第94話 ヴァネッサ・ワーグナー辺境伯

 クロムウェル領を出て12日目の夜半前、ヴァネッサ・ワーグナー辺境伯が納める町、ベスティアが見えてきた。


「どうだベル、何か感じるか?」


 俺の問いにベルは無言で首を振る。


「大丈夫ですよベル。地図を見る限りこの辺りにあるはずですから」


 ネッケの糸から、エルネの優しい声が聞こえてきた。

 シャネルさんから貰った、持つ者の同族の場所を指し示す方位磁石。

 クロムウェル領とピスケスの町でベルに持たせたときの針の方角を、地図に書き記しておいた。

 その線の交わる場所がちょうどこの辺りになるのだが、まだベルのアンテナには引っかからないようだ。

 まあ、おおよそで書きこんだから、当然ズレもあるか。


「ワーグナー卿に聞いてみてやるよ。この近くにあるのなら、ダンジョンの情報を知っているはずだろうし」

「ああ、そうだな。ありがとうグラム、エルネ」


 ベルはそう言うと、膝の上で眠るアイラの髪をそっと撫でた。


「ところでグラム。ここって俺たちが何かする必要あるのか?」


 幌から顔を出したガラドが、いよいよ近づいてきた町の防壁を見上げ、問いかけてきた。

 ヴァンヘルムとの国境近くにある軍事地区のため、その防備も堅牢堅固である。


「手紙を渡すようフィルフォード卿に言われているけど、まあ行ってみたらわかるだろ。とりあえず今日はもう遅いから、宿に行って夕飯にでもしようぜ」


 その言葉にみんなが喜色を浮かべた。

 いつもならもうご飯を食べ終えて、のんびりしている時間だもんな。

 明日からまた忙しくなるだろうし、今日はうまいもんでも食べるか。

 俺はどんな料理があるかうきうきしながら、馬車が着くのを待った。



 そして翌朝――


「……あのペテン師め、ふざけるな!」


 ゆるいカールの掛かった赤い髪を炎のように震わせ、ワーグナー卿は俺が渡した手紙を破りすてた。


「ワーグナー卿、いったい何が書かれてあったのですか?」

「うるさい、黙れ!」


 ワーグナー卿は俺の問いに答えることなく、獣のように獰猛な目でギロリと睨んできた。

 何この女性ひと、超怖いんですけど……。


「ヴァネッサ様。グラム殿は遠いクロムウェル領から、わざわざ私たちのためにやって来てくださったのです。そのような態度はいささか失礼かと」


 軽鎧を身にまとったブラウンヘアーの優男が、ワーグナー卿に怯むことなく進言してくれた。


「それが必要ないと言っている!」


 しかし、すさまじい剣幕で切って捨てるワーグナー卿。


「では私は、礼節も良識もない主に仕えていると言うことですか?」


 おいおい、気持ちは嬉しいけど大丈夫かよ!?

 今にも腰のサーベルを抜きそうなほど、わなわなと震えているんだけど……。


「チッ! ゲストハウスに案内してやれマチアス。但し、前線の砦には近づけるな」


 ワーグナー卿はこちらを一瞥すると、かつかつとブーツを鳴らし去っていった。

 とりあえず滞在の許可はもらえたということかな?


