第32話 2度目の告白

「どうですか? これでもまだ私の気持ちがわかるなんて言えますか?」


 エルネは人形のような表情で見つめてきた。

 この表情はよく知っている。

 そう、全部あきらめてしまっている人の顔だ。


 それも仕方ない話だ。

 はっきり言ってエルネの過去は、俺の想像をはるかに越えていた。

 エルネにとって母親は唯一の家族。

 その母親の死は、つまり俺でいう妹との死別だ。


 いや、俺にはおじさん夫婦が側にいてくれた。

 学校の友達も見まもっていてくれた。


 しかし、エルネには母親がすべてだった。

 だから、12歳の子供にあるまじき無茶をしてきたのだろう。


 あの日、ヘルマに咥えられどんどん母親から遠ざかっていくなかで、エルネはひとつの打開策を実行した。


 それは、手にしている本を閉じて『夏の夜の夢フェイズコミック』を解除すること。

 そうすれば、自分を咥え疾走するヘルマの召喚はとけ、自身は解放される。


 しかしそれは例えるなら、高速道路を走る自動車から飛びおりるようなものだ。

 高速で過ぎさる固い地面に、無防備に放りなげられる恐怖。

 まともな思考をした子供ならできるはずもない。


 しかしエルネはしてみせた。

 思いついた途端に、なんの躊躇もなく実行したのだ。


 案の定、地面や木に激しく体を打ちつけたエルネはそのまま気を失ってしまったらしい。

 そして目が覚めたエルネは、魔物がどこに潜んでいるかも知れない暗闇の森を、軋む体を引きずり母親と別れた場所まで戻っていったのだ。


 しかしそこに待っていたのは、無惨に粉砕された鉱石像の残骸。

 よほど激昂していたのか、カール・ノルティスは誰彼の区別もつかないほど粉々にしていたのだ。


 その後、時間をかけどれが母親ともわからないそれらを埋葬し、小屋に帰ったエルネ。


 その艱難辛苦たる思いは、他者に理解できるはずもない。


 でもこの話はまだ終わりじゃないはずだ。

 だってエルネはいまも生きてるんだから。


 今までの話から、エルネという人物についていくつか理解したことがある。

 恐らくエルネは、愛情の飢えからか依存心が強い人間なんだろう。

 何かに依存していないと生きていけない。


 そんなエルネが依存対象である母親を失ったとしたら、その次はどうするか?


 自ら命を断つ。または、ほかの何かへの依存……。

 それがだいたい何かは想像できるけど。


 そんなことを考えていたら、エルネは俺の返事など待たず話を続けた。


「小屋へ帰ったあとの数日のあいだは、どう過ごしていたかも覚えていません。なにか考えていたのか、それともなにも考えられなかったのか。しかし幾日かたったある日、私はひとつの決意とともに立ちあがりました」

「私から母を奪ったあの男、カール・ノルティスをなんとしても殺してやると」


 やはり復讐か……。

 なんと凄惨たる人生か。

 エルネは復讐心だけに支えられ、生きてきたんだ。


 ……いや違うな。

 それだけじゃ辻褄が合わない。


 エルネはもっと複雑な何かに縛られているはずだ。


「それからというもの、私はあの男を探すことだけに、全てをついやしました。パックルを使って空から探し、ヘルマに乗り町にでて情報収集をする毎日。ノルティス家は名のとおった貴族ということもあり、すぐに見つけることができました。しかしそこにいたのは領主である父親だけで、あの男の姿はどこにも見当たりませんでした。聞けば廃嫡されたとのことで、その後の行方を知るものは誰もいませんでした。それでも私は探しつづけました」


 そうだよな。

 それしか残ってなかったんだもんなエルネには。

 でも、それすらも失ったとしたらいったい……。


「くる日もくる日も探しつづけました。しかし見つけることはおろか、少しの情報を得ることもかないませんでした。そして2年と少しの歳月が流れたころ、とうとう備蓄食料が底をついてしまいました」


 え、2年?

 確かエルネのお母さんが残してくれた食料は、ふたりで半年分だったはず。

 いくら大人と子供の違いがあるといっても……。

 いったい、エルネはどんな日々を送っていたんだ?


「空っぽの食糧庫は、私に現実を突きつけました。2年探してもなにも見つからなかったという現実を。それは、あるいは私の心をたやすく折るものだったかもしれません。しかし私は母の言葉を思いだし、食糧庫の奥にかけてある麻袋を開きました。中には数枚の銀貨と、手紙が入っていました」

「手紙?」

「はい。そこには母と父の馴れ初めや、思い出、私が産まれたときのことなど何枚にもわたり綴ってありました。そして父の死の真相と、仇を見つけてしまった母の葛藤、その手紙を読むこととなってしまった私への謝罪……。母はそんなことまで書くかどうか悩んでいたようでした。しかし私の性格をよく知る母は、書かなければいつまでも母の影を追うはずだと。いずれ真相に辿りついたときには、危険を顧みず復讐に身をついやすだろうと、そう思い手紙に残すことを決意したのだそうです。そして最後にはこう書いてありました……」


 そういうとエルネは『夏の夜の夢フェイズコミック』で本を具現化し、あるページを開いて見せた。



 [エルネ、私の大切なエルネ。今この手紙を読んでるエルネは、何歳になったのかな?]



 これはエルネのお母さんの手紙?

 仕組みはよくわからないけど『夏の夜の夢フェイズコミック』の能力で、保存してあるのか?

