国には国際機関に加盟してもらいます。その国際機関の主なルールの内容は二つあります。一つ目は各国の魔力保有量を均等にすることです。そのために、一国が保有できる魔力量を規定します。二つ目は魔力を増加するために殺して良いのは自国の犯罪者のみとすることです。それらのルールに違反した国が現れた場合、違反国以外の全ての国が制裁を与えます」

 アーセナルは言葉を続ける。  

「つまり、魔力を増加させるために、戦争を起こそうとする国が現れれば、各国が連携して、制裁を与える。それが、抑止力となり、魔力拡大競争による戦争が起きなくなります。これが私達が考えてきた方法です」

 

「――却下だ」

 

 ヴェルナルディー大佐は考える素振りさえ、見せなかった。

(なんで……)

 予想外の答えに僕の頭の中は真っ白になる。

「お前達のように、他国の国民を殺さずに自国の国民を守る方法を考え、上官に直接提案した新兵は何人かいた。だが、それらの提案は全て却下された。

 僕達以外にも、同じように考えた兵士がいたのか……。

「お前らの考えは甘い。そんな簡単に思いつくのであれば、我々は他国の国民を殺していない」

 ヴェルナルディー大佐は言葉を続ける。

「その方法を考えてきた人間、実地した人間は歴史上無数にいる。そのどれもが失敗に終わっているんだ。何故か分かるか?」

「……」

「そんな方法、存在しないからだよ」

 ヴェルナルディー大佐の言葉は僕の心をえぐりとった。

「話は終わりだ。出て行け」

「何がいけなかったのでしょうか?」

 認めることが出来なかったのか、アーセナルは声を大きく荒らげる。

「そうだな……教えてやろう」

 そう言ったヴェルナルディー大佐は、僕達が考えた案が成立しない理由を説明し始めた。

「一国の魔力保有量が規定され、殺して良いのが死刑囚のみとなれば、魔法を扱える人間が少なくなるだろう。その結果、国内中に十分に魔法を扱える人間を配属させることは困難になる。死刑囚など年間、数百人だろう。そんな魔力保有量で国内の殺人を犯した犯罪者から国民を守る事が出来るのか?」

「国内の犯罪者なら魔法を使わなくても、武装した軍人で事足りるはずです」

 ブラウンの言うとおりだ。魔法が使えなくても、武器を持った戦闘をプロとする軍人に一般市民が勝つことはできないはずだ。

「魔法を使用しないで、魔法を使う敵を殺せるのか?」

 ヴェルナルディーが言っている意味が分からなかった。魔法の詳細を知らない国民は魔法を使えないはずだ。僕はそのことをヴェルナルディー大佐に言った。

「魔法の詳細を知らない国民は、殺人を犯しても魔法は扱えないはずです」

 僕の言葉を聞いたヴェルナルディー大佐は、訝しげな表情をする。

「お前らは、教えられていないのか? ……ウォルン出陣が急遽決まったせいで、教える時間がなかったのか」

 ヴェルナルディー大佐は「知らないのなら、教えてやろう」と言って、話を始めた。

「魔法の詳細を知らなくても、殺人を犯した人間は魔法を扱える。そして、魔法を使用する殺人犯を自警するのは憲兵ではない、我々軍人だ」

 魔法の詳細を知らなくても、殺人を犯した者なら魔法を扱うことが出来る? だったら、他国の国民を殺して魔力を得る理由は、他国の兵士から自国の国民を守るためだけではなく、国内の殺人を犯した犯罪者から国民を守るためでもあるということか……。

 つまり、国という集団で生きている限り、他国からの攻撃がなかったとしても、国内の殺人を犯した犯罪者から国民を守るために、他国の国民を殺さなければいけない……

(なら、どうすることもできないじゃないか……)

 そもそも、なぜ僕達は魔法の詳細を知らないと、魔法を使用できないと考えたのか。……もしかしたら……分かっていたのかもしれない。だが、理解してしまえば、どうにもすることが出来なくなる。それ故に、僕達は盲目的になっていたのだ。

「国内の殺人犯が魔法を使えたとしても、魔法を制御できないのではないですか?」

 アーセナルの言うとおり、たとえ、国内の殺人犯が魔法を使用できたとしても、制御できるはずがない。それなら、魔力を保有しない兵士でも鎮圧できるはずだ。

「殺人犯が魔法を使用し、何百万人もの人を殺した事件が起きたことがある」

 ヴェルナルディー大佐はそう言った。

 もう無理だ……。死刑囚だけを殺して、自国の国民を守るなんて不可能だ。かといって、自国の国民を守るために、一部の自国の国民を殺す国はいないだろう。他国の国民を殺して、魔力を増加させなければ、自国の国民を守る事は出来ない……。

「この方法がダメだとしても、他に方法があるはずです。罪のない人間を殺すのは間違っています。それをしてしまえば……人間ではなくなります!」

 アーセナルの言うとおりだ。他にも方法はあるはず。どんな理由があろうと、罪のない人間を殺すのは間違っている。

「他の方法など存在しない」

 そう言ったヴェルナルディー大佐は言葉を続ける。

「お前達は歴史を元にこの方法を考えてきたのだろう。歴史から学ぶことは大切だ。しかし、お前らは、元になった歴史が失敗した理由の本質を理解していない」

「その本質とは何なんですか」

 アーセナルが質問する。

「人間は絶対に信じ合うことができないことだ」

ヴェルナルディー大佐は言葉を続けた。

「各国は魔力保有量を偽っているかもしれないと他国を疑い、他国がいつ攻めてきてもいいように、保険として防衛可能な魔力は保持しておきたいと考える。そのためには、他国の国民を殺すしかない。そうやって疑心暗鬼になって、戦争は起きる。見てみろ、信じ合うことができないから、他国を疑い、保険として魔力を増加させようと、戦争を起こしているだろ」

「信じ合うことは出来ると思います」

 アリシアがそう発言する。

 その発言を聞いたヴェルナルディー大佐は口を開いた。

「……かつて、アルデンという国があった。その国は魔力を増加させることを放棄することを世界に宣言した。自国が他国を信じることで、魔力拡大競争の終わることのない戦争の連鎖を断ち切ろうとしたのだ。しかし、アルデンは戦争を仕掛けられ、全ての国民を殺された。……それを行ったのは、他でもないバルトだ。……信じ合うことなど不可能なのだ」

 バルトが……そんなことをやったのか……。

「お前らも、信じることが出来ないから、国際機関などを作ろうと考えたのだろう」

「最初は信じ合うが出来なくても、信じられるように環境を整えれば、信じ合うことはできるはずです」

スペンサーがそう言った。

「信じられる環境が作られたところで、疑う心がある限り、信じ合うことなど出来ない。仮に国際機関が出来たとして、お前達は本当に他国を疑うことなく、信じ切れるのか?」

「……」

 信じ切れるという声は上がらなかった。

信じたいが、疑ってしまう。もしかしたらと考えてしまう。全国民の命がかかっているのだから。

僕達は信じることができなかった。それは、戦争をするしかないと言っているのと同じだ。

 どんな解決策を作ったところで疑う心があれば、ヴェルナルディー大佐の言うように、戦争は起こり続けるのだろう。

 それでも、認めることが出来ないのだろう。ヘンメリーが質問する。 

「バルトの国民を守るためには、本当に他国の国民を殺すしかないのでしょうか?」

「それ以外にバルトの国民を守る方法は存在しない」




「人間ではなくなるか……。確かに、私は人間ではないな……」

 誰に言うわけでもなく、独り言のようにヴェルナルディー大佐は呟く。

 その姿は、どこか切なげであった。

 先ほど入室していたアーセナル達は、部屋から退室している。

 ヴェルナルディー大佐とルイーザ中佐だけが、この部屋にいた。

「あの新兵達は他国の国民を殺すでしょうか?」

 ルイーザ中佐はヴェルナルディー大佐に質問する。

「殺すさ。バルトの国民を守るために」

「我々のように、あの新兵達はこれから何万、何十万と人を殺していくのですね……。精神崩壊しなければいいのですが」

 俯きながら、そうルイーザ中佐は述べる。

「あいつらは優しすぎる。全員が精神崩壊するかも知れないな。今季入隊した兵士は希望を持っている者が多い。このまま出陣すれば、精神崩壊する者が大勢現れるだろう。どうするべきか……」




ヴェルナルディー大佐の部屋を退室した僕達は、男性陣の寮の部屋に集まっていた。

 ベッドの奥のスペースに各々座っている。皆、俯き、誰も口を開こうとしない。

 陰鬱な雰囲気が部屋に充満していた。昨日有った活気はなくなっている。有るのは、絶望の感情だけ。

 ただ時間だけが過ぎていく。

 出来ることが何もないから。

「だめだったな……」

 沈黙を破り、ブラウンがそう呟く。

 僕達が考えた案が認められることは、なかった。

 認められないのは、当たり前だった。

 最初から、僕達が求めることは不可能であったのだから。

「結局、何も変わらなかった。他国の国民を殺すしか方法はなかったんだ……」

 スペンサーは誰に話す訳でもなく、独り言のようにそう言った。

 最初から、答えは決まっていたのだ。

 バルトの国民を守るには、他国の国民を殺すしかないと。

「私は諦めない。他にも方法はあるはず」

 アーセナルは自身を言い聞かせるようにそう発言した。

 現実を認めることが、できないのだろう。

「そうだよ。他にも方法があるはずだよ!」

 アーセナルに続き、アリシアも諦めていないようだ。

「時間がないわ。早速、他の方法を考えましょう。私は書庫で情報収集してくるわ」

 立ち上がったアーセナルは、扉に向かう。

「辞めろ! もう……無理なんだよ。俺達は他国の国民を殺すことでしか、国民を守れないんだ。お前らだって分かっているだろ……」

スペンサーはアーセナル達を止めようとする。

「そんなこと分かっているわよ! でも……認められる訳ないでしょ。私は絶対に諦めないわ」

 そう言ったアーセナルは、書庫に向かおうと、再び歩み始める。

 しかし、扉を開けて、立ち止まったまま動こうとしない。廊下にいる誰かに話しかけられているようだ。

 その声が僕達の方まで聞こえてくる。

「屋外訓練場に集合せよと、上官から指示が出た。お前達もすぐに迎え」




 屋外訓練場に新兵全員は集まり、一糸乱れぬ整列をしている。時刻は早朝、訓練が始まる前だ。

 新兵達の前にはヴェルナルディー大佐が立っている。

「明日、ウォルンに出陣するというのに、他国の国民を殺さない方法を私に提言する者が先ほど現れた。全体の士気を下げる由々しき事態だ。これは、今日に限ったことではない。ヘカート少佐が魔法の詳細をお前達に説明してからというもの、上官に直談判する新兵は大勢いた」

ヴェルナルディー大佐は話を続ける。

「この話を聞いている今も、そのような方法を考える者はお前らの中に大勢いるだろう。しかし、お前達が何を考えようと、結果は同じだ。バルトの国民を守るためには、他国の国民を殺すしかない。無駄な抵抗は止めておけ。自身を苦しめるだけだ」

「私は他国の国民を殺すことは出来ません」

 集団の右側に位置する男性が声を荒らげた。

 出陣を明日に迎えて、本心が出たのだろう。

「僕も他国の国民を殺すことは出来ないです」

 同じように、集団の前方に位置する男性が声を荒らげる。

「私もです」

「僕もです」

 反論の一声は波となって、瞬く間に全体に広がった。ほとんどの新兵が他国の国民を殺すことを拒否する声を上げている。

「では、お前らは後方部隊につけ!」

 ヴェルナルディー大佐は声を荒立てた。

「後方部隊で友が射撃される姿、家族が八つ裂きにされる姿、国民が殺される姿を見ていろ!」

「……」

 新兵の反論する声は聞こえなくなっていた。

 辺りが静寂に包まれる中、前方の男性が呟いた。

「殺すしかないのか……」




 第五章

  

 


 ウォルン出陣当日

 ついに、この日が来てしまった。

 結局、僕達は何の対策を立てることも出来ていない。

 残された道は一つ。

 他国の国民を殺すしかない……。

 時刻は早朝。屋外訓練場にウォルン殲滅作戦に参加する兵士は集められていた。

 ヴェルナルディー大佐の前に、兵士達は、一糸乱れぬ整列をしている 兵士達の表情は暗い。罪のない、他国の国民を殺しに行くのだから、当然だろう。

 ヴェルナルディー大佐の口が開く。

「ウォルン出陣の日がいよいよ、やってきた。これから我が軍はウォルンの住民を殺しに行く。今作戦の目的は新兵の魔力増加だ。新兵諸君。ウォルンの全住民を殺す覚悟を持って戦え。以上だ」

 

 

 オルロの軍隊はウォルンに進行を始めた。

 ウォルンに向かうにはオルロの西門を通って行かなければならない。そのため、オルロの兵士は西門へと続く街路の中央道路を馬車や馬で移動していた。

 早朝だというのに、左右の歩道には大勢の見物人が来ている。リオネで兵士の凱旋を見たときのような人だかりだ。街路は活気と歓喜に溢れている。

「敵国の兵士を倒してくれ」

「頑張ってくれ」

「負けないで」

 住民が願いや応援の言葉を兵士に投げかける。

(やめてくれ……僕は他国の国民を殺しに行くんだ)

