第88話 譲れないもの

「ケイニスよ、もう碌したか! このような子供を連れてきて、何が保護をしてもらうだ!」


 神社の境内に似た広場の真ん中で、ロップイ族の長ミトンと名乗った兎獣人が、辺りを震わすほどの大声で叫んだ。


「ミトンよ落ちつくのだ。グラム殿は、5人もの奴隷狩りを退治し、マメスケを救ってくれたほどの御仁なのだ」

「はんっ、それは奴隷狩りが貧弱だっただけだろ。私は認めないね!」


 ミトンはそう言うと、格闘用のグローブを付けた両拳を、威嚇するように叩きつけた。

 どうやら腕にかなりの自信があるようだ。

 兎ってもっと可愛いイメージがあるんだけど、目の前の人物の迫力はまるでグラップラーといった印象である。

 見た目はすごく可愛いんだけどな……。

 横に垂れた大きな耳と、くりくりのお目々はなんとも愛くるしいし、スラッとしてしなやかな体は女性らしくとても魅力的だ。

 ロップイ族ってきっとロップイヤーの獣人だよな。うん、なでなでしたいな、下心ぬきで……。


「そこまで言うなら試してみたらいいにゃ! グラムはお前みたいなぴょんきちに負けないのにゃ!」


 そんなことを考えていたら、シャルルが興奮した様子でミトンを煽った。


「ほう、それは面白いことを言うね……」


 ミトンに睨まれたシャルルは、毛を逆立てて俺の後ろに隠れてしまった。

 うん、この人ぜったい怖い人だわ。だって人殺しのような目をしているもん……。


「おいミトン、たかがシャルト族の言ったことにむきになるな。所詮は淘汰された弱小部族よ」


 その言葉を受け、俺にしがみつくシャルルの体がピクリと反応した。

 あ? 今こいつなんて言った?


