BARBARIAN

コルト

第1巻




 誰かが涙を流すことによって、私達は笑うことができる。

 誰かが苦しむことによって、私達は幸せになることができる。

 誰かが絶望に苛まされることによって、私達は希望を享受することができる。


 私達は忘れてはならない。

 今の私達が存在することで、名も知れない誰かが犠牲になっている現実を。


これは、『強欲』という本に書いてある文章だ。

 

 この文章は理解はできるが、納得はできない。

 現実など忘れていた方が良かったと思えるからだ。




 プロローグ




 父上の仕事の関係で、僕達家族はリベリオ市に来ていた。

 午前に仕事が終わって、午後はリベリオの町を観光した。レストランでおいしいご飯を食べたり、とても広くて綺麗な大聖堂を見に行ったりした。母上が売店で僕には本を、妹にはぬいぐるみを買ってくれた。とても嬉しかった。

 そうしている内に辺りは暗くなっていく。

(今日という日が終わらなければいいのに)

 そう考えると心の中は暗く、冷たくなっていった。

 でも、今日が終わっても明日がある。明日も今日のように幸せを感じられるはず。終わりじゃない。明日に続いていくんだ。そう思うと心の中は暖かくなっていった。


 しかし、終わりは唐突に訪れたんだ。


 広場で遊んでいた僕達は、辺りが暗くなってきたので、帰路に着こうとした。

 ――その時――

 鐘の音が町中に響き渡る。

 鐘は止むことを見せず、鳴り続ける。 

「父上、この鐘の音は何ですか」 

「警鐘だろう。何が起きているんだ。火事か、それとも……」

 冷静な父上が慌てていた。

 周囲の人々も鳴り止まない、鐘の音に慌てふためき、動揺しているようだった。

「敵だ、エルトニアが攻めてきた!」

 息を切らしながら、広場に走ってきた男性が大声で叫ぶ。

 周囲から「逃げるぞ!」「何でエルトニアが!」など狼狽した声が聞こえてくる。そして、広場の人々は避難所へと続く道に一斉に走り出す。

 町中は人混みに溢れ、狂乱と化した。

「私達も逃げるぞ」

 父上が僕に手を差しのばす。

 父上の手を掴もうとするが、後方から来る人混みに押しつぶされて僕の手は空を切った。家族は前方に追いやられ、その姿は見えなくなっていく。

 後方から叫び声が聞こえてくる。

 振り向くと軍服を着た女性が上空に浮かんでいた。

 その女性は手に持った銃で町の人達を撃っている。

 撃たれた住民は次々と地にひれ伏す。

 その光景を目の前にして、呆然としていると上空に生首が飛んだ。

 地上に視線を戻すと、頭のない人間の首から鮮血が飛び散っていた。

 地上にいた軍服を着た男性は、手に持った漆黒の色をした剣で次々と人間を両断していく。

 エルトニアの兵士達がリベリオの人々を惨殺していた。

 弾丸は人を貫通しても、斬撃は人を両断しても勢いを止めず、建物に衝突する。

 建物は音を立てて崩れ落ちていく。

 辺りは阿鼻叫喚に包まれていた。女性の叫び声、助けを求める声、子供の泣き声、エルトニアの兵士に許しを請う声、死を悟った男性の絶叫、などの声が通りに響き渡っている。

 住民はエルトニアの兵士から逃げようと、僕の方向に向かって懸命に走っている。しかし、エルトニアの兵士が、逃げることを許さず、次々と住民を惨殺していく。

一人、また一人と住民は地にひれ伏していった。

 いつしか、辺りは静寂に包まれていた。

 生き残っていたのは僕だけだった。

 僕は目の前の惨状を理解することができず、地に膝をつき、呆然としていた。

 漆黒の剣を持ったエルトニアの兵士が歩いて、僕に近づいてくる。

 逃げるという考えは思いつかなかった。僕の思考は完全に停止していたからだ。現状を理解することを否定していたのだろう。

 僕の目の前に立ったエルトニアの兵士は剣を上空に上げて、振り下ろす。


 僕は殺されていなかった。

 

エルトニアの兵士とは違う軍服を着た男性が目の前に現れ、エルトニアの兵士の攻撃を漆黒の剣で受け止めていたからだ。

 後方から、遅れて現れた仲間と思われる兵士が、振り下ろしたエルトニア兵の腹部めがけて横一閃に斬りつける。

 しかし、敵の後方にいるエルトニア兵が腹部に攻撃しようとする兵士めがけて、射撃をする。

 腹部への攻撃を中断し、兵士は銃弾を剣で弾いた。

 分が悪いと思ったのか、僕の目の前にいる兵士と刃をぶつけていたエルトニア兵は後方に下がる。

 遅れて後方から仲間と思われる人達が三人現れ、エルトニアの兵士達と戦闘を始めた。

「大丈夫か?」

 エルトニア兵の攻撃から僕を守った兵士が、僕の身の安全を確認しようとする。

「……」

「頭でも打ったか? 意識があるなら返事をしろ」

 肩を両手で掴み、強く前後に揺らす。

「……はい」

「動けるなら、今すぐに逃げろ」

 呆然としていた意識を覚醒させ、僕は一心不乱に走り出した。

 走っている最中、路面に無造作に転がる死体が視界に入り込む。剣や銃で殺されそうになっている人が何度も見える。僕は泣きながら、嗚咽を漏らしながら無心に走り続けた。

 どれくらい走ったのだろう。いつしか銃撃音などの音は鳴り止んでいた。

 辺りを見渡すと、目を覆うような惨状が広がっていた。

 街路の両脇の建物は崩れ落ち原型をなくしている。道路には椅子、机、ソファー、ベッド、本棚、食器など、室内にあったであろう物が散乱していた。地面にはいくつもの死体が転がり、死屍累々の様相を呈していた。

 静寂が辺りを包み込んでいる。

 僕は呆然と立ち尽くしていた。


「助けて……」


 生きている人が誰もいないはずの空間に、かすれた声が聞こえてくる。

 周りを見渡しても、生きている人は見当たらなかった。

 

「助けて……」


しかし、声は聞こえてくる。

 声のする方向に近づくと、瓦礫に下半身を挟まれた少女がいた。

 急いで少女に近づく。

「大丈夫ですか! 何があったんですか?」

「剣を持った人が……崩れてきて……」

 声がかすれて、所々が聞き取れない。

「大丈夫。僕が助ける」

 少女の下半身にのしかかる瓦礫を持ち上げて、どかそうとするが、びくともしなかった。

「死ぬのかな……怖いよ……」

「大丈夫。少しずつ瓦礫が動いてきた」

(何を持って『大丈夫』と言っているのだろう。瓦礫は少しも動いていないのに……)

「足が痛くないの……」

「瓦礫をどけたからだよ。もう大丈夫」

「見えない。暗い。怖いよ」

 少女は目が見えなくなっているようだった。

「ここにいるよ」

 少女の手を握りしめる。

「死ぬのかな……」

「大丈夫。死なない」

「怖いよ……」

「大丈夫だから」

 少女の手はどんどん冷たくなっていく。

「助けて……」

「あと少しでバルトの兵士がくるはずだ」

「何も聞こえない。誰か返事をして……」

「僕はここにいる!」

 僕はその後も声をかけ続けた。

「もう戦闘音は聞こえてこない」

「もう敵はいないんだ」

「あと少しだ。頑張ろう」

 いつからなのか、少女の声は聞こえなくなっていた。

 少女は息をしていなかった。




 ――なぜ――



 ――なぜリベリオの人達が傷つかなければならないんだ――


  

 ――なぜ苦しまなければならないんだ―― 


  

 ――なぜ罪もない、人達が殺されなければならないんだ――


  

 ――こんな世界、間違っている――


 

 ――僕は、この世界を変える――


 

 ――善良な人々が苦しむことのない世界に――




 第一章




 バルト国、オルロ市に存在する軍事基地の訓練場。

 時刻は早朝、冷たい空気が肌に触れる。

 辺りには木々などの障害物は一切なく、平地が広がっていた。

 今期卒業した軍立防衛大学生は、一糸乱れぬ整列の様相を呈している。

 私語をする者は一人としておらず、辺りは静まりかえっていた。

「私はヴェルナルディー大佐だ」

 卒業生の前に堂々と立っている女性兵士が自身の名を述べる。

 彼女はバルトが配布する紺を基調とした軍服と黒のブーツを身に纏っていた。身長は平均の女性よりも少し高く、黒に紫を混ぜたような色をした髪は腰まで伸びている。瞳も髪と同じ色をしていた。顔は整っていて、美人と言えるだろう。しかし、目がつり上がっていて、怖さも漂わせている。大佐ということもあって、威厳ある雰囲気を彼女は醸し出していた。

「お前達をここに集めた理由は事前に知らせたとおり、お前達の進路を決めるためだ」

 軍立防衛大学を卒業した者には軍に関わることなく、バルトの国民として生きる道と、バルトの国民を守ることに命をかけ、軍に入隊する道の二つの道がある。

「軍に入隊することを選択しようとする者に告ぐ、一度入隊すればいかなる理由があろうと、除隊は許されない。命がある限り、軍に貢献してもらう」

 卒業生達にヴェルナルディー大佐は注意喚起する。

「事前に知らせてあるのだ、考える必要もないだろう」

 ヴェルナルディー大佐は生徒一人一人に近づき質問をしていく。


「アーセナル・スレイン。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「理由はありません。強い人が弱い人を守ることは当然のことです」


「ブラウン・バーキン。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「俺は、そう在らねばならないからです」


「コルト・ヴェイン。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「この世界を、善良な人々が苦しむことのない世界に変えるためです」

 

「アリシア・フォレスト。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「私を助けてくれた兵士のような人になるためです」


「レイラ・レミントン。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「私のような人が現れないようにするためです」


「ヘンメリーハルフォード。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「故郷を守るため。真実を知るためです」


「スペンサー・フィールド。お前はどちらの道を選ぶ」

「軍入隊の道です」

「理由を述べろ」

「金のためです」




 第二章



 

 バルト。

 世界に存在する九大国の一国。四つの国が密集するオーラル大陸の中心に位置し、四方を三つの国に囲まれている。人口三千七百万人。産業、経済供に発展している国だ。

 バルト国リオネ市で生まれた僕は十二歳の時に軍立防衛大学に入学。十五歳には軍立防衛大学を卒業。卒業後真っ先に行われた、軍入隊の有無の確認では軍に入隊すると明言し、軍に入隊することが確定した。

 正式に軍に入隊するのは入隊式が行われる二ヶ月後。僕達が入隊式後、配属される基地は入隊の有無を確認したオルロ軍事基地だ。入隊式も同じくオルロ軍事基地で行われる。 オルロ市はバルトの西にあたる外面に位置し、エルトニア国と面している都市だ。

 卒業生達は入隊式までの二ヶ月間は各々自由に過ごしている。

 僕達は家族に挨拶をしに故郷リオネに来ていた。

 首都リオネ。

 バルトの中心に位置する都市。十数メートルもの堅牢な市壁に守られている。バルトの都市の中でも随一に発展している都市だ。

 高い建物が所狭しと建てられ。ガス灯が多く見られる。道路は石材で整えられ、段差をつけることにより歩道と馬車が通る道は分けられていた。

 多くの人々や馬車が街路を行き交い、露店などを開く物売りの声や行商人の声、通行人の声などが聞こえ活気に溢れている。

 人々の服装、体型、肌などを見れば経済が潤っているのが分かる。

 バルトの中で産業、経済が最も成長している都市。それがリオネだ。

 季節は冬。天に昇る太陽の陽光が都市に降り注いでいる。

 僕達は自分たちの家がある方向に向かって歩いていた。

「リオネには随分と来てないから、懐かしく感じるな」

 そう声をかけるのは幼なじみのブラウン。

 髪の毛は眉毛ぐらいの長さで、明るい茶の色をしている。身長は高く、身体は多くの筋肉で覆われて大きいため、一見怖く見えるが、周囲の人々から人一番に頼りにされ、信頼されている。皆を先導してくれる優しいリーダだ。

「防衛大学は寮生活で家族に会えてないからね。早く家族に会いたいね」

「私は別に、家族に会わなくて良かったのだけれどね」

 そう強がったことを言うのは幼なじみのアーセナル。

 正義心が強く、善行を行うのを当たり前と考えている。

 長い髪は金の色をし、腰まで伸びている。身長は僕と同じくらい。ほっそりとした体型で顔も文句がないほどの美人。しかし、攻撃的な態度や自分以外の考えは否定することなどの自己中心的な性格などを持っている。それが残念なところと言えるだろう。

「リオネに滞在するのは何日かな?」

「時間に余裕をもって行動した方がいいから、二週間ぐらいかしら」

「案外、短いんだな」

「私は、もっと短くて良かったのだけれどね」

「強がるなって、アーセナルも本当は家族がいるリオネにもっといたかっただろ?」

「そんなことより、あんた達は軍に入隊することで本当に良かったの?」

 アーセナルはブラウンの茶化しに取り合わず、僕達に入隊の判断で良かったのかを聞いてくる。

「ああ、軍に入隊する判断で間違えていない」

「僕も軍に入隊する判断で間違えていないよ」

「ブラウンはともかく、コルトは兵士に向いていないでしょ。運動能力や知力が高いわけではない。才能を持っているわけでもない。運良く防衛大学に入学できただけでしょ。あんたみたいな人が兵士になったらすぐに死ぬわよ」

 運動能力や知力がないのは事実だが、目の前で言われると傷つくな……。

「心配してくれてありがとう。でも、軍入隊を辞退することはないよ。兵士になる。あのときに決めたんだ」

「心配なんてしてないわよ!」

 赤面したアーセナルが怒鳴る。

「落ち着けよ。アーセナルこそ軍に入隊することで良かったのか?」

「私は運動能力、知力が高いわ。それら兵士に必要な能力を持った人が国民を守るために兵士になるのは当たり前のことでしょ」

 改めて正義心が強く傲慢であると思う。しかし運動能力、知力が高いのは事実だ。防衛大学の試験の順位では毎回上位に名を残していた。

「そういえば、昔もこんな話をしたよな。たしか、十歳くらいの時だったよな」

「手を重ね合わせて世界を平和にするって約束したよね」

「そんな時もあったわね」

「あのときから五年たったんだね」

 五年の月日が流れたと考えると、感慨深く感じる。

「あっという間だったな。その五年で防衛大学に入学して基準値以上の成績を収め、三人とも兵士になることができるんだ。すごいよな」

 バルト国には約十万人の兵士が存在する。

 兵士になるのは難しい。兵士になるには複数ある軍立防衛大学の中の一つを卒業し、軍立防衛大学で基準値以上の成績を出さなければならない。

「私とブラウンが最難関である防衛大学に入学して基準値以上の成績を出したって言うのは納得がいくのだけれど、コルトが入学し、基準値以上の成績を出したっていうのは納得がいかないわ」

 軍立防衛大学に入学すること、大学内で基準値以上の成績を出すのは簡単ではない。

 兵士は給与が高く、兵税を納税する義務がなく、家族などを内地に送れるなどの様々な特権を持つ職業だ。また、国民を守る兵士という職業は名誉であると国民は考えている。 これらを理由に兵士は人気な職業なので当然、多くの人が兵士になろうと軍立防衛大学に入学しようとする。