住民達の声を聞くたび、胸が締め付けられる。

 僕は辺りが見えないように俯いていた。前方、左右を見てしまったら、何かが壊れるような気がしたからだ。

 早くオルロから出たかった。住民の声を聞きたくなかった。この場所にいたくなかった。

 しばらくして、オルロの軍隊は西門にたどり着き、都市を出た。

 もう逃げることはできない。




 ウォルン殲滅作戦概要


 全体指揮……ヴェルナルディー  

 出陣兵士……六百名

 目的……新兵の魔力保有量を増加させること

 戦略……オルロの新兵とウォルンの兵士を遭遇させないようにすること

 

 戦術

 一 ウォルン殲滅作戦の三日前に、ウォルンの近隣都市であるセントに魔力保有量が多い部隊で攻撃させる。そうすることで、ウォルン周辺の都市の兵士は増援として、セント市に流れる。結果、ウォルン殲滅作戦決行時にはウォルンに兵士の増援をすることができなくなる。


 二 ウォルン市は外壁で都市を囲っている。外へ出られる門は十二。その全ての門に部隊を待機させる。魔力を保有する兵士だけで構成された二つの部隊がまず攻撃を仕掛ける。それによって、敵の兵士は攻撃されている門に兵士を向かわせる。二つの部隊が攻撃した二十分後にそれ以外の全ての門から同時攻撃を仕掛ける。


 三 魔力を保有する兵士は町の中心に向かって、新兵の進路にいる兵士を殲滅する部隊と新兵を保護する部隊に別れる。



 用語

 戦略……進むべき方向性のこと

 戦術……戦略を行うための具体的な手段、実践的な計画のこと




 六日後の夜、月は雲に隠れ世界は暗闇に包まれている。

 草木一つない平地で兵士達は休息を取っていた。

 明日の午後にはウォルンに攻撃を仕掛けるので、これが最後の休息だろう。 

 休息地には、焚き火がいくつも見られる。体を冷まさせないためだ。食事なども配給していた。

 六百名からなる大隊だというのに、辺りは静けさに包まれている。疲労のためではない。明日、行うことに対してのことだろう

 僕達は焚き火の周りに集まっていた。

 しかし、終始対話をすることはなかった。

 



 翌日の朝、全兵士は十二の部隊に別れて、それぞれの門に向かって進行を始めた。

 僕達の部隊は、二時間ほど進行して、目的地である門近くの荒野にたどり着いた。作戦実行時間まで、まだ時間があるので、その場で待機をしている。

 兵士達は俯き、体を小刻みに震わせていた。今から行うことに対して、恐怖しているのだろう。

 ウォルンの門は見えていない。こちらの姿を発見されない所での待機だ。辺りには枯れ果てた木々などが生い茂っている。

 僕の部隊はヘカート少佐を指揮官とした四十名からなる部隊だ。新兵は二十名。二十名の新兵は軍で訓練を行っていた新兵のグループと同じだ。

 二つの部隊が攻撃した二十分後に、僕達の部隊も攻撃することになっている。

ウォルンの町から戦闘音が聞こえてくる。二つの部隊は既に、戦闘を始めていた。

 戦闘をして一五分ほど経っている。

 あと、五分経てば、僕達の部隊はウォルンに攻撃を仕掛ける。

 僕の心臓は波打っていた。手足は震え、尋常じゃないほどの汗が両手から出てきている。

 僕は未だに答えを決められていなかった。

 どちらも犠牲にしない方法は、存在しないことは知っている。

 どちらか犠牲にしなければ、ならないことも分かっている。

 だが、どちらか一方を選ぶことが出来なかった。

 どちらも犠牲にしたくなかった。

 バルトの国民を守るために、ウォルンの住民を殺すなんて出来る訳がない。しかし、バルトの国民を犠牲にすることもできない。

 七日間、ずっと、どうするべきかを考えていた。考え尽くした結果、答えなど出なかった。

 だって、罪のない人を殺すんだぞ。

(できる訳ないじゃないか……)

「二つの部隊が攻撃してから二十分経った。我らの部隊も攻撃を始める」

 もう、二十分経ったのか。どうすればいいんだ……。

 僕達の部隊は侵攻を始めた。

 馬は使っていない。徒歩だ。新兵は中心に位置し、四方を魔力保有する兵士で固めるという陣形で進行をしている。

 魔力を保有しない新兵を守るための陣形だ。

 馬は待機していた場所に置かれていた。輜重兵科の人達が居残って馬の面倒を見ている。

 僕は歩いている最中ずっと、自問自答をしていた。他国の国民を殺すのかについてを。だが七日間も考えて、答えが出なかったのだ。今考えたところで、答えなど出るはずもなかった。

 無情に時間だけが過ぎていった。

 ウォルンが姿を現す。

 都市は市壁で覆われ、中心には門が見える。門の左右には二名の門兵が立っていた。

 こちらに気づいたのか、二人の門兵は門の内側に向かって何かを言っているようだった。

「ルナ少尉。前方二名の門兵の魔力保有量を調べろ」

 ヘカート少佐は魔力保有量を調べろと言ったが、どうやって調べるのだろう。

前方のヘカート少佐の右隣にいるルナ少尉が右手を門兵に向ける。

 ルナ少尉の右手から微少な魔力が放出された。

 放出された魔力は数秒後には二名の門兵を取り囲んでいた。取り囲まれた門兵は魔力を手で仰ぎ、追い払おうとしている。

「二名とも魔力保有量はゼロです」

 魔力で覆えば、姿、形などが分かるだけではなく、覆った者の魔力保有量が判明するということか。

「ブルーノ中尉。撃ち殺せ」

 ヘカート少佐は前方に視線を向けたまま、ブルーノ中尉に命令を下す。

 すると、陣形の右側から、一人の男性が空中に浮かんだ。男性は右手に持った銃を門兵に向けて構える。

 銃口から線のように細い微少な魔力が、門兵の方向に向かって放出されていた。

 何をする気だ、門兵まで距離は五百メートルほどあるぞ。

 発砲音とともに、黒い二発の弾丸が射出される。

 二発の弾丸は二名の門兵の頭部に被弾した。

 二名の門兵は地に崩れ落ちる。

 五百メートルの距離で頭部に命中させた。それも、二人とも。凄まじい命中率だ。銃弾を放つ前に銃口から放出された微少な魔力は、狙いを定めるためのものだったのかもしれない。

撃ち殺された二名の門兵から微少な魔力がこちらに漂ってきて、ブルーノ中尉の体に入っていく。

 殺された者の魔力が吸収されたのか。

 今、ブルーノ中尉は何を思っているのだろう。自らが殺した者の魔力が自身の体に入って来るのだ。

 殺した者の魔力が自身の中にある。そう想像すると、吐き気が込み上げてきた。喉元まできた、それを、どうにか飲み込む。

 門が八〇メートルほど先に見える。

 あと、少しで、門にたどり着くという時に、市壁の上空から大勢の兵士が現れた。二〇名ほどいるだろうか。こちらには近づこうとはせず、空中に浮遊していた。

 浮遊する兵士の一人がこちらに手を向け、微少な魔力を放出する。瞬く間に部隊全体は微少な魔力に包まれた。

 漂っているだけで、害はないようだ。こちらの兵士の魔力保有量を調べているのだろう。

「ルナ少尉。敵兵の魔力保有量を調べろ」

 先ほどと同じようにルナ少尉が、右手から微少な魔力を放出する。その魔力は、全ての敵兵を包み込んだ。

「二十一名の魔力保有量は二十から四十です。中心にいる兵士が六十から七十です」

「オーステン少尉。殺せ。ブルーノ中尉はオーステン少尉の援護及び増援に備えろ」

 ブルーノ中尉は再び空中に浮遊して、銃を構えている。  

 陣形の左側から男性が空中に浮かび、敵兵めがけて凄まじい速度で飛行する。あれがオーステン少尉なのだろう。

 飛行するオーステン少尉の体と右手に持つ剣の表面は緑色の膜で覆われている。

 緑色の膜は魔法だろう。魔力の密度を高めているから色が変わっているのか。

(なんて、速さだ)

 八〇メートルほどの距離を数秒で縮めた。

 近づいてくるオーステン少尉を敵の兵士達は銃撃する。

 迫り来る魔弾を避けようともせず、オーステン少尉は敵兵一人一人に近づき、右手に持つ剣で両断していく。

 圧倒的だった。敵の兵士が放つ魔弾はオーステン中尉を纏う緑の膜に当たって跳ね返される。敵の兵士は為す術なく、殺されていった。

 緑の膜は、敵の兵士が射出している魔弾よりも、魔力の密度が高いのだろう。

 だが、緑の膜は無傷という訳ではない。少しずつだが、敵が射出した魔弾が当たることにより、緑の膜は削られている。

 しかし、緑の膜を破壊するまでには、損傷はしていない。

 あの緑の膜を、黒の魔弾で破壊するには、相当、時間がかかるだろう。

 気づけば、敵兵の人数は八人になっていた。

(なんて、強さだ……)

 数十秒で一四名の敵兵を殺した。

 オーステン少尉が敵を圧倒する理由は、敵よりも魔力保有量が多いためだろう。

 魔力保有量の差は、これほどまでに勝負を分けるのか。

 ヘカート少佐は魔法の訓練の時に『武力の序列は魔力保有量がものを言う。魔力保有量の差が開けば開くほど、覆すのは困難になっていく』と言っていた。

 本当にその通りだった。

 魔力を保有しない自分なんて、足下にも及ばないだろう。 

 中央に浮かぶ兵士を除いた、七人の兵士が銃を捨て、右腰に納められた鞘から剣を引き引き抜き、一斉にオーステン少尉に斬りかかった。

 その時、発砲音が鳴り響く。

 七人の兵士の頭を魔弾が貫通した。

 命を奪われた兵士達は羽を失った鳥のように地に落ちていく。

 上空に浮かぶブルーノ中尉が狙撃したのだろう。

 七人を同時に、射貫くなど、どうやってやっているのだ。

 残りの兵士は一人。魔力保有量が六十から七十と言われていた兵士だ。

 その兵士とオーステン少尉が空中で向き合う。

 オーステン少尉は、魔力保有量は敵よりも、多いのだろうか。もし、少なければ危険だ。

 敵の兵士は腰の鞘から剣を引き抜き、オーステン少尉に斬りかかる。

 オーステン少尉は剣もろとも敵の首を切り裂いた。

 二つに分かれた頭と身体が地に落ちる。

(……強すぎる)

 魔力保有量がオーステン少尉の方が圧倒的に多かったのか。

 敵の剣は灰色のような色をしていたが。それよりも、緑の膜を纏った剣の方が密度が高いのだろう。

 敵兵を全滅させたため、再び部隊は侵攻を進めた。

 僕の左横には、両断された頭と身体が無残に転がっている。

 部隊は門前にたどり着いた。

 市壁は五メートルほどあり、石材で作られている。

 目の前の門は木製で大きく、堅牢な作りをしていた。高さは四メートルほど、横の長さは五、六メートルほどある。

「ルナ少尉。門の奥の状況確認をしろ」

 ヘカート少佐に命令されたルナ少尉は、上空に手を挙げ微少な魔力を放出する。放出された魔力は、市壁の上空を越え、都市の中に入っていった。

「三十二名の人間が銃を構え、門を囲っています。魔力を保有している人間は確認できません。三百メートル先には、逃げ遅れた住民がいる模様です」

「オーステン少尉、門を破壊しろ」

 命令されたオーステン少尉は門前に立ち、剣を門に向けて縦横無尽に振りかざす。

 門は木っ端微塵に粉砕した。

 門がなくなったことでウォルンの町が見えて来る。

 そこにはルナ少尉が言ったとおり、三十二名の人間が銃をこちらに向けて構えていた。その人間達は軍服を着ていない。しかし、皆同じ服を着ていた。憲兵だろう。

 憲兵達は僕達を化け物でも見るような目で見ていた。

 あちらから、見れば、僕達は国民を殺しに来る化け物なのだろう。

 こちらの存在を確認した憲兵は一斉に射撃を開始した。

 発砲音が耳をつんざく。

 しかし、部隊の兵士には一切の損傷はなかった。

 眼前に作られた黒い壁が部隊を守っているからだ。ヘカート少佐が作り出したのだろう。

 憲兵は僕達に傷をつけることは、できないと分かったはずだ。だが、発砲音は鳴り響き続ける。

 しばらくして、発砲音が聞こえなくなった。弾薬がなくなったのだろう。

 それと同時に、黒い壁は消える。

 目の前の黒い壁が消えたことにより、憲兵達の姿が再び現れる。憲兵達は恐怖し、怯えた表情で僕達を見ていた。

 ヘカート少佐は前方に数歩歩き、腰に納められた鞘から剣を抜き取り、黒の斬撃を憲兵達に浴びせる。

 その斬撃は三十二名の人間を両断した。

 両断された人間は、断面から血しぶきを上げ、肉塊となり地に落ちる。

 僕達の前には、真っ二つに両断された三二名の死体と地の水溜まりがあった。

「オーステン達は進路にいる敵兵を殲滅せよ」

 ヘカート少佐がそう言うと、オーステン少尉を含めた魔力を保有する十名の兵士は都市の中に向かって走って行く。

 僕達新兵は魔力を保有する兵士には勝てない。魔力を保有する兵士と戦闘すれば、一瞬で殺されるはずだ。僕達の安全を守るために、先に進行して、進路の敵を殲滅するのだろう。

