第90話 海辺の町ピスケス

 獣人たちをクロムウェル領に迎えいれてから、2週間がたった。

 元々の住人と獣人たちの間で、諍いが起きないか少し心配していたものの、獣人たちが持ちこんだ酒がたいそう評判で、最近では夜になると種族入りまじり酒盛りをする風景を、良く目にするようになった。

 これはクロムウェル領が裕福になり、みんなの暮らしに余裕が出てきた証拠である。

 と言うのも働き手が増えたことにより、サトウキビ畑や小麦粉の製粉施設を拡大することができたことと、フィルフォード卿の協力で少しずつフランチャイズ店舗も増えてきたことにより、クロムウェル領の収入が増え住民に還元することができているのだ。

 この調子なら評判を聞いた流浪の民が、クロムウェル領に腰を落ちつけようとやって来てくれるかも知れない。

 さらに俺にとって嬉しいのが、新しくきた獣人たちによって酒、味噌、醤油の醸造や稲作に着物の縫製技術が伝わってきたことである。

 今はまだ始めたばかりであるが、来年にはそれなりに軌道にのっているはずだし、純粋に和食を食べられるのが何よりも嬉しい。

 さて、それだけ事業が拡大しているなら俺は忙しくて何もできないんじゃないか? というと意外にそうでもない。

 お菓子作りの職人研修に関しては、すでに腕前がプロ級になってきたアイラに助手を2名つけて全て任せているし、他の仕事についても獣人の元族長たちに任せているのだ。


 では俺は今何をしているのかと言うと――


「おい見てみろ。海が見えてきたぞ」


 反開戦派の領地に砦を築造するべく、マーク・コーヴァン伯爵が納めている、海辺の町ピスケスに向かっているのであった。


「すごい、あれが海ですかあ……」


 俺の言葉に幌から顔を出したルイーズが、風に髪をなびかせ感嘆する。


「ルイーズは海を見るのは初めてかにゃ?」

「はい。お恥ずかしながら、ずっと王都に籠っていましたから」

「ルイーズ、海は塩がいっばい入っていてすごくしょっぱいのだぞ」

「ベル殿、騙そうたってそうはいきませんよ。もし本当なら塩が取り放題じゃないですか」


 腕を組んでしたり顔をするルイーズ。

 周りのみんなはなんと返したらいいものか、少し困った顔をしている。


「も、もしかして本当なのですか!?」


 そんなみんなの反応に、ルイーズは口に手をあて驚いた。


「本当だよルイーズ。しかもそれだけじゃなくて、なんと海は体が浮くんだぞ」

「な、なんと! 魔法の力でもあると言うのですかエレイン!?」


 ルイーズの斜め上の反応に、エレインは困った様子で頬をかいた。

 しかしルイーズは、見た目こそ真面目で寡黙な印象だけど、思ったことがすぐ顔に出る様がなんとも素直で愛らしいな。


「ところでグラム、お前とベルが砦を作っている間、俺たちはどうしていたらいいんだ?」


 俺の隣に座るガラドが訊ねる。


「エルネについて行って、買い出しとこの辺りのダンジョンの情報収集を頼む」

「グラム、実はそのことなのだが……」


 俺たちの会話を聞いていたベルが、そう言って懐から何かを取りだした。


「それはマメスケが持っていた石か?」

「ああ。一番近くにいる同族を指し示すという石だ」


 なるほど、確かにこれはベルにとって、願ったりかなったりなアイテムだな。


「実はクロムウェル領を出るときにも試したのだが、どうやらピスケスのほうにはいないようなのだ」


 ベルは残念そうにそう言った。

 確かにピスケスよりもずっと西のほうを向いているな。

 しかしピスケスにいないのは残念ではあるけど、探すあてができただけでも大きな前進だ。


「その石がなんかあんのか?」


 ガラドが不思議そうに問いかけてきた。

 そうか、ガラドとエレインとルイーズはこの石のことは知らないもんな。

 そう思い俺は簡単に、石を手にいれた経緯いきさつを説明した。