 しかし、軍立防衛大学が募集する兵士の人数は少なく、入学の運動試験、筆記試験は難しいため軍立防衛大学に入学できるのは極小数だ。数百人に一人とも言われている。

 そして、軍立防衛大学在学中に実地される試験の水準は国内で最も高いため、基準値以上の成績を残すのは難しいと言える。

 アーセナルが言うように僕が入学できたこと、基準値以上の成績を残せたことは僕自身、疑問に思っていることだ。

「コルトも頑張ってたんだ。努力が報われただけのことだろ」

「頑張って兵士になれるのなら、大半の人が兵士になれるわ。結果が大切なのよ。コルトは試験で高い結果を出していないでしょ」

「それは……。でも、俺達は試験の評価基準を知らないだろう。俺達が考えている評価基準以外の基準があったのかもしれない」

 ブラウンは僕を思って、そう言ってくれるが、僕が高評価を貰える基準など存在するのだろうか。自分で言うのも、何だが、僕に取り柄という、取り柄はないと思っている。

「……確かに、そうとも考えられるわね。だとしても気に食わないわね」

 自分たちが考える基準以外の基準があるという考えにアーセナルは理解を示したが、納得はできていないようだ。 

「二ヶ月後、コルトが兵士になる。それが結果だろ」

 僕のことで言い争っているのが申し訳なくなってきた。そんなとき前方に人だかりが見えた。

(話の話題を変える良いチャンスだ)

「前の人だかりは何だろう」

「なんだろうな」

「何でしょうね」

「ちょっと見てみようよ」

 その人だかりに近づくと、男性の声が聞こえてくる。

「英雄達の凱旋だ!」

 英雄? 兵士のことか。兵士のことを称えて英雄と呼ぶ国民もいるんだった。男性の話を聞くと、エルトニアとの戦争からリオネ軍事基地に帰還する兵士がこの通りを通るらしい。

 エルトニアはバルトの西に隣接する国だ。

 現在、バルトはエルトニアと戦争をしている。戦況はバルト優勢と言われている。しかし、戦争とは二カ国間だけで行われるとは限らず、他国がバルトを攻めるかもしれない。実際、複数の国が入り乱れる形で戦争は行われてきた。バルトの優勢はいつ崩れるか分からない。

 世界中では昔から戦争は数え切れないほど行われてきた。歴史を見ると戦争をしていない時代などないことが分かる。

 現在では九大国間で多くの戦争が行われている。

兵士の姿を一目見ようとする大勢の人々で街路はいつのまにか、溢れかえっていた。

「兵士達が来たぞ!」

 人々は一斉に中央道路を見る。

 馬に跨がる大勢の兵士の姿が見えた。

 人々の歓喜の声が空に響く。興奮しているのだろうか、飛び跳ねる子供や、大きい声で兵士を呼び、気づいて貰おうとする女性、近くで見たいのか前にいる人を前方に押しながら声を荒らげる男性などで街路はパレードのような様になっていた。

 馬車や徒歩の兵士などの姿も見られた。

 兵士の軍服は所々汚れ、すり切れている。

「我々を守ってくれてありがとう」

「エルトニアを倒してくれ」

「国民を殺す他国を許すな」

「敵の国民を助けてあげて」

「頑張って」

 国民はそれぞれ兵士に感謝や伝えたい言葉などを投げかける。

 兵士達はそれに応えるように手を振り、笑顔を見せているが、戦争の帰りの疲れか、足下に目を向ける兵士や国民を見ようとせず前方だけを見ている兵士の姿などがあった。

 兵士達は通り過ぎていった。それを機に多くいた人々は散り散りにこの場から離れていく。

 僕達はその場にまだ残っていた。

「俺達もあんな兵士になるのかな」

 ブラウンが感慨深そうな表情をしながら、そう話す。

「国民に尊敬される兵士になりたいね」

 僕達がそう話していると、後方から男性が声をかけてきた。

「あなた達は兵士なのですか」

 唐突に男性は僕達に兵士であるかを聞いてきた。話している声が聞こえたのだろう。

「まだ兵士ではありません。二ヶ月後の入隊式を機に兵士になります」

 アーセナルが堂々と質問に答える。少しは遠慮をしたほうがいいと思う。

「本当ですか! こんな近くに未来の兵士がいるなんて」

 その人の声は大きかったため、その声を聞いた人々が集まってくる。

 いつしか、僕達を中心に大勢の人だかりができていた。

「バルトを頼むぞ」

「国民を守ってくれ」

「頑張れ!」

 人々の様々な言葉が投げかけられる。恥ずかしさもあったが、嬉しさもあった。アーセナルとブラウンは頬を赤くして、照れているようだった。

「国民を殺す敵国を倒してくれ」

 目の前の四十代ぐらいの男性がブラウンに声をかけた。

「ああ、任せてくれ」

 バルトの戦争行為は敵国の軍を壊滅させることや首都や国土を占領することなどだ。しかし、バルト以外の八大国の戦争行為は敵国の全国民を殺すことだ。

 歴史を遡れば、全国民を殺すことを戦争行為としている国がほとんどであったことが分かる。戦争に敗北するということは全国民を殺されるということだ。復讐を恐れているから、その要因となる国民を殺すのか。理由は定かではない。

 僕はリベリオで国民が殺される光景を目にした。戦争に無関係の国民を殺すなど許されることではない。

「もしできるのなら、敵国の国民を助けてやってくれ」

 バルトの人々は敵の政府、兵士は悪と思っている。しかし、国民は悪とは思っていない。むしろ、政府や兵士に従わされている国民を不憫だと思っている。そのため、「国に従わせられている他国の国民を保護してあげてくれ」などの声も多く上がっている。

 敵国を倒したら、国民を保護して共存できないかと僕は思っている。

「お姉ちゃん。頑張ってね!」

 少女がアーセナルに応援の言葉を贈る。

「応援ありがとうね。絶対あなた達を守るから」

 普段はきつい態度をしているが、子供には優しい態度を見せていた。

 少女の声を機に複数の応援の声が街路に響き渡る。

「応援ありがとう。俺達が国民を守るから安心してくれ」

 僕達は各々感謝の言葉を継げてその場を後にし、歩き始めた。



「さっきみたいに国民に褒められたりすると嬉しいもんだな」

「そうね。悪くはないものね」

「兵士は信頼されているんだなって思ったな」

 あんなに多くの人々の思いを背負っている兵士という職業は凄いと改めて感じる。

「浮かれてる場合じゃないわ。私達は、二ヶ月後には兵士になるのよ」

「僕達があの人達を守るんだよね」

「そうよ」

「僕達が負ければ、あの人達が死ぬ……」

 リベリオの人達が殺されていく光景が頭に浮かぶ。

「あの人達が苦しむ姿を見たくない。僕は絶対に守り抜く」

 歩みを止めた僕は決意の念を言葉にする。

「あの人達が苦しんで良いわけがない。俺も国民を絶対に守る」

「この命に替えても、国民を守り抜くわ」

 ブラウンとアーセナルも立ち止まり、それぞれの決意を口にした。 

「なあ、昔みたいにこう手を合わせて約束しないか?」

 ブラウンが手のひらを下に向けて腕を前に差し出しながら提案する。

「いやよ。子供じゃないんだから」

「僕はやりたいな」

 僕とブラウンがアーセナルに視線を送る。

「……」

「分かったわよ!」

 三人は円形になるように移動する。

「この世界を、善良な人々が苦しむことのない世界に変えよう」

 そうブラウンが言って、三人は手のひらを重ね合わせた。




 二人とは二週間後の朝に集合する約束をして別れた。

僕は家の前にたどり着いていた。

 自宅は一軒家で赤茶色を基調とした家だ。二階建てで、庭もついている。 

(久しぶりだな。家族と会うのは)

家族はリベリオ襲撃で生き残った。逃げた先に兵士が駆けつけ、難を逃れたらしい。リベリオ襲撃ではリベリオにいたほとんどの人々が死亡した。家族が生き残れたのは奇跡と呼んで良いだろう。

 再会した際に父上と母上はコルトを探せなかったことを何度も謝ってきた。

 僕は怒らなかった。だって、知っている。父上と母上は何度も、兵士に息子を助けてくれと頼み込んでいたこと。自ら探しに行こうとし、兵士に止められたことを。妹がお父さんとお母さんを怒らないでと襲撃時にあったことを教えてくれていた。

 父上と母上は探せなかった自分達を責めていた。僕は探さなかったとしても怒っていなかった。家族さえ生き残ってくれれば、それで良かった。しかし、家族は探そうとしてくれた。僕は幸せな人だ。

 扉に取り付けられているノッカーを鳴らす。

 しばらくして、扉の奥から声が返ってきた。

「どちら様ですか」

 母上の声だ。

「コルトです」

 扉が開き、何かが勢いよく腹部に衝突する。

「お兄ちゃん! お帰りなさい」

 抱きついてきたのは満面の笑みを見せる妹だった。

「ただいま」

 


 リビングの椅子に座って、僕は家族と雑談を交わしていた。

 左には妹、正面には机を挟んで父上と母上が座っている。

「遠いところを来てくれてありがとうね」

 母上の声が暖かく感じる。家族と会うのは、三年ぶりだからだろう。久しく会えていない家族と面と向かって会うと、家族と一緒にいられる幸せが改めて感じられる。防衛大学在学中、何度、家族を恋しくなったことか。

「ノアがコルトに会えて喜んでいるわ」

「ノア、お兄ちゃんに会えて凄く嬉しい!」

 ノアは笑みを輝かせて、喜んでいる。かわいい。素直にそう思った。

 僕が防衛大学の寮に住むために、家を出たのが、ノアが六歳の時だ。ということは今は九歳か……。そう考えると、ノアの身長が伸びているように感じる。僕がいない三年で成長したのだろう。

「体は大丈夫か?」

 心配そうに父上が訪ねてくる。

 父上は今年で四十六だ。年のせいか、三年前よりしわが多くなっていた。

「大丈夫です。父上、母上の方こそ大丈夫なんですか?」

「私達は大丈夫だ。心配するな」

 父上、母上の口調や態度からも健康上、異常はなさそうだ。無理をしている様子も感じられない。

「アーセナルちゃん、ブラウン君は元気にしている?」

「元気にしていますよ。二人とも元気が有り余っているぐらいです」

「それは良い事ね」

 母上は笑みをこぼす。

「いつまで家にいられるの?」

「二ヶ月後にオルロ市で入隊式があるので、二週間ほどです」

「そう。三年も会えていなかったのだから、もっといてほしかったのに」

 本当は僕も、もっと家にいたかった。だが、兵士という職業は自身を犠牲にする職業だ。仕方ないことだと僕は割り切っている。

「ガタッ」

 勢いよくノアは椅子から立ち上がり、僕に抱きついてきた。

「お兄ちゃんがいなくなって寂しかった。もうどこにも行かないで!」

 ノアは僕のお腹に顔をうずめる。三年会えていなかったんだ。寂しかったのだろう。

「無理なことは言わないの。お兄ちゃんは兵士になるんだから」

「いやだ! お兄ちゃんとずっといる」

 母上の言うことをノアは聞こうとしない。ノアが二週間後も今と変わらなければ、僕はノアと無理矢理に別れなければならない。その別れ方は嫌なので、ノアに声をかける。

「……ノア。僕はノアや父上、母上を守る正義のヒーローになるんだよ。その正義のヒーローが兵士なんだ。ノアが応援してくれたら力が湧き出てきそうだな」

「……わかった。応援する。お兄ちゃん。頑張って」

 分かってくれたのか、素直に聞き入れてくれた。三年前のノアだったら、駄駄をこねていただろう。成長したことを肌で感じ取る。しかし、抱きつくのはやめないようだ。

「兵士になるのは心配ね」

 心配そうな表情をした母上は視線を机に落とす。

「もう子供じゃないんだ」

「大人になったのね……」

 母上は懐かしむような、過去を思い出すような目で僕を見る。

「兵士になったお前を私達は誇りに思う」

 僕の目を見て父上は力強く、そう言った。

(恥ずかしいな……)

「だが、無理はするなよ」

「そうよ。国民を守る立場だからって自分を犠牲にしないでね」

 父上と母上は僕の身を案じてくれているのだろう。

「お前はあの日から変わってしまった。自分を傷つけても人を助けようとする。私達はそんなことは望んでいない。自分を大切にしてくれ」

 誰かを守るためには、誰かを犠牲にしなければならない。僕はそう思っている。兵士は自身を危険に晒すことで国民を守ることができる。誰かが犠牲にならなければ誰も守ることはできない。父上、母上には悪いがこの考えを変える気はない。だが、心配させるわけにも行かず、「分かった。無茶はしない」と答えた。

「兵士の人達は魔法が使えるんだよね?」

 下から僕を見上げるような体勢でノアは質問をする。

「使えるよ」 

「お兄ちゃんも魔法を使えるの?」

「僕はまだ使えない。魔法は兵士になってから使えるようになるんだ。兵士になったら魔法でノア達を守るよ」

 ノアは僕から手を離し、「お兄ちゃんが守ってくれる!」とはしゃいだ。

 この世界には魔法が存在する。

 魔法はどんな武器よりも、強力な武力と言われている。

 魔力を保有する量が多いほど強い魔法を発現できるらしい。魔力を保有する量がその国の強さを示す値だと言われている。

 世界では魔力拡大競争が起きている。

 魔力拡大競争とは各国が自国の魔力保有量を増やし、他国よりも武力面で優位に立とうとする争いのことだ。物理的に戦っている訳ではない。魔力保有量の競争をしているということだ。

 魔法について、一般的な国民が知っていることはこのくらいだ。魔法を見たこともない人が大半だろう。

 僕が魔法を見たのはリベリオの時だけだ。魔法を使っている人と軍人が戦闘をしているところを見たという噂なら昔、どこかの町で聞いた事があったが。

 政府は魔法の存在を隠している。

 魔法は危険性が高いこと、悪人が使用した場合の被害が計り知れないことなどを理由に、国は魔法の詳細、使用方法は国民には明かさないという方針をとっているのだ。軍立防衛大学の生徒でも魔法の詳細を知っている者はいない。

 唯一、軍人は魔法の詳細を知り、魔法を発現することができる。政府が魔法の詳細を知ること、発現することを許可しているためだ。

 軍人が魔法の詳細を知り、発現することを許可されている理由は戦争時、魔法を使う敵国の兵士に対抗するためだろう。

 そして、魔法の秘匿性は高い。法律では緊急時を除き、兵士は国民に魔法を見せること、詳細を話すことを禁じられている。

「コルトが守ってくれるなら安心だな」

「そうね。なんたって私達の子供ですもの」

 その後も家族団欒の時を過ごした。防衛大学の話や僕が知らない三年間の、妹の出来事などの話をしたり、ご飯を一緒に食べたり、妹と遊んだりした。笑顔が絶えない暖かい時間だった。

 


 二週間後の朝。

 僕と家族は家の前で別れを告げていた。

「体に気をつけてね」

 母上は寂しそうな表情をしている。

「うん。心配しないで。母上も体に気をつけてね」

「私達はずっとこの家にいる。いつでも帰ってきていいからな」

「いつ帰ってこれるか、まだ分からないけど、必ず帰ってくるよ」

 父上、母上と別れの挨拶を交わした僕はノアに近づく。

 ノアは俯いて、こちらを見ようとしない。前髪が顔を隠しているせいで表情は窺うことはできなかった。両手は力強く握りしめられ、震えている。

 僕としばらく会えなくなることをノアは割り切ることが、できなかったのかもしれない。もし、そうだとすれば、つらい別れになる。その情景が頭をよぎる……僕は妹の名前を呼んだ。