 その後、部隊は血と肉塊で溢れた路面の上を跨ぎ、進行を再び始めた。

 ウォルンはバルトにある都市と何ら変わりはなかった。フレシアの郊外ということもあり、発展はしていないが、オルロと同じように住宅や商業店舗などが見られる。

 変わっていることと言えば、人がいないことだ。

 ウォルンに侵入してから、憲兵以外の人を見ていない。住民は敵兵が来たことを知り、逃げたのだろう。

 しかし、逃げる場所など存在しないはずだ。ウォルンの全ての門から、バルトの部隊が攻め込んでいるのだから。

 また、都市の中に進んでも、敵の兵士が現れることはなかった。敵の兵士は最初に攻撃を仕掛けた二つの門に増援をしているため、姿が見えないのだろう。

 進行を始めて十分ほどしたところで、前方に大勢の人の姿が見える。

 その人達は、先に先行したオーステン少尉達に周りを囲まれていた。そのため、身動きがとれないようだ。

 部隊が近づくと、人々の姿がより鮮明に見えてくる。六十名ほどいるだろうか。ウォルンの住民だろう。子供や男性、女性の姿が見られる。少女を守るように抱きしめる女性の姿もあった。体を震わせ、目を瞑っている者の姿も見られる。多くの住民が僕達を憎悪する目で見ていた。

「お前らは、周りの警戒をしろ」

 そうヘカート少佐に命令されたオーステン少尉達は、周りの建物の屋根に上がって周りの警戒をする。

「新兵、銃を構えろ」

 ヘカート少佐は新兵達に命令を下す。

 前衛の魔力を保有する兵士達は左右に分かれ、新兵が住民と向き合うようになる。

 新兵は銃を構え、住民に照準を定める。

 僕の目には怯える住民達の姿が映っていた。

 この引き金を引けば、射出された銃弾が目の前の人間の命を奪う。

 罪もない人間の命を。

 僕達はリベリオで攻撃をしてきたエルトニアの兵士と同じだ。都市に攻め込み、住民を殺そうとしている。

 たとえ、それしか方法がないとしても、その行為は許される行為ではない。

 僕達がしようとしている行為は正義ではない。虐殺だ。  

 しかし、バルトの国民を守るために、この人達を殺さなければいけない。

 殺さなければ、次に攻め込められた時、バルトの国民が殺されるのだから。

どちらか一方しか救うことはできないのだ。

 悪だということは分かっている。

 しかし、バルトの国民を守るために、他国の国民を犠牲にしなければならないんだ。

 決めるしかないんだ。

 逃げるな。 

 決めろ。

 決めろ。

 決めろ。

 決めるんだ。

 殺すんだ。

 銃を強く握りしめ、引き金に力を入れる。

 銃の照準を住民の額に合わせる。


 ――無理だ――


殺せる訳がない。

 殺していいはずがない

 この人達は何も悪いことをしていないのだから。

 力を抜き、銃を下ろす。

「撃て!」

 ヘカート少佐の声が後方から聞こえてくる。

「待って、止めろ、止めろ、止めろ!」

 無数の発砲音が鳴り響く。

 僕の制止を求める声は空に消え、銃弾に被弾する住民の絶叫が世界を包み込む。

 住民は次々と地に倒れていき、路面に血の海を作り出す。

「撃ち方止め」

 ヘカート少佐の制止の命令で、新兵達の射撃は止まった。

 目の前には人間の所業とは思えない残酷な惨状が広がっていた。

 絶叫は聞こえない。

 静寂が辺りを包み込んでいる。

 数秒前まで生きていた人々は、銃弾に被弾し、息絶えていた。

 住民達の血痕が辺りに飛び散っている。  

 六十もの死体が無造作に路面に転がっていた。

 住民達の死体から微少な魔力が抜け出て、新兵達の体の中に入っていっている。

「行くぞ」

 ヘカート少佐が進行を始めようとする。

「ヘカート少佐。他国の国民を殺すことはやはり、間違っています! 今からでも止めるべきです」

 陣形の左側に立つアーセナルは、ヘカート少佐の前に行き、声を荒らげ、発言する。

「我々は国民を守るためにやっている。殺すことが出来ないのなら黙って部隊についてこい」

 横槍をいれてきたアーセナルにヘカート少佐は冷静にそう言った。

「他国の国民を殺すことを許容するわけにはいきません」

 ヘカート少佐は右拳を左から右方向に振り抜き、裏拳をアーセナルの左頬に食らわせた。

アーセナルは膝から崩れ落ちる。

 失神したのだろうか、起き上がらない。

「我々はバルトの国民を守るために行っている。殺す覚悟もなく、打開案もなく、邪魔をするだけであれば、誰であろうと容赦なく制裁を下す」

 新兵全員にヘカート少佐は告げる。

 部隊は再び、進行を始めた。

 それから、新兵達は何度も何度も何度も何度も住民を殺していった。

 僕は住民を殺すことが出来なかった。

 住民を殺す新兵達を止めることもしなかった。

 殺さないことを間違っていると、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 ただ、僕は罪もない人間が殺されていく姿を呆然と見ていた。



「ここはどこ?」

 気絶していたアーセナルが起き上がる。

 アーセナルは声を発することなく、呆然と広場を目にしていた。

 ここはウォルン中心街の広場。

 憩いの場となっているのか広場は広かった。中心には噴水がある。広場を囲むように露店などが複数、見られる。部隊が攻撃するまでは賑わっていたのだろう。

 現在、生きている住民は一人も見当たらない。

 広場は地獄と化していた。

 建物や露店には血しぶきが付着し、中心の噴水は赤く染まっている。

 地面には何百人もの人間の死体が転がっていた。身体を両断されている女性。複数の銃痕が見られる幼い少年。そのような死体が何百もある。広場は死屍累々と化していた。

 オルロの兵士達はあらかたのウォルンの住民を殺害した。そして、複数の部隊で、都市を逃げ惑う生き残った住民をこの広場に追い詰め、虐殺したのだ。

 この惨劇を生んだ他の部隊は、生き残っている住民を捜索している。

僕達の部隊は現状整理をするために、この場に残っていた。

 兵士の表情は暗く、重い。その中でも新兵達は酷かった。頭を抱える者。血に染まった自身の手を永遠に見ている者。自身は正しいと何度も独り言を発言する者など、精神に異常を来たしている新兵の姿が多く見られた。

アーセナルは前方でルナ少尉、オーステン少尉、ブルーノ中尉と話しているヘカート少佐に言葉を投げかける。

「何故、こんな残酷なことが出来るんですか! 何故罪もない人を殺せるんですか!」

「バルトの国民を守るためだ」



 報告書

 ウォルンの人口の九割が死亡。

 オルロ兵の死者十七名。重軽傷者三十一名

 目標の新兵の魔力増加をさせることは半分達成。

 住民を殺すことが出来なかった新兵は半数いた模様。

 軍隊は攻撃を始めた六時間後には撤退をした。増援の可能性がゼロと判断できないためである。




 第六章




 時刻は午後。軍隊の前には都市を囲む巨大な市壁と門がある。市壁の高さは五メートルだ。門の高さは四メートル。幅は五、六メートルほどある。

 この門の奥には兵士の帰還を待ち望む人々がいるのだろう。

 軍隊は七日間かけてオルロにたどり着いていた。

 門がゆっくりと開かれていく。

 街路には兵士を待ち望む、大勢の住民の姿が見えた。

 侵攻を軍隊は始める。

 軍隊の姿が見えた途端、住民は歓喜に震えた。

「英雄の凱旋だ!」

 前列に立つ男性が大声を上げた。

 その声を機に住民達がそれぞれの言葉を兵士に贈る。

「ウォルンの兵士を倒してくれてありがとう」

「よく頑張ってくれた」

「ありがとう」

「ゆっくり休んでくれ」

 大歓声の中、兵士達は進行して行く。

 他国の国民を殺した新兵達は苦しんでいた。耳を塞ぐ者や、地面に視線を向けた者などの姿が見られる。

 先輩の兵士の顔は暗い。戦争のたびに、これを経験してきたのだろう。

 兵士達の姿は勝利したようには到底思えない。

 まるで、罪人の隊列のようだ。

 僕も胸を張って、進行することはできない。

 他国の国民は殺してはいない。しかし、魔力を増加させてもいない。

 他国の国民を殺した新兵は罪を背負い、魔力を増加させた。つまり、バルトの国民を守ることができるのだ。

 僕にはバルトの国民を守る力がない。

 国民を守る事ができるのは、他国の国民を殺した兵士のみ。

 事実上、僕はバルトの国民を守ることを放棄した兵士なのだ。

 

 

 街路を抜け、軍隊は軍事基地に帰還を果たしていた。

 兵士達は屋外訓練場に集まり、ヴェルナルディー大佐を前に整列をしている。

「今回の作戦は上手くいったと言える。他国の国民を殺した新兵。その覚悟を評価する。お前達は一生癒えない傷の代わりに力を手に入れた。その力は国民を守るときに大きく貢献するだろう」

 ヴェルナルディー大佐は他国の国民を殺害した新兵を労う。

 他国の国民を殺す行為は許されることではない。だが、バルトの国民を守る力を手に入れたことは事実だろう。

「そして、他国の国民を殺さなかった新兵。どんなに否定しようが、必ず、魔法が必要になる。お前らはいずれ、絶対に他国の国民を殺すことになる」

 確信をしているように、ヴェルナルディー大佐は言い切った。

 ウォルンで魔法の戦闘を目にして、分かったことがある。それは、魔法を扱う敵の兵士に、魔法を使用しないで戦闘をするなど自殺行為だということだ。戦闘しようものなら、一瞬で殺されるだろう。

 魔法なしで、どう戦闘すればいいのだ。

 いや、どうやっても魔法なしで、魔法を扱う兵士には勝てないのだろう。

 つまり、魔法を使用できない兵士は、バルトの国民を守ることができないのだ。

 ヴェルナルディー大佐が続けて言葉を発言しようとした時に、全体の左側から叫び声が轟いた。

 兵士全員の視線が叫び声が聞こえた方向に向く。そこには、蹲って、両手を顔に押しつける男性の姿があった。叫び声は一向に止まない。叫び声というより慟哭に近かった。

 その男性は見覚えがあった。僕達と同じ部隊だった新兵だ。

 あの人は……他国の国民を殺していた。

 上官達が兵士に命令を下し、男性を軍内に連れて行く。

 何故、ああなってしまったのかは予想がつく。他国の国民を殺したからだろう。自身を責め続けた結果、あのようになったのかもしれない。

 生きている限り、罪と向き合い続ける。 

 自責の念は強大な力を得る対価なのだろう。

 その後、翌日は新兵が休息日になることを伝えられ、その場は解散となった。




 ヴェルナルディー大佐の話の後、僕は皆と一緒に軍内に向かって歩いていた。

「俺達は本当に正しかったのか?」

 ブラウンは他国の国民を殺さなかったことの選択が、正しかったのかについて葛藤しているようだ。

 ブラウンは他国の国民を殺していなかった。ブラウンだけではない。他の皆も、他国の国民を殺していなかった。

「他国の国民を殺さなかったことは正しかったはずです」

普段はおどおどしているレイラがはっきりと言う。

「罪もない人が殺されていいはずがない。他国の国民を殺さなかったことは正しいはずだよ」

 アリシアの意見もレイラと同じようだ。

「確かに、倫理的には正しいことをしたと思う。だけど、国民を守る力は手に入れていない」

 アリシアやレイラの意見は倫理的に見た話だ。ヘンメリーは現実的なことを言っていのだろう。

「バルトが攻められたら、俺達は国民を守る事が出来ない」

 スペンサーが現実を諭すように述べる。

「どんな理由があろうと、罪のない人を殺していいはずがない。罪のない人を殺している者に正義は適用されないわ。他国の国民を殺した新兵達は歴とした殺人犯よ」

 周りに多くの新兵がいるのにも関わらず、アーセナルは大声で言った。新兵にわざと聞こえるように言っているようにも見えた。

「アーセナル。周りの人達に聞かれているよ」

 他国の国民を殺した新兵は精神が不安定だ。その新兵を下手に刺激すれば、一悶着あると予測出来たため、アーセナルを注意する。

「聞こえるように言っているのよ」

 アーセナルは並大抵ならぬ、正義心を持っている。殺した新兵達を認める訳にはいかないのだろう。

 三人の男女が僕達の前方に立ち塞がる。その内の一人には近接戦闘訓練でアーセナルと戦闘をしたレナードの姿があった。

「何かよう?」

 怖じ気づくことなく、アーセナルは声をかける。

「聞き流せない内容があったからな」

 三名のリーダなのだろう。中央に立つレナードが言葉を述べた。

「事実を言ったまでよ」

 先ほどの発言をアーセナルは訂正することなく、強気な姿勢を見せる。

「俺達は他国の国民を殺した。お前の言うとおり、許されることではない。俺達は殺人犯だ」

 レナードはそう言って、自身の罪を認める。

「自らの罪を告白して、許されるとでも思っているの?」 

「バルトの国民を守るために、俺達は他国の国民を殺したのだ」

「だとしても、罪のない人を殺すことは許される行為ではないわ!」

 レナードの言い分を認めようとせず、アーセナルは声を荒らげた。

「そうだ。許される行為ではない。だが、俺達は他国の国民を殺したことによって、バルトの国民を守る事が出来る。お前はバルトの国民をどうやって守るんだ」

「それは……」

 アーセナルは言いよどむ。

「お前は逃げただけだろ。現実を見ようとせず、理想だけを述べるお前に、他国の国民を殺した人達を蔑む資格なんてない」

「他国の国民を殺す以外にも方法はあるはずよ。魔法が絶対的な力とは限らないわ」

 他の方法はないことは分かっているはずだ。だが、認めることができないのだろう。

「ウォルンで魔法を使った戦闘を見ただろう。国民を守るには魔法が必要だ」

「魔法を使えるようになったからって、いい気にならないで。あなたなら、魔法を使えない私でも勝てるわ」

 本当に勝利できるとアーセナルは考えているのだろうか。いや、そんなはずない。ウォルンで魔法を使った戦闘をアーセナルも見たはずだ。

「試してみるか?」

 試合をしようとでも言うのか、レナードはアーセナルに提案する。

「望むところだわ」




第七章




先ほどの一門着で、アーセナルとレナードは勝負をすることが決まった。

 勝負の内容は近接戦闘訓練と同じである。武器の使用はなし。どちらかが戦闘不能になるまで続く。

 アーセナルとレナードは向き合う。

 両者の距離は一メートルほど離れていた。

 新兵が勝負を見ようと、両者を取り巻くように円形の形を作る。その新兵のほとんどが他国の国民を殺していない者である。

 他国の国民を殺した新兵はこのような勝負を見ている余裕が心になかったのだ。

 他国の国民を殺していない新兵は魔法を使用できるレナードにアーセナルが勝利することで、自身を正当化しようとしていた。他にも道はある。殺さなかった自分は間違っていないと。

