第101話 7年ぶりの抱擁

 ゴーレムを倒した俺は、エレインとシャルルに降りてくるように伝えると、奥の扉に向かった。

 1階の扉と同じ、薔薇の意匠が施された鉄扉だ。


「いよいよだな……」


 扉に手をかけると、隣でベルがごくりと唾を飲みこんだ。

 そして無言で頷きゆっくりと押してみる――が開かない。

 なんだ? 外開きか? と引いてみるが開かない。


「グラムこれじゃないか?」


 その声に振りかえると、エレインがゴーレムの残骸から何かを拾い投げてきた。

 なるほど鍵か。うん、鍵穴がついてるもんな。


「まったく、しまらん奴だのお」


 ベルがじとっとした目で睨んでくる。


「……緊張をほぐしてやったんだよ」

「ほうほう、それはどうもご丁寧に」


 ちっ、さっき白い紐パンを見せていたくせに。

 とか言ったら殴られるんだろうな。

 俺は平静を装いつつ鍵を開き、ドアを押した。

 低い音を立てながら、ゆっくりと鉄扉が開いていく――

 広くも狭くもない部屋の奥には、壁から伸びた枷鎖かさに両手を縛られた、妖艶な女性が立っていた。


「あ、姉上……!」

「待て、様子が変だ!」


 俺は、邪淫のダンジョン娘に駆けよろうとする、ベルの手を掴んだ。


「は、離せ! 姉上が何者かに捕らえられているのだぞ!」


 俺の手を振りほどこうと、ベルが暴れる。


「よく見ろ。少し離れた床に鍵が落ちている。恐らく自分で自分を拘束してほうり投げたんだろう」

「何のためにそんなことを!?」

「決まっている、お前を傷つけないためだろ。落ちつけベル、慌てることはない」


 ベルの呼吸が徐々に落ちついてくる。


「シャルル、ベルを頼んだ」


 シャルルは俺の言葉にこくりと頷くと、優しくベルの体をひき寄せた。


「ベル、ここはグラムに任せるにゃよ」

「……わかった。頼んだぞグラム」


 俺は口角を上げて頷くと、ゆっくりと邪淫のダンジョン娘の元へ歩いていった。


「妹を止めてくれて助かったわ。このまま連れかえってくれたら、もっと嬉しいんだけど」


 邪淫のダンジョン娘は、目の前に立つ俺を見据え、なまめかしく微笑んだ。

 邪淫の名を冠するだけあって、その様はまさに妖姿媚態ようしびたい――

 薄紫色の長く細い髪からは、甘い蜜のような香りが漂っており、男を誘うたれ目がちな目と、左の泣きぼくろがなんとも庇護欲をかきたてる。

 不意に劣情が込みあげてくるも、姉妹を助けてと懇願したベルの涙を思いだし、抑えこんだ。


「悪いけどその頼みは聞けない。それよりも大丈夫か? 少し苦しそうだけど……」


 邪淫のダンジョン娘は、壁に両手を拘束されたまま、大きな胸を上下させている。

 黒いドレスから露出した肌は、上気したように赤くなっておりとても辛そうだ。


「ええ、とても苦しいわ。でもどこも悪くないから心配しないで」

「衝動を抑えているのか?」

「……妹から聞いたのね。なら、話は早いわ。話ができるうちに早く妹を連れかえって」


 やはりベルのために自らを拘束したのか。

 ベルから気配を隠したのも、ベルを傷つけたくないから――つまりそれだけギリギリってことか。


「少しだけ我慢して話を聞いてくれ。実はお前の妹の暴食と憤怒のふたりは、俺の家で一緒に暮らしている。破壊衝動に支配されることなく、毎日仲良くな」

「ほ、本当なの……?」


 邪淫のダンジョン娘は、俺の言葉に目を大きく見開いた。


「ああ、本当だ。そして俺はお前を助けにきた。だからほんの少しの間、俺に身を委ねてくれないか?」

「確かにあなたは普通の子供ではないようだけれど、だからといっていったい何ができると言うの?」


 当初、俺は魂縛の術をかけて連れかえる気でいた。しかし今は、その必要がないと確信している。

 どういう訳か、俺は真紅のコアを持つダンジョン娘の、罪とされる負の感情に影響を受けるようだ――と、昨日まで考えていた。

 しかし今朝、ベルの抱いてた疑問を聞いて、もう1つの可能性が俺の中で浮かびあがった。

 破壊衝動はとうてい抑えこめるものではないと、ベルは言っていた。

 なのに邪淫のダンジョン娘は、苦しみながらもなんとか意識を保っている。

 それを見て俺は結論づけた。


「――俺はお前たちの負の感情を、吸収することができる」


 正確に言うと吸収してだけどな。


「そんなことが!? でも、仮に本当にあなたにそんなことができるとして、あなたの目的がよこしまでないと誰が証明できるのかしら?」


 邪淫のダンジョン娘は口元で笑いながら、鋭く俺を睨みつけた。

 なるほど、鋭い指摘だな。彼女の理解力の高さと、頭の回転の早さが良くわかる。


「実はそれは、俺自身も疑問に思っているところなんだ」


 俺が何者なのか、何のためにそんなことがなされるのか、正直自分でもまったくわからない。

 しかしその力が役に立つというのなら、ただ使うだけである。


「あなたの意思ではないということかしら?」

「ああ、そう言うことだ。ただ俺の目的はベル、お前の妹の暴食のことだが、あいつの笑顔を見たい。ただそれだけだ」


 俺の言葉を受け、邪淫のダンジョン娘は柔らかい笑みを見せた。


