第30話 エルフと貴族

 カール・ノルティスが剣を構えると、オーレ・モーベレは霧散するように消えていった。


 危険な魔物の目撃情報が相次いだため、討伐隊が組まれたのだと誰かが言った。

 武装した一団を見て恐れをなし逃げたのだろうと、まるで説明して聞かせるかのように周りの者たちが話している。


 そして、間に合ってよかったと手を差しだした後、カール・ノルティスは驚いた演技をしながら言った。


「ま、まさか……、アルネラさんですか?」


 白々しいその態度に、アルネラは差しだされた手を感情のままに払いのけた。

 辺りに乾いた音が響く。


「わ、私です。カール・ノルティスです! 昔酒場で何度かお会いした、覚えておりませんかアルネラさん?」


 一瞬呆気にとられるも、すぐに平静を装いぬけぬけと演技を続けるカール・ノルティス。


「き、貴様あ!」


 そんなカール・ノルティスの様子に激怒したアルネラは、ショートソードを手に勢いよく立ちあがった。


 そしてその勢いのままに逆袈裟に斬りあげようとするアルネラ。しかしその刃は、護衛らしき数人の男に体を捕まれ届くことはなかった。


「クッ! は、放せ! お、お前のせいで」


 止めどなく湧きあがる感情の濁流に、アルネラはうまく言葉を紡げないでいる。


 そんなアルネラとは対照的に、カール・ノルティスは酷く冷たい表情でアルネラを観察し、そして考えていた。


(なぜ彼女はこんなに興奮しているのだ?)


(あの時と変わらず美しいこの女を見て、なんとか手中にできないかと考えたが……。少し面倒だな)


(それに平民の分際でこの私に斬りかかろうとした暴挙、見過ごすことはできん)


(……もう斬ってしまうか?)


 そう思いカール・ノルティスが腰のカットラスに手をかけた、その時……。


「お母さんから離れろおおおおおお!」


 どこからともなく少女の声が響き、突如、辺りを巨大な影が包み込んだ。


 危険を察知し、瞬時にカール・ノルティスを抱え飛びのく護衛。

 直後、少女を乗せた真っ白な大狼が地面を揺らし現れた。


「お母さん、無事でよかった……」

「エ、エルネ!」


 母の無事に胸を撫でおろすエルネと、突然の娘の出現に驚き戸惑うアルネラ。

 そして寄らば噛殺さんと睨みをきかせるヘルマ。


「エルネどうしてここに……? そ、それにその狼は?」

「この子はヘルマ、私の友達よ。それよりもお母さん下がってて。こいつお母さんに何かしようってたくらんでる!」


 エルネは昨日のカール・ノルティスが見せた邪悪な笑みを思いだしていた。

 そして警戒したままゆっくりとヘルマから下りると、アルネラの前に立たせカール・ノルティスを睨みつけた。


「これはこれはアルネラさんのお嬢さんですか。通りでとてもお綺麗なわけだ。しかし、エルネさんですか? この子はどうやら勘違いをしているようだ。アルネラさん、よかったら説明してあげてもらえませんか? 私はあなたを魔物から助けただけだと」