「ノア」

「……お兄ちゃーん!」

 ノアは僕に勢いよく抱きついてきた。

 顔をくしゃくしゃにして、溢れんばかりの涙を流している。

「頑張ってね」

 ノアは僕を応援してくれた。 

 僕は体をかがめ、ノアと目線を合わせる。 

「良い子にしてるんだよ」

「うん」

 ノアは頷く。

「いい子に……して……たら、帰ってくる……よね」

 途中、途中嗚咽を漏らしながら、ノアは僕に質問をする。

「必ず帰ってくるよ」

「……分かった」

 妹は母上に抱きつき、顔をうずめる。泣きじゃくる声が聞こえてきた。

 立ち上がった僕は、家族を見て、別れの言葉を口にする。

「行ってきます」




 僕達は二十二日間馬車で移動し、オルロ軍事基地前にたどり着いていた。

 時間は遅く、辺りは暗闇に包まれている。

 街路に一定の間隔で設置されているガス灯の明かりが周囲をぼんやりと照らしていた。

 オルロ軍事基地は白を基調とした宮殿のような外見だ。四階建てということもあり、数え切れないほどの部屋数が存在している。また、基地内に複数の広場や訓練所などがあるので、基地は広大な面積を持っている。

(改めて見ると、大きいな……)

 正面の門を通り、僕達は建物内に入る。

 室内に入り、最初に見えたのは大きなロビーだ。

 来客のための椅子や机が置かれており、様々なインテリアはロビーを美しく見せている。 深夜ということもあり、ロビーには人一人いない。

 入隊の有無の確認をしたときに貰った部屋の番号が書かれた紙を頼りに、僕達はそれぞれの部屋を探した。ちなみに僕とブラウンは同じ番号だ。

「女性はこっちの館らしいから、それじゃ」

「うん。また明日」

「明日な」

 アーセナルと別れ、僕達は自分たちの部屋に向かった。



「ここか……」

 僕達は扉の前に立っていた。

「番号は間違えていないよね?」

「ああ。間違いない」

 紙に書かれている番号と、扉に取り付けられているプレートに書かれた番号を見比べて、確認したブラウンはそう答える。

「何人部屋かな? もし、他の人がいたら緊張しちゃうな」

 部屋に人がいたらどうすればいいのだろう。最初になんて、声をかけるべきかな。

「緊張なんて、最初だけだ。困ったことがあれば俺を頼ってくれ」

 ブラウンも少しは緊張をしているはずだ。しかし、そんな素振りは一切見せない。僕のことを考えてくれてのことだろう。

「入るぞ」

「うん」

 ブラウンは扉を開き、室内に入っていった。僕はブラウンの後ろについて行く。

 部屋は長方形の形をしており、奥行きがあった。入ってすぐ左右には二段ベッドが置かれている。ベッドの奥は八人ほど座れる広いスペースがあった。

 壁に取り付けられた大きなガスランプが室内を照らしているため、部屋は明るい。

「こんにちは。君達も、この部屋なのかな?」 

 二段ベッドの下から出てきた男性が声をかけてくる。

男性は僕より、年上なのか、落ち着いた雰囲気があった。灰色の艶やかな髪は肩まであり、身長は僕より少し高い。自身の体型より少し大きめの白の長袖と茶色のズボンをゆったりと着ている。

 僕は何故か、この男性の顔に見覚えがあるように感じた。

「ああ、そうだ」

 僕が応えられないことを分かっていたのか、ブラウンが男性に応答する。

「俺はブラウン。こっちはコルトだ。よろしくな」

「よろしくお願いします」

 勇気を振り絞り、声を出して、お辞儀をする。

「僕の名前はヘンメリー。よろしくね。ブラウンとコルトは何歳なの?」

「俺とコルトは十五歳だ。そっちは何歳なんだ?」

「僕も十五歳だよ」

(同い年なんだ……。大人っぽく見えるな)

「この部屋に住む人は三人だけなのか?」

「もう一人いるよ。スペンサー。君も挨拶しなよ」

 ヘンメリーは二段ベッドの上の方に向いて声をかける

「馴れ合うつもりはない」

 姿を見せることなく、ベッドの上から男性の声だけが飛んでくる。

 感じが悪いな……。スペンサーという人とは仲良くなれなそうだ。

「ごめんね。態度は悪いけど、良いやつなんだ。誤解しないであげてほしい」

「ああ、分かった」

 もしかしたら、スペンサーという人はアーセナルのように態度は悪いが、根はいい人なのかもしれない。

「僕達は既にこっちのベッドを使っちゃっているから、そっちのベッドを使ってくれるかな?」

「分かった」

「僕は寝るけど、何か困ったことがあったら言ってね」

 そう言って、ヘンメリーはベッドに入っていった。

「俺達も寝るか」

「そうだね」

 僕達はベッドに入り眠りについた。




 オルロ軍事基地に来てから三日後の早朝。入隊式が行われるため、軍に入隊する軍立防衛大学の卒業生達は屋外の訓練場に集められ、整列をしていた。

 辺りには木々などの障害物は一切なく、広大な平地が広がっている。

 早朝なこともあり、外は寒く、冷たい空気が肌を突き刺す。

 卒業生の前に立つ、一人の男性が卒業生達に声をかける。

「私はグロストフ提督だ」

グロストフという名前は聞いたことがあるような気がした。そして、思い出す。

(あのグロストフ提督のこと?)

 いくつもの戦争でグロストフ提督は大きい功績を残してきている。その名は各地に広まっているほど有名だ。

 英雄であるグロストフ提督を目の前にして、僕の心は少し高揚していた。 

 グロストフ提督の体は筋肉が多いためか、がっしりしている。露出している腕や首元の肌には、いくつもの傷跡が見える。既に完治しているようだ。古傷だろう。

 黒髪は邪魔になるからなのか短く切られている。身長は高い、百九十センチぐらいはあるだろうか。 

「君達は今日から兵士になる。しかし、君達は兵士がどのようなものかを分かっていない」

 グロストフ提督は淡々と話を続ける。

「君達はどんな犠牲を払うとしても国民を守ることができるか? たとえその犠牲が自身だとしても、国民を守ることに命を捧げられるか? ……もし命を捧げられない者がいるなら、この場から去れ」

「……」

 誰もこの場から去ろうとはしなかった。

「この場に残っている者は、国民を守るためなら犠牲を厭わない覚悟があるということだな」

「……」

「この場に残った君達を兵士と認める。国民を守ることに尽力せよ」

 そう言ってグロストフ提督は後方に下がっていった。

 

新兵達の上空に広がる空は青く、どこまでも広がっていた。




 翌日の午後、新兵達は複数の集団に分けられ、それぞれ別の一室に集められていた。

 昨日は入隊式だったこともあり、兵士としての活動はなかった。

 今日から数日間は新兵達の実力を測る訓練を行ったり、兵士として必要なことを学んだりするらしい。朝は兵士としての心得やオルロ軍事基地について学んだ。

 集められた部屋は大きい。四人用の横に長い机が三列あり、一列には十の机が置かれている。椅子は一つの机に四つ置かれていた。前方には教団が置かれている。後方の人でも教壇が見えるように、一列下がるごとに、床を高くしていた。

 既に多くの新兵達が着席している。二十名ほどいるだろうか。

 新兵達は全員、昨日配布された紺を基調とした軍服と黒いブーツを身に纏っている。基地内にいる場合、原則配布された軍服とブーツを履かなければならないらしい。

「コルト、こっちだ」

 アーセナルと一緒にいたブラウンに呼びかけられる。二人とも既に教壇に近い前列の椅子に座っていた。

「コルトの席も取っておいたぞ」

「ありがとう」

 ブラウンに感謝の言葉を伝え、僕は椅子に座る。

「コルト君。こんにちは」

 後方から現れたヘンメリーが声をかけてくる。

「こんにちは」

「よう! ヘンメリー」

 僕とブラウンは挨拶を交わす。

「その人は誰?」

 アーセナルはヘンメリーと面識がないため、僕に問いかける。

「寮の部屋が同室のヘンメリーだよ」

「僕はヘンメリーだ。よろしくね」

 ヘンメリーはアーセナルに声をかけた。

「私はアーセナル。馴れ馴れしくしないでね」

(出会い頭から強烈な自己紹介だな……)

「アーセナルは口は悪いけれど、良い子だから誤解しないで」

「誰が口が悪いですって」

アーセナルは鋭い目つきで僕を睨んでくる。

「そんなこと思っていないから大丈夫だよ。それに、スペンサーも口と態度が悪いしね。スペンサー。挨拶しなよ」

 僕の三席左に座っているスペンサーに向かって、ヘンメリーは声をかける。

「馴れ合うつもりはないって言ってるだろ」

 スペンサーは僕達と関わる気がないようだ。こちらの話し合いには参加するそぶりさえ見せず、窓の外の空を眺めている。

 そんなスペンサーは、僕よりも身長が頭一個文ほど高く、すらっとした体型をしている。髪は黒く短い。顔立ちは端正とは言えないが、かっこいい部類に入るだろう。目はつり上がっており、鋭い眼光をしている。その目つきは人と仲良くしようとしない彼の性格と相まって、より鋭く見えてしまう。

 スペンサーはこう見えて、一匹狼というわけではない。普通にヘンメリーと話しているのを何度も目にしている。気を許せる人としか関わる気がないのだろう。

 ちなみに、僕とブラウンはスペンサーに何度か声をかけたが、全て無視をされた。 

「本当に口と態度が悪いわね」

 アーセナルがスペンサーに目を向けず、呟く。

「どの口が言ってんだか」

 スペンサーは窓を見たまま言い返した。

 険悪な雰囲気が辺りを包み込む。

「喧嘩はだめだよ」

 女性が仲裁に入ってきた。

「私はヘンメリーの友達のアリシア。よろしくね」

 彼女は満面の笑顔で元気よく、自己紹介をした。

 険悪な雰囲気も、彼女の登場によって、なくなっている。

 アリシアの髪は肩ぐらいまであり、明るい赤色をしていた。窓から差し込む光を反射して、より一層美しく見える。瞳は透き通った水色をしており、身長は僕より少し低い。

 アリシアは美人と言うより、かわいい系だろう。一緒にいるだけで、元気になれる気がする。

「レイラもこっちに来なよ」

 後方にいた少女をアリシアが呼ぶ。

 アリシアに呼ばれた少女は、僕達を見ていた。だが、僕と目が合った途端、床に視線を送る。そして、こちらに、とぼとぼと近づいてきた。

「……レイラです。よろしくお願いします」

 人と話すのが苦手なのか、声は小さく、俯いたまま自己紹介をしていた。

 背の小さな少女だ。気の弱そうな表情をしていて、怯えているようにも見えた。手の指を握ったり、離したりして、もじもじしている。

 少女を見ていると無性に守ってあげたくなった。

 肩まで伸びている白髪は、後方の窓から差し込む光を受け純白に輝いている。

 紺色の軍服は少女にあっていなかった。似合っていない訳ではない。真っ白なワンピースなどを着ている方がしっくりくると思ったのだ。お花畑で、真っ白なワンピースを着ていたら、完璧だ。

 ヘンメリーと同じようにスペンサー、アリシア、レイラとは見覚えがあるように感じた。どこかで、会った事があるのだろうか。しかし、どんなに考えても、出会った記憶は思い出せなかった。

 自己紹介をしあった僕達は、スペンサーを除いた皆で雑談をしていた。

 ヘンメリー達は同じ防衛大学出身らしい。

 いつしか、話の方向は昨日のグロストフ提督の話になっていた。

「昨日のグロストフ提督、かっこよかったよね!」

 グロストフ提督を尊敬しているのか、前のめりになり興奮した面持ちでアリシアが語る。

「そうだな……。威厳ある雰囲気を身に纏っていたよな」

 興奮するアリシアにブラウンは動揺しているようだ。

「自分を犠牲にしてでも、国民を助けられるかって言っていたよね。かっこよかったな。犠牲を厭わないで国民を守ろうとするグロストフ提督みたいな兵士になりたいな」

 アリシアの話の熱は収まりそうにない。グロストフ提督を本当に尊敬しているのだろう。

「自身を犠牲にして国民を守るなんて。兵士として当たり前のことでしょ」

 反発するように、アーセナルは自身の見解を述べる。

「そうかもしれないけど、グロストフ提督は自らを危険に犯しても国民を守ることに尽力し、バルトに多大なる貢献をした。そして、いつしか国民にも尊敬される立場になった。それらのことは、凄いことだと思うけどな」

「……確かに、それは凄い事ね」

 いつものアーセナルなら、言い返しているところだが、アリシアの熱弁が凄まじいためか、言い返すことができていなかった。

 その時、何の因果かグロストフ提督が部屋に入ってきた。

 立っていた新兵達は急いで席に着席する。

 アリシアはグロストフ提督を前に緊張しているのか、小刻みに震えていた。

「これから君達には、今から私がする質問に答えてもらう」

教壇に立ったグロストフ提督はそう言って、質問の内容を話し始めた。

「二人の女性は命の危険に脅かされている。一人は母。もう一人は面識のない女性。一人を救う方法は見つかっている。しかし、両方を救う方法は絶対に存在しないことが分かった。三分経てば二人とも死亡する。……もし君達が、その場にいたらどうする。その時に行うべき、正しい行動とはなんだ」

 その言葉を機に沈黙が流れる。新兵に考える時間を与えているようだった。

 アーセナルが挙手し、自身の考えを述べる。

「時間のある限り、両方を救う方法を考えます」

「両方を救う方法は絶対に存在しないと言ったはずだ」

 絶対に存在しないと言われたのに、両方を救う方法を考えるというアーセナルは、はたから見れば、おかしく見えるだろう。だが、アーセナルらしい答えだ。

「この世界に絶対なんてものは存在しないと思います」

「……確かに、そうかもしれないな。だが、一方を助ける方法は既に見つかっているのだ。三分を過ぎれば二人とも死亡するのだぞ。なぜ危険を冒してまで両方を救おうとする?」

「一人を救うために、罪もない人を犠牲にすることは正義ではないからです」

 当たり前だと言わんばかりに、堂々とアーセナルは答える。

「君の考えは分かった。座れ」

 スペンサーが挙手をし、自身の考えを述べる。

「私は母を助けます。グロストフ提督が話した内容の状況で、両方を救おうとするなど、綺麗事に過ぎません。一方が犠牲にならなければ、一方は救われない。現実にその場に直面したとき、両方を救おうとすれば、どちらも救えない結果になるのは分かりきっていることです」

 ところどころ、アーセナルの考えは間違っていると言っているように聞こえた。

 アーセナルが再び挙手し、発言する。

「先ほど述べた兵士の考えなど、軍が許容するはずがありません」

 反論をするつもりなのか、スペンサーは再び挙手をし、発言する。

「軍が両方を救おうとする理想論な考えを持っているとは、到底思えません」

 アーセナルが挙手をし、発言しようとする。しかし、グロストフ提督に「君達二人の意見はもういい。大人しく座っていろ」と言われ、発言することはできなかった。

 僕はアーセナルの考えと同じく、両方を救う考えだった。

 スペンサーが言うことも、理解はできる。両方を救おうとすることは理想に過ぎないのかもしれない。しかし、だからといって一人を救うために、罪もない人を犠牲にするのは間違っている。僕は、現実にその状況に直面しても、両方を救おうとするだろう。