「申し訳ありませんグラム殿。普段はもっと優しい方なのですが……」


 マチアスさんは頭を下げると、ゲストハウスへ案内してくれた。

 あれが優しい姿は想像できないけどな……。


「ではグラム殿、長旅で疲れているでしょうし、今日は1日ゆっくりお休みください」


 細かな意匠が施されたゲストハウスのドアを開き、マチアスさんが言った。


「いえ、実は昨晩遅くについたため、体力は有り余っております。ですので、遠慮せず何でも申し付けください」


 俺はドアを開くマチアスさんに、腕をくるりと回し元気をアピールしてみせた。


「そうでしたか。ではこちらをご覧になっていただけますか?」


 するとマチアスさんは懐から地図を取りだし、ここでの俺たちの仕事について説明してくれた。



「ふにゃあ、おしっこちびるかと思ったにゃあ」

「うちの母ちゃんより怖い女の人は初めて見たぜ……」


 ゲストハウスのソファにへたり込み、シャルルとガラドが言った。

 あんなに綺麗なのに、平気で人を殺しそうな目で睨んでくるんだもんな。

 それに身にまとっていた空気が、父さんやヒュースさんと同じ匂いがした。かなりの剣の使い手だろう。


「しかし良かったなベル、アイラ。まだ決まった訳じゃないけど、ダンジョンの情報を聞けて」


 俺たちが任されたのは、町の外にある農園を囲う、防壁修復のお手伝いである。

 6年前に、町の北西の森に突如ダンジョンが現れ、魔物の被害にあっているそうだ。


「我とグラムが、ちゃちゃっと調べてくるから、おとなしく待っているのだぞアイラ」

「うん。気をつけてねお姉ちゃん」


 ベルを見上げアイラが言った。

 もう少ししたらここに、3人目の姉妹が並ぶかも知れないな。


「ところで坊ちゃま。ダンジョンにはどのような構成で、入られるのですか?」


 そんなことを想像していたら、エルネが紅茶を差しだし問いかけてきた。


「私は行くよ!」

「グラム殿、私もぜひ連れていってください!」

「なら盾役は必要だな」


 エルネの問いに数瞬の間も置かず、エレインとガラドとルイーズが前に出る。

 さて、どうしたものか。

 アイラは留守番させるとして、そうなると保護者役にエルネにも残ってもらったほうがいいか。

 ただ、ふりでも防壁を修復してますよって、数人は残したいんだよな……。


「ダンジョンには、俺とベルとエレインとシャルルの4人で行く」


 俺の言葉にガラドとルイーズが詰めよってくる。

 しかし防壁の修復を依頼されているのに、男手を残さない訳にはいかないと説明したところ、ガラドは渋々ながら納得してくれた。


「なら私は! 私は同道しても良いのではないですか!?」


 声を張りあげ訴えかけるルイーズ。

 しかしルイーズは、まだ魂力のコントロールを覚えていない。

 ここは酷だがはっきり言わないとな……。


「連れていくにはルイーズはまだ弱すぎる。俺の言葉が悔しいなら、もっと力を付けてみろ」

「お前、何もそんな言いかたしなくっても!」


 俺の言葉にガラドが血相を変え、掴みかかってきた。


「――良いのです」


 しかしルイーズは、静かにガラドを制した。


「で、でも、いいのかルイーズ?」

「グラム殿は無闇に相手を傷つけるようなかたではありません。私のことを思い自らの心を傷めながら、仰ってくれているのです……」


 目に涙を浮かべ、強く拳を握りしめるルイーズ。

 悔しいだろうな。しかし、そんな悔しさに負けているようでは、強くなんてなれない。


「ルイーズ。俺たちが戻るまでにガラドから1本取ってみろ。ガラド、ぜったい手を抜くんじゃないぞ」

「わかりました……。必ずグラム殿に私のことを、認めさせてみせます!」


 ルイーズは凛として堂々たる態度で、真っ直ぐ俺を見つめた。

 ふっ、これは強くなるな。


 それから俺は、ベルの力を使って防壁の修復を3割ほど済ませてから、ダンジョンの様子を確認しに行った。


「こ、これは姉の……、邪淫の気配だ!」


 ダンジョンがあると教えてもらった場所に向かっている途中で、突然ベルが驚きの声をあげた。


「やったにゃ! 大当たりにゃよー」


 それを聞いてベルの周りをぴょんぴょんと跳びはねるシャルル。

 俺とエレインも自然と顔を綻ばせる。


「グラムも良かったな」

「ん?」


 シャルルとじゃれ会うベルを眺めていたら、エレインが肘でつついてきた。


「だってあれだけみんなの前で決めたのに、何もなかったって帰ったらカッコ悪いじゃん」


 エレインはそう言うと、クスクスと笑って俺をからかった。

 なるほど、確かにそうだな……。

 俺が戻るまでガラドから1本取ってみろ!

 とか言って、ものの5分で戻るのは恥ずかしすぎる……。


「で、でも私は、どんなグラムでも好きだからな……」


 両手をもじもじさせて呟くエレイン。

 何この可愛い子。


「お前、男をドキっとさせるのうまくなったな」

「ドキっとした?」

「ま、まあ」

「ふふふ、やった」


 いやだからそれがドキっとしてキュンとくるんだって。

 エレイン、末恐ろしい子だな……。


「ところでベル、どれくらいの規模かわかるか?」


俺は頬が熱くなるのを感じながらベルに聞いた。


「そうだのお、かなりの深さを感じるから、5階層はあるかも知れんの」


 となると、このままダンジョンに入るのは愚策だな。

 俺たちは食料など準備をすべく町へと戻った。


「ねえ、グラム」


 大きな門をくぐり町へ入ったところで、エレインが呼びかけてきた。


「ん、どうした?」

「ひとまず冒険者ギルドに行ってみない?」

「なるほど、確かにギルドに行けば、ダンジョンの情報を聞けるかも知れないな」


 町から10キロほどの距離にダンジョンがあるんだから、きっと調査もしてるはずだ。

 どんな魔物が出るか聞けたら対策もできるし、いい考えだな。


「それならついでに依頼も受けていくにゃ。ダンジョンがらみの依頼でがっぽがっぽにゃよ」

「姉を助けて依頼で稼いで一石二鳥だな」


 ぐふふと企んだような笑いをしてみせる、シャルルとベル。

 こちらもいい考えだが、もう少し女の子の自覚を持ってほしい。せっかくの美少女なんだから……。

 そんな不満を感じつつも、俺たちはダンジョンの情報を集めにギルドへ向かった。

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