第13話 異世界パワーアップ講座

 風にたなびく黄金色の稲穂を見ていた。

 たくましい腕にかつがれて。

 いつもよりもずっと視線が高くなっているのに少しも怖くない。

 それどころかなんだか心地よくって、ずっとこのままでいたいとさえ思っている。

 隣でとても綺麗な女性が、やわらかく微笑んでいる。

 逆光でよく見えないはずなのになぜかそう思えた。

 これはきっと夢なんだろうな。

 ぽかぽかと温かくて……ずっとこうしていたいのに……映像がぼやけてきた……

 脳が……覚醒しようとしている……

 い、やだ……もう少し……このままで…………


「目が覚めたか?」


 その言葉に、自分がすでに目を開けていたことに気がつく。

 どれだけ時間がたったのだろう、辺りはすっかり暗くなっていた。


 やがて意識もしっかりと覚醒し、横たわる体を起こそうと上半身に力を入れると――


「――ッ!」


 胸にズキリと痛みが走り、声ならぬ声をあげた。


「むりをするでない。目一杯に魂縛の術をかけたんじゃ。当分は起き上がることすら難儀じゃろうて」

「いえ、少し痛みますが……、もう大丈夫です。ご心配おかけしました」


 そう言ってゆっくりと体を起こす俺を見て、ダニエラ婆さんは小さな目を見開いた。


「そ、そんなはずは!」


 ダニエラ婆さんは驚愕の表情を浮かべたままに、俺の体をペタペタと触れている。


「もしかして、術は失敗したのですか?」

「……いや、胸にしっかりと紋様が刻まれておる。間違いなくかかっておるよ」


 見下ろすと血液で描かれていた魔方陣は、黒く変色しすっかりと定着していた。


「こんな大きさの術をかけたら、普通は息をするのもやっとのはずじゃが……。なるほどのぉ、そう言うことか」


 ダニエラ婆さんは、ふむふむとひとりうなずき納得している。


「俺にもわかるように教えていただけませんか?」

「いや、どうと言う話ではない。単にお前さんの魂力があまりにも大きすぎただけじゃ」

「魂縛の術をかけてようやく常人並みになったということですか?」

「常人並みとな? バカを言うでない。ぽっかり空いていた大きな穴を塞ぐことこそ叶わかったが、かなり小さく絞ったつもりじゃ。本来ならこんな小さな穴からでは、ロクな力を出すこともできん。しかし、お前さんの場合、無尽蔵に湧いてくる魂力が次から次へと押しだしてくるで、それでそうやって平気にしておられるんじゃ。一度の出力は抑えられても、望めば望んだだけ魂力を絞りだすことができるじゃろう。まったくバカげた話じゃて」

「す、すみません。で、成功したんですよね?」


 ダニエラ婆さんの呆れ顔をみていると、なんだか申し訳ない気持ちになり思わず謝罪する。


「想定外じゃが結果は良好じゃ。これでお前さんの体が壊れる心配もせんでええし、胸の痛みもじきに治まるじゃろう。安心せい」

「良かった……。ありがとうございます、お婆さん」


 その言葉を聞いて、俺は思わず立ちあがり頭を下げた。

 本当に感謝してもしきれない。


 一方ダニエラ婆さんはというと、鼻をふんと鳴らしそっぽを向いてしまっている。

 恐らく気恥ずかしいのだろう。


「あっ、でも罪科の紋なんて、もし両親に見られたらあやしまれたりしませんかね?」

「うーむ、その紋様の意味を知るものはそう多くはないが、そうじゃな。用心するに越したことはないか」


 そう言うとダニエラ婆さんは胸の紋様に手を当て、ぶつぶつと何か呪文を唱えだした。


「き、消えた……?」

「正確に言うと見え難くしとるだけじゃが、まあこれでいいじゃろう。注意深く見られると気づかれるかもしれんで、気をつけるんじゃぞ」


 言われて目を凝らしてみると、確かに肌の色に近い紋様がうっすらと刻まれているのがわかる。


「何から何まで本当にありがとうございます」

「安心するのはまだ早いぞ。お前さんは今から15年の内に、その馬鹿げた力を制御できるようにならんといかんのじゃからな」

「そのことなんですが……。この世界では例えば、魔物を倒したら経験値を入手してレベルアップする、なんてことあったりしませんか?」

「レベルアップ? なんじゃそれは?」


 ダニエラ婆さんの言うとおりまだ楽観できないのは、十分すぎるほどに理解している。

 だけど正直何をしたらいいのかわからないんだよな。


 でも、もしこの世界にレベル制が存在していたとしたら、とりあえず魔物を倒していたらいいんじゃないか?

