第89話 甘美な未来
突然だけど俺は今とても興奮している。
この世界に来て一番じゃないかってくらい、待ちきれずにワクワクしている。
「おいグラム、まだできないのか!?」
「疾くせんかグラム。さっきからいい匂いがしてきて、我はもう待ちきれんぞ……」
蓋がされた大きな鉄鍋の前で、鼻をくんくんさせながらミトンとベルが言う。
「生卵と皿は、人数分用意したのか?」
「もうとっくに用意してるっての」
俺の問いに食いぎみに返してくるミトン。
体を動かしたから、よほどお腹がすいているんだろう。
それにこの匂いを嗅いだら無理もないよな。
「よし、じゃあひとつずつ鍋を運んでくれ」
俺の言葉に喜色満面のミトンとベルが、皆が待つ大食卓に鉄鍋を運んでいった。
さて俺も久しぶりに堪能するか。
日本人のソウルフード――すき焼きを!
「さてグラム様。我らの新しい長として、何か一言お願いします」
広間に行くと、急に口調が変わったケイニスさんが、これまた急に、訳のわからぬことを口にした。
「俺は別に長になったつもりはないんだけど……?」
なんだ? 俺のいない間にそんな話になっていたのか?
「何言ってんだグラム。あんたは私たちの誰よりも強くて頭が切れる。そして何より人を惹きつける魅力がある。あんたが長にならずして、誰がなるってんだ」
ミトンは豪快に笑っている。
「それに我々を救うと言ったのは貴方ですよグラムさん」
確かに言いはしたけど、人間に強い不信感を持っていたオスカーまでも、俺を長と認めているとはな……。
俺は立ちあがり周りを見回してみた。
宴会場のような大広間には、4種族64名の獣人たちと俺の仲間が、3つの大きな食卓を囲み座っている。
そしてその誰もが、期待に満ちた目で真っ直ぐに俺を見つめていた。
ふう、これは仕方ないか……。
「わかった。そこまで言うなら長でもなんでもなってやるよ。その代わり俺の理想はそうとう高いぞ。たっぷりこきつかってやるから覚悟しろよ」
俺の言葉に大歓声がわき起こる。
そして早く食わせろと言わんばかりの、68人の視線がつき刺さる。
「まあ今日はその前払いってことで、存分に味わってくれ」
そして宴会は始まった。
「坊ちゃま、この卵はどうしたら良いのですか?」
エルネの質問にみんなの視線が集まる。
そうか、初めて食べるんだからわからないよな。
「その卵を受け皿に割って良く混ぜて、鍋の具材をくぐらせて食べるんだ」
俺の言葉を受け、みんなが我先にと卵を割りかき混ぜる。
そして、割りしたでグツグツと煮えたてりってりの鶏肉を、とろーりと卵にくぐらせ、はふはふと息を吹きながら頬張った。
「う、うまあい!」
「うおおお! こ、こんなの初めて食べるぜえ!」
あっちこっちで称賛の声があがる。
誰もが満足げに目尻を下げ、中には涙を流し喜んでいるものまでいて、とても幸せそうだ。
「はにゃあああ! ものすっごくおいしいのにゃあ!」
「うむぅ、頬っぺたが落ちるようだのお」
「鶏肉の脂の旨みと、このソースの味が絶妙ですねえ……」
次から次に肉を取り、口いっぱいに頬張るシャルル。
暴食のふたりは、ゆっくり噛みしめ顔をとろけさせて堪能している。
よし、俺も食べてみるか――
俺はよく煮えた鶏肉と春菊のような野菜を箸でつまみ、卵を潜らせ頬張った。
――うお! やばい!
これはご飯をかき込まずにはいられない!
俺は割りしたと鶏肉の旨みが充満する口内に、あつあつのご飯をかき込んだ。
うまあ! 異世界で鳥すきが食えるなんて思わなかったな。
まさか亜人の村がコメ文化で、醤油や味噌や酒まであるなんて、もう女神様が俺のために用意してくれていた村なんじゃないか?
お土産として砂糖を持ってきておいて、本当に良かった。
なんて堪能していると、おかしな光景が目に入った。
「姉さん、ご飯のおかわりを入れてきましょうか?」
「にゃ、なかなか気の利く奴にゃね。大盛で入れてくるにゃ」
姉さんってなんだよ! サワットの奴、キャラ変わりすぎだろ!
ってか、なんでシャルルの奴はナチュラルに受け入れているんだ……。
「おいグラム! あんたほんとなんでもできる男なんだな!?」
向かいに座るミトンが、ガツガツとご飯を口にほうり込みながら言う。
おたくのサワットみたいな器用な真似は、さすがにできないぞと、心の中でひとりごちる俺。
と言うか隣で鳥獣人のオスカーも、おいしそうに鶏肉を頬張っているけど、これは深く考えたら負けなのだろうか?