 この戦闘は圧倒的に、レナードの有利である。

 前回の近接戦闘訓練時では、レナードはアーセナルに敗北した。しかし、現在のレナードは魔法を使用できるのだ。魔法が使用できると、できないでは天と地の差がある。

 魔力保有量が勝負を決めると言うのに、そもそも、アーセナルは魔法を使用できないのだ。

 二人を囲むように観戦する兵士達はこう思っていた。『アーセナルが勝つなど不可能だ』と。

 しかし、アーセナルは勝利できると考えていた。

 ヘカート少佐との近接戦闘の敗因は、ヘカート少佐が保有する魔力量が多かったためとアーセナルは考えている。

 魔力保有量が少なく、使い慣れていないレナードなら勝利できると推測したのだ。

 アーセナルの戦略は早期決着だ。

 レナードはアーセナルとヘカート少佐の試合を見ている。そのため、自分が魔法を使用する相手と戦闘をする場合、魔力を切れさせるために、時間をかけた戦闘をするとレナードが予測しているとアーセナルは考えていたのだ。

 具体的な戦術は試合の始まりの合図と供に、速攻で近接戦闘を仕掛けることであった。魔法になれていないレナードは速攻に上手く対応できないとアーセナルは予測していたのだ。

 レナードの連れである男性の「始め」の合図で試合が始まった。

 始まりの合図と供にアーセナルはレナードに駆け寄り、右フックを繰り出す。

 接近してくると思っていなかったのか、レナードは驚きの表情を見せる。

 予想外の行動であったため、レナードは防御できていない。

 アーセナルの右フックは直撃した。

 黒い壁に。

 レナードは自身を三六〇度覆うように、球体上の黒い壁を作り出していた。

 アーセナルの拳が直撃しても、球体はびくともしていなかった。それもそのはず、ヘカート少佐が作り出した、黒い壁と、形は違えど、同じようなものなのだ。アーセナルの殴打などで、壊れるはずもない。

 アーセナルは後方に下がろうとする。

 追撃するのは危険だと判断したのだ。

 レナードの姿は黒の球体で包まれているせいで、見えない。何をしてくるか見当がつかないため、アーセナルは後方に下がるしかなかった。

 球体から筒のような物体がアーセナルの腹部めがけて射出される。

 アーセナルはギリギリの所で避けた。

 普通の人であれば、直撃していたはずだ。避けることができたのは、アーセナルの運度神経が高かったからだろう。

 射出された物体は二メートルほど進んだところで急停止して、何十もの筒のような物体に分裂して四方に爆散した。

 後方に注意を向けていなかったアーセナルの背中にいくつもの物体が直撃する。

 アーセナルが後方に注意を向けていなかったのは、当たり前だ。避けた筒が後方で分裂して、爆散するなど、誰が考えるか。

 だが、不幸中の幸いと言って良いだろう。筒は先端が尖っていないため、アーセナルの体を貫通はしなかった。しかし、凄まじい速度で射出されたのだ、その威力は計り知れない。

 アーセナルは前方に崩れ落ちる。

 物体はレナードが作り出した球体にも直撃した、球体の欠片が辺りに飛び散る。貫通した訳ではない。上辺を削ったぐらいの損傷だ。

 数秒後、球体が消え、レナードが姿を現す。

 倒れたアーセナルにレナードは近づく。

「お前の負けだ」

 そう言って、レナードは立ち去っていった。

 うつ伏せになったまま、アーセナルは起き上がることはなかった。

 失神をしている訳ではない。意識はある。しかし、レナードの攻撃を背中に受けたダメージで起き上がれなかった。

 うつ伏せのまま、アーセナルは歯を食いしばる。

 悔しかったのだ。

 レナードに敗北したことが悔しかったのではない。

 現実を変えることができない無力な自分が悔しかったのだ。

 



 兵士達はウォルン殲滅作戦で使われた武器などの後片付けや手入れを終わらせ、各自休息を取っている。辺りは暗くなり始めていた。

 僕、ブラウン、ヘンメリー、スペンサーは自室のベッド奥スペースに各々腰を下ろしている。

 アリシアとレイラはアーセナルの様子を見に医務室に行った。

「近接戦闘訓練ではレナードに勝っていたのにな」

 スペンサーは落ち込んでいるようだ。アーセナルに期待していたのかもしれない。

 アーセナルとレナードの試合はレナードの圧倒的な勝利で終わった。

 無傷でアーセナルに勝利。近接戦闘訓練でアーセナルに負けていたレナードがだ。

 あの球体を作り出した時には、既に勝敗は決まっていた。

 アーセナルは球体があるせいで、中にいるレナードに攻撃はできない。だが、中にいるレナードは一方的に魔弾などを射出して、アーセナルに攻撃可能。また、四方に魔弾を射出すれば、勝利は確実だ。

 魔法が使用できない人間が、あの状況で勝利することなど、不可能なんだ。魔法を使用できれば、対策できたはずだが……。

「魔法を使用しただけで、勝敗が変わった」

 ブラウンの言うとおり、レナードが勝利できたのは魔法を使用したからだろう。

「他国の国民を殺さなかった俺達は本当に正しかったのか?」

 ブラウンの疑問に誰一人答えようとはしなかった。

 沈黙が流れる。

「正しかったわよ」

 扉を開けてアーセナル達が部屋に入ってきた。

 無事に歩けていることから、アーセナルは大怪我はしていないのだろう。

「私がレナードに負けたとしても、他国の国民を殺していい訳ではないわ」

 レナードに敗北しても、アーセナルは意見を変えないようだ。

「きっと他国の国民を殺さないでバルトの国民を守る方法があるはずだよ。諦めないで、その方法を皆で探そう」

 アリシアの発言に対しスペンサーは自信の意見を述べる。

「そんな方法あるわけがない。……他国の国民を殺すしかねぇんだよ」




 翌日の午後、僕達はオルロの町に来ていた。

 今日の朝、ブラウンが気分転換に町に出ようと皆に言ったためである。最初は皆乗り気ではなかった。それもそうだろう。罪のない住民を殺してきた部隊の隊員がバルトの住民に合わせる顔など、ないはずなのだから。

 しかし、何かを変えたいと思ったのか、もしくは、ブラウンの善意に気づいたのか分からないが、提案を皆は承諾した。僕も了承している。理由は、何か変わるきっかけでも作れたらいいと思ったからだ。 

 僕達は現在、オルロの街路を歩いている。

 口数は少なく、皆の表情は暗く重い。

 しばらく歩いていると前方に開けた場所が見える。

 そこは、広場だった。

 広場にはいくつもの露店があり、中央には大きな噴水があった。親子が手をつないで歩いている姿や、子供達が遊んでいる姿、大人達が笑い合っている姿などがあって、広場は活気に満ちあふれている。

 その広場はウォルンにあった広場と酷似していた。

 あのときの、ウォルンの惨劇が脳内に思い出させられる。胸が痛くなった。心が苦しくなった。

「あそこに、クレープ屋さんがあるよ。皆で食べよう」

 アリシアは暗い気持ちを変えようとしてくれたのだろう。

「俺は甘いものは苦手なんだ」

 そう言ったスペンサーを「大丈夫。おいしいはずだよ」とアリシアは言ってスペンサーの手を掴んで強引に連れて行く。

 僕達もアリシアの後を追って、クレープ屋に向かった。

「クレープ。七個お願いします!」

「二千百ディールだよ」

 クレープ屋の店主は陽気そうな女性だった。

アリシアはお代を店主に払おうとする。しかし、店主は受け取る動作を見せず、僕達を凝視していた。

 僕達の顔に何か付いているのだろうか。

「あんた達、兵士だろ」

「え、なんで知っているんですか?」

 驚いたような動作をアリシアは見せる。

 何故、僕達が兵士だと知っているのだろう。この広場にも、この露店にも来たのは今日が初めてだというのに。

「昨日、兵士達が帰還しただろう。その時にあんた達の姿を見たんだよ」

 オルロの街路を進行している時に僕達の姿を見たのか。

「お代はいらないよ」

「それは困ります」

 お代を拒む店主にアリシアは代金を渡そうとする。

「兵士にはいつも、私達を守ってもらってんだ。サービスぐらいさせてくれ」

 そう言われてしまったら、渡せないだろう。

「ごちそうになります」

 アリシアは感謝を伝える。

「お姉ちゃん達。兵士なの?」

 十歳ぐらいの少年がそう訪ねてくる。

「……うん。そうだよ」

 アリシアは低い声で返答した。

「すっげー! じゃあさ、魔法を使って戦ったりするの?」

 兵士と分かった途端、少年の声は大きくなる。興奮しているようだ。

「私達はまだ使えないの……」

「でも、これから疲れるようになるんだろ。国民を守って、戦うなんてかっこいいな!」 目を輝かせて僕達を見てくる。

「俺は兵士になるのが夢なんだ。大きくなったら敵の兵士を倒して、バルトの人達を守る。そして、母ちゃんを内地で暮らせるようにするんだ」

「こいつは私の息子なんだ。兵士になれるはずもないのに、ずっとこんなことを言っている。あんた達からもなんか言ってくれ」

「……」

 誰も口を開こうとしなかった。

 そんな中、アーセナルが沈黙を破り、発言する。

「あんたなんかじゃ無理よ」

 アーセナルは少年にそう言い捨てた。

「何で無理なんだよ」

 少年はアーセナルに反論する。

「兵士はとっても大変な職業なの。人を殺める職業なのよ」

 アーセナルが少年に強い口調でそう言い放つ。

「そんなの分かっているよ」

「分かっていないわ!」

 アーセナルの声が轟き、一瞬広場が静まりかえる。

「お姉ちゃん。怒っているの?」

 六歳ぐらいの少女がアーセナルに近づき、服の袖を掴む。少女は心配そうな表情でアーセナルを見つめていた。

「こいつは恥ずかしがり屋なんだ。一緒に遊んでくれないか?」

 ブラウンが少女に提案する。

「何、ふざけたこと言っているの」

 アーセナルはブラウンを睨み付けた。

「遊ぼう?」

 上目遣いで少女はアーセナルを見る。

「……分かったわよ」

 少女はアーセナルの手を掴んで、広場の中央に走って行った。

「ごめんな。坊主。あいつは真面目なんだ」

 少年にブラウンが申し訳なさそうに謝る。

「兵士が大変なことを知らずに、失礼なことを言った私の息子が悪いんだよ」

 クレープ屋の店主はそう言った。

 その後、店主からクレープを受け取る。

「とってもおいしいです」

 クレープの感想をアリシアが店主に伝えた。

「当たり前だろ。私が作ったんだから」

 アーセナルが失礼な態度をしたのに、店主は怒っていなかった。

 食べた後、僕達は広場を眺めていた。

 広場の中央から、子供とアーセナルの声が聞こえてくる。

 五人の子供とアーセナルは仲睦まじく、遊んでいた。

 暗かったアーセナルの表情には少しずつ元気が戻っているように見える。

 先ほど一瞬、広場は静寂に包まれたが、今はもう賑やかになっていた。

 温かい光景が僕の目の前には広がっていた。

「オルロもいいもんじゃろ」

 七十代ぐらいのお爺さんが僕に話をかけてくる。

「そうですね。とっても暖かい町だと思います」

「収入は低く、危険もあるが、オルロは他のどの都市よりも、住民達の仲がいい、暖かい町なんじゃ」

 オルロはエルトニアと隣接する都市なため、危険がある。収入も低い。インフラなども適切には整備されていない。しかし、辛いことばかりではなく、この町の良さもあった。人と人が密接に触れ合って、助け合っているため、暖かい都市なことだ。