 なんて考えつつ、俺は経験値やレベルアップについて簡単に説明をしてみた。


「ふむ。魔物と戦うことで確かに経験を積むことはできるじゃろう。じゃが、一定数倒せば急に強くなるなんてあるわけなかろう」

「そ、そうですよね」


 こんなファンタジー世界の住人に常識を説かれるとは……。

 でも、いくらゲームみたいな世界だからといって本当のゲームじゃないんだもんな。

 ひょいひょいパワーアップできるなんて、さすがに考えが甘すぎるか。


「まあ魔物が落とす|魂の欠片(ソウルスフィア)を使えばで強くなることもできるがの」


 はい、ゲームみたいな甘いのありました!


「|魂の欠片(ソウルスフィア)ってなんですか!? 魔物のレアドロップとか?」


 興奮のあまり前のめりになってしまったのは仕方ない。

 若干ダニエラ婆さんがひいているのも仕方ない。


「ま、まあ、説明するより見たほうが早いじゃろ」


 そう言うと、ダニエラ婆さんは鞄の中から小さな木製のケースを取りだした。


 革のベルトと留め具がついたアンティーク調の木製ケース。

 なんというかとても洒落ている。

 お願いしたらくれないだろうか?


 なんてどうでもいいことを考えていると、ダニエラ婆さんはパチンパチンと留め具を外していった。


 現れたのは、宝石のように綺麗な輝きを放つピンポン玉サイズの球体。

 それが、半球状の穴が8つくり抜かれている木製のケースに、3つはめ込まれていた。


「これが|魂の欠片(ソウルスフィア)? 淡い輝きがまるで脈動しているみたいで……、とても神秘的ですね」

「命の証じゃからな」

「命の証?」

「先刻、この世の生命は死後、魂を大地に吸収されると説明したと思うが、魔物には人間にないある器官があっての。その器官が、魂力の一部と交じり合い結晶化したものが|魂の欠片(ソウルスフィア)――つまりその者が生きてきた証なのじゃ」

「なるほど、だからこんなに綺麗なんですね……」


 ケースに並べられた3つの|魂の欠片(ソウルスフィア)は、左から緋色に翡翠色に藤紫。

 それぞれ色は違えど目を奪われるほどに美しく輝いている。

 その様はまるで自らを主張しているようだ。


 しかしこれは、ダニエラ婆さんの説明からすると恐らく魔石のような力が込められた何かなんだろうが、一体これでどうやって強くなるんだ?


 そんな俺の疑問が伝わったのか、ダニエラ婆さんはおもむろに緋色の|魂の欠片(ソウルスフィア)を手に取ると、ゆっくりと自らの胸に押しあてた……。


「よく見ておれよ」


 ――シュン!


「す、吸い込まれた!」


 まさに吸い込まれたのである。

 まるでパソコンにCD-Rを挿入したかのように、|魂の欠片(ソウルスフィア)はダニエラ婆さんの胸にススゥと消えていった。


「え? か、体は何ともないのですか?」

「ああ、すこぶる快調じゃよ。お陰でこんなこともできるぞい」


火弾ファイアボール


 ダニエラ婆さんはおもむろに立ちあがると、湖面に右手を向けて当たり前のように呟いた。


「なっ!」


 途端、ダニエラ婆さんの手の平の前方に、緋色に輝く4つの点が現れた。

 そして緋色の点はそのままくるりと円を描き、複雑な動きをしながら中心部に向かうと、幾何学的な紋様を浮かびあがらせた。


 間違いない。

 魔法陣だ!


 やがて魔法陣が一際大きな輝きを放つと、子供の拳大の火球が湖面を照らし勢い良く射出された。


 シュボッ!


 火球は少しの音と水柱を上げながら湖に飲みこまれ、湖面は再び闇と静寂に包まれた。


「ふむ。覚えたてではまだまだ実用に程遠いのぉ」

「す、すごい! これが|魂の欠片(ソウルスフィア)の力……」

「数ある可能性のほんの1つじゃがの」

「もっと、もっと詳しく教えてください!」


 興奮した俺は、ダニエラ婆さんが腰を下ろすのも待たずに問いかけた。


「まあ、少し落ちつけ。なあに、3日は帰らぬと伝えておるで、まだまだ時間はある。腹ごしらえでもしながらゆっくりと話してやるわい」


 その言葉に反応したのか、俺のお腹が可愛らしい悲鳴をあげた。


 そう言えば、起きてから何も食べてなかったな。

 と言うか、まさか俺の知らぬうちにお泊り合宿になっていたとは、エレオノーラはさぞや心配していることだろう。


 いや、昨日の言葉通りとすると、今頃フラックとあんなことやこんなことをやっているかも知れないな。

 あんなことやこんなことか……。


 ま、まあ俺はそんなことどうでもいいし、強くなるために情報を収集するまでだ。

 後学のために観察してみるかー、なんて考えてなかったし、残念でもなんでもない。


 俺は目の前の調理風景を眺めながら、しばらく心の中で謎の言い訳を繰りかえすのであった。


 悔しくなんてないからね!

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