第62話 好きだからこそ
「坊ちゃま。そろそろ誰に会いにきたのか、教えていただいてもよろしいでしょうか?」
みんなの分の紅茶を用意しながらエルネが問いかけてきた。
別にもったいぶっていたわけではないけど、そう言えば言っていなかったな。
「ヘイブン・フィルフォード侯爵だよ」
そう答えると、俺はエルネのいれてくれた紅茶を一口飲んだ。
ほのかな柑橘系の香りに、甘くコクのある豊かな味わい。
さすが一流の宿の最上級の部屋。置いてある茶葉も極上の味わいである。
「フィルフォード卿と言うと、反開戦派の盟主と存じておりますが?」
「ああ。3国間同盟を締結させた最大の功労者とも言われている、非常に頭の切れる人物だね」
そして今度は備えつけの、マドレーヌに似た焼き菓子を食べてみる。
うん、これはまだまだだな。
これなら俺のお菓子は、王都で大盛況間違いなしだろう。
「なぜフィルフォード卿だとご判断されたのかお伺いしても?」
「そうだな。それは会いに行ったときの楽しみと言うのはどうだろうか?」
そこで盛大に外せば、ただの黒歴史にしかならないが、まあそれはないだろう。
「え、私たちも同道するのですか? それはさすがに失礼ではありませんか?」
「まあ通常ならそうだろうね。でもこと今回に関しては、フィルフォード卿もそれを求めていると思うんだ」
エルネはすっきりしないといった表情をしながらも、それ以上は特に聞いてこなかった。
「わ、私、貴族様の前で話なんかできないぞ!」
「お、俺だって無理だ!」
こいつらめ……。俺が貴族ってことを完全に忘れていやがる。
ぜんぜん気にしてはいないけど。
「お前たちは俺に合わせて頭を下げるだけでいいよ。話は全部俺がするから」
「な、なら安心だな」
あからさまにほっとした様子のエレイン。
そう言えばこいつらに、俺の本当のことも話さないといけないよな。
今はフィルフォード卿のことで頭がいっぱいだろうし、今回のことが全部済んでからでいいか。
「シャルルも行っていいのかにゃ?」
なぜか申し訳なさそうに問いかけてくるシャルル。
こいつがこんなに気を使うのも珍しいな。
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「シャルルは獣人にゃ。貴族の中には獣人を毛嫌いしている人間も少なくないにゃ」
なるほどそう言うことか。
でも……。
「俺がそんなくだらない人間と、取引きするとでも思うか?」
俺の言葉に喜色満面にあふれるシャルルと、それを柔和な笑みで見つめるエルネ。
そもそも、俺も異世界人だしな。
と言うか、異世界人にハーフエルフにダンジョン娘に猫獣人って、なんだこの愉快な一行は。
「ふにゃあ。やっぱりシャルルはグラムが大好きにゃ!」
「だからお前はそうやってすぐに抱きついてくるな!」
ごろごろ喉を鳴らし額を擦りつけてくるシャルルと、なぜか興奮ぎみなエレイン。
まったくこいつらはせっかくいい部屋に泊まってもいつもどおりなんだから。
「エルネ。あとでガラドとシャルルを連れて、服を見繕ってやってくれないか? お金は宿屋の親父に貰ったものと、持ってきている分から使っていいから」
フィルフォード卿に会うのに、普段着って訳にもいかないからな。
ふっ、シャルルの正装がどんなのか少し楽しみだな。
「かしこまりました」
「エルネさん私も一緒していい? ちょっと相談したいことがあるんだけど……」
「はい。買い物が済んだあとで良ければ付きあいますよ」
エルネの返事にやったと喜ぶエレイン。
何を相談するのか少し気になるけど、エルネも楽しそうにしているし何よりだな。
「じゃあせっかくだしベルも楽しんできたら――なんだ寝てるのか」
「きっと長旅で疲れたのでしょう」
ずっとシャルルにもたれ掛かってごろごろしてた様な気もするけど、まあこんなちっちゃな体だしな。
「あ、エルネ。ついでにこの手紙を出してきてくれないか?」
「これは……、フィルフォード卿宛の手紙ですか?」
「ああ。さすがにいきなり訪問するって訳にもいかないからな。返事があるまではゆっくりできるから、何かしたいことがあったら遠慮せず言えよ」
「かしこまりました」
それからしばらくして、エルネはガラドとシャルルとエレインを連れて町へ出ていった。
「さて、俺は久しぶりにお菓子でも作るかな」
せっかく使いやすそうなキッチンもあることだし。
そう考えキッチンに向かおうとしたところで、不意に服を引っぱられた。
「なんだ起きてたのか?」
「仕方ないから我も手伝ってやろう」
お決まりのポーズでえへんと威張るベル。
やはり旅の疲れなんてないらしい。
「お前そんなにつまみ食いしたいのかよ」
俺がそう言うと、ベルは心底あきれたといった顔で盛大なため息をついた。
「まったく、お前は相変わらずだのお」
「なんだよ?」
「なんでもないわ。それより菓子を作るのではないのか? 疾くせんか」
なんだか釈然としないが、とりあえず俺とベルはキッチンに並びお菓子作りを始めた。
ちなみに今日のメニューは苺のショートケーキである。
洋菓子店と言ったらやっぱりこれは外せない。
スポンジ生地に小麦粉をたっぷり使うから、どうしても単価は上がってしまうけど、貴族向けとしてなら問題ないだろう。
中世ヨーロッパでは見栄を張るために砂糖細工を飾ったりして、私はお金を持っていますよとかアピールしいてたほどだからな。
こういう高級品ってのも需要があるはずだ。
「ベル、これを混ぜてくれないか? 気持ちゆっくりめで泡がたたないように混ぜてくれ」
「ふっ、造作もないことよ」
という事でベルに生地作りを手伝ってもらうことにした。
ベルはたまにお菓子作りを手伝ってくれているから、何気に手際が良くなってきているのである。
不器用な俺の妹とは大違いだな。
「ところでグラム」
「ん? どうした?」
「お前、平気なのか?」
突然どうしたんだ? 何か心配されるようなことはあっただろうか?