 突然の事態に取り乱すこともなく、いつもの紳士然とした態度で語りかけるカール・ノルティス。

 今も牙をむく大狼ヘルマを警戒し様子を見ているのだ。


「ふざけるな! どうせお前が仕組んだことだろ! あの時エドガーを殺した時と同じように……、私が何も知らないと思ったか、この下衆めえ!」


 アルネラは敵意をあらわに叫んだ。

 カール・ノルティスの白々しい態度が、アルネラの怒りを再熱させてしまったのだ。

 エルネは、そんな普段見ぬ母の迫力と突如告げられた父の死の真相に、目を見ひらいた。


「ほう。なんだ知っていたのか」


 そんな最中、カール・ノルティスは悪びれる様子もなくただつまらなそうに呟いた。


「知っていたのかだと……。お前のせいで、お前のせいでエドガーは!」

「お母さん!」


 まるで他人事なカール・ノルティスの態度に我を忘れそうになるアルネラであったが、不安のまじるエルネの声を耳にしはっと我に返った。

 エルネの存在が唯一アルネラの生命線であった。


「君がいけないんだよアルネラ」


 そんなアルネラの心を逆なでるように、カール・ノルティスはやれやれといった態度で話しだす。


「この私が君を求めたのに君は断ったじゃないか。だから彼は死んだんだ」


 エルネの手をぎゅっと掴むアルネラ。


「私はね、欲しいものは全部手に入れたいんだ。だから邪魔なものは排除する。合理的だろ?」

「――ッ!」


 カール・ノルティスのその言葉に、アルネラは声にならない声を上げ強く手を握りしめた。


「痛っ! 痛いよお母さん」


 たまらず声をあげるエルネ。

 アルネラはその言葉に手の力こそ緩めたものの、なおも射殺さんとカール・ノルティスを睨みつけている。


「もう帰ろ? ね、お母さん」


 そんな母の取り乱す様子から得も言われぬ恐怖を感じたエルネは、一刻も早くここから離れるべきだと考えていた。

 母をこの男から引き離さないといけない。

 さもなければ何か取り返しのつかないことになると。


 しかしカール・ノルティスはそれを許してはくれなかった。

 右手を上げる合図で、武装した警護の一団にぐるりとふたりを取り囲ませたのだ。


「おやおや、ここまで話してハイそうですかと返すと思ったかい?」


 いつもの取り繕った顔を崩し笑むカール・ノルティス。

 この男の本性を表したかのような下卑た笑みである。


 その下卑た笑みを見て、怒りに包まれていたアルネラの心に急速に別の感情がこみあがってきた。


 愛娘がこの汚い笑みの矛先となることへの恐怖である。


「ど、どうするつもり……?」


 背中に冷たいものを感じながらアルネラは問うた。


「んーそうだな、君を私の愛人にと考えていたんだが、いつの間にかコブがついているし、それにどうやら君は私に反抗的なようだからな。でもまあ、その美貌は捨てがたい。となると……、親子そろって奴隷として飼ってやるのもいいかもしれないなぁ」


 そう言うとカール・ノルティスは、わざとらしく舌なめずりをし舐めまわすようにふたりを見てきた。

 初めて向けられた雄の視線に、エルネは思わず小さな悲鳴をあげ身をすくめる。


「黙って言うことをきくと思っているの?」


 そんな視線からエルネを守るべく前に立つと、アルネラは毅然として言い放った。

 戦いに長けていないアルネラであったが、娘を守りたいと願うと自然と勇気が込みあがってくる。


「私が黙って君たちを返すと思っているのかい?」


 しかし、カール・ノルティスは動じなかった。


 そして不敵な笑みを見せると、スラリとカットラスを抜き構えた。


 それにならい護衛たちも剣を構える。

 10本の刃が光を放ち、ふたりを取りかこむ。


「くっ!」


 なんとか逃げ出す術はないか?

 手持ちのカードを元にアルネラは千思万考していた。


 その時……。


「大丈夫だよお母さん! ヘルマにまかせて!」


 エルネの言葉と共に、白銀の大狼ヘルマがカール・ノルティス目掛け飛びかかった。


 エルネは考えていた。

 一見、物量差は圧倒的なものの、敵は金に群がる烏合の衆であると。

 こちらが何か理由をつけてあげれば、蜘蛛の子を散らすごとく逃げていくのは明白だ。


 そしてその理由とは、カール・ノルティスの存在である。

 ならば狙うはカール・ノルティスの首ただ1つ。


 そう考えヘルマに命じていた。


 12歳にも満たぬ子供が、自らの命をもやりとりするこの場でそんなことを考えていたのだ。

 おおよそ普通ではあり得ないことであるが、それは恐らくエルネの普通ならざる境遇と、母に対する強い依存心がそうさせたと言えるだろう。


 しかし、そこはやはり12歳にも満たぬ子供の行為である。


 今までヘルマに命じ魔物を殺めたことはある。

 魔物は危険な存在だと教えられていたし、自らの経験もあり排除するのに躊躇することはなかった。


 だが、今目の前にいるのは魔物ではない。

 目、鼻、口、そして手足を持つ、自分と同じ人間なのである。


 そんなことは関係ない。

 母と自分の身を守るためには排除するのみだ!