「……それは聞き捨てならねーな。お前、名前は?」


 俺は目の前に立つ、銀青色ぎんせいしょくの短毛に被われた猫獣人の男を睨みつけた。


「コラト族の長、サワットだ」


 サワットと名乗った猫獣人は悪びれる様子もなく返した。


「サワット、よく聞けよ。このシャルルは俺が信頼を置く大切な仲間だ。お前みたいなザコが、どうこう言っていい存在じゃない」

「この俺をザコだと? 面白い、そこまで言うなら証明してくれるんだろうな?」


 俺の言葉に、サワットは自前の爪を伸ばし、腰を落として構えた。


「ああ、稽古をつけてやるよ。おい、そっちのあんた。面倒だからまとめてかかってこい!」


 ふたりに言いはなつと、俺は剣帯を外し地面に投げすてた。


「丸腰だと? なめやがって……。いいだろう、俺が負けたらお前の部下にでもなんでもなってやるよ!」

「ふたりまとめてだあ!? 上等だ小僧お!」


 俺の挑発に、怒りをあらわにして飛びかかってくるサワットとミトン。

 こんな10歳の子供に、ここまで言われたのだから無理もない。

 しかし俺はもっと怒っている……。


「死ね糞ガキがあ!」


 瞬時に俺の懐に飛びこむサワット。その勢いのまま、俺の腹を狙い鋭い爪を突きだしてくる。

 そのサワットの攻撃に合わせようと、俺の右前方にはミトンが飛び上がっている。

 飛びまわし蹴りを俺の顔に叩きこもうとしているのだ。

 全部見える。その動きも、力がこもっている場所も、どこをどう狙っているのかも。

 魂力の揺らぎと流れが、全部俺に教えてくれる。

 だから最低限の動きでサワットの突きをかわせるし、ほんの少し力を反らすだけでミトンの蹴りの軌道を変えることもできる――


「ぐはあああぁぁあ!」


 俺が反らしたミトンの蹴りによって、吹きとんでいくサワット。


「サ、サワット!」


 ミトンは着地した体勢のままそれを眺めている。

 戦いの最中によそ見をするなんて、のんきなやつだな。


「うっ――!」


 そのガラ空きの首筋に手刀を打ちこむと、ミトンはその場にくずおれた。


「なっ! あのミトンとサワットがまるで子供扱いではないか……」


 ケイニスさんが驚愕の声をあげている。

 子供に子供扱いされているんだから、そりゃ驚くよな。

 しかし俺の怒りは、まだまだ収まっちゃいない。


「おいサワット、起きろ。あれだけ大口を叩いていたんだ。まだやれるんだろ?」


 俺の言葉に、地に手をつきよろよろと起きあがるサワット。


「なんだお前? 偉そうなのは口だけだな」

「き、貴様ぁ!」


 サワットは歯を食いしばり、ふたたび爪を振るってきた。


「はあっ! しゃっ!」


 振りおろし、突き、斬りあげ、連撃……。

 左右の爪であらゆる攻撃を繰りだしてくるサワット。


「くそ、くそお! なんで、なんで当たらないんだ!」


 俺はそのことごとくを、ただ手で払いすべて反らす。

 その場から一歩も動かずに。

 そしてサワットが最後の力を振りしぼり、大きく足を踏みだそうとしたそのとき――


「うあぁぁっ!」


 俺がその足を払うと、サワットは大袈裟に転げ地面に突っぷした。


「おい、サワット」


 ――『火弾ファイアボール』――


「ひ、ひぃ!」


 俺の呼びかけに、うずくまったまま振りむくサワットの顔の横で、火球が爆ぜる。


「お前、何か言うことがあるだろ?」


 俺はサワットに近づきながら、もう1発『火弾ファイアボール』を放つ。


「お、俺が悪かった。か、勘弁してくれぇ……」


 ふたたび顔の横で爆せた火球に顔を青ざめさせ、サワットはガタガタと震えている。


「俺に謝ってどうすんだよ? お前やっぱり俺のシャルルのこと舐めてんのか?」

「ひ、ひぃぃぃ! ゆ、許してくださいい!」


 サワットは意味がわからないようで、とにかく哀願している。

 するとその様子を見ていたシャルルが、俺の肩を掴んできた。


「もう許してやるにゃグラム。と言うかやりすぎにゃ」


 シャルルは子供をしかる母親のように、めっと俺を諭してきた。


「シャ、シャルルさん! ありがとうごさいます!」


 するとどういった訳か、サワットが満面の笑みでシャルルの足にすがりついた。


「ふにゃ! な、なんにゃ、離すにゃあ!」

「すまんシャルル、俺のせいで……」


 シャルルはすがり付くサワットをひき剥がそうと、もう片方の足でグリグリとしている。

 当のサワットはいまだ嬉しそうに笑っているが……。


「グラム殿、シャルル殿、うちの者が不快な思いをさせて申し訳なかった」


 そんな俺たちの前に立ち、ケイニスさんはおもむろに頭を下げた。


「いえ、とんでもないです。こちらこそ調子にのってすみません。ついカッとなってしまって」

「元はと言えば、シャルル殿の尊厳を踏みにじったサワットの責任です。本当にすまなかった……」


 そう言うとケイニスさんはもう1度深く頭を下げた。

 サワットにすがりつかれ、ケイニスさんに頭を下げられ、シャルルが隣でばつの悪そうな顔をしている。

 シャルルのことを思って取った行動で困らせてしまうとは、なんとも申し訳ない。

 って言うか、最近少し怒りっぽくなってしまっているな俺……。


「ところでケイニスよ。これで、グラム様を認めてくれたということで良いのだな?」


 俺がひとり猛省していると、バルザーヤさんが話を戻してくれた。


「ああ、異論はない」


 アゴに生やした白ひげを触りながら、ケイニスさんが答える。


「イッちちちち……。私も依存はないよ。グラム、バカにして悪かったな」


 いつの間にか目を覚ましたミトンが、首を押さえながら握手を求めてきた。


「こっちこそ偉そうなことを言ってすまん」

「あっははは、気にすんなそんなこと。あんたは私より強い。好きなだけ偉そうにしてくれ」


 差しだされた手を握り謝罪すると、ミトンはなんでもないことのように豪快に笑った。

 なんとも気持ちのいい奴だ。

 しかしそうなると、3つの種族の長が納得してくれたって訳で、円満解決ってことでいいのかな?


「私は反対だ」


 なんて考えていたら、鳥獣人の長オスカーが羽の付いた手を上げた。


「なんだいオスカー? グラムの力は見たろ?」

「力があるからこそ反対しているのだ。人間はその力で我々に何をしてきた?」


 ミトンの問いに即答するオスカー。

 そしてその言葉を聞いてみんなの顔が神妙なものになった。


「グラムがそんな訳のわからぬ者と同じだと言うのか!? グラムは今まで自分を顧みずに多くを助けてきたのだぞ!」


 今まで大人しく見守っていたベルが、興奮ぎみに言う。


「それは君が人間だからだ。人間は同族にはいい顔をするが、それ以外の者を平気で踏みにじる生き物だ」

「我は人間ではない!」


 オスカーの言葉に、ベルは舌を出しコアクリスタルを出してみせた。


「我はダンジョンだ。グラムはこんな訳のわからぬ我でさえ、悲しむと心を痛め、涙していると手を差しのべてくれるのだ! どんな危険があろうと自分を顧みずにな!」

「な、なんと……」


 ベルの涙ながらの叫びにオスカーは驚愕している。


「そうです。坊ちゃまはダンジョンであるベルにも、獣人にも……、そしてハーフエルフの私であっても、何があっても守ると誓ってくれたのです」


 そのオスカーが、髪をかきあげるエルネを見てさらに目を見開いた。

 それだけじゃない、周りにいる誰もがその光景に驚きを隠せないでいる。

 バルザーヤさんも、シャルルも、ベルでさえ。


「私がどういった存在かはご存じでしょう。この中で誰がこんな私に、手を差しのべようとしますか?」


 その問いに皆が息を飲んでいる。


「坊ちゃまは私の正体を知りつつ、命をかけて魔物の群れに飛びこんで、私を救ってくれたのです。その小さな体をボロボロにしながら。それでもあなたは坊ちゃまを、不逞の輩と同じだと言うのですか!?」


 エルネは語気を強めて叫んだ。

 すると、鳥獣人の長オスカーが、羽毛に包まれた手を胸にあて頭を下げた。


「……エルネ殿、君の主を侮辱して申し訳なかった。どうやら君の主はとても立派な人間のようだ。どうか許してくれ」

「わかっていただけたのならいいのです。実は私も、昔坊ちゃまに同じようなことを言いましたからね」


 エルネはそう言うと、柔和な顔で笑って見せた。

 そんなこともあったよな。


「エルネ!」


 なんて思っていると、突然ベルが涙をあふれさせ、エルネに抱きついた。


「ベ、ベル?」


 当のエルネも困惑している。


「エルネ辛かったなあ……」


 ベルはただ一言だけ呟き肩を震わせた。

 エルネが今までどんな気持ちで黙っていたかを、想像したんだろうな。


「シャルルもまぜて欲しいにゃあ」


 するとシャルルが、肩を震わすベルごとエルネを抱きしめた。

 きっと受けいれてもらえると思ってはいたけど、本当に良かった……。


「良かったなエルネ」


 微笑みながら一筋の涙を伝わすエルネを見て、俺は心からそう思った。

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