「しかし、他国の攻撃を真っ先に受けるのは外面の都市です」

 スペンサーがお爺さんに発言する。

「そのための、おぬしらじゃろ。オルロの人達をどうか守ってくれ」



 空が赤くなり始めた頃。僕達はまだ広場に残っていた。

 広場には人一人いない。夜が近づいているためだろう。

 子供達と別れたアーセナルがこちらに近づいてきた。

「ずいぶんと楽しそうだったな」

 スペンサーは口角を上げて、アーセナルをからかう。

「楽しくなんてなかったわよ。仕方なくよ」

「意地を張るなって」

 ブラウンのことをアーセナルは睨み付ける。

 その光景を見て僕達は笑った。

 笑ったのはいつぶりだろうか。辛いことが多すぎて、思い出せない。

「ウォルンの住民も俺達が攻め入るまでは、こんな風に暮らしていたんだろうな」

 広場を眺めながら、ブラウンがそう呟いた。

 ブラウンに続いて、スペンサーも口を開く。

「その人達をバルトの兵士は殺したんだよな」

「……」

「やっぱり他国の国民を殺すのは間違っていると思う」

 アリシアが沈黙を破って言葉を述べる。

「私もそう思います」

 アリシアに続きレイラも自身の意見を発言した。

「それは分かっている。だが、他国の国民を殺さなければ、バルトの国民を守れないだろ」

 スペンサーが現実をつきつける。

「もう一度探そうよ。両方とも犠牲にならない方法を」

 ヘンメリーはそう言った。

「探しただろ。それでないって事が分かったじゃないか」

 ヘンメリーの意見にスペンサーが反対する。

「ならスペンサーは他国の国民を殺せるの?」

「……殺せねぇよ」

 俯きながら、スペンサーはそう述べる。

「ならもう一度探そうよ」

「……分かったよ」

「みんなも他国の国民を犠牲にせず、バルトの国民を守る方法を探すのを手伝ってくれないか?」

 ヘンメリーの問いに皆は賛成の意思を示す。

 先ほどまであった暗い雰囲気はなくなり、僕達はやる気に満ちあふれていた。

 一度絶望に落ちたが、もう一度光が見えた。

 次こそは、この不条理な現実を変える。僕はそう思った。




 軍に帰ったその日から、僕達は集まって、他国の国民を犠牲にせず、バルトの国民を守る方法を考え始めた。

 その日、複数個、発案はされたが、そのどれもが、現実的ではなかった。それもそのはず、僕達はその方法を何度も考えてきたが、全てが、現実不可能だったのだ。そう簡単に見つかるはずがない。

 現実的ではないと分かっても、僕達は気落ちしていなかった。皆の表情はやる気に満ちあふれている。

 その日は、夜も遅かったため、明日も集まることを約束して、解散をした。

 予定通り、翌日も、午後の訓練が終わり次第、僕達は集まって案を考えていた。

 話し合って、三時間ほどした頃、その方法が思いつく。

他国の国民を犠牲にせず、バルトの国民を守る方法が思いついたのだ。

 しかし、その方法を精査していくと、欠陥が見つかった。欠陥は直せるものではなく、その方法は実現不可能と知る。

 まだ、二日目だ。それぐらいで、諦める訳がない。僕達はその日以降も、他の方法を探し続けた。

 それからは、地獄だった。

 思いついては、現実不可能と知り、他の方法を探す。それを幾日も繰り返したんだ。

 日が経つにつれ、現実を知っていく。精神的疲労は高まり、険悪な雰囲気が部屋に充満していった。

 日数を重ねるごとに、出る案も少なくなっていく。

 方法を考え始めてから、二十日目には案が出ることはなくなっていた。

 それ以降、僕達は案を考えていない。

 他国の国民を犠牲にせず、バルトの国民を守るなど、無理と理解したからだ。 

 だが、僕達は翌日も集まっている。案を探そうとはしていない。ただ集まっているだけ。

 集まることを止めてしまったら、認めることになると思っていたからだ。

 そこに希望はない。あるのは底なしの『絶望』だ。




 ウォルン殲滅作戦から一ヶ月が経った日の夜中。

 廊下から聞こえてくる声で僕は目を覚ました。

 夜遅くに何事だろう。そんなことを思って、ベッドから出た僕は廊下に行こうとすると、部屋の扉が開いた。

「お前ら起きろ! 今すぐに、屋外訓練場に行け」

 上官らしき男性兵士が声を荒らげて、僕達にそう告げる。

その言葉を聞いた皆は起き上がり、急いでベッドから出て、上官の前に立った。

 こんな、夜中に起こされたこともあり、皆、困惑した表情をしている。

「何があったのでしょうか?」

 こんな夜中に屋外訓練場に集まるなんて、ただ事ではないと思った僕は質問をする。

「それは屋外訓練場で話す」

 そう言って男性兵士は部屋を後にした。

 男性兵士は焦っていた。あの様子や口調から考えて、良いことが起きたとは思えない。

 そして、夜中に集まるなんて、軍に入隊してから一度もなかった。何か非常事態が起きているはずだ。

 僕はそれらの要素を元に、一つの推測を立てた。

 他国がオルロに攻めてきているという推測。

 僕はそんなはずはないと考えて、皆と一緒に屋外訓練場に向かった。

 


 全兵士である千名の兵士は屋外訓練場に集まり、整列をしている。

 兵士達の表情は、夜中に屋外訓練場に集まるという異常事態のせいか、動揺しているように見えた。

 その兵士達の前にはヴェルナルディー大佐が堂々と、立っている。動揺は微塵もしておらず、厳かな雰囲気を漂わせていた。

 ヴェルナルディー大佐の口が開く。

「エルトニアの軍隊がオルロに向かって進行しているとの情報を偵察隊から受けた。一時間後にはオルロにたどり着くそうだ。敵の数は二千。オルロの兵士は千しかいないが、魔力保有量はこちらの方が上だろう。そのため、勝利できるはずだ。オルロを死守せよ。以上だ」

(嘘だろ……)

 僕はヴェルナルディー大佐の言葉が理解できなかった。

 一時間後にエルトニアがオルロに攻撃を仕掛けると言われ、誰が平然と納得できようか。

 推測は当たっていたんだ。最悪な形で。

 一時間後という言葉が僕の身を焦らせる。

(魔法を使用しないで、どうやって、戦えばいいんだ……)

 僕達はオルロの人々を守れるのか。魔法を使用できないのに……。

 ヴェルナルディー大佐が下がった後、ルイーザ中佐が前に立ち、部隊は既に割り振られていること、部隊の上官の命令に従うこと、攻めてくるエルトニアに対する防衛戦略を全兵士に伝えた。

 



兵士達はそれぞれの部隊に分かれて、今後のことを話し合っている。

 僕の部隊はウォルン出陣の時と全く同じ人員だった。

 指揮官であるヘカート少佐が整列する兵士の前に立って話し始める。

「敵は魔力を増加させようと、オルロに侵入しようとしてくるはずだ。その敵兵士達をオルロに侵入させないことが今作戦の目的だ。オルロの町に敵の兵士が一人でも侵入されたら、全住民が殺されると思え」

 オルロの住民の生死が僕達兵士に懸かっている。その事実が僕の心に重くのしかかる。

 重圧のせいか、体は小刻みに震え、息が荒くなる。

「都市を防衛するために、オルロの兵士は都市を後方にして戦闘することになる。また、オルロの部隊は上が命令した兵士達と戦闘をする。その兵士達は上が適切と判断した兵士だ。……なんとしてでもオルロを防衛しろ」

 上の人達は魔力保有量を基準にして、判断しているのだろう。つまり、敵の全兵士の魔力保有量を測定し、オルロの兵士が有利になるように戦わせるということだ。

 オルロの兵士は自身より、魔力保有量が低い相手と戦う。魔力保有量が多い方が戦闘は有利になるため、オルロの兵士は作戦通りにいけば、原則、負けることはないはずだ。

 今作戦は理論上、負けることがない完璧な作戦であった。

 しかし、僕には疑問があった。   

(魔法を使用できない僕達は誰と戦うのだろう)

 僕達が戦える相手などいるのか……。

 その後、武器や物資の準備をしろと命令を下され、僕達は武器庫に向かった。




 僕達は武器庫に来ていた。

 武器庫には剣や銃器などの多くの武器が置かれている。

 室内はその多くの武器から漂う鉄の匂いが充満していた。

 数十分後には出陣するため、引っ切り無しに兵士が武器庫に出入りしている。

「魔法を使えない私達に戦える相手なんているのかな」

 アリシアは焦燥に駆られているような口調でそう呟く。その表情は焦っているように見えた。

 焦っているのはアリシアだけではない、皆、焦燥感に包まれている。

「魔法を使用できないエルトニアの新兵と戦えばいいのではないですか」

 レイラが言っている魔法が使用できない新兵とは、初陣である、人を殺したことのない新兵のことを言っているのだろう。確かに、魔法を使用できない兵士との戦闘であれば、互角に渡り合えるだろう。

「今攻めてきている兵士の中に、魔法を使用できない新兵がいないかもしれないだろ」

 僕もスペンサーと同じ事を考えていた。魔法を使用できない新兵が敵兵には、いないかもしれないと。

 敵が今回、運良く初陣である新兵や魔力を増加させることを拒否した兵士を引き連れているとは、考えづらいのだ。

「たとえ、魔法を使用できない新兵がいたとしても、戦闘を仕掛けてはこないだろう。新兵は貴重な人材なはずだ。後方で守られ、危険がなくなった時にだけ、オルロに侵入し、魔力を増加させるはずだ」

 ブラウンの考えは正しい。ウォルン出陣の作戦は僕達新兵の安全を考えた作戦だった。エルトニアも同じように考えているはずだ。そのため、仮に、魔法が使用できない新兵が敵にいたとしても、後方に陣取っている確率が高く、僕達が戦闘をできる訳がないのだ。

「魔法を使用できなくても、敵兵士に勝てる可能性はあるはずだわ」

「お前が一番分かっているだろ! 魔法を使用できる兵士には勝てないことを」

 スペンサーがアーセナルに現実を叩きつける。

「……魔法を使用できる兵士と戦うしかないのか」

 ブラウンはそう呟く。

 僕達が魔法を使用する兵士と戦うことに消極的な理由は、自身が危険になるからではない。他の理由がある。僕はその理由を述べる。

「僕達が負ければ、僕達が防衛するところから兵士が侵入するんだよね」

その言葉を機に場に静寂が流れる。

「……私達のせいでオルロの住民が殺される」

 絶望の表情を浮かべたアリシアがそう呟く。

それを聞いた皆の表情は沈痛な面持ちとなっていった。




オルロ防衛戦略概要


 目的……増援が来るまで、エルトニア兵をオルロに侵入させない。

 

 戦略……オルロの兵士が魔力保有量で有利になるように、エルトニアの兵士と戦わせること。

 オルロの兵士より、エルトニア兵士の人数の方が多い。しかし、魔力保有量はオルロの兵士の方が多いと予測した。そのため、オルロの兵士を魔力保有量が有利になるように、エルトニアの兵士に割り振れば勝利できる。

 

 戦術

 一 エルトニアの全兵士の魔力保有量を測定し、オルロの兵士が戦闘時、魔力保有量で有利になるような環境を作る。

 二 エルトニア兵の行動の変化に合わせて、自軍の兵士を適切に割り振る。




 魔法名


索敵魔法……自身の魔力が漂っている範囲内に存在する物の形などを理解することができる。また、魔力で人を覆うことで、その者の魔力保有量を理解可能。


 移動魔法……手や足裏から魔力を放出することで高速移動ができる。


 浮遊魔法……足裏から魔力を放出することで空中に浮遊し、飛行することができる。


 照準魔法……銃口から線のように細い魔力を的に放出する魔法。照準を定める魔法である。 


 攻撃魔法

 魔弾……魔力を結合して作られた弾丸。銃を使用しなくても、手などから、射出可能。しかし、命中率は下がる。


 分裂魔弾……分裂する魔弾


 誘導魔弾……追尾する魔弾


 爆裂魔弾……圧縮を解き放つことで、魔力を爆散させる魔弾。密度を高めた魔弾は全て、爆裂魔弾になりうる。


 纏……身体、武器、物に魔力を纏わせること。身体に纏わせた場合、防御にもなる。


 飛来斬……剣を経由して、魔力を飛ばすこと。斬撃が飛んでいくように見える。


 

 防御魔法

 魔力壁……魔力で作られた壁


 全纏……身体に魔力を纏わせること。


 全纏球……全身を球体状の魔力で囲むこと。

 



 第八章




 準備を終えたオルロの兵士は、エルトニアの兵士を迎撃する場所に向かって進行を始めた。

 僕の部隊は隊列の後方に位置し、現在オルロの街路を進行中だ。

 兵士は中央道路を歩いている。

 左右の歩道には大勢の住民の姿があった。老婆は体を震わせ恐怖している。男性は地面に視線を向けて歩いていた。少女は恐怖から、母親の手を強く握りしめている。住民達は迫り来るエルトニア軍に恐怖し、怯えていた。