 その後、新兵達は自分の考えを述べていった。大半の兵士が両方を救うと言っていた。

 全員が発言した後、グロストフ提督は話し始める。

「この問いには答えなどない。君達が考えること一つ一つが答えだ」

 明確な答えなど存在しないということか。

「そして、これは私の考えだ。話半分にでも耳に入れてくれ」

 一呼吸置いた後、グロストフ提督の口が開く。

「バルトが正しいと信じ、行ってきた事柄が正しいとは限らない。正しさなど、立場や時代によって変動する」

 そう語ったグロストフ提督は「今日の職務はこれで終わりだ」と言って部屋を出て行った。




「あんたの考えは間違っているわ」

「間違っているのはお前だ。お前の考えは現実的じゃない」 

 時刻は夜。僕達の部屋のベッド奥にあるスペースで、アーセナルとスペンサーは言い争っていた。ブラウン、ヘンメリー、アリシア、レイラもこの部屋にいる。

 グロストフ提督が退出した後に、アーセナルとスペンサーは言い合いになっていた。

 アリシアとヘンメリーが止めようとしたが、それもむなしく、「これは軍の風紀に関する問題よ。徹底的に話し合うわ」とアーセナルが言い、「お前の理想主義の考えは軍に相応しくない。その考え方、直してやるよ」とスペンサーも負けじと言い返していた。

 その後、部屋を退出した僕達は男性陣の部屋に向かった。

 そして現在に至る。

「あんたの友達だって、両方を救うと言っていたじゃない」

「お前ら、両方を救おうとするなんて現実的じゃない。冷静に考えろよ」

 諭すように、スペンサーはヘンメリー達に訴える。

「僕はどちらとも救える方法があったら良いなと考えている。どうするかは、その場面に直面しなければ分からないかな」

 ヘンメリーの考えは変わらないようだ。

「私は、どちらかを見捨てることなんてできない。だから、両方とも救う方法を考える」

 アリシアは力強い口調で、そう答える。

「もし、一人を犠牲にすることで生き残るのが私だったら、嫌だな……。だから、どちらも救いたい……」

 下を向きながらレイラは自分の考えを述べた。

「お前らは現実が分かっていないんだよ」

「分かっていないのは、あなたじゃないかしら」

 アーセナルの言葉にいらついたのか、スペンサーはアーセナルを睨み付けた。

「さっきから思っていたけど、そのしゃべり方。お前、中心地出身だろ?」

「そうだけど、何か?」

「やっぱりな。生ぬるい場所で生きているから、そんな甘っちょろい考え方になるんだ」 そういうスペンサーはどこの出身なのだろう。

「俺はバルトの東に存在し、スウェード国に面するノルン出身だ。ノルンは何度も攻め込まれている。戦場を何度も見てきた。人が死ぬ姿だって、何度も見た。親だって殺された。現実を見てきたんだよ」

 バルトは四方を三つの国に囲まれている。そのため、中心から外側に行くほど他国に近づくので危険になる。実際、最初に攻め込まれるのは外側の都市だ。

さらに、外側に近づくにつれて産業、経済は低迷し、生活水準も低くなる。戦争の危険があるため、インフラは整備されにくい。その他にも外側の都市は収入が低いこと、失業率が高いこと、教育する施設が少ないこと、食料不足など様々な欠点が存在する。

 外側に面している国でも、多少の税金は支払っている。しかし、税金が免除される都市もあると聞いたことがある。

 逆に中心に近づくほど、攻め込まれることは少ないので、安全になってくる。

 僕の故郷であるリオネは、バルトの中心に位置しているので一番安全であるといえるだろう。

 中心に近づくほど、税金、物価は高くなる。その都市の税金が支払えなければ、税金が支払える範囲の都市に移住することになる。また、内地に近づくほど産業、経済が発展し、インフラも整備され、生活水準も高くなる。

「同情ならする。だけど、先ほどのグロストフ提督の話とは関係がないわ」

「関係あるんだよ。中心に存在する都市が安全なのは、外側に存在する都市を障壁として犠牲にしているからだろ」

「それは……」

 言い返すことができなくなったアーセナルは言い淀む。

「分かったろ。犠牲は必要なんだよ。両方を救うなんて不可能なんだ」

「……あなたの人生は同情する。だからといって、犠牲を認めるわけにはいかない。私は両方を救う方法を考えるわ。外側の都市だって、犠牲にならないで済む方法が在るはずよ」

 スペンサーの話を聞いても、アーセナルは両方を救う考えを変える気はないようだ。

「そんな方法、在るはずないだろ」

 言い合いはまだ続くようだ。

 今日は眠れそうにない。




 日差しが窓から差し込む。今日は暖かそうだ。

 二日後、グロストフ提督がどちらを救うか質問してきた部屋に、この前と同じメンバーの新兵は集められていた。この数日間、このメンバーで訓練などを受けている。どうやら、しばらくは、このメンバーで行動を共にするのだろう。

 新兵達も基地での生活に慣れてきているようだ。

 ヘンメリー、アリシアとは仲良くなれた気がする。

 レイラとは、仲がいいとは言えない。だが、少しずつ、距離が近づいている。時間の経過とともに、仲良くなっていくだろう。

 アーセナルも皆と仲良くやっているようだ。本人は認めないだろうが。

 スペンサーとアーセナルは相変わらず、仲が悪い。だが、スペンサーは僕達の応答には答えてくれるようにはなっている。

 ヘンメリー達とは集まって話し合う仲にまでなっていた。

 扉が開き、男性と女性の兵士が入ってくる。

 新兵達は急いで、着席する。

 教壇に立った男女の兵士は話を始めた。

「俺はヘカート少佐だ。今日はお前らに、兵科について説明するよう言われている」

 僕は男性が怖く見えた。顔が怖いわけではない。体格が大きいわけでもない。

 その男性の目、表情、歩き方、話し方、全てにおいて生気が感じられなかったことに恐怖を感じたのだ。感情というものが、存在しないみたいな男性だった。

 年齢は二十代前半だろうか。身長は僕より高い。体格はちょうど良いぐらいの筋肉を持ち、すらっとしている。髪は黒色で目にかかるぐらいの長さだ。

男性の瞳は死んでいた。光が感じられなかった。

(何を見てきたのだろう。何が、この男性を、こうさせたのだろう)

「私はルナ少尉です。ヘカート少佐の補佐としてきました」

 ヘカート少佐ほどではないが、ルナ少尉からも生気が感じられなかった。女性の表情、口調は冷たい。暖かさ、感情が感じられなかった。氷みたいな女性だ。 

 髪は茶色で肩まで伸びており、身長は僕と同じぐらい。体格はすらっとしている。顔は整っており、美しい。

 オルロ軍事基地内で見かけた多くの先輩兵士はいずれも、ヘカート少佐やルナ少尉のように感情が乏しく、生気が感じられなかった。または、暗い雰囲気を纏っていた。 

「ガタッ」

 レイラが椅子から、勢いよく立ち上がった。

「なんで……あんた達が」

 レイラは驚いているようだった。憎んでいる感情が表情に垣間見える。

「少佐と少尉に向かって、そんな口調ダメだよ。いったん座ろう」

 隣に座るアリシアが、レイラを落ち着かせようとする。

「私達は兵士よ。ここにいたって、おかしくないはずです。口調を改めなさい」

 感情が伴っていない口調でルナ少尉がレイラに命令する。

 

「ふざけないで!」


 レイラの怒鳴り声が室内に響き渡る。

「私はあんた達に見捨てられたリベリオの生き残り。あんた達はリベリオの人達を見捨てた……。あんた達のせいでリベリオの人達は殺されたの! そんなあんた達が、なぜ兵士を未だにやっているの! あんた達に兵士をやる資格なんてない。辞めてしまえ!」

 先ほどのおとなしい雰囲気とは違い、激情したレイラが言葉を畳み掛ける。その表情には怒り、憎悪、嫌悪が垣間見えた。

「リベリオの生き残りか……。俺達がリベリオの住民を見捨て、撤退したのは間違いない。あの時は、俺達新兵の戦力が敵より少なく、俺達の持ち場から敵が入り込んだ。住民を救うのは不可能と判断し、俺達の部隊は撤退した。全て俺達のせいだ。すまない」

 ヘカート少佐の謝罪には一切の感情が込められていなかった。表情も一切変わっていない。

「リベリオの人達を助けず、撤退して申し訳ない」

罪悪感を込めた表情で、ルナ少尉は謝罪した

「謝罪なんていらない。家族を返してよ……」

 レイラは部屋から飛び出した。

「では兵科の説明を始める」

 ヘカート少佐は何事もなかったように、説明を始める。

 ルナ少尉は視線を下に落とし、最後まで口を開くことはなかった。

 



 兵科の説明が終わり次第、僕達は部屋から飛び出したレイラを探しに行った。いつもは、素っ気ない態度のスペンサーやアーセナルも探してくれている。

 アーセナルとアリシアは女子寮を探しに行き、ヘンメリー、スペンサー、ブラウンは一人一人別れて訓練所、広場、食堂などを探しに行った。

 僕は書庫に探しに来ていた。

 まだ午後というのに、窓が少ないため光が乏しく、書庫は薄暗い。壁に取り付けられているガス灯が、周囲をぼんやりと照らしている。

 書庫は一階と二階に別れ、天井は吹き抜けとなっていた。

 一般的な書庫とは比べものにならないほど、この書庫は広い。横にも広いが、縦はそれよりも広く、奥まで続いている。左右には、壁に建て付けられた無数の本棚があった。間隔を開けて横に通じる道があり、その奥にも沢山の本棚がある。

 書庫の奥に探しに行くと、一番奥の部屋の角にレイラの姿はあった。床に座って、壁により掛かり、俯いている。重苦しい雰囲気をレイラは漂わせていた。

 声をかけにくい状況だが、僕は勇気を振り絞り、声をかける。  

「レイラ」

 声に気づいたレイラは、僕を見る。

「コルト君……」

「大丈夫かい?」

 大丈夫なはずないだろう。しかし、それ以外にかける言葉が思いつかなかった。

「大丈夫です。嫌なところを見せちゃいましたね」

 レイラは笑顔を作っていた。普段でさえ、笑うところを見せない彼女がだ。無理をして、取り繕っているのだろう。

「……僕はリベリオが襲撃されたときに、その場にいたんだ」

 レイラは驚いた表情で僕を見る。

「その日、僕は家族の仕事の関係でリベリオに来ていたんだ。町が破壊される光景。人々が虐殺される光景をこの目で見た。僕はその時、罪のない人が苦しまなくていい世界にしたいと思った。そして、兵士になることを決めたんだ」

「コルト君もあのときにリベリオにいたんですね。家族は無事だったのですか?」

「逃げた先に兵士が駆けつけてくれたらしく、無事だったよ」

 そう言った後に思い出す。レイラの家族は……。

「良かったですね……。私の家族は全員殺されました。私の所に来た兵士達は敵に敵わないと分かった途端、すぐに撤退したんです」

 その兵士がヘカート少佐とルナ少尉なのか……。

「あの人達は、何で兵士になったんですかね。国民を見捨てて逃げるぐらいなら、最初から兵士になんてならなければ良かったのに。あの人達じゃない兵士が来てくれていたら、私の家族は死ななかったかもしれない。……私はあの兵士達が許せない」

 かける言葉が見つからず、僕は黙っていた。

「私みたいな人が現れないようにするために、兵士になることを決めたんです。私は絶対に誰も見捨てない。どんな状況でも決して、助けることを諦めない」

 そう話すレイラの口調は力強かった。

「私が目指す兵士は、それを実現する強い力を持った兵士なんです。……そう考えると、訓練を抜け出している暇はないですね」

 レイラは、僕に笑みを見せる。

「頑張る。嘆いている暇はない」

 僕にはレイラが無理に元気を出しているように見えた

「コルト君と話したら、少しすっきりしました。ありがとうございます」

「僕は何もしていないよ。レイラは強いんだね」

「強くなんてないです……。私は弱い。だって、あのとき何もすることができなかったのだから」

レイラは僕に「次の訓練がそろそろ始まります。私のことは気にしないでください」と言った。まだ、訓練に戻れる状態ではないのだろう。

 僕はレイラを残し、訓練所に向かった。

 その日の訓練にレイラが姿を見せることはなかった。




訓練を終えた僕達は男性寮の部屋に集まっていた。

 しかし、そこにレイラの姿はない。

 僕以外の皆は、レイラとは、あれ以降、会っていなかった。僕も書庫で会った以降、レイラの姿は見ていない。

 既に、太陽は沈み、辺りは暗くなっていた。 

 各々ベッド奥のスペースに座っている。

 皆の表情は暗く、俯いている。レイラのことを皆、心配しているのだろう。普段大人しいレイラが、あれほど激情していたのだ。心配するのも無理はない。

「レイラは部屋に戻ってきていたか?」

 スペンサーがアリシアに、部屋にレイラがいたかを聞く。

 アリシアとレイラは部屋が同室なのだろう。

「戻ってきていないよ」

 顔を左右に振り、レイラが戻ってきていないことを、アリシアは伝えた。

 そのことを聞いた皆の表情はさらに、暗い顔つきになっていく。

 レイラは、一人でいたいはずだ。書庫は、軍内でも人が余り来ない。そのため、レイラはまだ、書庫にいる気がする。

「多分まだ、書庫にいるんじゃないかな」

「だったら、皆で書庫に行こうよ」

 アリシアはレイラを一人にさせたくないのだろう。

 レイラと一番仲が良いのはアリシアだ。僕達よりも、レイラのことを心配しているはずだ。

「僕達が行ったって、気を遣わせちゃうだけだ。今は、そっとしておいた方が良いと思う」

 今すぐにでも、書庫に行こうとするアリシアをヘンメリーが諭す。

「でも……」

「アリシアだって、一人になりたいときぐらいあるだろう」

「……」

「今日はそっとしておこうぜ。明日も今日と同じように、顔を見せなかったら、話を聞いてあげれば良い」

 まだ納得できていないアリシアに、ブラウンが提案する。

「そうだね。今はそっとしておいた方が良いよね」

 ヘンメリーやブラウンの考えに、ようやくアリシアは納得の意思を示す。

 今は、レイラを一人にしておいた方がいいだろう。気持ちを整理する時間が必要なはずだ。

「レイラの言っていたことは本当なの?」

 アーセナルはレイラが言っていたことを信じることができないのか、疑問を口にする。

 人々を守るはずの兵士が、国民を置いて逃げる。それをアーセナルは信じることができないのだろう。

 僕だって信じたくない。だって、僕が理想とする兵士はそんな人々ではないのだから。

「本当らしいよ」

 アリシアはレイラと仲が良いので、レイラの過去の話を聞いていたのだろう。

 そもそも、ヘカート少佐とルナ少尉がレイラの言っていたことを認めていたのだから、真実なことは確かだ。アーセナルも、それは、分かっているはずだ。

「国民を置いて逃げたって言うの?」

「ヘカート少佐達が認めていたんだから、本当だと思うよ」

 真実を認めることができていないアーセナルに僕は現実を伝えた。 

「……」

 アーセナルは立ち上がり、部屋の出口に向かって歩き出す。

「どこに、行くんだ」

 部屋から出ようとするアーセナルにブラウンが質問する。

「ヘカート少佐に直談判しに行くのよ」

 正義心が強いアーセナルは、ヘカート少佐達の所業を許すことができないのだろう。

「お前がか?」

「悪い?」

「それは、レイラがするべき事だ。俺達が騒ぎ立てる事ではないだろう」

「……」

 自身がするべき事ではないと、納得したのか、アーセナルは自分が座っていた場所に戻り、腰を下ろす。

「私は国民を絶対に、見捨てないわ」

 アーセナルは、そう小さく呟いた。

 

