第75話 フィルフォード卿の願い

 ベルが妹との再会を果たしてしばらくのち、俺は持ってきていたお菓子の数々をフィルフォード卿に披露していた。

 ちなみに他のみんなは現在客室で待機中である。


「ほう、こんな綺麗なケーキは初めて見るな……」


 フィルフォード卿は小皿に切りわけたショートケーキを、色んな角度から眺めている。


「ベリィのショートケーキです。生地には純度の高い小麦粉を、クリームにはたっぷりの砂糖を使っております」

「さ、砂糖……」


 先ほどフィルフォード卿から紹介を受けた人物が、俺の言葉に反応してゴクリと唾を飲みこんだ。

 艶のある黒髪を後ろで1つまとめにした切れ長の目の少女、ルイーズ・フィルフォードだ。

 紹介を受けたときは凛として堂々たる印象を受けたのだけれど、ケーキを前にした彼女は年頃の少女らしくとても可愛らしく見える。

 そしてそのルイーズ嬢とフィルフォード卿が、ショートケーキの乗ったフォークを口の中へ運んだ。


「お、おいしい! こんなに甘くておいしいケーキは初めてです!」

「確かにこれはうまいな! 砂糖をたっぷり使ったというからもっと甘ったるいものを想像したが、優しく上品な味わいで口の中が幸せに包まれている様だ……」


 恍惚の表情を浮かべるルイーズ嬢と、目を閉じ余韻にひたるフィルフォード卿。ふたりの幸せが伝染し、俺も自然と顔がほころんでくる。

 これだからお菓子作りは楽しいのだ。


「他にも色々とお持ちしましたので、ぜひご賞味ください」


 俺は持ってきていたいくつかの箱から、ベイクドチーズケーキにミルフィーユ、プリンにマカロンなど、次々とお菓子を出していった。



「……まったく、貴殿は何度私を驚かせば気が済むのか」


 フィルフォード卿はまるで愚痴をこぼす様に呟いた。ひとつ口にするたび、飛びはねるほど衝撃を受けていたんだ。それも仕方ない話だろう。

 ルイーズ嬢なんか、目をとろんとさせて動かなくなってしまっているしな。


「どれも今まで味わったことのない、至極の1品。現存するお菓子のどれよりも、遥かなる高みにある存在だ。貴殿はこんなものを、どの様にして生み出したと言うのだ?」

「数えきれぬ試行錯誤の末にです」


 すみません、それ生み出したの俺じゃないです。なんて言えるわけもなく、俺は無難な返答をしておいた。


「たゆまぬ努力と言うわけか……」


 先達の知恵を借りただけです、本当にすみません……。


「グラム殿。貴殿のお菓子がまことに素晴らしく、商材としても優れていることは良くわかった。しかしいくつか聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「1つ目に、このお菓子は貴殿以外にも作ることは可能なのかね?」


 商品を卸して販売してもらう訳ではないので、フィルフォード卿の疑問は当然のものである。

 なので俺も当然準備しておいたのだ。


「それについては、こちらをご覧ください」


 俺はフィルフォード卿に書類の束を手渡した。今日のために準備しておいた、重要事項の説明書類である。


「ふむ、研修を行い必要な道具なども提供してくれるのだな……」


 フィルフォード卿が、ぶつぶつと呟きながら書類に目を通していく。


 書類には下記の様なことが書いてある。

 ①フランチャイズ契約のメリットとチェーン展開について

 ②店舗に必要な最低限の土地面積や、機材と店員の数

 ③製造、接客についての研修とその後のフォローについて

 ④各商品の価格と予想収益

 ⑤契約料とロイヤリティについて

 ⑥契約違反を犯したときのペナルティについて


「まったくこれを10歳の子供が考えたと思うと末恐ろしいな」

「恐縮です」


 書類の束を机に置きソファの背にもたれ掛かるフィルフォード卿。


「お陰でフランチャイズ方式についての疑問は解消した。しかし、どうしても気になることがひとつある……」

「気になることですか?」


 そう言うとフィルフォード卿は、再び見定める様な目をして俺に問いかけてきた。


「なぜ貴殿は、砂糖と小麦粉の製造について、情報開示することを選んだのだね? そこは独占しておいたほうが、貴殿の益になると思うが」


 良かったそのことか。今さらなんだこの子供はと、怪しまれているのかと思った。

 確かにフィルフォード卿の言うとおり、独占しておいたほうが何かと都合はいい。

 契約違反を犯した場合に、流通を打ちきるペナルティを課すことで、大きな抑止力になる。それどころかぶっちゃけた話、小麦粉と砂糖だけで儲けることもできるんだ。

 でも俺も父さんも、それを選ばなかった。


「だって、それじゃあつまらないじゃないですか」

「つまらない?」


 予想外の俺の答えに、ただ言葉をおうむ返しするフィルフォード卿。


「想像してみてください。砂糖や小麦粉を、誰もが気軽に手にいれられる世界を。休みの日は親子でお菓子を作ったりするんです。そして頬に小麦粉をつけて、みんながこう思う。ああ、幸せだなって」


