第102話 ただいま、日常
生い茂る木々の隙間から刺す日の光を浴び、俺は大きく伸びをした。
土の香りを含んだ涼しい風と、楽しげな鳥のさえずりが、3日ぶりに地上に出た俺たちを歓迎してくれる。
「ふにゃあ、風が涼しくて気持ちいいにゃあ」
俺に並んでシャルルも大きく伸びをし、毛繕いをする。
ダンジョンの3階は真夏のように暑かったから、解放感が半端ないのだ。
「でも、なんだか味気ないね」
「行きは3日かかったのに、帰りは5分だからな」
エレインは頬をかきながら、乾いた笑みを見せた。
邪淫のダンジョン娘とベルの再会を見守った俺たちは、その後ピラミッドの頂上に戻り、ベルの力を使ってピラミッドごと地上まで運んでもらったのだ。
そして肝心のベルはと言うと――
「姉上、段差が危ないぞ。ほら我の手に捕まるのだ」
再会してから、邪婬のダンジョン娘にベッタリである。そもそも階段なんだから、ずっと段差だらけだろ。
しかしやっぱりこいつは、姉にも甘えん坊だったんだな。まあそこがベルの可愛いところでもあるからいいけど。
「あら、どうかしたのかしら? にやにやしちゃって」
不思議そうに俺を見つめる邪淫のダンジョン娘。どうやら顔に出ていたみたいである。
「姉上! その顔をしているグラムに近づいてはならん! 淫らなことをされてしまうぞ」
「しねーよ!」
まだ俺のことあまり知らないんだから、変な情報を植えつけるのはやめて欲しい……。
「あら、いいじゃない。男の子なんだから、女の子に淫らなことをするのは当然よ。あなたも本当はして欲しいんでしょ?」
なんて思っていたら、お姉様は素晴らしく寛容な心をお持ちのようである。
で、そこのところどうなんだベル?
「ななな、何を言っておるのだ姉上! そ、そんなことあるわけなかろう!」
ベルは耳まで赤くしてどもりだした。なるほど、満更でもないってことだな。
「じゃあ、シャルルが淫らなことしてもらうにゃー」
「大声でバカなこと言うな。ってか腕に胸を押しつけてくるな」
哀しいかな、程よく弾力のある膨らみの感触に、男は逆らえないのだから。
「そ、それなら私だって!」
そんな様子を見てエレインが、負けじと反対の腕にしがみついてくる。
気持ちは嬉しいんだけど、ちゃんと意味がわかって言っているのだろうか……。
「ところで、ダンジョンを封鎖したいんだけどいいか?」
いつまでもこんなところでのんびりしている訳にはいかないと、ダンジョンの主に確認をしてみる。
「それは構わないけど、私の使役している魔物たちを、野に返してからでいいかしら?」
「それは不味いだろ。今でも農園を荒らされて、ベスティアの町の人たちが困っているらしいぞ」
魔物も生きるために必要なのかも知れないが、放置しておけば作物だけでなく農家の人たちや、討伐隊にも被害が出るだろうからな。
危険な魔物をいっせいに野に放つのは、さすがに許容できない。
「ここの入り口は塞いで、山奥に出口を作ってそっちに放つわ。なるべく町の人間に迷惑をかけないように言っておくし、ねえいいでしょ?」
邪婬のダンジョン娘は腰をかがめて俺に視線を合わせると、しなを作り甘えてみせた。
黒いドレスの胸元から豊満な谷間を見せつけて。
俺はそれをこっそり眺めながら思案する――
確かに戦って倒すならともかく、このままダンジョンごと生き埋めにするのは卑怯というか何というか、少し気がひけるんだよな。
それに魔物たちのおかげで、邪婬のダンジョン娘は今まで生き延びてこれたとも言えるし……。
「わかった。その代わり明日中に、ダンジョンは埋めてしまうからな。じゃないと、魔物の巣になるかも知れないし」
「ええ、それで大丈夫よ。グラムちゃんありがと」
邪婬のダンジョン娘は、ウィンクをして微笑んだ。
やることなすこと一々色っぽくて困る。
「……ところでそのグラムちゃんって、やめてくれないか?」
こう見えても中身は25歳なので、なんとも気恥ずかしい。
「あら、あなたは私よりずいぶん歳下なんだから良いじゃない。ねえ、ベルちゃん?」
邪淫のダンジョン娘は20代前半くらいに見えるが、俺の本当の年齢を知らないもんな。
「我も名前で呼んでもらうのは嬉しいが、ベルちゃんはちょっと……」
「あらあら、ベルちゃんって素敵な名前じゃない。私も何かつけて欲しいわあ」
「そうだろ? 姉上もそう思うか? ふふふ、グラムがつけてくれたのだ。なあグラム、姉上にも何かいい名前はないかのお?」
名前を褒められたことで、ちゃん付けの件はすっかり忘れてご満悦なベル。なんともちょろ可愛い存在だ。
そしてそうくるだろうと思って、さっきから考えていて1つ思いついた名前があるのだ。
「ウィステリアってのはどうだ?」
「あら、素敵な響きね。でも、何か意味があるのかしら?」
唇に人差し指をあて首を傾げる、邪淫のダンジョン娘。
「最初にお前のこと見たときに、綺麗な髪の色だなって思ってな――」
「あら、お上手ね」
くすりと微笑む邪淫のダンジョン娘の隣で、ベルが俺を睨みつけている。後でフォローしておかないとな……。
「それで似たような色の、藤の花ってのが思い浮かんだんだ。それの別名がウィステリア・フロリバンダ。そこから取ってウィステリア。愛称だとウィスティーってなるんだけど、どうかな?」
「花の名前から命名してくれるなんて、グラムちゃんはロマンチストね。ありがと、とても素敵な名前だわ」
ロマンチストと言われたのは少し恥ずかしいけど、気に入ってもらえたみたいで良かった。
ここまで語って、それはないわーみたいな顔されたら、しばらく立ち直れそうにないからな。
「ふふふ、どうだ姉上? グラムはすごいだろ!?」
まるで自分のことのように、ベルは誇らしげに胸を張っている。
なんだ? 俺をきゅん死させるつもりか?