 

  

 兵科 


 軍には複数の職務が存在する。軍に存在する区分全体のことを兵科という。

 軍服において、着用する軍人が属する兵科を示すために、それぞれの軍服の左胸には自身の兵科を示す色の布地が取り付けられている。


 兵科

 参謀科  紫

 戦兵科  赤

 輜重兵科 茶

 工兵科  灰

 憲兵科  オレンジ

 情報兵科 白


 後方勤務

 軍医科  肌

 衛生科  ピンク

 獣医科  黄緑

 技術科  黒




 翌日の早朝。

 雲一つ見えない快晴。太陽の光が地に降り注ぐ。空気は冷たく肌寒い。

 射撃訓練を行うため、入隊式を行った屋外の訓練場に、新兵達は集められていた。兵士は一糸乱れぬ整列をしている。

 レイラは訓練に参加していた。浮かない表情をしているが、気持ちの整理をしたのか、訓練に真剣に取り組む雰囲気を見せていた。

(良かった……)

 訓練に参加しているレイラの姿を見て、僕は安堵する。

 皆も今日のレイラを見て安心しているようだ。

 目の前にはヘカート少佐とルナ少尉が立っている。

 ヘカート少佐は、そんなレイラを気にもしていないように、昨日と同じ態度をしていた。 レイラの一見があり、沈んでいるように見えたルナ少尉は最初の頃のように、生気が感じられない姿に戻っている。

「今日は昨日話したとおり、午前に射撃訓練。午後に近接戦闘訓練を行う」

 今日の訓練は新兵達の能力を測るためのものだろう。

「お前らが防衛大学で行ってきたのは、動かない的を射撃する練習だ。今回行う射撃訓練は、我々兵士を的にした訓練だ」

 新兵達から狼狽した声が聞こえる。

「安心しろ。お前らではなく、ルナ少尉が的になる」

 人を的にした射撃訓練なんて危険だ。安心できるはずがない。

 アリシアが挙手をし、発言する。

「人を的にするなんて、危険です。そのような射撃訓練できないです」

「ルナ少尉は魔法を使って防御をしている。お前らの弾丸などで、負傷をすることはない」

 アーセナルが挙手をし、質問する。

「具体的にどのような魔法を使うのでしょうか?」

 僕達はまだ、魔法の訓練を受けていない。そのため、魔法とは何かさえ分かっていない。

「それは、まだ教えられない。魔法については後日教える機会を作っている」

 そう言ったヘカート少佐は話の方向を魔法から射撃訓練に戻す。

「ルナ少尉は動き回る。そのルナ少尉を三分間射撃しろ。お前らが追い駆けてもいい。その三分間で銃弾を何回当てられたかを計測する。また、最後に順位を発表する。名前を呼ばれた者は所定の位置に付け」

 ヘカート少佐の説明は終わり、射撃訓練が始まった。



 最初に名前を呼ばれたのは、エレナという女性の兵士だった。彼女は、僕達新兵の前方数十メートル先に立っている。

 その彼女から前方に三十メートルほど離れた場所に、ルナ少尉はいる。ルナ少尉は防護となるものを何も着ていなかった。被弾すれば、大怪我は間違いない。

(あれは何だろう)

 ルナ少尉の周りをうっすらと黒い霧のようなものが覆っているように見えた。黒い霧が何かは分からない。もしかしたら、魔法なのかもしれない。

 ヘカート少佐の「始め!」の掛け声によって訓練は始まる。

 訓練が始まっても、エレナは、その場に立ち止まり、銃を構えているだけで、引き金を引くことができていなかった。

撃つことが、できないのは当たり前だろう。殺してしまうのかもしれないのだから。

 ルナ少尉は魔法で防御をしているため、負傷することはないと、ヘカート少佐は言っているが、僕達新兵はまだ、魔法の訓練を受けていないので、その言葉を信用することはできない。

 故にエレナは葛藤しているのだろう。「自分が放った弾丸で、ルナ少尉が怪我をすることはないのか」と。

 時間だけが経過していく。

一分ほど、経過した時、エレナは意を決したのか引き金を引いた。

 辺りに、発砲音が響き渡る。

 彼女も難関である防衛大学で基準値以上の成績を残し、卒業した一人だ。射撃した弾丸は頭部めがけて、一直線に飛んでいく。

 その弾丸をルナ少尉は、頭を右に傾けて避けた。

(人間にこのような動きは可能なのか? これが魔法の力なのか……)

 エレナは目を見開いて動揺し、射撃する手を止めていた。

 目の前で起きたことが信じられないのだろう。

 数秒呆然としていたが、射撃を再開させる。

 ルナ少尉は、次々と飛んでくる弾丸を避けながら颯爽と走った。

 そして、彼女は地を蹴り、空中に浮かぶ。

 僕は、リベリオで空中に浮かぶエルトニアの兵士を見たことがあるので、そこまで驚きはしなかった。

 彼女は信じられない速度で飛行していた。

 あの速さで動く人間に、弾丸を直撃させることは難しいだろう。

 ルナ少尉の足裏からは、うっすらと黒い霧のようなものが散布されている。

(あの黒い霧を足裏から噴出することによって、飛行しているのか)

 辺りを覆う黒い霧、足裏から散布される黒い霧は、目を凝らさなければ、見えないほど微細だ。

 黒い霧は、魔法で作り出しているのだろう。

 残り時間が半分ほどになろうとしていたとき、弾丸がルナ少尉の腹部に直撃した。

 しかし、弾丸は「カンッ」という音を響かせ、何かに弾かれる。

 ルナ少尉は何事もなかったかのように、飛行を続けた。

 何が起こったんだ……。ルナ少尉に弾丸は当たらなかった。いや、何かに弾かれたように見えた。あれは何だったんだ。

 目をこらして見ると黒色の膜のようなものが、ルナ少尉を覆っていた。

(あれが、弾丸を弾き飛ばしたのか)

 魔法というものは、凄いな。

 三分間が経った。エレナが当てられたのは一発だ。

 新兵達は魔法を目にし、驚きに包まれていた。

 ヘカート少佐が驚いている時間など待つわけもなく、次に射撃訓練を行う兵士の名を呼び、訓練を再開させた。



 僕が当てた弾丸は一発だった。順位は最初に射撃したエレナと同率で最下位。他の兵士は、大体二発から三発当てていた。四発以上当てている兵士はほとんどいない。

 エレナは一発という結果だったが、それは、他の新兵と違って、訓練中に初めて魔法を見ているためだろう。順番が最初でなければもっと当てられていたはずだ。

 三位は五発のアーセナル。二位は六発のスペンサー。一位は八発のレイラだ。

 一位の発表でレイラの名前が聞こえたときは驚いた。昨日のこともあったというのに……。気持ちを上手く切り替えられたのだろう。そもそも、射撃が得意なのかもしれない。

 ブラウンは四発、ヘンメリーは三発、アリシアは一発当てていた。

 ルナ少尉は傷一つ負っていなかった。弾丸を何らかの方法で、弾いためだ。

 順位が発表され、訓練が終わると思いきやヘカート少佐は話し始めた。

「魔法の詳細は後日教えると言っていたが、魔弾は見せることになっている。よく見ておけ」

 魔弾とは何だろう。魔法で弾丸を作るのだろうか。

「まずは、普通の弾丸だ」

 右手で持った銃を、ヘカート少佐は左の方向にある、土が高く積まれた小さい山のようなものに向ける。小さい山といっても縦に六メートル、横に八メートルぐらいある。

 そして、引き金を引いた。

 銃口から弾丸が射出され、山に直撃する。

「弾丸が当たった箇所を見てこい」

 ヘカート少佐は普通の弾丸と、魔弾の威力を比較させようとしているのだろう。

 新兵は山に近づき、弾痕を確認する。弾丸は山にめり込んでいた。

「そこをどけ」

 先ほどと同じ銃を、再びヘカート少佐は小さい山に向けた。

「これが、魔弾だ」

 発砲音と供に、銃口から黒色の弾丸が凄まじい速度で射出され、山に直撃する。

「近づいて良いぞ」

 新兵達は急いで近づき、当たった箇所を確認する。弾丸は山にめり込んでいた。先ほどと変わっていない。

「山の後方を見てこい」

 山の後方には一つだけ弾丸が貫通した後があった。

「最初の弾丸は貫通していない。貫通したのは魔弾だ」

 ヘカート少佐が新兵に説明する。

 横幅八メートルの山を貫通させる威力は凄い。凄まじい威力だ。しかし、新兵達は魔弾をもっと派手なものと想像していたのだろう。余り驚いていないようだ。

「これだけでは魔法の威力が分からないかもしれないな。もう一回撃つ。そこをどけ」

 先ほどと同じように銃を山に向け、黒色の弾丸が射出される。

 弾丸は山にめり込んだ。

(先ほどと変わらないじゃないか)

 そう思った矢先に、山は爆発した。

 山の土は、辺り一面に飛び散る。山の姿はなくなり、平地と化していた。

 新兵達はその光景に驚き、唾を飲み込む。

「これで午後の訓練は終了だ。散らばった土を、道具を使って山の形に戻しておけ」

 ヘカート少佐達は去って行った。新兵達は魔法の威力を目にし、しばらく動けそうになかった。




 射撃訓練を終えた新兵は昼食休憩を取っていた。

 僕達は軍内の食堂に来ている。

 多くの兵士がオルロ軍事基地に配属されているからなのか、食堂は広大な広さを持つ。横も十分に広いと思うが、縦の長さは、それよりも広い。

 天井にはシャンデリアが飾られている。シャンデリアと言っても全体は鉄でできているようだ。ガラスでできているシャンデリアのように、華麗ではないが、アンティーク感があり、美しかった。

 食堂には縦に置かれた机が十列あり。一列に十個の机が置かれている。机は縦に長く、左右に五個の椅子があった。

 昼時だからなのか、食堂は大勢の兵士達がいる。

 僕達は入り口付近の机で、ご飯を食べていた。

「ルナ少尉とヘカート少佐の魔法、凄かったよね」

 先ほどの光景が忘れられないのか、アリシアは興奮しているようだ。

「弾丸を跳ね返すのは凄かったよな」

 ブラウンも気持ちが高ぶっているように見える。

「弾丸が山の中で爆発したのは凄かったわね」

 冷静に見せているが、アーセナルも動揺しているようだ。

「凄かったね」

 同意見だったのかヘンメリーは頷いた。

「アーセナルさんは順位が三位だったよね。羨ましいな」

 尊敬の眼差しでアリシアはアーセナルを見つめる。

「別に凄くないわ」

「確かに凄くないな。俺は二位だし」

 アーセナルはスペンサーを睨む。

「二位ごときで自慢できるなんて、羨ましい神経を持っているわね」

(言い合いが始まりそうだな……)

「レイラは一位だったよね」

 僕は話の軌道を変える。

「あのルナ少尉に八発当てるなんて凄いよね」

 アリシアが話の流れに上手く乗ってくれたおかげで、言い争いは回避できた。

「凄くなんてないです。近接戦闘訓練は苦手ですし……」

 レイラは謙遜して、そう言っているが、八発当てたことは凄いことだ。新兵の平均は三発。その平均を圧倒的に超える八発をレイラは当てた。レイラは射撃の才能があるのだろう。

「午後の近接戦闘訓練はどんなことをやるんだろうな」

ブラウンと同じように、僕も近接戦闘訓練は気になっていた。もしかしたら、魔法武器なんてのが存在して、それを使った近接戦闘をするのかもしれない。 

「魔法を使った先輩の兵士を相手にした近接戦闘とかかな?」

「どうなんだろうね」

 アリシアとヘンメリーが各々予想を述べる。

 そんな話をしていると、午後の近接戦闘訓練の時間が近づき、僕達は屋外の訓練所に向かった。




「これより、近接戦闘訓練を始める」

 射撃訓練と同じく、ヘカート少佐とルナ少尉が訓練を進行していくようだ。

 場所は午前の射撃訓練で使用した屋外の訓練場。

 軍内に屋外の訓練場は複数存在するが、これまでの屋外の訓練では、この訓練場しか使用してこなかった。僕達新兵のグループは屋外で訓練する際には、この訓練場を使っていくのだろう。

 ヘカート少佐は近接戦闘訓練の内容を新兵に向けて、説明をしていく。

「近接戦闘訓練では、お前ら新兵に二人一組となってもらい、近接戦闘をしてもらう。殴る蹴るなどの打撃は許可するが、武器の使用は許可しない。俺が続行不可能と判断した場合、戦闘を終わりとする。戦闘回数は二回だ。名前を呼ばれた二名は戦闘の準備をしろ」

(魔法は使用しないのか……)

 楽しみにしていた分、少し気落ちする。

 訓練内容は防衛大学で行った近接戦闘訓練と、ほとんど同じだった。

この訓練では、勝利することも大事だが、自身の能力を上官に見せつけることも大事だろう。

「アーセナル。レナード」

 準備をし終えた、アーセナルとレナードという兵士は向き合う。

 相手のレナードという男性は体が大きかった。身長は一メートル九十センチぐらいある。男性の首は太く、胸板は分厚い。腕や足は丸太のように太く、手はアーセナルの顔よりも大きく見える。あれに捕まれたら、簡単に、握りつぶされそうだ。殴られても、致命傷を受けるだろう。あの体格だ、全ての打撃が致命傷となるはずだ。

 体は剛健な筋肉で覆われているため、防御力も高いだろう。一般人の打撃などは効かなそうだ。

 髪は黒の色をしており、眉毛ぐらいの位置で切られている。瞳も同じく、黒色だ。

 その見た目からして、力任せに戦うのかと思っていたが、どうやらそうではないことが窺える。向き合っている最中、アーセナルをじっと見つめているのだ。分析しているのだろう。 

 訓練が始まるのかと思っていたが、ヘカート少佐が新兵の方向に向かって話し始めた

「午前の射撃訓練では被弾の可能性があったため、お前らを危険ではない後方で観戦をさせた。今回は危険がないため、名前を呼ばれたことが確認できる距離ならどこで見てもかまわない」

