第99話 情緒不安定

 茜色の景色が暗闇に包まれそうになった頃、コボルトはようやく自分の住み処へ戻っていった。

 しかしそこは、俺たちが想像していたものとはまるで様相が異なる場所であった。


「……これは、まるで都市遺跡だな」


 眼下に広がる石造りの建物群を、高台の藪から見下ろし呟く。


「おいグラム、どうやら邪淫の姉は真ん中の建物にいるようだぞ」


 ベルが方位磁石を手に、中央にある一番目立つ建物を指さした。

 回廊に囲まれたその建物は、まるでメキシコにあるチチェンイッツァのピラミッドである。

 まさかこんなところに案内されるとはな……。


「ねえ、そこら中とんでもない数の魔物の気配を感じるよ」


 エレインが不安げにこちらを見る。

 入り口が一本しかない深いすり鉢状の地形に、数えきれないほどの魔物。

 要塞だろ、こんなの。


「こんな数、律儀に戦っておれんぞ。どうする、忍びこむか?」


 ベルの言うとおり倒してどうこうできる数ではないけど、忍びこむか……。

 上空には蠱惑蝶、周りを囲む壁にはクリーピングゲッコー、そして地上にはバーゲストを初めその他諸々の見張りの魔物――まあ無理だわな。


「とりあえず前みたいに蠱惑蝶を燃やしつくすにゃ! あんな害虫を生かしておいたらダメにゃ!」


 と、息巻くのはシャルル。お前が怖いだけじゃねーか……。


「ねえ、グラム。どうして下にいる魔物は眠らないのかな?」


 なんて考えていたら、エレインが首を傾げ問いかけてきた。


「奴らはきっと夜行性にゃよ。まだおやすみの時間じゃないのにゃ」

「いや、違う。確かにエレインの言うとおりだ。あいつらなんで蠱惑蝶の鱗粉が効いていないんだ……?」


 睡眠耐性を持っているのだろうか?

 でも、クリーピングゲッコーにバーゲストにコボルトにスティンガーラビット、みんな持っているなんてあり得るか?