「そうにゃ。グラムはとっても強くて優しくてすごいのにゃ!」
「うん、強くて優しくてカッコいいし……」
ベルに抱きつき同調するシャルルと、その隣でもじもじしているエレイン。
なんだなんだ? 今日は俺の誕生日か?
「あら、そうなのね。ところで猫耳の可愛いあなたと、隣の愛らしいお嬢さんはなんて名前なのかしら?」
「シャルルはシャルルと言うにゃよ。ウィスティー、これからよろしくにゃ」
「エレインです。ウィステリアさん、仲良くしてくださいね」
いや、誕生日なんかよりも、もっといい日だ。
みんな笑顔で幸せそうなんだから。
「よし、さっさとやることやって帰るぞ。で、アイラにも早く会わせてあげて、今日はウィステリアの歓迎会だ」
それから俺たちはダンジョンの後始末をし、アイラたちの待つ農園へと向かった。
肉料理――特に子羊のモモ肉煮込みがおいしいと評判のレストランで、ウィステリアの歓迎会を終えた俺たちは、ワーグナー邸へと帰っていた。
キンモクセイに似た香りが漂う、街路樹が並ぶ道を歩いて。
「やっぱり本物の月は綺麗ね。まさかあなたたちと一緒に、またこうして見上げられるなんて思ってもみなかったわ」
「ウィステリア姉さんは、昔から月を見上げるのが好きだったからのお」
「ベル姉はその隣で木の実やフルーツを食べるのが大好きだったよね」
「私にべったり甘えながらね」
「な、べ、別に良いではないか」
俺の前でダンジョン3姉妹が、実に楽しげに笑っている。
ちなみに本人の希望で、ベルはウィステリアのことをウィステリア姉さんと呼んでいる。
初めて呼ぶときの気恥ずかしそうな顔が、なんとも微笑ましかった。
「本当に良かったですね。坊ちゃま、このたびはお疲れ様でした」
隣を歩くエルネが俺を見つめ頭を下げた。
「エルネこそお疲れ様。頑張ってくれたんだろ?」
「私なんて何も。それよりも頑張ったのはアイラです。ふたりの姉を思い毎日辛かったでしょうに、周りが気にしないように気丈に振舞い、畑仕事を手伝ったりしていたのですよ」
そうだよな。行くときもなんてことない顔をしていたけど、きっとベルに心配をかけないようにしていたんだろうな。
あんな小さな体でたいしたもんだ。
でもそれを支えていたのは、間違いなくエルネだろう。
エルネはエレインやガラド、ベルにシャルルと出会いずいぶんと変わった。
たぶん自分では気づいていないだろうけど、とても柔らかくなり、そして明るく笑うようになってきた。いや、きっとこれが本来のエルネなんだろうな。
そんなエルネだからこそ、ルイーズのこともアイラのことも俺は何も心配をしなかったのだ。ガラドは今のところたいした悩みもないだろうし、端から心配しちゃいないが。
「いつもありがとな、エルネ」
「ふふふ、坊ちゃまの側近ですから私は。それよりも坊ちゃま、良かったら少し話していきませんか?」
そう言うとエルネは、街路樹の間にある木製のベンチを指さした。
「そうだな、久しぶりにゆっくり話すか。おーいみんな、俺たちは後から行く。先に戻っててくれー」
前を歩くみんなに声をかけると、みんなは返事をしふたたび歩きだした。
「あら、いいのかしら? みんな心配じゃないの?」
ウィステリアが、ベルとエレインとシャルルを見比べ言った。
「エルネは特別だから良いのだ」
「うん、エルネさんなら大丈夫だもんね」
「ふにゃ、心配ないのにゃ」
自信満々にそう答える3人。何という信頼感か。
まあ確かに俺とエルネは、そういった男女の関係ではないからな。ある意味それよりも確かな、信頼関係で結ばれているとも言える。
ただの依存と言えばそれまでなんだけど。
「さて、久しぶりだな、こうしてゆっくりと話すのも」
「ええ、ピスケスの町で坊ちゃまが、エレインとベルのどっちにするか悩んでいたときでしたね」
「違うっての! まあ悩んでいたのは間違いないけどな」
言いながら、俺は着ていたローブを脱いでエルネに手渡した。
ダンジョンの3階層は真夏のように暑かったが、外はもう夜も長くだいぶ涼しくなっているのだ。
「ありがとうごさいます。でもこういったときは、そっと女性の肩にかけてあげるものですよ」
エルネはいたずらに笑ってみせた。
「そういうのはエレインやベルにやればいいんだろ?」
「あら、ずいぶんと女心がわかってきましたね」
「厳しい教育係りがついているからな」
俺たちは顔を合わせ笑いあうと、どちらからともなく近況報告をはじめた。
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