猛禽類も他の鳥を食べたりするから、別におかしくはないのかも知れないけど、なんだかもやもやとする。
「グラムさん、貴方について行けば、いつもこんなに皆が笑えるのですか?」
そんな俺の視線に気づいたオスカーが、目を合わせ問いかけてきた。
「当たり前であろう」
「その通りにゃ」
突然割りこんできたベルとシャルル。確かにこいつらがいるから、いつも賑やかではあるな。
「少なくとも私たちはとても幸せですよ」
「エルネにはプリンもあるしな」
ベルとシャルルを見て微笑むエルネを冷やかしたら、もうと頬を膨らませて怒られてしまった。
「プリンですか?」
首を傾げおうむ返しをするオスカー。
「砂糖と卵を使った甘いお菓子だよ。俺は世界中の誰もが、家族で団らんしてお菓子を食べられるような、そんな世界にしたいんだ」
「それはなんとも甘美で素晴らしい世界ですね」
オスカーは賑やかに食卓を囲むみんなを見回すと、柔らかな笑みでそう言った。
「そのために、みんなには色々と協力してもらうからな」
俺はそう言うと、締めのおじやの準備に取りかかるのであった。
翌日は朝から、亜人の村は大忙しであった。
ベルが作った材料を組みたて荷馬車を作っていき、必要なものをどんどんと乗せていく。
引っ越し先の家や家具は俺とベルで準備するものの、思い出の品であったり衣服や財産類など、運ばないといけないものは沢山ある。
その中にはもちろん米や味噌、醤油なんかもあり、クロムウェル領で製造を引き継ぐ予定だ。
しかし、毎日味噌汁とご飯を食べられる日が来るとは夢のようだな……。
「坊ちゃま嬉しそうですね」
ネッケの糸で荷物を束ねながらエルネが言う。
「エルネは嬉しくないのか?」
「嬉しいに決まっているにゃあ」
エルネに抱きつき気持ちを代弁するシャルル。
こんなにもふもふに囲まれて、エルネが喜ばない訳がないからな。
今もシャルルの毛を撫でながら、鼻息を荒くしているし。
「ところでエルネ。エレインやガラドには黙っておったほうが良いのか?」
エルネの隣で荷造りを手伝っているベルが問いかけた。
なんのことを聞いているのかは、言うまでもないだろう。
「ふたりには、私が直接話します」
「そうか。それが良いと思うぞ我も」
あいつらならきっと、エルネを受けいれてくれるだろう。気持ちのいい奴らだからな。
「エルネ、お前クロムウェル領では耳を出してみたらどうだ? ほら髪をくくってみたりしてさ」
精神衛生上、なんの気も使わないで落ちつける場所は、あったほうがいいはずだ。
それにクロムウェル領は、敬虔なアザミニ教信者もいないし、エルフに対する忌避感も少ないと思うんだよな。
「うーん、それはまだ辞めておきます」
しかしエルネは少し考えるそぶりを見せ、首を横に振った。
「そこまではまだ怖いか?」
「それもありますが、坊ちゃまの邪魔はしたくありませんから」
「なんでエルネが耳を出すと、グラムの邪魔になるのにゃ?」
エルネの返答に首を傾げるシャルル。
「坊ちゃまはクロムウェル領の家令であり、反開戦派の盟主補佐という、責任のある立場です。その隣にハーフエルフが立っていれば、快く思わない人間もいるのですよ」
エルネは少し寂しそうな笑みを見せた。
しかしその表情は、昔みたいに悲壮感に包まれたものではないように見えた。
「よし、じゃあ今から考えておけよ」
「考えておくとは?」
「どんな髪型にしたいかだよ。いつか俺が、何も気にしないでいいような、世界にしてやるからさ」
「ならエルネはお団子にしたら良いのではないか? 食いしん坊だからのお」
ベルが嬉しそうにエルネをからかった。
うん、お団子は確かに似合いそうだな。
サイドを垂らして、いつかつけていた伊達メガネをつけてもらって……。
「坊ちゃま、何を笑っているのですか?」
そんなことを考えていたら、エルネがじとっとした目で睨んできた。
「な、なんで俺に八つ当たりするんだよ!?」
じと目のエルネは魅力的だけど納得できないぞ。
「ぜったい良からぬことを考えていたでしょ?」
「確かにエッチな顔をしていたにゃ」
「また発情しよったのかグラムは……」
なんだこの多勢に無勢な言いがかりは!
まあ嫌な気分ではないけどな。
「……そんなに俺ってエッチな顔をしているか?」
でも、どうしてもここは気になる。
なぜかルイーズ嬢まで言っていたからな。
このままではフィルフォード卿になんと報告されるか、わかったものじゃない。
「良からぬことを考えているときは少し……」
少し気を使った様子で答えるエルネ。
気を使われたら、それはそれで悲しいものがある。
「男はそう言う生き物なのにゃ」
「お前はすぐ誰にでもデレデレしすぎなのだ。ふたりきりのときなら……、別に構わんがのお……」
何かを悟ったように語るシャルルと、とても可愛らしいことを言うベル。
なんだ? ふたりきりならあれやこれやしていいのか?
いや別にするつもりがある訳じゃないけど。
そんなこんなで俺たちは、仲良く軽口を叩きながら、引っ越しの手伝いを続けるのであった。
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