第91話 砦作りは機嫌次第

「えっとベルさん。もう少し普通な感じで――」

「あ? 我のセンスが不服と言うのか?」


 俺の言葉に、ベルはキレ気味に睨んできた。


「いや何と言うか、ほら、もう少しだけ品がある感じにさ」

「ほう……。我は品がないとな。確かにエレインと比べたらそうかも知れんのお……」


 今さらいうまでもないが、ベルはすこぶる機嫌が悪い。と言うか、かなり怖い。

 理由は考えるまでもなく、昨夜エレインとふたりで浜辺を歩いていたことだろう。

 ベルはエレインが好きなので、いっさいエレインを責めない。しかし俺にはこの有り様である。

 だからと言って、さすがにこれはまずいよな……。

 俺は目の前に建つ、ドラゴンの頭やドクロが付いた門扉を見上げ、改めて思った。

 砦の門扉だから魔物避けにとか言って誤魔化せ……ないよなやっぱり。


「ベル、これが終わったらふたりで屋台でも行こうぜ」


 おいしいものでも食べさせたら機嫌も直るだろ。


「ほう、我には何か食べさせておけば、それで良いとな?」


 バレバレである。こいつほんと焼きもちやきなんだから。

 ってか、付き合っている訳でもないんだから、別にいいじゃないか。

 そんなことを言ったら、もっとキレるのでぜったいに言わないけど。

 女心がわからない俺でも、ベルが俺に気があることくらい、さすがにわかっているのだ。


「ベル、そろそろ許してくれよ。俺はお前にだけは嫌われたくないんだ」


 だけ、と言うのは誇張したけど、これは本心である。

 ベルとバカを言い合っているのが、俺は好きだからな。


「……許すも何もお前は何もしておらんし、我も怒っておらん」


 明らかに怒っているだろ!

 でも、少し顔を赤らめているし、効果はあったようだな。


「でもまあ、どうしても一緒に行きたいと言うのなら、付き合ってやっても良いぞ、屋台に」


 照れた様子で俯くベル。何これ抱きしめていいの?


「ああ、どうしてもベルとふたりで行きたいから、ちゃっちゃと片付けてしまおうぜ」

「し、仕方ないのお」


 満更でもない様子のベル。

 俺も少しは女心がわかってきたんじゃないか?

 なんて思ってあとでエルネに言ってみたら、それは軟派なだけだと呆れられてしまった。



「おいグラム、そっちの串焼きも一口よこすのだ」


 ベルが大きく口を開けて、俺の持つ魚の串焼きにかじりついてきた。


「ううん、やはり海の近くなだけあって魚がうまいのお」


 ベルは口の回りに食べかすを付けながら、満足そうに言った。

 食べ物じゃ機嫌が直らないようなこと言っておいて、すっかりご機嫌な様子である。


「ほら、また口汚してる。んーってしろ」


 そう言って俺は持ってるハンカチで、ベルの口の回りを拭う。

 言われるままに、んーっと口を突きだすベル。

 こいつ確か中身はお姉さんだよな……?

 可愛いからいいけど。


「そう言えば魚って醤油とすげー合うんだぞ」

「そうなのか? 醤油は我も大好きだぞ。どうやって食べるのだ?」


 すき焼きを食べて以来、ベルはすっかり醤油の虜のようだ。

 ちなみにこの世界で醤油と味噌は、納豆のように好き嫌いが別れる食べ物である。

 食べなれている人はそうでもないけど、どうやら塩っぱいと感じるらしい。

 あと黒い色味が美しくないと嫌う人たちも多いとか。


「焼き魚に垂らしてもうまいし、煮付けにしてもいいし、でもやっぱり一番は刺身だな」

「ん、サシミとはなんだ? ぷすぷすと刺すのか?」

「生の身を薄く切って醤油を付けて食べるんだよ」

「な、生で食べると言うのか!? そ、それはさすがにあり得んだろ……」


 俺の言葉に顔をしかめるベル。

 この世界は肉や魚の生食文化がないみたいだもんな。

 やっぱり気持ち悪いのだろうか?