「……信じるわ。いえ、初めからあなたのことは信じていたわ。だってあなたを見る妹の目は、あなたへの信頼で満ちていたもの」


 ……ベルの奴そんな目をしていたのか。


「あら、女の子を侍らせている割にはうぶなのね」


 どうやらかなり顔が赤くなっていたようで、邪淫のダンジョン娘はそんな俺を見て、意地悪そうに微笑んでいる。


「エレイン! ちょっとこっちに来てくれ」


 俺に呼ばれエレインがこちらにかけて来る。その後ろで、ベルが不安そうにこちらを見ていた。


「どうしたグラム?」

「俺のバックパックに縄と枷鎖かさが入っているから、とりあえずそれを出してくれ」


 俺はエレインに背を向けた。


「取ったよ。次はどうしたらいい?」

「今から俺は少しおかしくなるかも知れない。もしそうなったら、それで俺を縛りつけてくれ」

「へっ? おかしくってどうなるんだ? グラムは大丈夫なのか?」


 エレインは頓狂な声をあげ驚いた。しかしどうなると言われても、ちょっと言い辛いんだけど……。


「えっとその、はつ……」

「はつ?」

「……発情するかも知れないから、そのときは遠慮せず縛ってくれ」

「は、発情!?」


 ふたたび頓狂な声をあげるエレイン。

 そして何かを想像したのか、どんどん顔が赤くなってきた。

 だから言いたくなかったんだ……。


「とにかくわかったか?」


 俺の問いに、真っ赤な顔をしてコクコクと無言で頷くエレイン。どうやらわかってはくれたみたいか。

 そう思い俺は、邪淫のダンジョン娘に向き直った。


「あ、あなた、私に何をしようとしているのかしら?」

「決して変なことではないんで安心してくれ。ところでダンジョンコアはどこにあるんだ?」

「……ゴーレムと同じ場所よ」


 邪淫のダンジョン娘は、少し躊躇しながらも答えた。

 ゴーレムと同じと言うことは下腹部か。

 まあ、あの会話のあとにこの場所は、そりゃ躊躇するわな。


「悪いけど確認させてもらうぞ」


 俺は邪淫のダンジョン娘が頷いたのを確認すると、ドレスの裾に手をかけた。


「グ、グラムだめ!」

「まだはえーよ!」


 俺は、俺を制止ししようとするエレインを制止した。

 会話の流れで何となくわかるだろうに。俺のこと性欲おばけと思っているんじゃないかこいつ?


「ふふふ、あなたたちとても愉快ね」

「ど、どういたしまして……」


 俺は気恥ずかしさを覚えながら、ふたたびダンジョン娘のドレスの裾に手をかけた。

 艶かしく美しい脚が徐々に露になっていく。俺はなるべく余計なものが見えてしまわないよう、少し視線をあげた。


「ん、ないぞ?」


 下腹部を確認するも、官能的な美しい肌しか見当たらない。


「あら、そうだったわ。今出すから少し待っていてね」


 邪淫のダンジョン娘がそう言うと、へその5センチ程下辺りから、ズブズブとダンジョンコアが現れた。

 ベルやアイラの物よりも少し濁っているようだ。これが暴走化の原因だろう。

 しかし、ダンジョンコアって隠せるんだな。まあ、弱点を出しっぱなしにはしないか。

 ってそんなこと考えている場合じゃない。

 会ったばかりの俺に自分の命とも言えるコアを晒してくれているんだ。さっさと済ませてあげないとな。


「もしかしたら少し苦しいかも知れないけど、辛抱してくれな」


 俺はそう言うと、下腹部にあるダンジョンコアにゆっくりと手を伸ばした。

 ダンジョンコアに触れた途端、胸の奥がトクンと疼き、何かが入りこんでくる感覚がした。


「エレイン、お、俺の体を抑えてくれ……」


 徐々に込みあげてくる劣情に少し怯えながら、俺はエレインに告げた。


「わ、わかった」


 俺の体を後ろから抱きしめ、行動を制限するエレイン。その感触すらも俺の中の欲望を掻きたてる。

 ――まずい。めちゃくちゃくにしてしまいたくなってきた。

 このままでは……。


「グラム!」


 異様な雰囲気を察したのか、ベルが俺の背中に向け叫んだ。

 その途端すぅっとよこしまな感情が霧散していく。

 そうだ。俺はあのときのベルの涙を笑顔に変えたいんだった。姉と妹と3人で過ごすベルが見たいんだ。


「エレイン、もう大丈夫だ」


 ダンジョンコアが真紅の輝きをとり戻したのを確認し、俺はドレスの裾を握っている手を離した。

 顔をあげてみると、邪淫のダンジョン娘が晴れ晴れとした顔で優しく微笑んでいた。


「どうだ?」

「ありがと。お陰さまでとても清々しい気分だわ」


 良かった、どうやらうまくいったみたいだな。


「あ、姉上!」


 その様子を見ていたベルが、一目散にかけて来た。


「姉上! あ、会いたかった。ずっと会いたかった……」


 ベルは邪淫のダンジョン娘の胸に顔を埋め、大きな声をあげ泣きだした。


「私もよ。ずっと、ずっとあなたに会いたかった……」


 落ちていた鍵で枷鎖かさを外すと、邪淫のダンジョン娘は体を震わせながらベルを抱きしめた。

 ふぅ、色々と大変だったけど本当に良かった……。

 俺は、7年分の思いをぶつけるふたりを眺め心からそう思った。

 こうして、3日に及ぶ俺たちのダンジョン攻略は終わりを迎えた。

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