第98話 淫らな感情
ダンジョンの3階は思った以上に困難な道のりだった。
群生しているシダ植物のせいで足元が見づらいうえに、ところどころに木の根が飛びでていたり、地面がぬかるんでいたりで非常に歩き難い。
途中何度か魔物と遭遇したが、地形をうまく利用する奴が多いのも面倒だ。
そして何より厄介なのは、このうだるような暑さであった。
「暑ーい……。もう下着まで汗でびっしょりだよ」
パタパタと手で顔を仰ぎながらエレインが言う。
男の俺がいる前で、そんなことを言うのはやめてほしい。色々と想像しちゃうから……。
「結構歩いたし少し休憩するか」
俺はみんながゆっくり休めるよう、『
「ベルー、大丈夫にゃ? シャルルのせいでごめんにゃよ……」
シャルルはベルにベンチに降ろしてもらうと、申し訳なさそうに謝罪した。
「うるさい、くだらぬことを気にするでないわ!」
「ふにゃ! 痛いにゃよベルー」
ベルはそんなシャルルのおでこを指で弾くと、隣に腰かけ革袋水筒を取りだし口に含んだ。
髪が汗で顔に張りつき息もきれぎれ。相当ばてているな。
――『絶対零度』――
辺りを取り囲むように幾つかの氷柱を生やすと、途端ひんやりとした空気が漂ってきた。
「すまぬな。だいぶ涼しくなったよ」
とぷんと音を立て、革袋水筒から口を離したベルが、人心地ついた様子で言った。
「ねえグラム、これをベルに巻いてあげたらどうかな?」
そう言うとエレインは、アイスプラントの葉を手渡してきた。
これは魚の塩漬けを包んでいたやつか。
「なるほど、いいかもしれないな」
俺はポケットからハンカチを取りだすと、アイスプラントの葉を包み冷却効果のあるスカーフを作った。
「ベル、ちょっと顔を上げてくれ」
「こうか? ん、む、むう――」
タオルでベルの顔と首の汗を拭い、冷却スカーフを巻きつける――。
「どうだ?」
「おおお、これはかなり涼しい――が、少し生臭いのお……」
「まあ、そこは我慢してくれ。そうだ、ついでに足も冷やしておくか」
俺はベルの靴を脱がし、セレニアの葉をすり潰した薬を足首に塗ってみた。
「ほう、これまた心地が良いのお」
どうやらなかなかの効果みたいだな。
「グラムがなんだか甲斐甲斐しいにゃ。愛の力かにゃ?」
また訳のわからないことを言いだすシャルルと、ひっそりと照れているベル。
そりゃ愛はあるが、そういう類いのものではない。はず。
「そ、そうなのかグラム……?」
なんて思っていたら、エレインがなんとも切ない顔で俺を見てきた。
まったく仕方ないな……。
「ほら、エレインも足を出して」
「こ、こうか?」
みんなにやれば問題ないだろ。
とか思って言ったけど、女の子の足から膝上まであるブーツを脱がすのって、背徳的と言うか官能的と言うか。
エレインが喜んでるみたいだからまだいいけど、そんなに真っ赤な顔をされるとこっちまで照れてしまう……。
「シャルル、足の具合はどうだ?」
エレインの足のアイシングを済ませた俺は、次にシャルルの足を確認する。
「だいぶ痛みがひいてきたにゃ。包帯をきつく巻いてるから、もう歩けると思うにゃよ」
「バカ者、気を使うなと言ったであろう」
「あにゃ、ごめんにゃよ」
怒られているのに、嬉しそうにしているシャルル。でも熱もひいてきたみたいだし、まんざら嘘でもなさそうか。
ただ、このまま進むのはベルの体力が少し心配だな……。
やっぱりシャルルが怪我をした時点で、いったん戻るべきだったか?
って、今さら言っても仕方ないか。もっと建設的な思考をしないとな。
「なあベル。今さらだけど、この外のような陽射しって擬似的なものなんだよな?」
「ああ、邪淫の姉が作った明かりだろ。邪淫の姉は、ダンジョンの環境変化が得意だからな」
なるほど、室温も見た目に合わせてるって訳か。いや、こんな室温だからこんな環境なのかも知れないな。
どちらにせよ迷惑な話だ。
「この明かりって、夜になると暗くなるのか?」
「そのままかも知れんし、暗くなるかも知れん。凝り性な邪淫の姉の性格を考えると、恐らく外の時間と連動している可能性が高いとは思うがな」
あわよくばと思ったが、それは困ったな。
こんな見晴らしが悪く、四方八方どこからも丸見えな場所で夜を迎えるのだけは、なんとか避けたいな。
「もしかして我の体力のことを心配しているのか?」
さっきから頭を捻っている俺を見て、ベルが問いかけてきた。
「当たり前だろ、心配しない訳あるか」
あまりにはっきりした物言いに、少し照れた様子のベル。
おい、やめろ。俺まで恥ずかしくなるだろ。
「ねえ、次は私が背負おうか?」
「それはダメだ。我ならシャルルを背負っていても魔法を放てるが、前衛はそういう訳にはいかぬ」
エレインの提案をばっさりと切るベル。
でも言ってることは正しいんだよな。3階の魔物はこの地形も相まってかなり厄介だし。
「という訳だから、シャルルのことは我に任せるのだ。何、このもふもふが意外に心地良いのだ」
「ベル……」
さっきから俯いているシャルルの頭を撫で、笑顔を見せるベル。
いくら以前より体が大きくなったとは言え、まだまだ成長途中の体――しんどくない訳がないだろうに。
――って待てよ。そうか、もっと大きくなればいいのか!