 残念なことに、そんな風に割りるきことができるほどには、エルネの心はすれていなかった。


 そしてその迷いが伝わり、ヘルマは爪をふるうことを一瞬躊躇してしまった。

 その一瞬が全てをわけた。


召喚サモン!』


 カール・ノルティスが唱えると、人差し指にある指輪が妖しく光を放った。


 えも言えぬ不穏な気配を感じ、慌てて爪をふり下ろすヘルマ。

 しかしその一撃はカール・ノルティスに届くことはなかった。

 突如地面に現れた魔法陣から、触手状の腕が伸び体ごと弾かれてしまったのだ。


 吹き飛ばされながらもクルリと体勢を整え着地するヘルマ。

 再び身構えた時には既に、デーモン種の魔物オーレ・モーベレがカール・ノルティスの前に構えていた。


(くっ……、私が躊躇しなければ……)


 エルネは、状況を悪化させてしまった自らの迷いを強く後悔した。

 しかし今は後悔などしている場合ではない。

 その数旬が更に状況を悪化させるのだ。


 そんな年不相応な思考を巡らせていたエルネであったが、この後あまりの予想外の出来事にビクリと身をすくめてしまうこととなる。


 突如紳士の皮を脱ぎすたカール・ノルティスが激昂したのだ。


「このクソ餓鬼があ! 貴様、この私に何をしたのかわかっているのかあああ!?」


 身を震わせ殺意を撒き散らし、するどい眼光を発するカール・ノルティス。


 見ると、頬を一筋の血が伝っている。

 先ほどのヘルマの爪が頬を掠めていたのだ。


「おのれ、カール様になんてことを!」


 その様子を見た護衛のひとりがわざとらしく剣を手に前に出た。

 報酬のためにポイントを稼いでおこうと考えたのだ。


 カール・ノルティスはそんな護衛の男に短く声をかけると、さも当たり前のようにエストックを突きさした。


「な、何を……」


 口から血を吐き出し、訳のわからぬといった顔でその場に崩れおちる護衛の男。


「喰っていいぞ、オーレ・モーベレ」


 周りの皆が固まっている中、オーレ・モーベレは触手状の腕で男をつり上げると、胸にある大きな口でクチャクチャと咀嚼し始めた。


 不快な音と共に血の臭いが充満する。


「カ、カール様……、一体何を?」


 その凄惨な光景に、たまらず戸惑いの声をあげる残りの護衛たち。


「何をだと? 名ばかりの護衛を処分しているのだ。私の身を守ることのできぬ護衛など不要だからな」


 食事中のオーレ・モーベレの口からだらりと血まみれの腕が垂れている。


「で、お前たちはどっちだ? ん?」

「う、うわああああ!」


 カール・ノルティスの問いかけに、残りの護衛たちは恐怖に顔を歪ませヘルマに斬りかかっていった。


 しかし、カール・ノルティスは護衛たちにヘルマを倒せるなんて思ってはいなかった。

 ただ一瞬でも気を引くことができたら、あとは切り刻まれるなりどうとでもなればいい。

 その隙にことを成せばいいだけだ、そう考えていた。


 そしてカール・ノルティスは、護衛たちがヘルマに斬り伏せられている様を眺めながら、懐から1枚のスクロールを取りだし魂力をこめ始めた。


「させない!」


 ――『一陣の風フウァールウインド』――


 不穏な気配を感じ取ったアルネラは、唯一使える攻撃魔法を慌て放った。

 途端、突風が轟音と共にカール・ノルティスに襲いかかる。

 そのまま被弾する、そう思われた刹那――


 グルァ!