 いや、そんなことより今は読んでみるか……。



 [ニンジンは食べられるようになった? 友達はできた? きっと私に似てとても綺麗になってるはずね。いいエルネ? いっぱい恋をするのよ。女は恋をして綺麗になって幸せになるんだから。でも男は慎重に選ばないとダメよ。嘘ばかりつく男はダメ。お酒におぼれる男もダメ。誠実な人を見つけなさい。あなたのお父さんみたいな素敵な人を。そして、どうか幸せになってください。あなたの幸せが、何よりも私の、そしてお父さんの願いでもあるんだから。だからどうか、人生をあきらめないでください。復讐なんて考えないでください。いつか天寿をまっとうしふたたび会えた時は、あなたの幸せな話をいっぱい聞かせてください。

 母より、愛をこめて]



 なるほど、これがエルネを縛っていたものか。


「手紙を読みおえた私はその場にうずくまり、ただただ泣きじゃくりました」


 俺が視線をあげたのを察し、エルネは続きを話しだした。

 その内容は、さんたんたるものだった。


 最愛の母を亡くしたエルネは、復讐に生きることを選んだ。

 それは純粋な復讐心と、依存心からなるもの。

 歪ではあるけれど、生きるための唯一の希望ともいえただろう。

 そうしてボロボロになりながら、ひとり2年の歳月を生きてきた。


 しかし、全てをかけても何も得ることができなかった。

 それどころか、そんなことは母ははなから望んでいなかったのだ。


 手紙を読みおえひとしきり泣きくずれたエルネは、手桶に水をくみ顔を洗おうとしたそうだ。

 そこでエルネは更に絶望した。

 手桶の中にうつっていたのが、目が落ちくぼみ頬のこけた、見るにたえない貧相な少女だったからだ。


 あろうことか最愛の母が望んだ真逆の道を、エルネは必至に身をけずり歩んでいたのだ。


 その時のエルネの気持ち……、想像するだけで胸がしめつけられてしまう。


 そんな苦しみを抱えながらも、エルネは母の願いに依存し生きる道を選んだ。

 ひとりの人間として幸せになる道を。

 ただ母がそう望んだから。


 それなのに待っていたのは厳しい現実ばかり。

 一般的な女の子よりも大人びた顔立ちをしてはいたが、エルネはその時まだ14歳。

 仕事を探すにもひどく苦労したらしい。


 ようやく見つけたと思っても、エルネが幼いことをいいことに、ただでさえ安い賃金をごまかされる始末。

 理不尽な扱いを受けることなんて日常茶飯事だ。

 それどころか、幼いながらも妖艶なエルネを見て襲いかかるものもいた。

 エルネの正体を知り、いきなり殴りかかってくるものもいた。

 優しい顔で近づいてきた大人に罠にはめられ、奴隷商人にさらわれたことさえあったらしい。


 それでもエルネは前に進もうとしていた。

 母が願った姿に少しでも近づけるよう、身を粉にして働きながらも毎日勉強を続けた。


 収入が増えれば生活に余裕が出てくる。

 そうすればオシャレをしたり、友達をつくることができるかも知れない……。


 そしてエルネは教育係の資格を取得した。


 本来であれば学校の履修証明か、有識者の推薦が必要なんだけど、なにも知らず試験会場にきて困り果てていたエルネを見て、ある貴族がその場で推薦状を書いてくれたらしい。


 それがエルネにとって、真の救いの手であればどれだけ良かったことか。

 その貴族は、エルネに娘の教育係につかせることを条件に、推薦状を書いた。

 そしてみごと合格となったエルネは、そのままその貴族の家で雇われることとなった。


 エルネが初めて教育係として勤めた貴族の家。

 それがどういう結果になったか、俺は父さんから聞いてよく知っている。

 つまりその貴族は、はなから下心でエルネに近づいたのだ。


 人の心を潰すには一度ドン底までつき落とし、その後伸ばした救いの手を掴もうとしたところで、払いのけるのが効果的だと聞いたことがある。


 エルネの心が潰れてしまわなかったのが、不思議なくらいだ。

 いやもしかすると、死んで楽になるという選択肢も、よぎったかもしれない。


 しかし手紙にあった『幸せになってほしい』と願う母の言葉が、それを許さなかったのだろう。

 言葉は、人の思いは、時に呪いのように絡みつく。


 そんなの、生きていのるか、死んでいるのかよくわからない人生だ。

 そりゃ『気持ちがわかる』なんていわれたくないよな……。


 でも、どうしてもひとつ気になることがある。

 その気になることが、もし俺の考えている通りだったとしたら……。

 もしそうだとしたら、俺はエルネをこの負の連鎖から救ってあげられるかも知れない。


 そして、それをするには話さないといけない。


「エルネ、君の過去はよくわかったよ。思いだしたくないことを話させてしまってごめん」

「いえ、わかっていただけたのなら結構です。私は大丈夫ですので、もうあまり干渉しないでください」


 俺がしようとしていることは、あまりいい方法じゃないかもしれない。

 でも、このまま放っておくなんてできるはずがない。


「いや、それでも俺は君に近づくよ。君を救いたい、俺にはそれができるから」

「――ッ! 坊ちゃまになにができると言うのですか!」

「それを説明するために、ひとつ聞いてほしいことがあるんだ」


 婆っちゃんごめんよ。


 でも、エルネのことを教えてもらったんだから俺も話さないといけない、そう思うんだ。

 大丈夫と人形のような表情で言ったエルネが、まるであの頃の俺たちのようだったから。


 俺はエルネに全て話すことにした。

 俺が異世界から転生してきた存在だということを。


 そして俺がエルネの生きる指標になるんだ。

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