「平気って何がだ?」
「エレインたちに本当のお前のことを話すことだ。怖くはないのか?」
「あー、そのことか」
「そのことかってお前……。強がっておるのか?」
「いや強がってはいないぞ。まあ少し怖い気持ちもあるし」
「ならなぜ平気な顔をしておるのだ?」
こいつはなんで人のことなのに、こんなに心配そうな顔をしているんだか。
なんとも俺は幸せものだな。
「なぜってお前らがいるからだよ」
「はあ? どう言うことだ?」
心底わからないって顔をしているベル。
人間自分のことは気がつかないもんだもんな。
「例えば俺があいつらに本当のことを言って、その結果あいつらが俺のことを怖がったり避けたりしたら、お前どうする?」
「そりゃあ、奴らにちゃんとお前のことをーー」
そこまで言ってはっとした顔をするベル。
「だろ? ベルやエルネはきっとフォローをしてくれるはずだ。俺の中身がグラムじゃなくても、精神的な年齢があいつらよりずっと上だったとしても、俺がどんな人間かちゃんと話してくれるだろ?」
「そりゃあ言いはするが……。だからと言って奴らが我の話を聞くとは限らんぞ」
「それはたぶん大丈夫だ」
「何を根拠に!?」
ケーキ地を混ぜる手を止め、俺に詰めより問いかけてくるベル。
「ベルがあいつらにフォローしてくれるのは、俺のことが好きだからだろ?」
「はっ、はあ!? 急に何を言って――」
「で、あいつらにフォローをしたくなるのは、あいつらが好きだからだ」
「……そ、そう言うことか、紛らわしい。それはまあ、うん。そ、そうだのお……」
ぶつぶつと歯切れの悪い様子のベル。
俺も自分で言ってて少し恥ずかしいから気持ちは良くわかる。
「そして俺がそう信じられるのは、お前らが好きだからだ」
「お前はほんと……なやつだ。……知らないで」
もはや何を言っているのかさえわからないベル。
いちいち気にしていたらきりがないので、とりあえず俺は続けた。
「あいつらもきっと俺やベルのことが好きなはずだ。ならベルの言うことを聞きたくなるだろうし、俺のことを信じてくれる! ……はず」
「はずって……。まったく、最後の論法はえらく乱暴だのお。ただのお前の願望ではないか」
少し呆れた様子ながらもベルはようやく笑顔を見せた。
確かに俺の願望かも知れないな。
「でもそうなる気がしないか?」
「人の子の気持ちまでは我はわからん。だか、グラムが言うと不思議とそんな感じはするがな」
「だろ?」
ふたりで顔を見あわせ笑いあい、俺たちはしばらくたわいのない話をした。
そしてスポンジ生地が焼けるのをソファに座り待っているとき、俺もひとつベルに問いかけてみた。
「ところでベル」
「ん、なんだ? 今度は我の番か?」
ベルは当たり前のように俺の前に腰かけ、体を預けてきた。
こいつはふたりきりのとき結構甘えてくるので、俺は特に気にせずそのまま続けた。
「たまにはお前のことも聞かせてくれよ」
びくりと体を震わせるベル。
やはりあまり言いたくないことなのだろうか?
「我のことか……」
静かに呟くベル。どうやら少し迷っているようだ。
「……仕方ないのお。我のことが好きで好きで気になって仕方のないお前に、少し話してやるか」
ベルはそう言うと俺の手に自分の手を重ねてきた。
緊張をほぐそうとしていることが、その手の震えから伝わってくる。
「ああ。ベルのことをもっと教えてくれ」
「馬鹿者。少しは照れんか」
ベルはおどけて見せると、咳払いをひとつし静かに語りだした。
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