第9話 スタートライン

「そうか、あのいたずら坊主は逝きおったか……」


 ダニエラ婆さんは細い目で空を見上げ、微かに体を震えさせている。


「本当に申し訳ありません……」


 ずっと心に引っかかっていた気持ちが不意に漏れ、自分でもビックリする。


「お前さんが謝る必要はありゃせんよ。それとも、何か後ろ暗いことでもあるんか?」

「そう言うわけではありませんが――」

「グラムの体を乗っとったようで、罪悪感にさいなまれていると?」


 その言葉にビクリと体が反応した。

 まさしくその通りだった。


 俺かグラムの体を乗っとったわけでないことはわかっている。

 俺が来る前にグラムはすでに死んでいたんだ。

 でも……、


「周りの人たちがみんな優しくて……。フラックさんやエレオノーラさんは当然のことでしょうけど、執事さんやメイドさんやマリアーニさんやみんなみんな。でもそれは俺なんかじゃなく本来グラムに向けられるべきものであって! それなのに……、そんな人たちを俺は騙してしまっている。グラムはもう! 何も感じることもできないのに……」

「わしはのぉ」


 いつの間にかまくし立て話す俺を制するように、ダニエラ婆さんが言葉を挟んできた。

 気がつくと肩が激しく上下している。


 あまり考えないようにしていた。

 だってどうしようもないことだし、そうするしかないんだからって。

 でもダメだな、一度溢れさせたら止めることができない。

 このわだかまりがこんなにも大きかったなんて自分でも思っていなかった。


「わしはこの地で連綿の巫女と呼ばれる存在での、長く生きているせいもあって人の生き死ににはよお立ち会ってきてのぉ」


 ダニエラ婆さんは鰻の串焼きを少し火から遠ざけると、懐から木製のパイプを取りだし語りだした。


「戦で命を落とす者、魔物に襲われた者、病に苦しみながら果てる者、口減らしのために捨てられた赤子に、生まれる事もできなかった命。満たされ死に行く者など、1割もいれば良いほうじゃ。お前さんの世界がどうであったかは知らぬが、それがこの世界じゃ」


 未発達な医療技術や劣悪な衛生環境、食料事情などのせいで、中世ヨーロッパの子供たちはふたりにひとり程しか20歳を迎えることができなかったと本で読んだことがある。

 この世界は死とは身近な存在であると、そう慰めてくれているのだろう。


 でも、それはそれだ。


「だから気にするなと言うつもりではない」


 そんな俺の思考を読んだかのようにダニエラ婆さんは続けた。


「グラムは……。グラムはのお、まだまだやりたいことも、見ておらぬ世界も色々あったじゃろう。じゃが、残念ながらそれがグラムの寿命じゃったのじゃ」


 空を見あげ、パイプの煙をくゆらせるダニエラ婆さん。


「こればかりは誰にもどうすることもできはせん。それが現実と言うものじゃ。じゃがのぉ、お前さんには変えられる現実がある」


変えられる現実? 


「最愛の者を亡くし絶望に暮れるはずだった、グラムに近しい者たちは、今も変わらぬ日常を過ごしておる」


 そんなの偽りの日常じゃないか……。


「グラムはな、イタズラ坊主で周りに心配ばかりかけておったが、ほんに心の機微にさとい子じゃった。妊娠中で不安定な心のマリアーニに用もないのによう会いにきてくれたり、フラックの小僧とエレオノーラが喧嘩しそうになった時はわざとドジをしておどけてみせておった」


 …………。


「人の悲しむ姿を見たくなかったんじゃろうな。とても優しい子じゃったよ。そんなグラムじゃから、恐らく死の間際にはこう思ったじゃろう。『死にたくない。ボクが死んだらお父さんもお母さんも悲しんでしまう』とな」


 死人に口なし。

 そんなもの生者の都合のいい解釈だ。


「もし今グラムが見ていたとしたら、きっとお前さんに感謝していることじゃろう」


 でもダニエラ婆さんの話で、ひとつ思いだした。


「じゃから……、どうかこの先もグラムの願いを叶えてやってはくれんか?」


 そう、あの時たしかにそう聞こえたんだった。


 ――ありがとう――


 ふと、あの時の囁き声が優しく頭の中に響いた。

 途端、俺の目から止めどない涙が溢れだした。


「はい。グラムと、そう約束しました」

「そうか。なら安心じゃ」


 そう言うと、ダニエラ婆さんは鰻の串焼きを俺に差しだし優しく笑んだ。


 俺はこの世界を救わないといけない。

 俺と妹のためだけではない。

 この世界の新しい家族を守るために。

 グラムに託された命を使って。


 見ていてくれグラム。


 俺は決意を新たにるすと、涙をぬぐい鰻の串焼きにかじりついた。

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