 移動の許可が出たため、兵士達は自分の観戦したい位置に移動する。

 ブラウン、ヘンメリー、レイラは訓練が行われる前方の方にいた。

 皆の元に近づこうとしたとき、後方から声をかけられる。

「レナードっていう兵士、大きいね。アーセナルさん、勝てるかな?」

 声をかけてきたのはアリシアだった。

 アリシアはここで観戦しようとしているのか、僕の右隣から動こうとしなかった。僕だけ動くわけにも行かず、その場で観戦することを決める

「アーセナルは防衛大学で、近接戦闘の試験はトップだったから勝つと思うよ」

 相手の身長が自身より高く、剛健な体格をしていようとアーセナルは必ず勝つだろう。アーセナルが負ける相手など、そうそういないのだから。

「これより、アーセナルとレナードの近接戦闘訓練を行う。ルールは先ほど説明した通りだ。では、初めよ」

 ヘカート少佐の声を機にアーセナルとレナードの近接戦闘訓練が始まった。

 両者の距離は一メートル。腕を伸ばせば届く距離だ。この距離なら一瞬で決着がつくこともあるので、目が離せない。

 訓練が始まってもレナードは動こうとしなかった。じっとアーセナルを見つめている。相手の出方を見て分析するつもりだろう。

 アーセナルも動こうとしていなかった。

 膠着状態が続く。

 アーセナルが先に動き出した。 

 レナードの頬めがけて右のフックを繰り出す。

 後方に半歩下がり、レナードは避けた。

 繰り出したフックの握りこぶしを途中で開き、アーセナルは相手の首を掴み後方に押し倒そうとする。

 これが、最初から狙いだったのだろう。相手の体格から立ち技で勝利するのは難しいと判断して、寝技に入り込むつもりか。

 しかし、レナードはびくともしなかった。一歩も動かすことができていない。

 レナードの剛健な体格をアーセナルが押し倒すことは不可能だったのだ。

 アーセナルが首を掴んでいるため、両者の距離は近い。

 もし、この距離で、レナードの攻撃が直撃すれば、アーセナルは敗北するだろう。

 レナードは右の拳をアーセナルの額をめがけて、振り下ろそうとする。

 一瞬、もう、だめかと頭をよぎる。

 アーセナルは首に掴んでいる右手を離す。一本背負いを狙っているのか、体を左に捻りながら、レナードの右の拳を両手で掴もうとする。

 これが、決まれば、アーセナルの勝利だろう。

(いけ! アーセナル)

 そうすることを予測していたのか、レナードは振り下ろそうとした右の拳を急停止させた。そして、左の拳を振りかざす。

 アーセナルのこの動きを呼んでいたのか。やはり、レナードは力が強いだけではなく、頭がよかった。

 防御するかと思いきや、アーセナルは左に捻った体の勢いを止めず、体をしゃがませながら左後ろに回転させ、左足でレナードの両足を払った。

 後方にレナードは倒れ込む。

 アーセナルはレナードの上に馬乗りになり、右拳を振りかざす動作をする。

「辞め」

 反撃不可能と判断したのか、ヘカート少佐は訓練を止めた。

 僕の予想通り、アーセナルの勝利で終わった。

 相手の攻撃を一切食らうことなく、短時間で相手を倒す。アーセナルの他を寄せつけない近接戦闘の強さが、今の戦闘で皆も分かっただろう。

 レナードが弱かったわけではない。レナードは強かった。力が強いだけではなく、頭も良かった。自信の体格を活かした、うまい戦い方もしていた。総合的に見て、近接戦闘のレベルは相当高いだろう。

 しかし、それよりも、アーセナルのポテンシャルと技術力が上回ったのだ。戦う相手がアーセナルでなければ、勝利できていただろう。

 ヘカート少佐は次の二名の名前を呼んだ。

「次はアーセナルとスペンサーだ」

 


 スペンサーとアーセナルは向き合っている。

 近接戦闘を二回連続で行うというのに、アーセナルには不満の表情は見えない。

 それもそのはず、二回連続して近接戦闘を行うことに不満を言う兵士はいないはずだ。戦場でそんなことは言えないのだから。

 スペンサーの方が身長は高く、頭一個分ほどの身長差があった。

 頭一個分の身長差だからと言って、侮ってはいけない。身長が高い兵士は腕や足のリーチが長いことや、上から振り下ろす打撃などのメリットを持っているからだ。

 しかし、身長が低い兵士のメリットも存在する。相手の内側に入り込みやすいことや、俊敏さなどが挙げられる。

 そもそも、男女の体では構造が違うため、男性の方が有利と言えるだろう。

 両者の距離は一メートルぐらい離れている。

 既に両者は構えており、臨戦態勢に入っていた。

「スペンサーは強いよ。アーセナルさんと同じように、防衛大学の近接戦闘試験ではトップだったから」

 アリシアの言うとおり、スペンサーは強いのだろう。射撃訓練では五発をルナ少尉に当てている強者だ。アーセナルと同じように、防衛大学の近接戦闘試験でトップであるならば、今回の訓練ではどちらが勝つか分からない。

「これより、スペンサーとアーセナルの近接戦闘訓練を行う。ルールは先ほど説明した通りだ。では、初めよ」

 ヘカート少佐の声を機にスペンサーとアーセナルの近接戦闘訓練が始まった。

 先ほどと同じく、膠着状態が続くと思っていった。しかし、予想を裏切り、試合が始まった瞬間にアーセナルは左のジャブを繰り出した。

 ジャブの速度が凄まじい速さだったため、スペンサーの鼻に直撃する。

 スペンサーは先ほどの試合を見て、アーセナルがいきなり攻撃してくるとは考えていなかったのだろう。アーセナルはその裏をかいて行動したということか。

 続けて、アーセナルは右のフックを繰り出す。

 スペンサーは右頬のところに両手を出し防御しようとする。

 防衛大学でトップだっただけのこともある。一撃を顔面に受けても、怯むことなく、次の攻撃を防ごうとしている。

 相手がアーセナルでなければ、スペンサーは敵の打撃を防御して、持ち直していただろう。

 しかし、相手はアーセナルだ。相手が悪かった。

 右のフックをアーセナルは急停止させ、空いた左の側頭部に上段蹴りをいれる。

 上段蹴りは直撃し、スペンサーは地に崩れ落ちた。

 気を失ったのか、スペンサーは起き上がらず、新兵に担がれて、軍内につれていかれる。

 アーセナルの完勝で訓練は終わった。

 レベルが違うというのはこのことだろう。運動神経、戦略、瞬間的判断、全てにおいて、アーセナルが上回っていた。

 スペンサーはアーセナルの手のひらで踊らされていたのだ。

「アーセナルさん、とっても強かったね。数秒で決着がつくなんて、思わなかったよ」

 スペンサーが勝つと予想していたのか、アリシアは驚いているようだ。

「僕も、あんなに早く終わるとは思わなかった」

 どちらも強者と判断し、戦闘は拮抗すると予想していたが、現実は早期決着で終わった。改めて、アーセナルは強いことが身にしみて分かる。

「最初から、あんなに強かったの?」

「子供の頃は僕よりも力が弱かったよ。才能なんてものは、なかったと思う」

 僕が初めて、アーセナルと出会ったときは六歳ぐらいだっただろうか。

 今言えば、あり得ないと言われるかも知れないが、アーセナルはレイラみたいな少女だった。人と話すのが苦手で、内気な少女。仲良くなるのも相当な時間がかかったことを覚えている。

 あの時のアーセナルは、今みたいに、傲慢ではなかった。だが、今と変わらないものを持っていた。

 正義心だ。

 その正義を貫こうと、困っている人を助けようとしたり、いじめられていた子を守ろうとしたり、様々な善行を行っていた。

 しかし、人と話すのが苦手で、力も、才能も、知力も、何もなかったアーセナルは何をやっても上手くいっていなかった。

「じゃあ、どうして、あんなに強いの?」

「誰よりも努力しているからじゃないかな。僕はアーセナルの努力しているところを見てきたから、アーセナルが強いことも、頭が良いことも不思議に思わないよ」

 正義を貫こうとしても、何をやっても上手くいかなかったアーセナルは誰よりも努力をしていたのだ。そう、誰よりも。アーセナルより、努力をしている人などいるのだろうかというぐらい、努力をしていた。

 だから、今の強いアーセナルがいるのだ。

「アーセナルさんは沢山努力してきたんだね……私も沢山努力してきたはずなんだけど、強くなれないんだ。努力が足りないのかな」

 憂鬱な表情をしたアリシアは俯く。

 自分の能力が伸びないことに悩んでいるのだろう。

「まだ芽が出てきていないだけじゃないかな? 結果は追い追い出てくると思う」

 あのアーセナルがここまで、強くなったんだ。努力を続ければ、いずれ成果は出てくると僕は思っている。

「何年も努力はしてきたんだよ。それでも、結果はいつも同じ!」

 感情が高ぶったアリシアは声を荒らげる。

「……そんなに努力しても、結果がでないって事は向いていないのかもしれないね」

 こんなアリシアは見ていたくなかった。元気で無邪気で笑顔に溢れたアリシアに戻ってほしい。

 だが、先ほど言った、努力すれば結果は追い追い出てくるや努力は裏切らないなどの言葉では、アリシアの気持ちを晴れさせることはできないだろう。

 どうすれば、アリシアの気持ちを晴れさせられるのか。

 僕はアリシアと出会ってから、今までのことを思い出す。

(そういえば、僕の左側に立っていたのはアリシアだったな……)

入隊の有無の確認が行われた時の僕の右側に、アリシア達がいたことを思い出す。

(だから、初めて会った時にこれより前に会ったことがあると感じたのか)

「アリシアって入隊の有無の確認をしていた時に、私を助けてくれた兵士のような人になるために軍に入隊するって言ってたよね。その兵士ってどんな人なの?」

 何かアリシアが元気になれるヒントが、そこにあると思った僕は、アリシアに訪ねる。

「何でそんなこと聞くの? 恥ずかしいな……」

 照れくさそうに、頬をアリシアは赤らめていた。

「教えてほしいな。ダメかな?」

「……」

「どんな人っていうか、グロストフ提督のことだよ」

(グロストフ提督?)

 グロストフ提督がアリシアを助けたのか? 。予想を遙かに上回る答えに、僕の頭は混乱する。しかし、動揺している姿をアリシアに見せるわけにはいかないため、平然を装った。

「グロストフ提督がアリシアを助けたの?」

「うん。助けてくれたんだ」

 アリシアは子供のように、嬉しそうに、無邪気に笑う。

 どうやったら、グロストフ提督がアリシアを助けることになるのだ。グロストフ提督とアリシアに繋がりがあった訳でもないだろう。

「詳しく教えてくれる?」

「少し話が長くなりそうだけどいい?」

「大丈夫だよ」

 アリシアは過去の出来事を語り出した。

「子供の頃、私が住んでいた都市がスウェードに襲撃されたんだ。私は生き延びるために、避難所へと続く道に走った。だけど、その道の先に敵兵が四人いてね、後ろからも敵兵が三人来て、逃げる道がなくなったんだ」

 過去を思い出し、アリシアの表情は暗くなっていく。

「敵兵は私の前に立って、剣を真上に振り上げるんだけど、私は逃げようともせず、呆然と立ち尽くしていたんだ。……諦めていたんだろうね」

 僕もリベリオで、敵兵を前にして呆然としていた経験があったのでその感覚は共感できた。

アリシアも僕と同じように、絶望に苛まれ、現実を理解することを放棄したのだろう。

「剣を振り下ろそうとしたその時に……グロストフ提督が空から現れたんだ。そして、前方、後方にいた敵兵達を倒して、私を守ってくれたの」

 アリシアは夢を語る子供のような表情をしていた。

 窮地に陥った少女を、危険を顧みずに救った男。

 もし、『英雄』が実在するのであれば、グロストフ提督のことを言っているのだろう。

「アリシアはグロストフ提督のような人になるために、努力をしてきたの?」

 話を聞く限り、アリシアは自身を助けた、グロストフ提督に憧れて、努力をしてきたのだろう。 

「うん。グロストフ提督のように国民を守れる兵士になるために、精一杯努力してきた。……でも、防衛大学での試験では毎回最下位に近い順位だったし、今回の射撃訓練では一発しか当てられなかった」

 アリシアは子供の頃から努力をし続けているということか。しかし、結果がついてこない。僕と似ているようだ。

 努力をしているのに、結果がついてこないことは耐え難い辛さだ。

 僕はリベリオ襲撃の際に、この世界を、善良な人々が苦しむことがない世界に変えると誓った。

 そのために、僕は兵士になることを決意した。兵士になれば、人々を守る事ができる力、魔法を使用できるようになるからだ。

 兵士になるために、僕はひたすら努力をし続けた。

 アーセナルにも負けていないほど、努力をしてきた。努力を怠った日など、一日たりともない。

 最初は順調に努力をした分、能力は上昇していった。上昇したと言っても、元が低かった分、普通になれただけだったが。

 僕は皆と同じ土俵には上れた。しかし、それ以降はどんなに努力しても、良い結果は出なかった。

 軍立防衛大学に入学できたことは幸いだ。運が良かったのだろう。

 だが、それからは、アーセナルやブラウンが成長していく姿を後ろから眺めているだけだ。

 僕には才能がない。器が違うのだと何度思ったことだろうか。

 そう、今のアリシアと同じだ。

 夢を叶えようと、努力をし続けるが、世界が現実を叩きつけてくる。

 その絶望は凄まじいものだ。

「こんな兵士じゃ、誰も守ることなんてできないよね……」

 結果を出していない僕の言葉ではアリシアを元気づけられそうにない。……だが、グロストフ提督に関連して話せば元気づけることは可能だろう。

「グロストフ提督も上手くいかないときはあったんじゃないかな。それでも自分を信じ続けて、努力してきたからこそ、あんな偉大な兵士になれたんじゃないかな」

 その言葉はアリシアにだけではなく、僕自身にも言い聞かせていた。

「……」

 長い沈黙が二人の間に流れる。

「……グロストフ提督も上手くいかなかった時はあったよね……今の私も、その上手くいかない時なんだ……そんな時でもグロストフ提督は自分を信じて努力してきたはず……今までやってきたことは決して無駄じゃない!」