「よし、ベル脱げ!」
これはいいことを思いついたぞと、早速ベルに提案する俺。
「は、はあ!?」
しかし伝わっていないのか、ベルはおかしな反応をしている。
「だから服を脱げって言ってるんだよ」
そうしないと俺の作戦は実行できないのだ。
「なななな、何を言っておるのだお前は……?」
「いいから早く脱げって……」
ええい、じれったい。俺が脱がしてやるわ……。
なんて、ベルのドレスの第1ボタンに手をかけたところで――
「グ、グラムのバカ!」
エレインにおもいきり突き飛ばされてしまった。
いかん完全に暴走してしまっていた……。
「まったく、反省しておるのかお前は!」
「はい、真に申し訳ありません……」
ベルに背を向け正座で謝罪する俺。
後ろからは衣ずれの音が聞こえてくる。
「ビックリしたにゃ。グラムが暑さでおかしくなったかと思ったにゃ」
「おもいっきり突飛ばしちゃってごめんねグラム……」
シャルルとエレインの言葉を背中で聞き、深く反省する俺。
と言うかなんで俺はあんなこたをしたんだ。
さっきまで普通にみんなのブーツを脱がしたりしていたものだから、流されてしまったのか?
それとも心のどこかで、ベルの裸を見たかったのだろうか?
いや、それにしても自制できないのは明らかにおかしい。
そう言えば以前も、自分らしくない感情に支配されそうになったことがあったような……。
「おい、もうこっちを見ても良いぞ。この色欲魔め」
呼びかけるベルの声で、まとまりそうだった思考が霧散する。
まあいいかと振りかえると、俺のローブにすっぽり身を包んだベルが、さっきまで着ていた自分の衣服を手に立っていた。
「じ、じろじろ見るでない。ほれ、疾くせんか」
もじもじとした様子でベルが言う。
そりゃローブの下は裸なんだから、そんな反応になるわな。
「靴は平気なのか?」
ベルから受けとった衣服を、丁寧にバックパックにしまいながら確認する。
「あまり足のサイズは成長せんかったからな。たぶん大丈夫だろ」
「そうか。さっきはすまなかったな。自分でも良くわからないけど、どうかしてたわ」
俺はベルに頭を下げ、指を差しだす。
「どうかしてた? いつもあんな感じだろ。……まったく、ああいうことはふたりきりのときに――」
「ん? なんだって?」
「ふん、なんでもないわ!」
ぶつぶつと何を呟いたのか聞きかえすと、ベルは不機嫌な様子で俺の指を咥え、魂力を吸収した。
「さて、では行くとするか」
少女から、息を飲むほどの美しい女性になったベルが、シャルルを背負い言う。
「ベル、どうだ? さっきよりもマシになったか?」
「おかげで体中に魂力がみなぎっておるからの。これなら半日でも背負えそうだぞ」
そう言うとベルは朗らかに笑った。
顔色もすっかり良くなったし確かに余裕がありそうだ。
「疲れたら遠慮せず言うんだぞ」
「ああ、わかっておる。ほれ、そろそろ行くぞ」
「ベルだめにゃ! グラムに近づくとまたエッチなことされるにゃよ!」
「しないっての!」
と口では言いつつも、どうもおかしい。
正直に言うと少しだけ欲情してしまっている。
もしかして、邪淫のダンジョンの影響を受けているのか……?
でも他のみんなは、何ともなさそうだし。
「ほら、グラムさっさと行くよー」
なんて考えていたら、エレインが手を引っぱり急かしてきた。
まあ、いいか。体を動かしていたらすぐ元に戻るだろ。
それから2時間ほど歩いただろうか。辺りの草木が茜色に染まってきた。
「ベルが言ってた通り暗くなってきたにゃ」
「まずいな、暗くなる前に夜営に適した場所を見つけたかったんだけど」
進めど進めど、苔むした樹木と背の高いシダ植物ばかり。身を隠し休めそうな場所など、まったく見つからなかった。
こうなったらその辺の物を利用してシェルターでも作るか……。
そう思い辺りを見回していたら、少し先に魔物の気配を感じた。
「この先に魔物の気配を感じる。恐らくコボルトだと思うけど、慎重に進むぞ」
そう言って先に進もうとしたところ、どういう訳かエレインが俺の服を引っぱってきた。
「どうした?」
「ねえ、魔物たちはどこで休むのかな?」
俺の問いに、問いで返してくるエレイン。
「そりゃ、自分たちの寝床で――そうか、そろそろ昼型の魔物は、自分たちの住処に戻るころか……」
「ねえ、ついて行ってみようよ?」
エレインはにこりと笑うと、嬉しそうに俺の手を引っぱった。
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