 オーレ・モーベレが不快な声をあげた。


 すると、その奇声ごと飲み込んでいくかと思われた突風は、オーレ・モーベレの目の前にある不可視の壁により、その力を左右に分断されてしまった。


「障壁か!」


 やはり逃げるしかない。

 アルネラが慌ててエルネに手を伸ばそうとしたその時……。


 ――『拘束するリストレイニングフォッグ』――


 突如一面を覆うほどの大きな魔法陣が現れ、辺りは深い霧に包まれた。


「カ、カール様……? な、何をなさるのですか?」


 わけのわからぬ状況にただ戸惑う護衛たち。

 視界を奪われた不安により、先ほどの吐き気を催す光景が脳裏をめぐる。


 そんな中、アルネラはこの状況を好機と捉えていた。


 エルネの位置は把握している。

 逃げるのは視界が遮られている今しかない。


 そう思い行動に移そうとしたアルネラてあったが


「こ、これは……?」


 どういったわけか微動だにすることができなかった。


 声を出すことはできる。


 息をすることもできる。


 しかし、まるで根が張ったかのように地面から足が離れない。

 エルネに向けて伸ばしていた腕は、上げることも下ろすことも叶わない。

 唯一首から上だけを残し、アルネラは体の自由が奪われてしまっていることに気がついた。


「ふっ! ふははははぁ、あーはっはっはぁぁぁ!」


 カール・ノルティスの高笑いと共に少しずつ霧が晴れていく。


「ふはははは! 誰も動くことのできぬ中、自分だけが自由を手にしているとはなんとも気持ちのいいものだ。『拘束するリストレイニングフォッグのスクロール』――魔法陣内の対象を拘束するスキルか。少々値段は張ったがなかなかいい買い物をしたな」