 そう言うアリシアの姿は自分自身に言い聞かせているように見えた。

「私も自分を信じる」

 そう言ったアリシアの顔には、先ほどまでの不安な表情は微塵もない。やる気に満ち溢れているようだ。

「次はノーブルとアリシアだ」

 ヘカート少佐の声が聞こえてきた。

「コルト君と話したおかげで、気持ちの整理ができた。ありがとう!」

 満面の笑顔を僕に見せたアリシアは、訓練が行われる場所に走っていった。



「これより、ノーブルとアリシアの近接戦闘訓練を行う。ルールは先ほど説明した通りだ。では、初めよ」

ヘカート少佐の声を機にノーブルとアリシアの近接戦闘訓練が始まった。

 アリシアと向き合っているノーブルは長身の男性だ。身長は一メートル八〇センチほどあるだろうか。身長が高い分、腕や足が長い。

 体は、ほっそりとしている。痩せている訳ではなく、無駄な筋肉がないのだろう。

自身より身長が高く、腕や足のリーチが長い相手と、アリシアは戦うのだ、苦戦を強いられるだろう。

 試合の始まりとともに、ノーブルは半歩後ろに下がった。

 あの距離だと、アリシアは打撃を相手に当てることができない。ノーブルは一方的にアリシアを攻撃していくつもりだろう。

アリシアの攻撃が届かない距離から、ノーブルはジャブと蹴りを交互に繰り出す。

 その相手の打撃をアリシアは防御して、接近を試みる。

 腕や足が短いアリシアは接近する以外に、道はないのだろう。

 しかし、アリシアの接近とともにノーブルは後方に下がる。

 振り出しに戻った。これで、また、アリシアの攻撃は相手に届くことはない。

 そして、再び、アリシアの攻撃が届かない距離から、ノーブルはジャブを繰り出す。

 接近すれば、後方に下がり、打撃を繰り出す。この一連の動作をノーブルは、繰り返していた。

 アリシアは相手に近づくことができず、攻撃を受け続けている。

 ノーブルの戦い方は、背が低い相手からすると、たまったものではない。相手に攻撃を当てられないまま、一方的に攻撃を受けるのだから。

 それでも、アリシアは諦めず、ノーブルに近づこうとしている。

 銃などの遠距離の武器を使用することができない場合、相手に接近して攻撃を当てる以外、勝利する道はないのだ。

 近づいてくれば、ノーブルは後方に下がり、相手の攻撃が届かない距離から、ジャブを繰り出す。

 一切のダメージをノーブルに与えることができないまま、アリシアの体力が一方的に削られていく。

 アリシアはノーブルの打撃を何十回も受けている。それなのに、苦しそうな表情は見せない。それどころか、勝負を諦めておらず、気迫のこもった表情を垣間見せている。

 しかし、気持ちだけで勝てる相手ではない。時間が経過するにつれて、アリシアの体力がみるみる削られていく。

 圧倒的にアリシアの不利だ。疲れをアリシアは態度に出していないが、着実にダメージは蓄積しているはず。

 このまま、戦闘を続ければ、自身が負けると判断したのか、両腕で顔を防御し、アリシアはノーブルに向かって走り出す。

 アリシアの判断は正しい。ノーブルは相手を弱らせ、完璧に仕留められるときに、仕掛けるはずだ。戦闘が、このまま続けば、敗北することは目に見えている。

 接近するアリシアに合わせて、ノーブルはみずおちに膝蹴りをいれる。

 あの膝蹴りは耐えられないだろう。相手が接近する完璧なタイミングでノーブルはアリシアのみずおちに膝蹴りを入れたのだ。息をすることさえ辛いはずだ。

 アリシアは前のめりに崩れ落ちる。……そう思っていた。

 しかし、地面に倒れている姿はそこにはなかった。

 アリシアは片膝をつき、踏ん張っていたのだ。

 普通の人間ならば耐えることができず、地に崩れ落ちていたはずだ。アリシアが踏ん張れたのは、負けたくないという強い気持ちがあったからだろう。

 しかし、現実は残酷だ。

 ノーブルは片膝をついているアリシアの顔面に右の蹴りを入れようとする。

 その後の光景を予測できた僕は目を瞑る。

「止め!」

 暗闇の世界にヘカート少佐の声が聞こえてきた。

 僕は恐る恐る、目を開ける。

 そこには、片膝をついたアリシアと、アリシアの顔面すれすれで蹴りを停止させているノーブルの姿があった。

 ヘカート少佐が訓練を止めたため、ノーブルの蹴りは、アリシアに当たっていなかったのだ。

 奮闘はしたが、ノーブルの勝利で訓練は終わった。ノーブルは息ひとつあげていない。圧倒的な勝利だ。

 アリシアは良く頑張った。気持ちでは、負けていなかったはずだ。もし、身長や運動神経などが相手より高ければ、アリシアは勝利していただろう。

 だが、気持ちだけでは、勝てなかったのだ。やはり、持つ者と、持たざる者の差は大きい。

 持つ者と、持たざる者の境界線には、気持ちでは乗り越えることができない大きな壁があるのだ。

 訓練を終えたアリシアは僕の方に向かって歩いてくる。

俯いているため、その表情は窺えない。

 なんて、声をかければいいのだろう……。「よく頑張ったね」と言うべきか。いや、慰めの言葉は、より、アリシアを苦しめる事になるはずだ。……アリシアにかける言葉が見つからない。

 僕の前に来たアリシアが口を開く。

「次の訓練の戦略を一緒に考えてくれないかな」

 敗北したことにアリシアは気落ちしていなかった。それどころか、次の訓練のことを考えている。目は死んでおらず、闘志に燃えていた。

(強い子だな……)

 先ほど話し合って、やる気を出した直後の敗北だ。普通なら、落ち込んでいるはず。しかし、アリシアは落ち込む気配を微塵も見せず、次の訓練の戦略を考えようとしている。並大抵の精神力ではない。

「うん。一緒に考えよう」

 理由は分からないが、アリシアなら次の訓練に勝利できる気がした。いや、勝利してほしかった。

 僕とアリシアは勝利するために、戦略を考え始めた。


 

 その後、アリシアの名前が呼ばれたのは、最後の方だった。もしかしたら、これが最後の訓練かも知れない。

 既に、僕は訓練を二回終えている。アリシアにアドバイスした、僕の訓練の結果は二連敗。アリシアにあんなことを言っていたのに、僕はこんな結果だ。

(情けないな……)

 ちなみに、ヘンメリーとレイラは一勝一敗。ブラウンは二勝だった。

「行ってくるね」

 やる気に満ちた表情をアリシアはしている。

「頑張って」

 近接戦闘訓練が行われる中央にアリシアは走って行った。

 勝利してほしい。アリシアは沢山の努力をしてきたのだから。

 努力をした分、結果が現れるとは思ってはいない。しかし、アリシアには勝利をしてほしかった。それは、アリシアだけのためではない。僕のためでもあった。

 アリシアと相手のメイルという女性の兵士が向き合う。

 相手の身長はアリシアとほとんど同じだった。自身の攻撃が届かない距離から、一方的に攻撃されることはないだろう。

「これより、メイルとアリシアの近接戦闘訓練を行う。ルールは先ほど説明した通りだ。では、初めよ」

 ヘカート少佐の声を機にメイルとアリシアの近接戦闘訓練が始まった。

 始まりとともに、メイルはアリシアに接近し、殴打する。

 アリシアも怯むことなく、相手に打撃を繰り出す。

 相手のメイルの方が力は強かった。全体的な身体能力も、メイルの方が上だ。しかし、アリシアが押されている様子はなかった。

 ダメージはアリシアの方が大きいことは確かだが、勝負は拮抗しているのだ。アリシアは気持ちで戦っているのだろう。

 しかし、気持ちというものは、それほど便利なものではない。一見、良い勝負に見えるが、アリシアの方が着実にダメージが積み重なっているはずだ。

 五分ほど戦闘をしただろうか。もはや、泥仕合と言ってもいい試合内容になっていた。

 どちらとも相手に何度か倒されたが、そのたびに直ぐさま起き上がっている。軍服は土で汚れ、露出している腕や首の肌には擦り傷が見えていた。

 両者ともに、足はふらふらで、いつ倒れるか分からない。しかし、有利なのは、より相手にダメージを与えているメイルだ。

 相手がアリシアに接近する。

 メイルは殴打、蹴りの連打をアリシアに浴びせる。この攻撃に賭けているのか、速度、力はこの戦闘の中で一番だ。

アリシアは反撃をしなかった。両腕で自身の顔を防御して、相手の攻撃を耐えに、耐え抜いていた。

 徐々にメイルの攻撃が遅くなっていく。 

 打撃の速度が遅くなった隙をついて、相手の腹部めがけてアリシアはタックルする。

 先ほどの自身の攻撃で体力を失ったのだろう。メイルはタックルを防ぐことができなかった。

 アリシアのタックルは相手の腹部に直撃する。

 そのまま、アリシアは相手を後方に押し倒す。

 序盤でタックルをしても、メイルは防御して、タックルは防がれてはずだ。相手の体力を削ったことが功を奏したのだろう。

 倒れ込んでいるメイルの上にアリシアは馬乗りになる。

 相手は起き上がろうとするが、アリシアは両足で相手の両腕を押し込み、動けなくさせる。

 こうなれば、運動神経などは意味をなさない。レナードのような人であれば、起き上がることも可能だろうが、普通の人間には、ここから起き上がることは不可能だ。まして、メイルは体力を失っているのだから。

 アリシアが右拳を振り下ろそうとした時に、ヘカート少佐は訓練を止めた。

(アリシアの勝利だ……)

歓喜の声を叫びそうになったが、理性が働き、叫ぶことはなかった。

 アリシアが勝利するとは誰も予想していなかったはずだ。メイルの方が、運動神経や戦闘技術が高かったのだから。

 一回目の訓練の敗北で諦めず、戦略を考え、訓練に挑んだから勝ち取れた勝利だ。

 これから、どんどんアリシアは強くなっていく気がした。

(僕も、頑張らなきゃな……)

 自身より実力が上な相手にアリシアは勝利した。努力に見たる結果を残したのだ。僕も負けていられない。頑張ろう。

 戦いに勝利した彼女は僕の元に走って来た。

「勝ったよ!」

 満面の笑顔でアリシアは、僕に勝利の報告をする。その体はぼろぼろだった。この前、配布されたばかりなのに、軍服は全体的に汚れている。露出する肌には所々に、擦り傷があった。

 勝利の勲章とでも呼ぶべきか。

 勝利したことに興奮しているのか、アリシアは生き生きとしていた。

(元気が戻ってくれてよかった)

憧れのグロストフ提督がやってきたことなら、アリシアの心に響いてくれると考えたのだが、上手くいった。

 入隊の有無の確認でアリシアが言った言葉を覚えておいて良かったな。それを覚えていなければ、アリシアを元気づけるのは難しかっただろう。

 入隊の有無の確認で「軍に入隊する理由はなんだ」と問われた。大半の卒業生が「国民を守るため」や「名誉ある職業だから」などの発言をするなか、アリシアは「憧れの兵士のような人になるため」と発言した。

 他の卒業生の発言と比べて、アリシアの発言が珍しかったことや、自身の右隣だったことから、覚えていられたのだろう。

「おめでとう」

 僕はアリシアに賛辞を送る。

 その賛辞はアリシアが勝利したことにでもあるが、僕達はまだ強くなれると証明してくれたことに対しての賛辞でもあった。

「コルト君が一緒に戦略を考えてくれたから、勝てたんだよ」

 アリシアは謙遜をしているが、今回の勝利はアリシアが自身で勝ち取ったものだ。僕は何もやっていない。

「僕は何もやっていないよ。アリシアが諦めず努力をしてきたから、勝てたんだよ」

 そう言っても、アリシアは認めようとしなかった。

 その後、アリシアとメイルの近接戦闘訓練が最後だったのか、招集がかかる。

「今日の訓練を終了とする。解散」

 整列した新兵にヘカート少佐は、訓練の終了を伝えた

 近接戦闘訓練では魔法を見せてはくれなかった。

(早く魔法を使えるようになりたい)

射撃訓練で見た、あの魔法があれば国民を守れる。

 僕は魔法を渇望していた。




 近接戦闘訓練の数日後。午後の訓練は二つあった。一つ目は班について学ぶ訓練。二つ目は指揮官について学ぶ訓練だ。

 新兵は必ずどちらかの訓練を受けることになっている。どちらの訓練を受けるかは軍の采配によって決まる。

 何故か、僕は指揮官の訓練に選ばれた。

 僕は指揮をする人間ではない。指揮官に命令をされる側の人間だ。つまり、班について学ぶ訓練に選ばれるはずなのだ。そのため、指揮官訓練に選ばれた理由は定かではない。

 グロストフ提督に問われた部屋と同じ部屋に、指揮官訓練に選ばれた新兵は集められていた。

 僕は同じく指揮官訓練に選ばれたヘンメリーとブラウンと一緒に、後方の席に座っている。

 室内にいる兵士は少ない。僕達を含めて十五名。オルロに今期入隊した兵士は百名ほどいることから、この場に集められた新兵が少数な事が分かる。

「指揮官訓練を始める」

 教壇に立つヘカート少佐の声を機に訓練が始まった。 

「指揮官になるには、指揮官に必要な能力を持っていなければならない。たとえ、階級が上だとしても指揮官に必要な能力がなければ、指揮官にはなれない」

 階級が上がれば、必然的に指揮官になると僕は思っていた。しかし、違うらしい。

「今ここにいるのは、今期に入隊した兵士の中で指揮官としての素質があると判断された者だ」

(僕には素質なんてないんだけどな)

 指揮官に必要な素質である論理的思考能力、リーダシップ能力、情報分析能力、瞬間的判断能力などが、僕にあるとは考えられない。

 僕に才能など何一つないのだから。

「この時間でお前達には指揮官とは何なのかを学んでもらう」

 そう言ってヘカート少佐は説明を続ける。

「戦場では指揮官が非常に重要視される。指揮官が有能であれば戦況が劣勢であっても勝利できる。しかし、指揮官が無能であれば、戦況が優勢であっても敗北する。仲間が死ぬことだってある。指揮官は戦争の勝敗と仲間の生死を預かっているのだ」

 僕に指揮官なんて無理だ。僕が無能なせいで仲間を死なせるだけだ。今すぐにでも、指揮官訓練を辞退したい。しかし、選ばれた矢先に辞退などできるはずがない。

(どうすればいいんだ……)

 ヘカート少佐はその後も指揮官について説明を続けた。



 指揮官訓練が終わり、ヘカート少佐は部屋を去って行った。

「他の兵士の生死を預かるなんて僕には無理だ」

 僕が指揮官をやっても、兵士を無駄死にさせるはずだ。そんな人間が指揮官をやっていい訳がない。

「コルトにも指揮官に必要な能力があると思う。自分を信じようよ」

 僕がアリシアに言った言葉と、同じ言葉をヘンメリーに言われた。人には信じろと言ったが、自分のことになれば、信じる事はできなそうだ。

「ブラウンやヘンメリーは指揮官に向いているかもしれない。だけど、僕は力が強いわけでもないし、頭が良いわけでもない。何も秀でたものを持っていない僕が指揮官なんてやってはいけないんだ」

「そんなことはない。軍はコルトを能力があると判断したから兵士になることを認め、指揮官に選んだんだ」

 真剣な眼差しをしたブラウンは言葉を続ける。

「自分はできないと壁を作るな。できることも、できなくなってしまう」

 壁という言葉に何か感じることがあった。

 僕は、あるときから成長しなくなっていった。いや、努力しても良い結果がでなくなっていったと言うべきか。

 ブラウンの言葉を聞いて、何故、努力に見合う結果がでなかったのか分かるような気がした。

 やる前から「僕にはできない」と壁を作っていたのだ。

(僕にはできないなんて、やる前から考えていたらできるはずないよね)

 成長するかは分からないけれど、最初から「僕にはできない」なんて考えることは辞めよう。そう決意する。

 そう考えると、不思議と少し自信が出てきた気がした。

 子供の頃からブラウンには、いつも助けられっぱなしだ。こうやって、何度立ち直らせてくれたか。

 こういうところをブラウンは軍に評価されたのだろうな。

「ブラウンのおかげで少し自信がついた。ありがとう」

「気にするな」

 ブラウンは笑顔を僕に見せる。

「二人とも仲が良いね」

 ヘンメリーは温かい目で僕とブラウンを見ていた。

「俺達は幼なじみだからな」

 僕とブラウンは一〇年ぐらいの付き合いになる。小さい頃から遊んでいたので、ブラウンとアーセナルとは仲が良いのだ。

「僕にも故郷に、二人みたいに仲が良い幼なじみがいるんだ。防衛大学に入学して寮生活になってから、会えてないんだけどね」

 寂しそうな表情をヘンメリーはしていた。

「その友達を他国の兵士から守るために、指揮官頑張ろうぜ」

そんなヘンメリーをブラウンは元気づけようと発破をかけた。

「そうだね。頑張らなきゃね」




 それから数日後の夜。

 僕達は食堂で夜ご飯を食べている。

 夜の食堂は昼より暗い。鉄製のシャンデリアが辺りを照らしていた。

 食堂には僕達以外にも、大勢の兵士の姿があった。

「いよいよ、明日から魔法の訓練が始まるね」

 アリシアは明日の魔法の訓練が待ちきれないような態度を見せる。

 今日の午後の訓練が終了した後に、先輩の兵士から「明日から魔法の訓練が始まる」と発表された。

 僕もアリシア同様に明日の魔法の訓練を楽しみにしていた。軍に入隊してから、既に、十日ほど経っている。その期間ずっと魔法のことを考えていた。魔法の訓練を待ち臨んでいたのだ。