「じゃあピスケスにはいないんだなあ。でもよ、今までよりもずっと探しやすくなったから、すぐに見つかるんじゃねーか?」

「ああ、そうだな。ありがとうガラド」


 話を聞いたガラドが、さっき俺が考えていたようなことを言い、ベルを元気付けた。


「しかし便利な石もあったもんだねー。――あれ? なんか似たような話を前にも聞いたような?」


 上を向いて何かを思いだそうとしているエレイン。

 似たような話……?

 ――まさか!?


「おいベル、ちょっとこれに魂力を込めてみてくれ」


 そう言って俺は、バックパックから方位磁石を取りだし、ベルに手渡した。

 いつかシャネルさんに貰った、特別な魂の欠片ソウルスフィアを見つけるための方位磁石を。


「こ、これはどういうことだ?」


 ベルが手元の方位磁石を見て疑問を口にした。


「え、なんで? つまりグラムは……、どういうこと?」


 それを覗いたエレインも、驚きを隠せないでいる。

 なぜなら方位磁石の針も、同族を探す石と同じ方向を指し示しているからだ。

 マメスケの検証で、この石が手にした者の同族を指し示すということは、間違いない。

 問題はここからだ。

 シャネルさんは、半神アギニザの使徒である7つの子の力が顕現した、特別な魂の欠片ソウルスフィアを探すためのものだと言っていた。

 なんで俺が持つとそれを探せるのだ?

 いや、単に俺をからかった可能性もあるな。でもなんで?


 俺は疑問に思いながら、ベルから方位磁石を受けとり魂力を込めてみた。

 今一番そばにいる人間はエレインだ――つまり針はエレインを指すはず……。

 しかし針は、まるで関係のない方向を指し示していた。


「この針の先には何があると言うんだ?」


 そして俺はいったい何者なんだ……?


「あの、グラム殿。先ほどから何を話されているのですか?」


 俺たちの普通じゃない様子を見て、ルイーズが心配そうに聞いてきた。

 なんと説明をするべきか?

 ルイーズはまだ俺の正体を知らない。下手に話せば、不信感をつのらせてしまうかも知れない。

 方位磁石も石も、俺が持つと人間を指さないのだから……。


「坊ちゃま、町につきました。どうしますか?」


 突然、御者台に座るエルネの声が聞こえてきた。


「そのままコーヴァン卿の家に向かってくれ。場所はわかるか?」

「はい、お任せください」


 コーヴァン卿の屋敷の場所も、どうするべきかなんてことも、当然エルネは知っている。

 そもそも、屋敷なんてここから目立って見えているしな。

 しかしエルネの狙い通り話題は反らせたようだ。

 俺はエルネに感謝しながら、手に持った方位磁石の謎について考えていた。



「貴殿がグラム殿か。話には聞いていたが随分と若いのだなあ」


 酒樽のような体形をした初老の紳士、マーク・コーヴァン伯爵が、ハンカチで汗を拭いながらそう言った。


「お初にお目にかかり光栄ですコーヴァン卿。仰る通り若輩の身ではありますが、砦の築造に関しましては、責任を持って遂げますのでご安心ください」


 もう随分と涼しくなったのになと思いながら、俺は胸に手をあて頭を下げた。


「ああ、そこは心配しとらんよ。何せあのフィルフォード卿の太鼓判付きだからな」


 コーヴァン卿はお腹を揺らしながら、愉快そうに笑った。


「恐縮です。では早速ですがこちらをご覧になっていただけますか?」


 俺はそう言うと、懐から丸めた紙を取り手渡した。


「ふむ、計画書か。なるほどなるほど、これを見るたけで貴殿が非凡であると理解できるな……。うむ、これなら問題ない。して、本当に手伝いは不要なのかね?」

「ええ。私の仲間がとても便利なスキルを持っておりますゆえ」

「そうか。長旅で疲れているだろうし、今日はゆっくりと休んでくれ。夜は歓待の準備をしている。細かな話はまたそのときにするとしよう。例のフランチャイズの話も聞きたいしな」