 避難所に住民達は向かっている。しかし、急な避難勧告と、この人だかりだ、避難所に行けない人々も大勢いるだろう。

 また、都市外に逃げる者はいない。逃げたところを標的にされるためだ。

「どうか守ってくれ」

「エルトニアの兵士達を倒してくれ」

「オルロを守って」

 住民達は兵士にそれぞれの願いを懇願する。

 投げかけられる言葉が重圧として、僕の心に重く伸し掛かった。

 住民達の命が僕達に懸かっていることが再び理解される。

 魔法を使用できない僕にこの人達を守る事ができるのか……。

 もし、僕がエルトニアの兵士に負ければこの人達が死ぬ。

 そう考えると焦燥感が襲ってきた。手からは大量の汗が流れ出てくる。体は小刻みに震え出す。

 エルトニアの兵士を倒すしかないんだ。倒せるはずだ。そう自分に何度も言い聞かせた。

 僕の部隊はオルロの門を抜けた。

 オルロの都市から五百メートルほど離れた場所で進行は止まる。

 ここがエルトニアの軍隊を迎撃する場所なのだろう。

 辺りには木々一本ない。そのため、遠くまで見渡すことができる。

 まだ、エルトニア軍はたどり着いていないようだ。

 ヘカート少佐はその場に部隊を待機させ、一人で前方に向かって歩いて行った。指揮官同士で話し合っているのだろう。

 また、他の部隊が移動する気配はない。エルトニアの軍隊が現れた後の行動に合わせて部隊配置を決めるためだ。

 僕は部隊が動くまでの間、エルトニアの兵士と戦闘をする際の戦略を考えていた。しかし、いくら考えても、有用な戦略は思いつかない。それもそのはず、魔法を使用できない者が魔法を使用できる者に勝てる確率など、ほとんどないのだから。

 数分後、前方にエルトニアの軍隊が姿を見せた。

 暗闇に包まれて、見えていなかったが、すぐ近くまで来ていた。

 その距離、僅か一キロ。

 エルトニア軍が、横に並んで進軍している。

 二千名のエルトニア軍は強大に見えた。数の暴力だ。

 人数だけで見れば、こちらの圧倒的不利だろう。だが、戦力は人数や武器よりも、魔力保有量が一番に優先される。

 ウォルン出陣時に一五名もの敵兵士を無傷で殺したオーステン少尉のことを思い出す。

 ヘカート少佐が言っていたように、武力の序列は魔力保有量がものを言うのだ。

 ヴェルナルディー大佐が魔力保有量はこちらの方が多いと言っていた。そのため、真正面から戦闘すればオルロが勝利するだろう。

 しかし、今回は防衛戦だ。エルトニアの兵士はオルロの兵士に勝たなくてもいい。オルロに侵入さえすればいいのだ。侵入すれば、オルロの住民を殺し、魔力を増加できる。そうすれば、魔力保有量がオルロの兵士より上回るのだから。

 エルトニアの兵士は、多くの魔力を増加させることが出来るが、オルロの兵士は魔力をほとんど増加させることができない。

 エルトニアの兵士の魔力補給源が、オルロの国民とオルロの兵士に対して、オルロの兵士は魔力補給源が敵兵士しかいないからだ。

 そのため、エルトニアの合計魔力保有量がオルロより、上回った時点でオルロの敗北が決まるだろう。敗北とは全住民が殺されるということだ。兵士も為す術なく殺されるだろう。

 前方から大量の微少な魔力が飛んでくる。その微少な魔力はオルロの軍隊を包み込んだ。魔力保有量を測定しているのだろう。

 しばらくして、エルトニアの軍隊は複数の部隊に別れて、移動を始めた。

 それを待っていたかのように、オルロの兵士達は魔力保有量を測定するためにエルトニアの全部隊に向けて、微少な魔力を放出する。

 魔法の訓練はこの一ヶ月で何回も受けた。魔力保有量の数え方、測定方法も教えられていた。

 魔力保有量の数え方は人が生まれながらに持つ魔力保有量を基準にしている。そのため、弾丸一発の魔力量が魔力保有量一と判断される。そして、人を一人殺せば、相手が生まれながらに持つ魔力保有量、つまり、弾丸一発の魔力量が自身に吸収されるので、魔力保有量二と判断される。

 魔力保有量の測定方法は微少な魔力で相手を覆うことだ。そうすると、現時点で相手が保有する魔力が形となり、見えてくる。そして、弾丸一発を基準にして測定するということだ。数字で表れる訳ではないため、大体の予測と考えた方がいいだろう。  

 数分後にヘカート少佐は部隊に戻ってきた。

 エルトニアのどの部隊と戦闘をするか決まったのだろう。

「我々が戦闘する部隊が決定した。その部隊は現在、右方向に向かって移動している。我々の部隊は今からその部隊を追いかける」

 そう言って部隊は移動を始めた。

 僕の部隊が動くのと同時刻にオルロの軍隊は複数の部隊に別れて、それぞれの標的の部隊を追いかけ始めた。

 僕の標的の部隊は都市の右側で止まった。他のエルトニアの部隊はオルロの後方に向かって移動をしている。

 全体を見渡せば、エルトニアの兵士達が、都市を取り囲んでいることが分かった。都市を取り囲んで、一斉に攻撃を仕掛ける人海戦術だろう。

 前方にいる標的の部隊が二つの部隊に別れ、僕達部隊に向かって疾走を始める。部隊の後方に存在するオルロに侵入するつもりだろう。

「ルナ少尉。二つの部隊の魔力保有量を調べろ」

 ヘカート少佐の命令に従い、ルナ少尉は索敵魔法を行使する。

 ルナ少尉の掌から、微少な魔力が前方に向かって放出された。

 微少な魔力は二つに分岐し、エルトニアの二つの部隊を包み込む。

「前方の部隊の魔力保有量は三十から七十です。右方向の部隊は千から五千までの兵士が十一名。五千から一万までの兵士が七名。一万から五万までの兵士が三名。十五万から十六万までの兵士一名です」

 ルナ少尉が発言していく、敵兵の魔力保有量が上昇していくと供に、僕の体は震えだし、恐怖が身を包み込む。

(魔力保有量が十五万から十六万?)

 僕は、その膨大な数値を理解することができなかった。 

 だって、魔力保有量が十五万から十六万と言うことは、十五万から十六万人の人間を殺してきたということなのだから……。

 僕は、再び理解する。

 罪もない大勢の人間を殺した殺人鬼達が、自国の国民を守るために戦争を行っている場所。今、僕が立っている戦場とは、そういう場所なのだと。

「新兵以外の兵士は右方向の部隊と戦闘する。新兵はレナードを指揮官として、前方の部隊と戦闘をせよ」

 ヘカート少佐はそう言って、新兵達を残し、兵士達を連れ、右方向の部隊の元へ向かって行った。

 新兵は最初から魔力保有量が三十から七十の兵士と戦闘をする予定だったのだろう。つまり、魔法を使用できない兵士は敵には存在せず、魔力保有量が三十から七十が敵の兵士の中で一番、魔力保有量が低かったということだ。

 魔法を使用できる兵士と戦うと分かっても、怖じ気づいてはいない。

 疑問はある。本当に魔法を使用できる敵兵士を食い止めることができるのかと。だが、食い止めるしかないのだ。もし、僕達が突破されれば、オルロの住民達が殺されるのだから。

 オルロの住民を守るために、敵兵士を食い止める。

 僕は弱音を押し殺し、そう決意した。

 指揮官に任命されたレナードは動揺しているようだった。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、新兵全員に向けて声をかける。

「敵の兵士の数は十四だ。そのため、魔法を使用できない兵士にも戦ってもらう。俺は今から、敵兵の魔力保有量を測定する。その後、お前達の戦闘をする相手を言っていくから、聞き逃さないでくれ」

 魔法を使用できる兵士が一四名いる敵に対して、こちらは、魔法を使用できる兵士は十名しかいない。そのため、魔法が使用できる四名の敵兵士を、魔法を使用できない十名の兵士で食い止めるしかないのだろう。

 また、戦略らしい戦略はないらしい。

 敵は全員である十四名が魔法を使用できるのに対し、こちらは十名しか魔法を使用できない。そのような不利な立場で有用な戦略など存在しないのだろう。僕も考えてみたが、思いつきそうもなかった。

 できることと言えば、レナードが言ったように敵兵士達の魔力保有量を測定して、オルロの兵士が有利になるように、戦闘をさせるぐらいだ。

 レナードは、右手を向かって来る敵兵士達に向けて、索敵魔法を行使する。

 右手から、微少な魔力が放出され、敵兵士達に向かって行く。

 僕はそのまま、微少な魔力の先にいる敵兵士達に目を向ける。

 右方向の部隊は飛行していたが、前方の部隊は走って向かってきていた。足裏から微少な魔力を放出して、移動速度を上昇した走行ではない。至って普通な速度の走行だ。保有する魔力量が少ないため、魔力を無駄にできないのだろう。

 そう思った矢先、十名の敵兵が微少な魔力を足裏から放出して、飛行し、凄まじい速度で僕達の部隊に向かってくる。

 十名の敵兵が飛行し、こちらに向かってきた瞬間、レナードは、索敵魔法を中断させ、叫んだ。

「飛んでくる敵兵達を撃て!」

 その声を聞いた新兵達は急いで銃を構えて、一斉に飛行する敵兵めがけて射撃する。しかし、微少な魔力を纏っているのか、弾丸は跳ね返された。

 敵兵は減速することなく、凄まじい速度で飛行し、こちらに向かってくる。

(このまま行くと、敵兵は僕達新兵を通り過ぎて、オルロに侵入してしまう……)

 そう考えていると、レナードは新兵に向けて声をかける。

「魔法を使用できる兵士は、上空の兵士に近接攻撃を仕掛けるぞ。地上に残っている四名の敵兵は残った兵士で食い止めろ」

 レナードはそう言って、魔法が使用できる九名の新兵を引き連れ、浮遊魔法を発動させて、飛行する十名の敵兵めがけて飛んでいく。

 そして、オルロの新兵達は飛行する十名の敵兵に各々、剣を使った近接攻撃をけしかけた。

 飛行する敵兵達は何とか、食い止められた。しかし、敵兵はまだいる。

 地上から攻めてくる四名の敵兵だ。

 現在、残り四名のエルトニア兵は魔法を使用できない僕達新兵の元に疾走し、近づいて来ている。

「魔法を使用しないで戦うなんて、無理だよ」

「勝てるわけないよ」

「無謀だよ」

 三名の新兵がそう呟き、俯く。

 敵を目の前にして、怖じ気づいてしまったのだろう。この三人は使い物にならないと考えた方が良いな。

「コルトとヘンメリーは左側の兵士。スペンサーとアーセナルは左から二番目の兵士。レイラとアリシアは左から三番目の兵士。俺は四番目の兵士を相手にする」

 三人の兵士は使い物にならないと判断したのか、ブラウンはそれ以外の兵士の戦う相手を皆に伝えた。

「私が一人で戦うわ」

 アーセナルは意地を張っている訳ではない。この中で自分が一番強いと考えた上で発言したのだろう。

「分かった。俺は左側から二番目の兵士と戦う。アーセナルは左から四番目の兵士と戦ってくれ」

 反論することもなく、ブラウンはアーセナルの案を了承する。

 僕達はそれぞれの相手に向かって走り出した。




 僕とヘンメリーは一番左の兵士に近づくため走っていた。

 四人の敵兵士は、二十メートルほど距離が離れている。突破をされたら、助けにいけない距離だ。

 つまり、自分達の敵は自分達で食い止めなければならない。

 前方の敵に意識を集中させる。 

 敵の姿が鮮明に見え始めた。銃は保持していなく、右手に剣を持っている。

 両者の距離は三十メートル。

 そして、相手との距離が数メートルまでに近づく。

 右手に持った剣で、僕は敵の右胸から左脇に沿って斬りつける。

 敵はなんなく、剣で斬撃を防いだ。

 両者は後方に下がろうとせず、刃を互いに押し合う。

 相手の力は自分より強く、やや、押され気味だ。魔法を使用していなくても、十分に相手は強い。

 敵は左手を僕の顔にかざす。

 魔弾でも撃つつもりか。この至近距離で魔弾を受ければ、僕は避けることもできず、即死する。最悪な結末が頭をよぎった。

 後方からヘンメリーが敵の背中に剣を振るう。

 敵はそれを分かっていたかのように、僕の顔にかざしていた左手をヘンメリーに向けた。

 ヘンメリーの危険を察知した僕は右手で相手の頬を殴りつける。

 敵の左手から魔弾は射出されたが、殴られた衝撃でヘンメリーには当たらなかった。

(作戦通りだ)

 僕達は敵の兵士を殺せると思っていない。魔法を使用できる兵士には勝てないと理解しているからだ。

 目的は増援が来るまでの時間稼ぎ。

 レナードが伝達魔法を使って、増援を呼んでいるはずなのだ。

 伝達魔法とは、魔力を放出し、読ませたい人の前で魔力を伝えたい文字の形にする魔法だ。

 戦略は相手に考える余裕を与えないこと。

 レナードのように全纏球を使った戦術をされたら、僕達は瞬殺されるだろう。しかし、それはやってこないと予測した。

 球体状の魔力で自身を覆う全纏球は、膨大な魔力を使用するためだ。

 僕達を殺したとしても、オルロまで五百メートルある。移動時に速度を上げるため、魔力を温存させるはずだ。つまり、相手は魔力を無駄遣いできない。

 だが、少ない魔力量での攻撃でも十分脅威となり得る。魔力は体内から放出されても三十秒間は消失しない。そして、三十秒間、自由自在に動かせるためだ。誘導魔弾などを射出されれば、僕達は為す術がない。