 時折、隣のテーブルから明日の魔法の訓練に関する内容の話が聞こえてくる。声の聞こえる方を見渡すと、僕達と同じ新兵達の姿があった。

 その新兵達の姿は明日の魔法の訓練に期待を寄せ、心を躍らせているように見える。

 僕達だけではなく、他の新兵達も明日の魔法の訓練を楽しみにしているのだろう。

「どんな魔法を習うんだろうな」

「風や炎を操ったりする魔法を習うんじゃないかな?」

 ブラウンの発言にアリシアが自身の予想を述べる。

 僕はアリシアが言うような風や炎を操る魔法は存在しないと思っている。リベリオ襲撃時、火や風などの魔法が使用できるなら、兵士達は使用していたはずだからだ。存在はするが、あの状況では使えなかったのかもしれないが。

「レイラはどんな魔法を習うと思う?」

「私は……防御の魔法を習ったりすると思います」

 アリシアの質問にレイラはおどおどしながら答える。

 射撃訓練時にルナ少尉が弾丸を跳ね返したことを、防御の魔法と言っているのだろう。 弾丸を跳ね返す防御の魔法は、凄い魔法だと思う。剣や弾丸などの武器ではダメージを受けないのだから。ヘカート少佐が見せた魔弾なら、ダメージを与えられるかもしれないが。

「防御の魔法って、射撃訓練時にルナ少尉が弾丸を弾いたあれのことだよな……。あれは、習っておきたいよな」

 僕もブラウンと同じく、防御の魔法を使えるようになりたいと思っている。あれを使えれば、戦闘を有利に運べるはずだ。

「アーセナルはどう思う」

「どんな魔法でもいいわ。国民を守ることができるなら」

 ブラウンの質問にアーセナルは素っ気ない態度で答えた。

 その考えは正しいと思う。僕も実際、国民を守る事ができるのであれば、どんな魔法でもいい。しかし、アリシアのように予想ぐらいしてほしかったな。可愛げがないなと思った。

「スペンサーはどう思う?」

「どんな魔法だろうが、どうでもいい」

 ヘンメリーの質問に、興味なさそうにスペンサーは答える。

 そう言っているが、明日の訓練を楽しみにしているように見えた。

「魔法はどうやって使用できるんだろうね」

 僕は疑問に思っていたことを口にする。

 魔法の発現方法は以前から気になっていた。何をすれば、魔法を使用できるのか。魔法の構造を知らなければ使えないのか。それとも、儀式などを行わなければならないのか。考えればきりがない。

「念じるとかじゃないか」

「それは、明日になるまで分からないね」

 念じるというブラウンの考えも否定はできないが、念じて魔法を使えるのなら、大多数の人間が既に魔法を使えているだろう。子供の頃に「炎よ出てこい」など言って魔法を使おうとしていたことを思い出す。真実はヘンメリーの言うとおり明日まで分からないだろう。

「魔法の強さは魔力の保有量で決まるって言うだろ。俺は国民を守るために、死ぬ気で努力して魔力を増やすぜ」

 ブラウンはそう意気込む。

 僕も、ブラウンに負けていられない。沢山努力して、魔力を増やそう。そして、魔法を駆使して国民を守るんだ。

「でも、魔力が増えないかもしれないよ。最初から魔力の量が決まっているかもしれないし」

 ヘンメリーの言うとおりかもしれない。もし、元々一人一人の魔力量が決まっているのなら、軍は魔力の量が多い者を兵士として採用するだろう。そう仮定すれば、僕が兵士になれたことが納得できる。

 僕は兵士としての能力は優れたものではないが、魔力の量が多かったので、兵士になれたのかも知れないということだ。

 その後も、僕達は好き勝手に魔法を想像して語り合うことや魔法で国民を守ろうと約束するなど、魔法に関する話を続けた。

 僕達がいるこのテーブルは、活気と希望に満ちあふれていた。


 あの時の僕は無力で、目の前の少女さえ守ることができなかった。

 だが、明日からは魔法を覚え、国民を守る事ができる。もう、あの時の僕ではない。




 翌日の午後。新兵全員は今日最後の訓練である魔法訓練を行うとして、部屋に集められていた。

 部屋は百名の新兵が入れる部屋だけあって、とても広い。

 八人が座れる横に長い机が三列あり、一列には一五の机が置かれている。前方には教団が置かれており、後方の人でも見えるように、一列下がるごとに、床を高くしていた。

 既に多くの新兵達が前列から着席している。

 今から魔法の訓練を受けるからなのか、新兵達の表情からは気持ちが高ぶっているのが窺えた。

「今から魔法を学ぶんだよね。緊張しちゃうな」

 アリシアと同じく僕も緊張していた。心臓の音が先ほどから、やけにうるさく聞こえる。隣に座るレイラも緊張しているのか、ずっと床に顔を向けていた。

「魔法を学ぶだけなのに何で緊張するのよ」

「そう言っているけど、アーセナルも緊張しているんだろ。貧乏揺すりしているぞ」

 ブラウンにそう言われ、アーセナルは自身が貧乏揺すりしていることに気がつき、急いで足の揺れを止める。

「お前らガキだな」

 見下すような視線でスペンサーが、僕達を見てくる。

「スペンサーだって防衛大学にいたとき『兵士になったらどんな魔法が使えるんだろうな』とか、子供みたいな無邪気な顔で話していたじゃないか」

 ヘンメリーが防衛大学在学中のスペンサーのことを密告する。

 防衛大学在学中のスペンサーはそんな感じだったのか。今のスペンサーを知る僕には、想像もできない。

「お前っ! それは、誰にも言うなって言っていただろ!」

「そうだっけ?」

 そんな、他愛もない話をしているとヘカート少佐とルナ少尉が部屋に入室し、教壇に立つ。二人からは相変わらず、生気が感じられない。

「魔法の訓練を始める」

 そう言ってヘカート少佐は魔法の詳細について話を始めた。

「体内に存在する魔力を体外に放出することを魔法という。魔力とは目に見えないほどの微少な物質のことだ。射撃訓練時にルナ少尉の周りを覆っていた黒い霧や空中に浮かんだ際に足裏から散布されたものは微少な魔力である」

 ヘカート少佐を中心に黒い霧が部屋中に散布される。視界が全て黒くなった訳ではなく、少し黒く見えるぐらいの霧だ。

 この黒い霧が、射撃訓練時にルナ少尉を覆っていたのか。

 黒い霧は、無数の微少な魔力でできているのだろう。

(微少な魔力はどのような効果があるのだろうか)

「この微少な魔力の、主な役割は、微少な魔力内に存在する物質の形や位置を理解できることと、手や足裏から噴出し高速移動することだ。足裏から噴出することで飛行することもできる」

 無数の微少の魔力を空中に漂わせて、魔力が散布できないところは何かしらの物質があると逆算して形や位置などを推測するのだろう。ということは、目で見なくても、自身の魔力を散布させれば、物質の形や位置を感知できるということか。

 そして、魔力を手や足裏から噴出することで速度が上がること、足裏から噴出することで空中に浮遊できることを聞く限り、魔力は風や火を発生させる奇跡ではなく、物質に過ぎないことが分かる。

「その微少な魔力を結合させることで剣や弾丸などを作ることができる」

 射撃訓練時にヘカート少佐が撃った魔弾は微少な魔力を結合させて作ったということか。

剣や銃以外の物も作ることが可能なのだろう。魔法とは汎用性が高いものなのだな。

「弾丸などは小さいから、少ない魔力で生成できるが、剣などの大きさを持つ武器を生成するには多くの魔力が必要となる。なので、強度は低下するが、大きな武器を使用したい場合、武器の周りを魔力で覆う」

 ルナ少尉が上着の内ポケットからナイフを取り出し、ヘカート少佐に手渡す。

「このようにするのだ」

 ヘカート少佐が手に持つナイフの剣身が一瞬で黒に染まった。

 この世界に存在する、ほとんどの黒色の物質は、光を多少は反射する明るい黒色をしている。そのため、普段一般的に僕達が目にする黒色とは、光を多少は反射する明るい黒だ。しかし、その剣身の黒は光を一切反射していない黒色に見えた。

 僕はその深淵とも言える黒に恐怖を感じた。

「魔力には密度がある。より圧縮されて生成されたモノの方が強度は増す。当然、密度を上げるほど、必要な魔力量は多くなる。そして、密度によって魔力は色が変化する」

 多くの魔力を使って作った物の方が強度が高くなるのか。

 強度が増せば、威力も増すはずだ。魔力の量が多いほど強い魔法を発現できるというのは、密度のことを言っているのだろう。

 弾丸、斬撃、防壁などは密度を上げることで強度が上昇するということか。

 密度が変われば、黒色以外にも変化するのだろう。また、魔力で作れたものは色で密度が判断できるのかも知れない。

「凝縮された魔力の圧力を解くことで爆発させることもできる」

 射撃訓練時にヘカート少佐が撃った魔弾が山にめり込み爆発したのは、圧縮させた魔力の圧力を解いたからだろう。

 密度を上げれば、上げるほど、圧力を解いた時に起こる爆発の規模は大きくなるということか。

「魔力は体外に放出するときの動作をあらかじめ決めておく。体外に放出した後では操作はできない」

 事前に魔力の動作を決めて、放出すれば、その通りに動くのだろう。

 魔力の形も事前に考えておけば、放出後も変形してくれそうだ。

「魔力は体の至る部位から放出できる。しかし、普段使わない部位からは魔力の放出がしにくく、精緻な生成はできない」

 手や足裏からは魔力放出がしやすいが、胸や腹などの普段使わない部位はしにくいのだろう。

(魔法を使用できる部位は限られてくるな)

 主に手や足裏から魔力は放出するのだろう。それ以外の部位は簡単な魔力放出を行うぐらいか。

「体外に出た魔力は三十秒で消滅する」

 三十秒は長いのか短いのか、どちらなのだろう。弾丸として扱うなら十分だが、剣などの武器に纏う場合、魔力が消滅するたびに纏い直さなければならないため、短いと言える。

 そして、魔力は三〇秒間しか操作できないということか。

「これらが、主な魔法の詳細だ。他にも応用がいくつか存在するが、今のお前らには縁がない。時期が来たら後々教える」

 まだ教えてもらっていないことがある。魔力を体外にどうやって放出するかだ。それが分からなければ、魔法を使用することができない。

 そう考えているとヘカート少佐の口が開いた。

「お前らは疑問に思っているだろう。魔力を体外に放出する方法を教えてもらっていないと」

 僕が考えていることをヘカート少佐は語った。僕の心を読んでいるかのようだ。

「今から魔力を体外に放出する方法を教える」

 ついにこのときが来た。魔力を体外に放出する方法を聞けば、ようやく魔法が使えるようになる。

 これで、ようやく国民を守る事ができる。無力ではなくなる。目の前で、人が殺される姿をただ、見ているだけではなくなる。助けることができるんだ。

 あの時から、この時を待ち望んでいたため、気持ちは最高潮に高ぶっていた。

「人間は生まれながらにして皆、同量の魔力を身体の中に保有している。弾丸一発ほどの魔力の量だ。時間はかかるが魔力は使用しても回復する」

 新兵全員とも同じ魔力量を保有しているのか。新兵だけではない、前人類か。魔力は皆に平等なのだな。

 だが、リベリオにいたエルトニアの兵士は何発も弾丸を撃っていたはずだ。

(……努力をして魔力を増加させたのか) 

 魔力は身体の中に保有していると言っていたが、身体の中とはどこのことだろう。心臓の近くだろうか。自身の体の中に魔力を体感したことがないから、魔力がどこにあるかが分からない。

 ……身体の中のどこに魔力が保有されているかは、後々教えられるはずだ。今考える必要はないな。

 そして、魔力は時間の経過でしか、回復しないのか。魔力を使いすぎたら危険だな。

「魔力は保有しているが、体外には放出することができない。体外に放出する『道』がないためだ。故に一般的に魔力を体外に放出することは不可能だ」

 魔力は身体の肉を通して体外には放出できないのか。身体の中にある魔力を体外に放出する『道』がないなら、どうやって放出するのだ。

「魔力にはある性質がある」

 ヘカート少佐は表情、声音を変えることなく言葉を続ける。

「人を殺した場合、殺された者が生まれながらに保有していた魔力は強制的に、殺した者の体内に吸収される。殺された者の魔力は体内に吸収される時に、『道』を作る。その道が魔力を体外に放出するときに使われる道だ。つまり、殺人を犯すことが魔法を使用する方法だ」

 人を殺さなければ、魔法は使用できないのか。それなら敵兵を殺して魔法を使えるようにするということか。

 

「そして、魔力は殺人以外の方法では増加しない」

 

 ……この人は何を言っているのだろう。意味が分からなかった……冗談でも言っているのだろうか。もし……それが真実なら……多くの人々を殺した者が、より多くの魔力を保有するということになるじゃないか。それなら他国の兵士は……。僕達は他国の……。

 心臓の鼓動の速度が上昇していく。

「魔法の詳細説明は以上だ」

 部屋を去ろうと、ヘカート少佐達が歩き出す。

「ヘカート少佐。待ってください!」

 アーセナルは椅子から勢い良く立ち上がり、声を荒らげて、ヘカート少佐を呼び止める。相当、焦っているのが表情から読み取れた。

「殺人以外に、魔力を増加させる方法はないということですか?」

「それ以外の方法は存在しない」

 立ち止まったヘカート少佐は表情を一切変えることなく、短く返答する。

「人をより多く殺した者の方が強いと言うことですか?」

「武力の序列は魔力保有量がものを言う。魔力保有量の差が開けば開くほど、覆すのは困難になっていく。赤子と兵士が戦闘をしても赤子が絶対に負けるとは言えないが、結果はほとんど分かっているだろ?」

 その言葉を聞いたアーセナルの表情は、さらに、焦燥に包まれていた。そして、続けざまに質問する。

「敵国がバルトの国民を殺す理由は魔力を増加させるためですか?」

「そうだ。魔力拡大競争によって戦争は一生なくならない」

 勢い良く立ち上がったヘンメリーはヘカート少佐に質問をする。

 この部屋にいる新兵全員が聞きたがっている質問を。

「僕達は誰を殺すのですか?」

 

「敵国の国民だ」

 

立ち上がっていたアーセナルとヘンメリーは膝から崩れ落ちる。

 その言葉を聞いた時、僕が理想とする世界は幻想となって崩れ去っていった。

 僕の目から見える世界は絶望に満ち溢れていた。

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