 そうなると考えられるのは、そもそも鱗粉が届いていない……。


「グラム、何を作っているんだ?」


 近くにあった朴葉ほおばに似た葉っぱで細工をしだした俺を見て、エレインが問いかける。

 主脈を残して、真ん中の少し下辺りを山型に左右対称にちぎっていく――できあがったのはイカ型の葉っぱ飛行機。

 前のほうを少し重くするのが、遠くまで飛ばすコツである。


「ちょっと確かめたいことがあってな」


 そう言うと俺は、自信作の葉っぱ飛行機を眼下の窪地目掛けて放りなげた。

 葉っぱ飛行機は徐々に高度を下げながら、スイーと真っ直ぐに滑空していく。

 そして、そのままある程度高度を下げたそのとき――


「なるほど上昇気流か!」


 下からの風に吹きあげられ、どこかへ飛んでいく葉っぱ飛行機を見て、ベルが立ちあがった。

 どういった理屈で吹いているかは知らないが、かなりの強風が吹きあげているみたいだな。


「じゃあ、シャルルたちが下を通っても、平気だってことかにゃ?」

「そういうことだ! よし、グラム。そうとわかれば忍びこむか?」


 意気揚々とベルが言う。

 しかしこんな魔物の群れの中、シャルルを背負ったままってのもなあ。


「シャルル、足の具合はどうだ?」

「んー、立っているぶんには問題にゃいけど、歩くのはまだ少し痛むのにゃ」


 やはり厳しいな……。

 ひとり思案に更けていると、シャルルが肩を落としていることに気がついた。


「早く良くなるといいな」


 そう言って、申し訳なさそうにしているシャルルの頭を撫でてやると、喉をごろごろと鳴らしだした。

 気持ち良さそうに目を細め、今にも眠りだしそうである。

 ――そうか、眠らせたらいいのか。


「お、その顔は何かいいこと思いついたんだなグラム」

「ああ。たぶん面白いものが見れると思うぞ」


 エレインの問いにニヤリと笑むと、俺は蠱惑蝶の群れに向けて『石の弾丸ストーンブレット』を放った。

 右手から射出された礫が、暗闇を舞う1匹の蠱惑蝶の羽を貫く。

 羽に穴を開けた蠱惑蝶は、その1メートルもある巨体から上昇気流の影響を受けることなく、スゥっと地面に落ちていった。


「なんで1匹だけやっつけたのにゃ……? はにゃ! 近くに張りついていた、クリーピングゲッコーが落ちていったにゃ!」


 頓狂な声をあげ驚くシャルル。


「なるほど、そういうことか」


 ――『石の弾丸ストーンブレット』――


 すると、俺の思惑に気がついたベルが、俺にならい蠱惑蝶を何匹か撃ちおとしていった。

 蠱惑蝶が窪地に落ちるたび、睡眠効果のある鱗粉が舞いあがり、辺りの魔物を眠らせていく。

 そして、藪に隠れながらそれを何度か繰りかえしていると――


「すごいのにゃあ! 魔物がぜんぶ眠ってしまったのにゃ!」


 上空を舞う数匹の蠱惑蝶を残し、動く者は誰もいなくなった。


「でもさ、これ中に入っていったら、私たちも眠ってしまわないか?」

「はにゃ! だめにゃグラム。頭にストローをつき刺されるにゃ!?」


 エレインの台詞に、尻尾を垂らし俺の腕にすがり付くシャルル。


「大丈夫だから見てろって。とりあえず5つくらいでいいか……」


 ――『火弾ファイアボール×5!』――


 右手から放たれた炎の玉が上空を舞う蠱惑蝶をとらえた瞬間、炎は渦を巻き辺り一体を包みこんだ。


「じ、地獄絵図にゃ……」


 炎の照りかえしで顔を赤く染めたシャルルが、がたがたと震えながら呟く。

 さっきまで地面に倒れ眠っていた魔物たちが、炎に包まれているさまは確かに地獄のようだ。

 この世界にも地獄って概念があるんだな。

 なんて思考は、ただの現実逃避だろうか。

 幸い建物は石造りのため無事なようだけど、まさかこんな大惨事になるとは……。


「バカ者! まったく反省せん奴め!」


 足を踏みだし腕を振りながら、俺を責めたてるベル。

 反省しつつも、ローブの隙間からちらちらと覗く、柔らかそうな白い胸元や太ももが、どうしても気になってしまう。

 それを横目で見ていたら、シャルルがこちらを見ていることに気がついた。


「あにゃ! グラムがまたベルの――ふがふが……」


 俺は目ざといシャルルの口を慌てて塞ぐと――


「さ、さあ、そろそろ行こうぜ!」


 誤魔化すように大声を出し、窪地の入口へと歩いていった。



「まだ少しだけ、生き残りがいるみたいだね……」


 惨事に慌てふためくコボルトを、建物の影から眺めエレインが言った。


「建物の中にいた奴らだな。と言っても、コボルトだけみたいだから、倒しながら行くぞ」


 ――『風斬りカザキリ!』――


 静かにショートソードを薙ぎ、固まっていた3体のコボルトの首を斬りおとす。

 どうやらコボルト以外の魔物は、住居で過ごす習慣がなかったようで、魂力を探っても反応が見られない。

 そりゃヤモリや兎は住居で暮らさないか。

 それから俺たちは、手分けをして生き残りのコボルトたちを掃討すると、隅のほうに建つ石造りの住居に入り食事を採ることにした。


「ほらシャルル、兎肉だぞ」

「ふにゃあ、なかなかいい焼き加減にゃね」


 塩コショウしただけの兎のモモ肉にかじりつき、シャルルは幸せそうに顔を綻ばせた。

 ちなみに、おかわりはいくらでも外に転がっている。


「まさかダンジョンで、こんな普通にご飯が食べられるなんてね」

「コボルト様様だな」


 エレインとベルが言うとおり、テーブルの上にはサラダやスープにパン、デザートのフルーツまでならんでいる。

 全部コボルトが蓄えていた食料である。


「これで後はお風呂に入れたら、最高なんだけどなあ」


 エレインが眉根を寄せて言った。

 蒸し暑いなかを散々歩いて、みんなたっぷり汗をかいたからな。女の子は身だしなみも気をつけたいだろうし。


「ベル、この中だったら力を使えるよな?」

「ああ。この建物の内で完結することだったらな」

「エレイン、風呂入れそうだぞ」

「そっかあ。やった、さすがベル!」


 エレインの言葉に胸を張って威張ってみせるベル。

 いつもよりも少しだけ、張りがあるように見えた。



「ふぅ、今日はよく歩いたから気持ちがいいのお」


 うす壁の向こうから、水をかく音と、心地よさそうなベルの声が聞こえてきた。

 ベルの『迷宮創造ダンジョンメーカー』で土の浴槽を作り、そこにコボルトが貯めていた水を入れ、火弾ファイアボールで温めたダンジョンの名湯である。


「シャルルも湯船に浸かりたいにゃあ……」

「ダメだぞ足に悪いから。ほら、体を拭いてあげるから我慢する」


 シャルルがエレインに諭されている。正論だから仕方ない。


「にゃあ。じゃあ全身優しく洗ってくれたら我慢するにゃ」

「全身って全身か?」

「体のすみずみにゃ」


 なんとも色々と想像を掻きたてる会話をしているふたり。

 ……ダメだ。これ以上ここにいるとおかしくなりそうだ。

 俺は理性が残っているうちに、小屋を出ることにした。


 外に出るとむわっとした熱気が体を包んだ。

 もう鎮火したとはいえ、さっきまであっちこっちで火の手があがっていたのだからそりゃそうか。

 俺は多少でもマシになればと『絶対零度』で氷柱を作りながら、魔物たちの落とした魂の欠片ソウルスフィアを回収していった。

 睡眠耐性、麻痺耐性、毒耐性、恐怖耐性、健脚。

 何をいくつ使ったか途中から数えていないけど、睡眠耐性と毒耐性のことを想像するとレベルがMAXと頭に浮かぶようになった。

 これは完全耐性と考えていいのだろうか?