 しかし、事前に考えて、魔力を放出させなければいけないのだ。ならば、考える時間を与えないようにする。そうすれば、魔法の強みを弱められるはずだ。

 そのため、挟み撃ちという戦術を使っている。両方から攻撃することで考える余裕はないだろう。

 そして、一方を攻撃しようとしたら、もう一方がそれを阻止する。そうすることで時間を稼げると考えたのだ。

 敵がヘンメリーの腹部めがけて、剣を横一閃に繰り出す。

 剣身は黒い。魔力を纏わせているのだろう。

 あれを剣では防げないと判断した僕は、敵の背中を斬りつける。

 ヘンメリーに攻撃しようとしているため、背中はがら空きだ。そのため、剣が直撃すると思っていた。

 しかし、敵に当たることなく、剣は空を切った。

 敵は僕に振り返らずに、左に避けていたのだ。

 辺りは微少な魔力が漂っている。索敵魔法を行使することで、見なくても僕の行動が分かるのだろう。

 敵に傷を与えることはできなかったが、避けさせたことで、ヘンメリーには攻撃できていない。

 僕とヘンメリーは無傷で、時間を稼げている。このまま、戦闘をすれば、増援まで食い止められそうだ。

 ヘンメリーと僕を交互に敵は見る。焦っているのだろう。

 敵は魔力を纏った剣を持っているため、近接戦闘は危険だ。

 僕とヘンメリーは数歩後ろに下がり、腰から拳銃を取りだした。

 その光景を見た、敵は僕めがけて、剣を投げつけた。

 剣の先端が額めがけて飛んでくる。

 予想外だった。

 魔力を纏った剣を投げるとは思わなかった。三十秒間は魔力は消失しないのだ。魔力を無駄にする行為だから、考えてもいなかった。

 しかし、普通に投げただけなので、かわすことはできる。

 左に僕は避けた。

 そして、前方を見ると、目の前には黒い魔力壁が作られていた。

 敵とヘンメリーの姿を魔力壁は隠している。

 魔力壁とは、魔力で壁を作り出すことである。ウォルン出陣時にヘカート少佐が憲兵から部隊を守るために作り出したモノも魔力壁だ。

 魔力壁の奥から、左方向にヘンメリーが凄まじい速度で飛んでいく。三十メートルほどの所で地面に落ちる。ヘンメリーが起き上がる気配はなかった。

 血は出ていなかったので、死んではいないだろう。

 魔力壁は消える。

 敵の手は黒かった。魔力を纏っているのだろう。

(あれで、殴られたのか……)

 先ほどまでは、二対一だったから、殺されなかった。

 しかし、ヘンメリーは戦闘不能。

 僕と敵の一対一。

(どうする……)




 アーセナルは敵の兵士と戦闘を始めて数分経っていた。

 体はボロボロだ。軍服は何カ所も破けている。破けたところから見える肌は切り裂かれ、流血していた。

 だが、敵の兵士は傷一つない。

 両者の傷の差が二人の戦力の差を如実に表していた。

 敵の兵士は銃を持っている。長くて大きい銃。あの銃の攻撃によってアーセナルは傷を負ったのだ。

 両者の距離は四、五メートルほど離れている。

 アーセナルは敵の兵士に向かって走り出す。

 相手に近づいて近接攻撃を仕掛けるしか、戦う方法がなかった。

 銃を使った、遠距離攻撃をしようとすれば、相手は魔力壁を使い、弾丸を防ぎ、魔弾を射出してくる。その魔弾が誘導魔弾だった場合、どんな動きをするか分かったものではないのだ。

 敵は足裏から微少な魔力を放出させ、勢いよく後方に下がっていく。

 そして、下がると同時に魔弾を射出してきた。

 射出された魔弾のうち二発は避けられた。しかし、一発が左太ももをかすめる。左太ももから少量の血が流れ出る。

 敵はどんどん後方に下がっていく。

 微少な魔力を足裏から放出して、後方に下がり、魔弾を射出してくる敵にアーセナルは、為す術がなかった。

 じわじわと傷を増やしていくだけ。

 しかし、敵の兵士は魔力をかなり減らしているはずだ。

 だからと言って、アーセナルは勝利できるとは考えていない。魔法を使用できる相手には勝てないと分かっているからだ。

 目的は増援までの防衛だ。

(増援はいつくるのよ……)

 どんどん離れていく敵に危険を感じたアーセナルは、腰から拳銃を取り出し、敵に発砲する。

 アーセナルの判断は正しい。これ以上距離を遠ざけられれば、誘導魔弾で殺されるのだから。

 敵は目の前に魔力壁を作ることで、弾丸を防ぐ。

 その時、敵の左肩を魔弾が貫通した。

 敵は撃たれた肩を押さえ、悶絶する。

 辺りを見渡し、敵は射撃した兵士を探す。

 魔弾は敵の後方から飛んできていた。

(増援が来た?)

 アーセナルは増援に期待を寄せていた。

 だが、敵の後方から現れたのはレナードだった。

 レナードは飛行し、アーセナルに近づいてくる。

 敵は魔弾をレナードに射出するが、レナードはそれを右手に持つ剣で防ぐ。

 そして、アーセナルの右横にレナードは着地する。

「増援はまだこないの?」

 アーセナルはレナードに質問する。

「増援の要請はした。しかし、『増援できる兵士はいない。お前達でその場を死守せよ』と文面が返ってきた」

「嘘でしょ……」

 アーセナルは絶望していた。

 敵を食い止められるはずがないからだ。

 魔法を使用できない兵士は、時間稼ぎはできるかもしれないが、勝利はできない。つまり、いずれ殺される。

 アーセナルにはレナードが応援に来てくれたため、敵を食い止められるかも知れないが、他の六人は増援が来ない。

 いずれ、六人は殺され、突破されるのだ。

 そして、オルロの住民達は侵入してきた敵兵に殺される。

 敵が魔弾をアーセナルに向けて射出する。

 その魔弾をレナードが右手に持つ剣で両断した。

「今は目の前の敵に集中しろ。この敵を殺したら、俺達が応援に行けばいい」

 レナードの言葉を聞いて、アーセナルは気持ちを切り替える。

「あいつに勝つには、どうすればいい?」

 アーセナルはレナードに質問する。

 それと同時に、敵は銃を捨て、腰の鞘から剣を取り出し、アーセナル達に向かって走ってくる。

 剣は魔力を纏っていて、黒い。

「俺は近接戦闘を仕掛ける。アーセナルは遠距離から銃を使って攻撃してくれ」

 そう言ってレナードは敵に向かって走り出した。

 遠距離射撃をするために、アーセナルは後方でリロードをする。

 リロード時、一時的にアーセナルは無防備の状態になった。今、攻撃でもされれば、殺されてしまうだろう。

 アーセナルに攻撃をさせないために、敵の腹部をレナードは斬りつける。

 それを敵は剣を滑り込ませ、防いだ。

 どちらの剣の纏も同じぐらいの密度なのか、互いに剣を押し合っているが、剣が破損するということはなかった。

 何故か、急にレナードは上半身を右方向にずらす。

 右方向に上半身をずらしたことにより、レナードの後方にいるアーセナルから、敵の上半身へと続く銃弾が通る道ができていた。  

 がら空きの相手の胸部めがけて、アーセナルは発砲する。

 敵は魔力壁を作り、弾丸を弾く。

 魔法を使用できない人間なら、今のレナードとアーセナルの連携による攻撃で即死だ。しかし、敵は魔法を使用できる。そのため、上手く対処されてしまった。

 次の射撃に備えて、アーセナルは再びリロードをする。

 回り込むように右にレナードは移動し、敵の頭部を斬りつける。

 その攻撃を敵は、剣で受け止めた。

 両者は互いに引こうとせず、剣を押し合う。

 レナードは自身に注意を向けさせるため、敵は後手に回ることで、戦況を支配されることを恐れているため、引くことができなかったのだ。

 その間にアーセナルは敵を覆うように左方向に移動し、敵の背中めがけて発砲する。

 先ほどと同じように、敵は魔力壁を作り、弾丸を弾く。

 分が悪いと思ったのか、敵はアーセナル達から離れて距離をとった。

 レナードが近接攻撃を仕掛けることにより、アーセナルに攻撃をさせないようにする。そして、遠距離からアーセナルが射撃する。そうすると、敵は防御魔法を使うしかなくなる。

 この方法なら少しずつだが、敵の魔力を削っていくことができる。敵の魔力が切れたときが、アーセナルとレナードの勝利だ。

 希望がアーセナルには見えてきていた。この戦術なら、時間稼ぎどころか、相手を殺す事ができるのだから。

(早く目の前の敵を殺して、皆を助けに行きたい……)

 アーセナルはリロードをし、敵を覆うように左方向に移動する。

レナードは敵を回り込むように右方向に移動して、左肩から右脇腹に沿って、袈裟斬りを繰り出す。

 この場合、レナードが袈裟斬りを繰り出すことで、相手は自信の剣で防ぐ。敵はレナードに意識を向ける。そのため、意識外の敵の後方からアーセナルは背中めがけて発砲ができる。

 今までの戦闘通り進めば、この流れになる。

 はずだった。

 敵はレナードの袈裟斬りを自身の剣で防がず、レナードの前に魔力壁を作ることで、袈裟斬りを防いだ。

 そして、敵は自身の後方にいる無防備なアーセナルめがけて、黒色の飛来斬を飛ばした。

 裏をつかれた。

 レナードの袈裟斬りを自身では防御せず、魔力壁で防ぐ、それによってレナードは自身に敵の意識を向けることができなかった。

 敵はレナードという敵が一瞬いなくなったことで、アーセナルに飛来斬を飛ばすことができたのだ。

 飛来斬は凄まじい速度で、一直線にアーセナルに向かっていく。 

(殺される……)

 アーセナルは死を覚悟する。

 しかし、いくら経っても、人間が肉塊になり地に落ちる音はしない。

 アーセナルは死んでいなかった。

 目の前にレナードが現れ、飛来斬を剣で防いでいたのだ。

 レナードが来た道のりには膨大な微少な魔力が漂っている。

 アーセナルを飛来斬から守るためには高速移動が必要だったのだ。そのため、膨大な微少な魔力を足裏から噴出させたのだろう。

「あんた。魔力が……」

 魔力量を心配したアーセナルが呟く。

「問題ない。魔力は、あと四十残っている」

 レナードは後方のアーセナルに自身の魔力量を教えた。

 アーセナルとレナードの距離は三メートルほど離れている。

 敵はレナードめがけて、魔弾を射出した。

その時、レナードの剣を纏っていた魔力が消失する。

 咄嗟の判断で、レナードは自身の前に魔力壁を作りだした。

 魔弾は魔力壁に直撃するぎりぎりで四つに分裂し、レナードの上空に軌道変換をして、アーセナルに向かっていく。

 敵はレナードを狙っていなかった。

 初めからアーセナルを狙っていたのだ。

 魔弾が四方からアーセナルに向かっていく。

 魔力壁がアーセナルの左右、後方に作られ、魔弾を弾く。

 アーセナルの目の前には、背中をアーセナルに向けたレナードが立っていた。

 レナードの真下の地面には血が滴れ落ちている。

 前方にレナードは崩れ落ちた。

(私を守った……?)

 自身の中から何かが、急激に押し寄せてくる。しかし、アーセナルは無理矢理それを押し殺し、敵に向かって走り出した。

 敵の右肩から左脇腹に沿って、アーセナルは袈裟斬りを繰り出す。

 アーセナルの剣もろとも、敵は両断しようとする。

 敵の剣は魔力を纏っている。しかし、アーセナルの剣は魔力を纏っていない。そのため、両者の剣が互いに打ち合えば、敵の剣は、アーセナルの剣を砕き、アーセナルの身体をも両断するだろう。  

 急停止して、アーセナルは後方に下がった。

 敵の剣は、アーセナルを両断することなく、空を切る。

 アーセナルは右方向から剣を相手の顔にめがけて、振り抜いた。

 斬撃を防ごうと、敵は魔力壁を作りだす。

 魔力壁とアーセナルの剣がぶつかる衝突音が戦場に鳴り響く。

 アーセナルの全力の一撃を受けても、魔力壁はびくともしていなかった。

 敵は剣をアーセナルの頭部の高さで、横一線に振り抜いた。

 アーセナルは剣で防御をするが、後方に吹っ飛ばされる。

 数メートルほど地面を転がり、仰向けになった。

 アーセナルの剣は折れていなかった。

 敵の剣は黒くなかったのだ。三十秒経って魔力が消失したのだろう。

 アーセナルが起き上がらないことを見て、敵はオルロに向かって走り出した。

 敵はアーセナルが生きていることは分かっていたはずだ。とどめを刺す時間がもったいないのだろう。アーセナルを殺さなくても、オルロに侵入すれば、いくらでも魔力増加できるのだから。

 アーセナルは敵を追いかけようとするが、脳震盪を起こしていたため、上手く体を動かせず、追いかけることができなかった。

 オルロに向かって疾走する敵の後ろ姿を見ていることしか出来ない。

 首をどうにか、傾けて、後方を見る。

 後方には、地面にひれ伏す、息絶えたレナードの姿があった。


 


 アーセナルとレナードを撃破した敵はオルロに向かって走っていた。

 進行方向には、三人のオルロの新兵がいる。

 近づいてくる敵に対して、三人の新兵は恐怖し、体を震わせながらも、手に持っている銃で射撃する。

 敵は易々と弾丸を避け、三人に向けて飛来斬を飛ばす。

 飛来斬は、避けることも、防ぐことも許さず、三人を両断した。

 真っ二つに切り裂かれた三人の肉塊が、地面に音を立てて落ちる。

 三人を殺した敵は後方に向き、コルト、スペンサー、ブラウン、レイラ、アリシアに向かって魔弾を射出した。

 射出された魔弾は、それぞれの標的に向かって飛んでいく。

 疾走する敵にオルロの新兵達は気づいていたので、当然のごとく魔弾を避けた。

 新兵達の意識が魔弾を避けることに意識が引き寄せられている、そのときに、一斉に敵兵士達はオルロに向かって走り出した。足裏から微少な魔力を放出させているため、かなり速い速度だ。