 アルネラは開けた視界の中、体の自由を奪っている元凶が何かを理解した。

 カール・ノルティスの言葉のとおり、微動だにできないでいるエルネやヘルマ、護衛の男たちの足元に小さな魔法陣が輝いていたのだ。


 それを見たアルネラは、深く息を吸いこむとゆっくりと吐きだした。


「わかりました。あなたの言うとおり愛人にでも奴隷にでもなんでもなります。だから娘には手を出さないでください」

「お母さん!」


 予想外のアルネラの台詞に声を張りあげるエルネ。

 苦渋の決断だとはわかっていてる。

 しかし、はいそうですかと受け入れられるはずもなかった。


「ほう、少しはいい顔をするようになったな。だが、まだ取引できる状況だとでも思っているのか?」


「もし私の願いをきいてくれるのであれば、私はこの先あなたに決して逆らうことはないと誓いましょう。反抗的な奴隷などあなたも望んではいないでしょう?」


 高圧的なカール・ノルティスに対してたんたんとした口調で語るアルネラ。

 エルネの思いなど関係なく話はどんどんと進んでいく。


「そんなことをせずとも、お前の娘を人質にとればすむ話だ」

「聞きいれてくれないのであれば、私は舌を噛んで死にます」

「お母さん! こ、こんなやつの言いなりになんて――」

「黙っていなさい!」


 たまらず割り込もうとするエルネであったが、アルネラのあまりの気迫にそれ以上言葉を続けることができなかった。


「もしあなたがこの条件を飲んでくれないのであれば、私は死を選びます」

「そんなことをしてみろ。お前の娘がこの世の不幸を全部背負うことになるぞ」

「エルネ、私が死んだらあなたも舌を噛んで死になさい」

「えっ……?」


 もちろん本心ではなかった。

 アルネラにとって何よりも大切なのは、娘の幸福な人生なのだから。


「自分の娘に死ねと命じるとは、とんでもない母親だな」

「あなたの奴隷として飼われるくらいならそうしたほうが娘にとっても幸せなはず。さあどうしますか? 何も得ずに帰るか、私を連れ帰るか」


 これはアルネラの最後の攻撃である。

 首から上しか動かすことのできぬアルネラの、ブラフという唯一残された武器による最大の口撃。


「気に食わんな……」


 言葉通りの表情を見せるカール・ノルティス。


 ブラフであろうことは、カール・ノルティスもわかっている。

 しかしそれを確かめることができぬことを知っていて、アルネラはブラフをかけたのだ。


「気に食わんが……、まあいいだろう。お前の覚悟に免じて娘には手を出さないと誓おう」


 アルネラはその言葉に胸をなでおろした。


 そして、今生の別れとなる娘の顔を脳裏に刻みこもうと、エルネに視線を向けようとした。

 その時……。


「しかし、このままお前の筋書き通りになるのは癪だ」


 いつの間にか目の前にいたカール・ノルティスは、アルネラのアゴをクイと掴むと、その唇に無理やり舌をねじ込んできた。


「んっ!」


 口内を舐られる不快感が全身を突きぬける。

 反射的に首をふって逃れようとするアルネラ。

 しかし頭を強く押さえつけらているため叶わない。


「やめろぉ! お母さんにさわるなぁ!」


 エルネは射殺さんといった形相で睨みつけた。

 しかしカール・ノルティスはそんなことを気にすることもなく、それどころかエルネのその叫びに愉悦さえ感じながら、アルネラの口内を蹂躙し続けた。


 どれくらいそうしていたのか、やがてカール・ノルティスは満足するとアルネラから顔を離し、ふたりを嘲るよう大きな声を上げ笑いだした。


「な、何をする!」


 解放されるやいなや不満を露にするアルネラ。


「お前は俺のものになったんだ、どうしようが俺の勝手だろ?  それとも娘に手を出したほうが良かったか?」

「くっ……」

「もう2度と会うことのできぬ母の姿を、いつでも思い出せるように印象づけてやっているのだ。むしろ感謝してほしいくらいだ」

「ゲスめ……」

「ほう? まだそんな生意気な口を利くのか」


 呟くとカール・ノルティスはカットラスを抜きエルネに向けて歩みだした。


「ま、待って!」

「待てだと?」

「……待ってください。どうか、娘にだけは手を出さないでください……」

「お母さん! そんな奴のいいなりになんてならないでもいいよ!」

「お前と娘で意見が違うようだが、さて私はどうしたらいいものか?」

「エルネ、いい子だから黙っていなさい」

「やだ、私いい子じゃないもん! お母さんと帰るんだ!」

「お願いエルネ。あなたは私の全てなの……」


 自分にとっては母が全てであると言い返したかった。

 母のためならどんな辛苦も厭わないと。

 しかし、両の目から止めどなく涙を溢れさせるアルネラを見て、エルネは言葉を続けることができなかった。


「お母さん……」

「ふはははは! なんとも美しい親子愛ではないか。安心しろアルネラ、これはなかなか立場をわきまえぬお前に釘を指しただけだ。娘には手は出さないさ、そう約束したからな」