「でも、俺が住んでいた世界では、種類によっては結構なご馳走なんだぞ」

「まことか? そんなにうまいのか? うーん、でも生で食べるのは少し勇気がでんのお」


 これだけ言われると、意地でも食べさせておいしいと認めさせたくなるな。

 しかし、寄生虫がこわいんだよな。俺の食べていた魚とは種類も違うし。

 いや、待てよ。寄生虫なら魂力感知で確認したらいいのか。

 新鮮なものを選べば、食中毒の心配もかなり低いだろうし。


「いくつか買って宿で試してみるか」

「ほ、本気で言っておるのか……?」


 かなり尻込みした様子のベル。


「絶対ベルも気に入るって。今まで俺が嘘をついたことがあるか?」

「むう、グラムがそこまで言うなら試してみても良いが……」

「よし、ならさっそく買いにいこうぜ」

「こ、これ、待たぬか」


 意気揚々と魚屋を目指す俺の手を、ベルは慌てて掴んできた。


「どうした?」

「ま、まずはデートをもっと楽しんでからだ。女心のわからん奴め……」


 白い顔を朱色に染め、そっぽを向いたまま呟くベル。


「そうだな。まだデート中だったな」


 俺は自分の言葉に頬を染めつつ、ベルと手を繋ぎピスケスの町をゆっくりと観光した。



「寝つけないのですか坊ちゃま?」


 その日の晩、宿のテラスで考えごとをしていると、不意にエルネが声を掛けてきた。


「少し考えごとをしていてな。エルネも寝つけないのか?」

「トイレに起きたら、窓の下に坊ちゃまの姿が見えたもので。ふう、少し冷えますね」


 エルネは俺の隣に座ると、肩を抱き体を震わせた。


「もう10の月だからな。そんな格好でいたらそりゃ寒いさ。ほら」


 俺は、白い薄手のワンピース姿のエルネに、自分が着ていたローブを掛けた。


「不用意ににそんなことばかりするから、みんなに好かれちゃんうですよ」


 エルネはクスクスと笑いながら言うと、ローブを半分俺に掛けてくれた。

 自分だってドキッとさせるようなこと、さりげなくやっているじゃないか。


「何を考えていたのですか?」

「どうせわかっているんだろ?」

「よくわかりましたね」


 エルネは月明かりに照らされながら、優しく微笑んだ。

 自惚れている訳ではないけど、エルネはかなり俺のことを見ている。

 ネッケの糸を使って監視していた前科もあるくらいに。

 悪気がある訳じゃなく、俺のために少しでも俺を理解しようとやっている行為で、強い依存心がそうさせているのだろう。


「エレインとベルと、どっちにしようか悩んでいたんですね」

「ちげーよ! って、わざと言ってるだろ?」

「ふふふ。それもちゃんと考えないとダメですよ」

「それはそうだよなあ……」


 どっちにもいい顔している訳にもいかないよな。


「実際坊ちゃまはどう思っているのですか?」

「エレインから聞いているんだろ?」

「ええ、エレインからもベルからも聞いていますが――って、坊ちゃま顔が赤いですよ」

「いや、筒抜けなんだなと思うと、恥ずかしくなってきてな……」


 俺が臭いセリフを言ったことも知っているんだろうな……。


「例えば、もしエレインとベルが、他の男性に告白されたらどう思いますか?」

「すっごい腹が立つ! 首根っこ捕まえて引きずり回してやりたい」

「ふふふ。何も思っていない訳ではないのですね。安心しました」

「それは少し違うんじゃないか? だってそういうことなら、エルネにだってシャルルにだって俺はたぶん焼きもちを焼くぞ」


 恋心とかじゃなく独占欲だろきっと。


「あら、それは光栄ですね。でも、例えばルイーズさんやフェルメール王女殿下が婚約したとかならどうですか?」


 ん? ルイーズとフェルメール王女殿下が婚約?

 ふたりの立場ならあり得る話だよな。


「……あれ? 別になんとも思わないかも。おめでとうって感じかな?」

「今はただ取られたくないって思いだけかも知れませんが、人を好きになるなんて、そういうところからはじまるのではないのですか?」


 ほう、さすがエルネ。それっぽいことを言うな。でも……。


「その理論で言うと、俺はエルネやシャルルを好きになるかも知れないぞ」

「それは困りましたね。んー、そのときは、みんなまとめて面倒を見てくださいね坊ちゃま」


 エルネはそう言うとクスクスと微笑んだ。

 確かにこの世界は一夫一婦ではないけど、それはなんか違うだろ。

 前世界人の倫理観かも知れないけど、それがまかり通るならベルもあんなに焼きもちをやかないだろうし。

 って、俺は何て不誠実なことを考えているんだ!


「さて、気持ちも落ちついたところで、そろそろ本当の悩みを教えていただけますか」


 優しい声音でエルネが言った。


「まったく、エルネには敵わないな。まあ、悩んでいたって言うか、考えていただけだ」

「自分が何者かってことですか?」

「ああ。シャネルさんの言うことがどこまで真実なのかも含めてね」


 シャネルさんが言うことが全部本当だった場合、俺は神の使徒である7つの子と同族ってことになるのだろうか?

 確かに女神様の願いを聞き使わされた訳だから、使徒なのかも知れないけど少し違うよな。

 だって7つの子は、半神アギニザが生み出した存在な訳で。って、それがそもそもデタラメな伝承って可能性もあるよな。

 その根底が覆ると、考えても何もわからなくなるんだけど。

 ただ俺が気になるのはもうひとつの可能性なんだよな。

 俺はシャネルさんから貰った方位磁石を出し、魂力を込めてみた。


「海の先……、アルテミジア大陸のほうでしょうか?」


 俺の手元の方位磁石を覗きこみエルネが言った。


「俺の同族ってこの世界の人間のことなのかな?」

「どういうことですか?」

「俺は異世界人だろ? だから……」


 ただもしそうなると、いるのは誰だ?

 あの状況で女神様が異世界に送りこめる人間なんて、俺以外にひとりしかいないのでは……?

 いや、もっと昔の話かもしれないな。

 この世界はやたらと、俺の世界の文化に通じる風習があったりするし、そうかも知れない。


「やめた。考えてもわからないことを考えても仕方ないや」

「そうですよ坊ちゃま。ご不安でしょうが、今は目の前のことに集中して、全部終わったら実際に会いに行けばいいのですよ」

「そうだな。何があるかわからないけど、ついて来てくれるか?」

「当たり前です。私は坊ちゃまの側近ですからね」


 俺の言葉に胸を張り答えるエルネ。

 相変わらずいいものをお持ちで、なんて横目で見ていたら、エルネにじとっとした目で睨まれてしまった。


「さ、さあ、もう寝るか」


そう言うと、俺は逃げるようにその場を後にした。

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