 敵は相手に直撃させるつもりで魔弾を射出した訳ではなかった。エルトニアの兵士達がオルロの兵士達を突破できるような隙を作るために、魔弾を射出したのだ。

 オルロの新兵達は死に物狂いで、敵を追いかける。

 しかし、敵の姿はすぐに、見えなくなった。

 魔法を使用できない新兵では追いつくのは不可能だったのだ。

 防衛は突破された。


 

 僕は走っていた。

 自身を追い抜いて、オルロに向かって疾走する敵を追いかけていた。

 敵の姿は既に見えていない。

 僕が、どんなに全力疾走で走ったとしても、敵には追いつかない。それは分かっている。しかし、走った。敵に追いつかないと分かっていても。

 僕達が敵を止めなければ、オルロの住民が殺されるからだ。

 後方から足音が聞こえてくる。

 振り返ると、オルロの部隊がこちらに近づいてきていた。

 六十名ほどいるだろうか。兵士達の体は傷だらけで、身体の至る所から流血している。肌が露出している顔、首、腕などには、近接攻撃を受けたのか、複数の打撲痕が見られた。 また、腕や指などの身体の一部がない者、被弾した痕跡がある者、深い切り傷や、刺し傷がある者などの致命傷を負った兵士達の姿も見られる。魔力で止血などをしているため、命に別状はなさそうだ。

 僕は止まって、部隊に言葉を投げつける。

「敵の兵士四名が突破しました。助けてください!」

 それを聞いた部隊の兵士達は、生気をなくしたように呆然と立ち尽くしていた。

 しばらくして、前方の指揮官と思われる男性の口が開く。

「左翼の部隊が壊滅した。左翼の部隊を壊滅させた部隊はここに向かってきている。エルトニアの右翼の部隊を壊滅させた我々はその部隊を食い止めるために、ここに来た」

 エルトニアの部隊を食い止めるために、ここに来たと言っている。しかし、僕の質問には答えていない。

「突破した兵士達はどうするのですか」

「……お前以外の新兵は既に撤退している。お前も撤退せよ」

 僕の質問に答えてくれ。

 何で答えてくれないんだ。

 このままでは、オルロの住民が突破した兵士達に殺されてしまう。

「答えてください! 突破した兵士達を野放しにするつもりですか」

「……我々の部隊は、今からここに来るエルトニアの部隊から、オルロを防衛しなければならない。そのため、突破した兵士達を追いかけることはできない」

「なら、僕が突破した兵士達を追いかけます!」

「追いかけてどうするつもりだ。魔力が増加した敵を、魔法が使用できないお前に殺すことができるのか?」

「……」

「お前にできることは何一つない。今すぐ撤退しろ」




 僕は教えられた撤退場所に向かって歩いていた。

 視界には地面だけが写っている。

 僕は何も出来なかった。

 今頃、オルロの住民達は突破した敵兵士達に殺されているだろう。

 敵を殺せなかった僕のせいで。

 敵を突破させた僕のせいで。

 敵と同等に戦う力がない僕のせいで。

 敵を殺す力がない僕のせいで

 あのときに、他国の国民を殺さなかった僕のせいで。

 他国の国民を殺していたら、こんなことにはならなかったんだ。

 敵を殺せたはずだ。

 殺せなかったとしても、食い止められたはずだ。

 突破されたとしても、追いつけたはずだ。

 国民は殺されなかったはずだ。

 全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。僕のせいだ。



 僕は撤退場所にたどり着いた。

 撤退場所は、周りよりも少し、小高くなっている。辺りには、木々一本生えていない

そこには、大勢の新兵達がいた。

 六十名ほどいるだろうか。

 新兵は百名いたはずだ。残りの四十名は……。

 新兵達の表情は重い。頭を抱える者。嗚咽をしている者。涙を流す者などの姿もあった。

「……コルト」

 前方には僕の名前を呼ぶブラウンがいた。

 ブラウンの周りに、皆も座っている。しかし、ヘンメリーの姿がなかった。

「ヘンメリーは一緒じゃないのか?」

 困惑した目でスペンサーは僕を見てくる。

「一緒じゃない。ここに来ていないの?」

「嘘だろ……」

 スペンサーは地面に視線を向け、両手で顔を覆う。

 ヘンメリーはここにはいない? 。 

 ここに来ていないのであれば、ヘンメリーは……。

「ヘンメリーは戦闘中に殴られて、気絶したんだ。僕があのまま放置したせいだ」

「……」

「まだ死んだわけじゃないよ。他の部隊に救助されているかもしれないし」

 ……アリシアの言うとおりだ。ここにいないだけで、ヘンメリーが死んだとは限らない。

ヘンメリーは生きている。僕はそう自分に強く言い聞かせた。

 レナードがいないことに、僕は気づく。

「レナードはどこにいるの?」

「……」

「レナードは私のせいで死んだわ」

 アーセナルはそう答えた。

 それ以上アーセナルは語ることなく、俯いている。

 僕達はそれ以降、会話をすることはなかった。




アーセナルはコルトが来る二十分前に撤退場所にたどり着いていた。

 死亡したレナードをアーセナルは背負っている。

 撤退場所には新兵が三十名ほどいた。他の皆はまだ、たどり着いていない。

 多くの新兵が気力をなくしているにもかかわらず、辺りを見渡しながら、歩き回っている男女の新兵が二人いた。レナードといつも一緒にいた新兵達だ。

 レナードを背負ったアーセナルを見た二人は、アーセナルに歩み寄ってきた。

 アーセナルは二人の前にレナードを仰向けになるように、地に下ろす。

「嘘だろ……」

 二人は信じられないといったような表情をしていた。

 男性はしゃがみ込みレナードに声をかける。

「起きろ! レナード」

 声をかけられても、レナードはぴくりとも動かない。

「お前が死ぬわけないだろ。早く起きろよ……」

 レナードの応答が返ってこなくても、男性は声をかけ続ける。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も……。

「どうして……」

 女性は力を失ったように膝を地面につき、涙を流す。

「レナードは私のせいで死んだわ」

 アーセナルは二人に自身の罪を告白する。

「どういうこと」

 女性はアーセナルに問いただす。

「私を守るために、レナードは殺された」

 それを聞いた女性は立ち上がり、アーセナルの頬に平手打ちをする。

 平手打ちをされたアーセナルは後方に倒れる。

「なんでレナードが死ななければならないの! 魔法を使用できないあんたの自己責任でしょ。あんたが死ねば良かったのに……」

「その通りだわ。申し訳ない」

 立ち上がったアーセナルは謝罪をする。

「謝罪なんていらない。レナードを返してよ……。返してよ!」 




 ここに来てから四時間ほど経っただろうか。

 空には太陽が昇り始め、辺りは徐々に明るくなってきていた。

 現在、戦闘音は聞こえてこない。 

 十分ほど前にエルトニアの兵士達が撤退していくところが見えていた。

 戦争は終わったのだろう。

 アーセナルは立ち上がり、歩き出す。

「アーセナル。どこに行くんだ」

 ブラウンがアーセナルを呼び止める。

「オルロよ」

 振り返ったアーセナルはそう述べる。

 オルロに向かうことを伝えられ、皆は困惑した表情をする。それもそのはず、オルロには……。

「私も行きます」

 レイラは自身も行く意思を皆に伝える。

「……僕も行くよ」

 僕はそう言った。

 行きたくなかった。しかし、自分の罪を見なければいけないと思ったのだ。

 その後、それ以外の皆もオルロに行くと発言した。

 僕達はオルロに向かって歩き出した。




 コルト達はオルロに向かって歩いている。

 進行方向に門の姿が見えた。

 コルト達は立ち止まる。

「門は目の前だね……」

 アリシアは苦悩に満ちた表情をしていた。

 門の奥にはコルト達がしでかした罪が待っている。 

 この門を通れば、都市の惨状を目にすることになる。

 コルト達は覚悟を決め、門に向かって歩き始めた。

 門をくぐったコルト達の目の前に広がったのは、大勢の兵士の死体だった。

 身体を両断された者、複数の銃痕が見られる者、剣が胸部に突き刺されたまま死亡した者などの、両国の兵士の死体が至る所にある。

 建物や路面には兵士達の血痕が付着していた。

 また、ほとんどの建物は崩れ落ちている。

 都市は静寂に包まれていた。

 この場所で、オルロの兵士達はエルトニアの兵士達と戦ったのだろう。

 避難所に向かったのか、ここにはオルロの住民の姿はなかった。

 コルト達は歩き続ける。

 中心に向かって歩いて行くと、生きているオルロ兵の姿があった。

 兵士達は地面に座っていた。俯いており、目に生気が感じられない。

 話しかけられる精神状態ではないだろう。

 さらに、歩いて行くと、地面にうつ伏せになっている住民の姿があった。

 既に息はしていない。

 そこから先は、住民の死体で路面は溢れていた。

 避難所にたどり着けなかった者達だ。

 そして、しばらく歩くと、広場にたどり着いた。

 一ヶ月前に来た広場だった。

 この前とは、広場の姿は打って変わっていた。

 広場を覆う建物は、崩壊しており、いくつも並んでいた露店は潰れている。

 生々しい血しぶきが、広場の至る所に付着していた。

 そして、路面を埋め尽くすように、住民達の死体があった。身体を切り刻まれている女性、複数の銃痕が見られる少年、刺突の痕が見られる老婆、などの酷たらしい死体が何千とある。ここに逃げ込んだ人々だろう。

 広場は死屍累々と化していた。 

 生き残っている人々も少ないがいるようだ。

 死んでいる子供を抱きかかえ、慟哭する女性や。呆然と広場を眺める男性などの姿が見られる。

 辺りを見渡しながらコルト達は、歩いて行く。

「あんた達のせいで家族が殺された」

「ふざけるな」

「何で助けてくれなかったの」

「死んでしまえ」

 生き残った住民達はコルト達に近づき、暴言を吐く。

 コルト達の前には一ヶ月前に訪れた、クレープ屋の店主の姿もあった。

「あんた達のせいで、息子が殺された。息子を帰せ!」

 涙を流しながら、僕達に言葉をぶつけてくる。

 店主は両腕に傷だらけの息子を抱えていた。

 コルト達は立ち止まらず、歩き続ける。

 都市の中心に近づけば、近づくほど住民の死体が多くなっていった。

 避難所が、都市の中心に多いためだろう。

 そして、大きい広場にたどり着く。

 先ほどの、広場の五倍ほどの広さを持っているだろうか。

 そこにも同じように、大勢の死体があった。

 数万もの死体が。

 広場の中心に向かってコルト達は歩いて行く。

 中心にはヘカート少佐達がいた。

 兵士の人数は随分と減っている。

「何故助けに来てくれなかったのですか!」

 ヘカート少佐に向けて、アーセナルは荒々しい口調で言葉を投げつける。

 アーセナルは魔法を使用できるヘカート少佐達が応援に来れば、こんなことにはなっていなかったと思っていた。  

「戦う人間は決まっている。我々は、自身に割り振られた兵士と戦闘をしなければならないため、応援には行けなかった」

 ヘカート少佐はアーセナルの問いに、落ち着いた態度で答える。

「私達が戦った兵士達は魔力を保有していました。適切に割り振られていないです!」

「新兵は魔力保有量三十から七十の相手を割り振っている。ウォルン出陣時に他国の国民を殺していたら対処できたはずだ。お前らが他国の国民を殺さなかった自己責任だろ」

 冷酷に、冷徹にヘカート少佐は現実をアーセナルに叩きつける。

「魔法が使用できない兵士が、魔法を使用できる兵士に勝てないことは分かってたはずです。何故、出陣させたのですか!」

「エルトニアの進軍は予想外のことだ。敵の兵士は多く、オルロの兵士が少なかったため、魔法を使用できない兵士も出陣させるしかなかった。お前らも分かっていただろう」

アーセナルは反論をすることができなくなり、口を閉じる。

「我々のせいにするな。ウォルン出陣時に、お前らが殺人を拒否したせいで、オルロの住民が殺されたのだ。あの時、お前らがウォルンの住民を殺してれば助けられた命だ。あの女性が死んだのも、あの父親が死んだのも、あの子供が死んだのも、この戦争の惨劇は、全てお前ら魔法が使用できない新兵の責任だ」


 


 ――自分のせいで多くの人々が死んだ――

 

 ――他国の国民を殺すのは悪という考えは今も変わっていない――

 

 ――しかし、本当にあのとき、自分が選んだ選択は正しかったのだろうか――




 報告書

 オルロの人口の九割が死亡。

 オルロ兵の死者六百二十名。重軽傷者多数。

 新兵の五つの部隊から突破され、オルロに侵入される。それにより、オルロの陣形が壊れ、多数のエルトニアの兵士が侵入した模様。

その後、オルロに援軍が来たことを確認した、エルトニアの軍隊は撤退。

 都市の建物、軍の建物は崩壊している。復興に多くの時間がかかるだろう。

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