 この世界には、いまだ貧困で飢えに苦しむ人たちがいる。骨が浮きでた子供や、乳を出せないほど栄養が不足した母親。

 良質な小麦粉を流通させることで、それが少しでもマシになるのなら、お金儲けなんて二の次だ。


「子供にしては聡いと思っていたが、その辺りは年相応だな」


 俺の意見を聞き、脚を組み笑顔を見せるフィルフォード卿。

 するとそのやりとりを隣で聞いていたルイーズ嬢が、突然立ちあがり猛抗議しだした。


「年相応で何が悪いのですかお父様!? 私はとても立派なことだと思います!」

「ルイ、私は彼を貶しているのではない。むしろその人間性を強く評価している」


 そう言ってルイーズ嬢を手で制すフィルフォード卿。ルイーズ嬢はそれでも納得いかないと、

 まだ鋭い目をしている。少し気が強いけどとてもいい子だな。


「フィルフォード侯爵令嬢。フィルフォード卿は私と卿の立場の違いから仰っているのです」

「……立場の違いですか?」


 ルイーズ嬢はソファに座り直し俺の言葉の続きを待っている。


「知っての通り、アイレンベルクはいつまた戦争が起きても、おかしくないのが現状です。そうなればまた多くの命が散っていくでしょう。卿はそれを防ぐための、反開戦派の盟主という立場から私にご意見をくださっているのです」


 砂糖の製造や高純度の精製方法は、まだこの世界で未知の技術である。だからこそ、それは大きな武器となりえるのだ。


「私には良くわかりませんが、そうなのですかお父様?」

「ああ。ただ、余計なことだったかも知れないな。どうやらグラム殿は、すべて理解したうえで判断しているようだ」

「いえ、私の考えは書物から得た浅薄なものです。そんな私には、卿の様な豊富な経験からくる卓越したご意見は、とてもためになります。これからもご教示いただけたら幸いです」


 俺は立ち上がり胸に手をあて頭を下げると、言葉を続けた。


「それに、まだ子供だと言うのも事実です。なぜなら私は、お菓子でみんなが笑顔になり争いがなくなればいい、そんなことを願っているのですから」

「私はとても素敵なことだと思います」


 凛とした態度でそう告げるルイーズ嬢。


「どうやらルイはたいそうグラム殿のことを気に入ったようだな」

「お父様!」

「ははは、冗談だ。ではルイ、私はグラム殿と大事な話がある。そろそろ部屋に戻っていなさい」


 ルイーズ嬢は立ち上がるとスカートの端をつまみ頭を下げた。


「グラム殿、ぜひまたお話をお聞かせくださいね」

「はい、その時はまたおいしいお菓子を用意させていただきます」

「ええ、約束ですよ」


 ルイーズ嬢は俺の言葉に微笑み返すと、そのまま部屋を出ていった。


「グラム殿」

「なんでしょうか?」


 すでに冷めた紅茶を飲んでいると、フィルフォード卿が真剣な目で俺を見つめてきた。


「今日連れてきた者のなかに、貴殿の想い人はいるのかね?」

「な、なんの話をしているのですか!」

「いや、うちのルイはどうかと思ってね」


 危うく紅茶を吹いてしまうところだった!

 いきなり何を言い出すんだこの人は……。


「ま、まだ10歳なので、そういうことは良くわかりません」

「ははは、そうかそれは悪かった。しかし、貴殿の子供らしいところを見ると、なぜかほっとしてしまうな」


 中身が25歳と知ってもほっとしてくれるだろうか。


「ところでフィルフォード卿。ひとつお伺いしたいことがあるのですが」


 俺は手にしていた紅茶のカップを置き、フィルフォード卿に言った。


「なんだね? 遠慮せずなんでも聞いてくれたまえ」

「最近、反開戦派のかたから、何か相談を受けたことなどはありませんか?」

「……気になることでもあるのかね?」


 少しの間の後に、問い返すフィルフォード卿。


「回りくどい言いかたはやめます。開戦派から嫌がらせを受けたりはしていませんか?」

「それは貴殿たちが遭遇した魔物の様なことかね?」

「滅多なことを口にするものでないのは、わかっています。……しかし、どうしても意図的なものを感じまして」


 俺の言葉を受け、フィルフォード卿は大きなため息をついた。


「まだ確証を得てはいないが、私も同じ様に感じている」


 やはりあの魔物の襲撃は偶然じゃなかったのか。


「何か手がかりを掴んではいないのですか?」

「何人かの過激派がいるのはわかっているのだが、なかなかに尻尾を掴ませてくれなくてね」

「私に何かお手伝いできることはありませんか?」


 ペイル領のあの惨劇。あれが人の手によって成されたのなら、黙ってなどいられない。

 俺はこの世界を救うためにやってきたのだから。


「ほう、それは願ってもない申し出だね」

「遠慮せず何でも申しつけてください」


 少し考える素振りを見せる、フィルフォード卿。

 そしてしばらくして……


「ではグラム殿、反開戦派の盟主補佐になってもらっても良いだろうか?」

「はい……?」


 フィルフォード卿は満面の笑みを浮かべ俺にそう告げた。

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