第31話 響きわたる音
「ふっ、私としたことが取りみだしてしまったな。それもこれもアルネラ、全部君のせいだよ」
カール・ノルティスは先ほどとはうって変わり、人好きのする笑顔で語りかけてきた。
いつか酒場で見たときと同じ、作りものめいたあの表情である。
「…………」
しかし、アルネラは何も返さなかった。
この男には何も通じないと、すでに理解しているからだ。
そしてカール・ノルティスは必ず実行するだろう。
アルネラとエルネを破滅につき落とすべく何かを。
「私には贔屓にしているとある商人がいてね、まあ人間性はお世辞にもいいとは言えないが、お金さえ積めばなんでも用意してくれるから重宝しているんだ。例えば、今きみたちを縛っているスクロールとか、殺したい男がいると言えば手練れの傭兵までね」
カール・ノルティスの笑みが徐々に嗜虐的なものに変わっていく。
「その中でも私はこのオーレ・モーベレを大層気にいっていてね。下級種ながらもデーモン族だけありその戦闘力は言うまでもなく、さらにはある素晴らしい特殊能力を持っていてね。聞きたいかい?」
「…………」
「だんまりとはつまらんが、まあいいだろう。これを聞けば顔色を変えずにはいられないだろうからな」
エドガーの死を侮辱され、娘を傷つけられ平気でいられるはずがあろうか。
しかしアルネラは覚悟を決めていた。
覚悟を決め、ただ最愛の娘の顔を静かに焼きつけていたのだ。
「なんとこのオーレ・モーベレは……」
そんなアルネラを気にすることもなく、カール・ノルティスは今にも吹きだしそうな様子で続けた。
「なんと、呪いであらゆる生物を鉱石化することができるんだあ。あははは! まあ隙が大きいので使いどころは難しいが、今のお前たちにはどうすることもできんだろう」
何が楽しいのかカール・ノルティスはついに吹きだし腹を抱えだした。
そしてそれが端となり、辺りに恐怖が充満していく。
「カール様、私たちは! 私たちは助けていただけるのですよね?」
誰彼ともなく護衛のひとりが、懇願するよう声をあげた。
「いやだ! 死にたく、死にたくないいい!」
気が狂ったように首をふり叫びだすものもいる。
「グルルゥ!」
嗚咽を漏らし頬を濡らすエルネの隣で、ヘルマが威嚇の声をあげている。
しかし、カール・ノルティスにはそのいずれも届くことはなかった。
「じわりじわりと鉱石となっていく恐怖。お前たちのひきつる顔が目に浮かぶようだ。さあやれオーレ・モーベレ! この場にいる愚か者たちに、悠久たる呪いをくれてやるのだぁ!」
カール・ノルティスの命令を受け、オーレ・モーベレはギチギチと不快な音を立て震えると、胸にある裂けたような大きな口から毒々しい色の煙を噴きだした。
煙は足元の草をパキパキと石化させ、ゆっくりと広がっていく。
「さあ、どんな鉱石になるか楽しみだ。見目こそ美しいエルフのことだ、さぞかし期待できるぞ」
あと数秒もすれば、カール・ノルティスの言葉通りの結果になるだろう。
いよいよ別れの時間である。
そう判断するとアルネラは、伸ばしたまま動かすことのできない手の先に向かい叫んだ。
「エルネ歯を食い縛りなさい!」
「お、お母さ――」
エルネの返事を待つことなくアルネラは行動にでた。
『
途端、アルネラの手からすさまじい風が吹きすさぶ。
「きゃ、きゃああああ!」
手の先にいたエルネとヘルマが、なんの重さも感じさせることなく吹き飛んでいく。
多少の加減はしていたもののその勢いはすさまじく、このまま地面に叩きつけらたら大怪我を避けられないのは明白だ。
アルネラはそれでもいいと考え放った。
『魔方陣内の対象を拘束するスキル』
カール・ノルティスはそう言っていた。
つまり骨の2、3本折れようとも、この場を逃れるのが肝心なのだ。
例えエルネが怪我で動けなくなったとしても、ヘルマと呼ばれていた大狼がなんとかしてくれるだろう。
むしろ、落下の衝撃でエルネが気を失いでもしたら都合がいいとさえ考えていた。
しかしヘルマはアルネラのように楽観視することはできなかった。
吹き飛ばされながらも手放さないようしっかりエルネに握られた本が万が一閉じられでもしたら、
今ここに主を置いていくわけにはいかない。
「ガウッ!」
ヘルマは短く吠えると、共に吹きとぶエルネに向かい首を伸ばし、そのまま器用に咥え体をひるがえし着地した。
「あ、ありがとうヘルマ……。あれ、動く? か、体が動く!」
エルネはヘルマに下ろしてもらうと、体の自由が戻ったことを確認し、よしとひとりごちヘルマに母の救出を命じようとした。
「逃げなさいエルネ!」
が、それを制するようにアルネラの怒気まじりの声が先に響きわたった。
「やだ、絶対にやだ! お母さんと一緒に帰るんだもん。ひとりでなんて絶対に逃げない!」
瞬く間もおかず返すエルネ。
その目は決意に満ちている。
「その通り、ひとりで逃げようなどと思わないことだ。もし逃げたらお前の母がどうなるか……、わかっているよなあ?」
嗜虐的な笑みを見せるカール・ノルティスだが、どこかわざとらしく焦っているように感じる。
それもそのはず、カール・ノルティスは今動けないでいた。
正確には、今もなおオーレ・モーベレが呪いの煙を吹きだし続けているため、これ以上前に出られないでいた。
そしてアルネラはそれに気づいていた。
「そこの狼エルネを連れて逃げなさい!」
「……」
しかしヘルマは反応しない。
「絶対に逃げない! それに、ヘルマは私の言うことしか聞かないもん!」
大粒の涙をあふれさせ叫ぶエルネ。
自分がどうなろうと助けたいと思っているのは、何もアルネラだけではない。
当然アルネラもそれはわかっている。
しかしもう本当に時間がないのだ。
何故なら、すでにアルネラの脚は膝のあたりまで鉱石化していたからだ。
このままでは、エルネにまで呪いの煙が届いてしまう。
「よく聞きなさいオオカミ。私はその子の、お前の主の母親よ……」
呟くように発せられたその声は、なぜか不思議と響き渡り、混沌に包まれたこの場が一瞬の静寂に包まれた。
そしてアルネラは大きく息を吸いこみむと、目を見ひらき叫んだ。
「わかったらさっさとその子を連れて逃げなさい!」
ワウッ!
短く鳴くと、ヘルマはエルネを咥え駆けだした。
「な、なんでヘルマ……? ダメ、戻って!」
しかしヘルマがその命令に従うことはなかった。
「やだ、やめてヘルマ。お願い戻って……」
エルネの願いとは裏腹に、その姿はどんどんと遠ざかっていく。
その後ろ姿を見おくりながら、アルネラは優しく微笑んだ。
「ふふ、母は強いんだから」
鉱石化はアルネラの胸部まで進んでいる。
「エルネ……。私の元に産まれてきてくれて……、ありがと……」
それがアルネラの最後の言葉であった。
「まったくとんだ茶番だ……。オーレ・モーベレ、やれ」
命令を受けオーレ・モーベレが触手状の腕をひと凪ぎすると、辺りに鉱石の砕けちる音が響きわたった。
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