 今度、蠱惑蝶を見かけたら、わざと鱗粉を吸ってみるか。さすがに毒では検証したくないしな。


「グラム、こんなところで何をしておるのだ?」


 そろそろ戻るかと思っていたら、不意にベルに声をかけられた。

 振りかえると、細く白い腕と脚をローブから出したベルが、作り物の月明かりに妖艶に照らせれていた。


「なんだおかしな顔をして。さては、我のこの姿に見とれておるのだな?」

「ああ。見とれていたよ……」


 その姿を見て俺はごくりと唾を飲み、ゆっくりとベルに近づいていった。


「バ、バカ者! 素直に認められると照れるでは――お、おいグラム、な、何をするのだ!?」


 ベルは突然俺に抱き締められびくりと体を震わせた。

 しかし抵抗する様子はないようだ。ならこのまま……。

 ――って、何をしているんだ俺は!


「す、すまんベル! 離れてくれ!」

「は、離れろと言っても、こうきつく抱きしめられたら離れられんわ……」

「突とばしてもなんでもいいから、何とかしろって!」

「何をいっておる? どうかしたのか……?」


 そう言うとベルは、思いっきり俺を抱きしめてきた。

 俺の言ったことと真逆の行動ではあるけど、おかげでこれ以上何もできそうにない。


「どうも3階に来てから変なんだよ。普段は平気なんだが、ふといつもよりも、何と言うか……。発情してしまうんだ……」


 疑念はもう確信だ。俺は明らかに邪淫の影響を受けている。


「は、発情! お前は我に発情しているのか!?」

「バカ! 恥ずかしいから聞きかえすな」

「……もしかして姉の影響か? しかし、そんなこと今まで聞いたこともないぞ」


 となると俺だけなのか?

 でもこれは勘違いじゃない。なぜならもうひとつ心当たりがあるからだ。


「亜人の村を探していたときのことを覚えているか?」

「あ、ああ。それがどうかしたか?」

「シャルルの仲間の話を聞いたとき、サワットと戦っているとき。俺、少し変じゃなかったか?」

「た、確かにグラムらしくはなかったのお。少し怖いくらいであったぞ……」


 ベルの腕が微かに震えている。やはりそれだけ俺はおかしかったんだろうな。


「体の奥底から、押さえきれない強い怒りが込みあげてきてたんだ」

「もしかしてアイラの憤怒の影響か!? で、でも、アイラと会って随分とたっておったぞ?」

「それは多分、怒るようなこと自体あまりなかったとか、アイラに魂縛の術がかかっていたとか、何かが影響したんだと思う」

「し、しかし、なぜグラムだけなのだ!?」

「わからない。俺が持つ方位磁石の先に何があるのかも、俺がいったい何者なのかも……」


 今はまだどうということもないけど、俺はいつまで自制できるのだろうか。

 もしできなくなったら、平気でこいつらを傷つけてしまうのだろうか?


「心配するな、今の我は完全に力を取りもどしている。それにエレインとシャルルも随分と強くなった。お前がどれだけおかしくなろうが、力づくで止めてやるわ!」


 ベルはそれを証明するかのように、力一杯俺を抱きしめた。


「……どこかで聞いたことのあるような台詞だと思ったら、俺がお前に言ったことじゃねーか。」

「そんなこともあったかのお?」


 ベルはわざとらしく惚けてみせた。


「まったく……。もう大丈夫だ、ベル離してくれ。」


 俺の言葉にベルはゆっくりと腕をほどいていった。

 うん、やはり平気なようだな。

 どうやら性欲に勝る感情を持つことで、自制できるみたいだ。

 どの感情が勝ったのか認めたくはないけど、とりあえず目頭が熱い。


「悪かったな、いきなり抱きついて。さて戻ろるとするか」

「今は我が何かしても抵抗できんと言うことか……?」


 深呼吸をひとつし心を落ちつけていたら、ベルが頬を染めながら問いかけてきた。


「ああ、だから早くみんなのところに帰ろうぜ」

「い、今のうちに口づけのひとつでもしておくかのお。最近お前はあっちこっちと色目を使いおるし……」

「ま、待てベル!」

「なんだ? 我の口づけを拒むと言うのか?」


 俺の肩をつかみ顔を覗きこんでくるベル。


「いや、今されたら、多分それだけじゃ済みそうにないから勘弁してくれ」


 と言うか、絶対におかしくなる自信がある。


「な、何を言うておる! さすがにそれは、我も心の準備ができておらんわ!」


 ベルは真っ赤な顔でそう言うと、逃げるように走りさっていった。

 その表情だけでじゅうぶん劣情を掻きたてられるんだが……。

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