 俺は頭を下げると、コーヴァン卿が用意してくれている宿へ向かった。



 その日の晩、コーヴァン卿の歓待を受けた俺は、エレインとふたりで海岸を歩いていた。

 エルネが厳しい口調で、エレインを誘うように言ってきたのである。

 確かに亜人の村の件では留守番だったし、帰ってからもベルと町の開拓で忙しかったからな。


「なんだか海で見る星空は、いつもより綺麗に見えるなグラム」


 白いシャツワンピースを着たエレインが、白い歯を見せ嬉しそうに笑った。

 俺から誘いを受けたエレインは、デートだと跳びはね喜び、わざわざいつもの動きやすい服から着替えてきたのだ。

 あのショートパンツスタイルも大人っぽくてお洒落だと思うんだけど、エレインは可愛い姿を見てほしいのだとエルネが言っていた。

 と言うか色々と思いだして恥ずかしくなってきた……。


「海は好きか?」


 さざ波の音に耳を傾けながら俺は聞いた。


「うん、夜の海は少し怖いけどね」

「じゃあもう少し町のほうへ戻るか?」

「ううん、今はグラムがいるから怖くない。もう少しここにいよ」


 エレインは俺の手を引き、砂浜に腰をおろした。


「エレインありがとな、エルネのこと」


 俺も隣に腰掛け空を見上げながら言った。


「お礼を言うことじゃないよ。かなり驚いたけど、私エルネさんのこと大好きだもん」


 亜人の村から帰ったエルネは、ハーフエルフであることをエレインとガラドに告白した。

 ふたりはかなり驚いていたけど、なんてこともないように受けいれてくれた。

 あのときのエルネの顔を思いだすと、目頭が熱くなる思いだけど、確かに俺が礼を言うのは変だよな。


「グラムといるとね、怖くなくなるんだよ。温かくて安心できて、強くなれるんだ。だからお礼を言うのは私だよ。グラムが見守っていたから、きっとエルネさんは私たちに教えてくれたんだ。だからありがと、グラム」


 自分の膝の上に頭を乗せながら、エレインは俺を見つめそう言った。


「お前はほんといい奴だよなあ」

「好きになった? ってもしかして照れてるグラム? 顔が真っ赤だよ」


 悟られないように平静を装ったつもりが、どうやらバレバレのようである。


「ああ、かなり照れてる。どうやら俺は真っ直ぐ攻められるのに弱いようだ」


 これ以上隠すのも格好が悪いと、俺は素直に白状した。


「ほう、それはいいことを聞いたな。もっと研究してグラムに好きになってもらわないと」


 しめしめと顔を綻ばせるエレイン。


「……少しは手加減してくれよ。でも、俺はもともとエレインのことは、す、好きだぞ。と言っても恋愛感情とは少し――」

「ほ、本当!?」


 エレインは俺の言葉を最後まで聞かず、俺の腕に掴みかかってきた。


「いや、でも恋愛感情とかじゃなくって、エレインという人間が好きって言うかなんと言うか……」

「嬉しい……」


 顔を真っ赤に染めて、自分の体を抱き締めているエレイン。

 ちゃんとわかっているのだろうか?


「ああ、早く大人になりたいなあ」


 大人になったエレインか。胸が大きくなるとか言ってたよな……。

 そんなエレインに全力で攻めてこられたら、平気でいられるのだろうか俺は。


「エ、エレイン。ちょっと歩こうぜ。砦の築造の下調べもしておきたいし」


 俺は変な想像をしてしまわないよう、無理やり話を変えて立ち上がると、エレインの手を引き砂浜を歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る