「ありがとうございます」


 まるで劇の役者のごとく大仰な身振りをしてみせるカール・ノルティスに対して、アルネラは人形のような表情で言葉を返した。


「ふっ、ようやくわかってきたなあ、アルネラ。よし、褒美に先ほどの続きをしてやろうじゃないか」


 アルネラの従順さに気分を良くしたカール・ノルティスは、わざとらしく舌なめずりし言ってみせた。


 先ほどのとは、もちろん無理やりの接吻のことである。

 アルネラは、その続きが意味するものを想像し思わず顔を歪めた。


「どうしたアルネラ? 嬉しくないのか?」


 そんなアルネラの様子を見て、嗜虐手的な笑みで問いかけるカール・ノルティス。


「う、嬉しいです……」


 そう答えるしかなかった。


「そうかそうか。じゃあ、お前からおねだりしてみせるんだ。うまくできたらしてやろうじゃないか」


 誰がそんなことを望もうか。

 しかしアルネラに選択肢などあろうはずもない。


「カール様、お願いします……。先ほどの続きを、し、して、ください……」


 屈辱に唇を震わせ懇願するアルネラの様子に、カール・ノルティスは恍惚の表情を浮かべると、無遠慮に豊満な乳房を鷲づかんだ。


「やっ――!」


 拒絶の声を上げそうになり慌てて言葉を飲みこむアルネラ。


「そうかそうか、頼まれたのであれば仕方ないなあ」


 そんなアルネラにかまう様子もなく、さも当然と胸を揉みしだくカール・ノルティス。


「くっ、くふふふふ、あは、あーはっはっはっは!」


 カール・ノルティスは酔いしれていた。

 如意自在な状況に、自らの持つ権力という力を改めて実感し愉悦していた。

 幼い頃から望むものは全て与えられてきたこの男の歪みそのものである。


 あまりにも理不尽な話だ。

 なぜ自分たちがこんな目に合わないといけないのか。


 エルネは何もできぬ無力な自分に、気が狂いそうなほどの怒りを感じ、唯一動かすことのできる頭をイヤイヤするよう激しく振った。


「ふははははは! ……ん?」


 すると、その様子を見ていたカール・ノルティスが不意に笑いを止め表情を一変させた。


 激しく溢れさせんばかりの怒りに満ちた表情に。

 さしてカール・ノルティスはそのままの表情で、つかつかとエルネに向かい歩きだした。


「ま、待ってください!」


 ただならぬ気配に、慌てて静止の声をかけるアルネラ。


「嫌そうな顔を見せたことなら謝ります。カ、カール様、さあどうぞ私に続きをなさってください」


 必死に懇願するアルネラであったがカール・ノルティスには届いていない。

 そして、カール・ノルティスはエルネの前に立ちどまると、乱暴に髪を掴みあげた。


「い、痛い!」


 容赦のない勢いにぶちぶちと髪を抜かれ、泣きそうな声をあげるエルネ。


 ヘルマがすぐ隣で牙をむき出し威嚇している。


「カール様、お願いですやめてください! わ、私にご褒美をいただけるのではなかったのですか? さあ、どうぞこちらに戻ってもっと私に、してください」


 エルネの身を案じたアルネラは、恥を捨て娼婦のようにねだってみせた。

 唇に舌を這わせ、瞳を潤ませ、誘惑するように。

 もし体が動いたのなら胸のひとつでもはだけて見せただろう。


 するとその覚悟が通じたのか、カール・ノルティスはくるりと振り向くとアルネラの方に歩みを戻した。


 アルネラは安堵の息をつこうとした。


「……だと。……なんとういういことだ、まさかこの私が……」


 ふらふらと覚束ない足取りで、ひとり何かを呟いているカール・ノルティス。

 明らかにおかしい。

 尋常ではないカール・ノルティスの様子を見てアルネラは息を飲んだ。


「カ、カール様――」

「うるさい黙れ!」


 カール・ノルティスの怒号がアルネラの声をかき消す。


「クソ、あの男は間違いなく人間だった……」


 そして興奮とともに歩みを早めるカール・ノルティス。


「ということはまさか……、まさか、お前かあああ!」


 カール・ノルティスはアルネラの前に立つと、先ほどエルネにしたように乱暴に髪を掴みあげた。


 アルネラの特徴的な耳があらわになる。


 この大陸で最も美しく、最も忌むべきものとされている種族の象徴が……。


「エルフだと! くっ、なんということだ……」


 アルネラは恐怖した。

 こめかみに血管を浮かせ、わなわなと震えるカール・ノルティスの異様さを。

 何を考えているのか、何をされるのか、何もわからないことがアルネラの心を追いつめる。


「わ、私たちをどうするつもり……?」


 そして恐怖が、短絡的に答えを導きだそうとしてしまった。


「黙れといっただろ!」


 不用意な問いに心を逆撫でられ、反射的にアルネラの首を締めあげるカール・ノルティス。


「くっ! は、離して……」

「お母さん!」


 容赦のない締めあげに意識を手放しそうになるアルネラ。


「ちっ! このままただ殺すのも生ぬるい」


 吐き捨てるように言うと、カール・ノルティスは手の力を緩め離れていった。


「かふっ、げほっ! げほっ……、ぜぇぜぇぜぇ…………」


拘束するリストレイニングフォッグ』の効果によりうずくまることさえできぬまま、アルネラは必死に酸素を取り込んだ。


 カール・ノルティスは一体どうするつもりなのか。

 そしてどうすべきか。

 霞がかった頭で思考を巡らすもうまくまとまらない。

 ただひとつ確実なのは、このままではエルネに危険が及ぶということ。

 それだけはなんとしても避けなければならない。


 しかしのその時はすぐ側まで迫っていたのであった。

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