第7話 疑心暗鬼を生ず
いやいや待て待て。
常識的に考えておかしいだろ!
俺はまだ3歳だぞ。
よその子の、しかもぷにぷに可愛い3歳児を、狂暴な魔物のいる湖に入らせるなんて、常軌を逸しているにも程がある。
そもそも体力のない3歳児を、無理やり山に登らせること自体がおかしい。
って……、俺なんでこんな所まで登れたんだ?
まあ今はそれはいいとしても、異世界と言えど普通こんなところまで3歳児を連れまわすはずないよな。
となると、もしかしてこの婆さん、俺のこと何か変に思っているのか?
「ま、魔物なんて嘘だよねお婆ちゃん?」
意図的に口調を変え、子供っぽい笑顔でおどけてみせる。
少しわざとらしすぎただろうか?
しかし、ダニエラ婆さんは無表情のまま返事をしない。
それどころか、少しの違和も見逃さないと言わんばかりに、鋭く睨みつけているようにも見える。
「…………」
くそ、なんと言葉を繋いだらいいかわからない。
やはり怪しまれているのか……?
「ふぉっふぉっふぉ、なんて顔をしておる」
どうすべきか考えていると、ダニエラ婆さんが不意に笑いだした。
一体どういうつもりだ?
目まぐるしく変わる状況に思考が追いつかず、呆然とすることしかできない。
「まあええ、少し見ておれ」
そう言うとダニエラ婆さんは、杖を持ったままよいしょと準備運動を始めた。
その少し可愛らしくもある姿を見ていると、さっきまでの疑問が考えすぎだったのではと思えてきた。
いや実際そうだろう。
確かに怪しいところもあっただろうけど、誰がどう見てもただの可愛い3歳児。
別人の魂が入っているなんて思いいたるはずがない。
落ち着け。
ダニエラ婆さんの思惑はわからないままだけど、焦ってもボロを出すだけだ。
「さてと……」
その声でダニエラ婆さんに意識を戻した俺は、次いで起きたありえない光景に眼を奪われた。
かすかな音も聞こえなかった。
そもそもいつ跳んだのかすらわからない。
が、ダニエラ婆さんは大人の身長を遥かに超える高さを、ふわりと舞っている。
そして、蝶が花びらにとまるかのように静かにセレニアの葉におり立つと、流れるような動きでそのまま花を摘み、先ほどと同じようにふわりと宙を舞い戻ってきた。
何ごともなかったかのように、水面には波紋すら起きていない。
確かに少し厚めの葉ではあるけど、そんなこと有りえるか?
それに湖岸に近づきもしないで跳んだため、その距離はおおよそ5メートルほどもある。
そんな距離を助走もつけず、腰の曲がった老婆がひょいと跳んだのだ。
「なんじゃなんじゃ、熱い視線で見つめてきおって」
ダニエラ婆さんは頬を赤らめ腰をくねらせている。
少しイラっとしたのは仕方ないことだろう。
「お、お婆さんって……、おいくつでしたっけ?」
「レディに歳を聞くもんじゃないわい」
レディは語尾に『わい』なんてつけないと言いたい。
いやそんなことよりも、色々と言いたいことがあるぞ。
「さて、次はお前さんの番じゃ」
言いたいことがあるけども、ダニエラ婆さんはどうしても俺にセレニアの花を採ってこさせたいらしい、そんな顔をしている。
と言うか、本当にやらないとダメなのか?
「えっと……、そもそも何のために僕が?」
「それはお前さんのためじゃ」
またこれか。
でも、俺のためって言ってもこれは腰痛の薬なんだよな。
となると、これが今朝言っていたリハビリってことか?
ってあんな忍者みたいなマネできるか!
無茶ぶりもいいとこだ。
行きがけに見た村の子供たちも、俺の住んでいた世界と基本スペックは変わりなさそうだったぞ。
となると、気になるのはあの言葉。
(お前さんにとってもいい薬になるかも知れんがのぉ……)
なるほどわかった。
お説教だ。
いつもやんちゃばかりなイタズラ坊主に、心配ばかりかけるんじゃないと身をもって知らしめたいんだろう。
そう考えると今までの違和感もすっきりするぞ。
だって、リハビリが必要と診断した者を、こんなところまで連れてくることがまずおかしい。
そもそもリハビリなんて必要ないくらい健康体だしな。
それに、知人のしかも領主の子供を、魔物のいる湖に入らせることもおかしい。
恐らく魔物がいると言うのもハッタリだろう。
日本の幼児教育でよくある、イタズラばかりしていると怖いお化けがさらいにくるぞってなもんであろう。
仕方ない、少し付きあってやるか。
「分かりました。じゃあいきます……」
と言っても、思惑通りになるのもしゃくだしできれば濡れたくないもので、俺はしっかりと助走をつけ一番近くにあるセレニアの葉を目がけジャンプした。
「――ッ!」
ろくに準備運動をしていなかったせいか、踏み切った瞬間に足首に鈍い痛みが走る。
しかし、そんな痛みを気にする暇などなくセレニアの葉は近づいてくる。
このままのいき勢いだと間違いなく水中にドボンだ……。
俺は少しでも衝撃を逃がさんと、膝を曲げクッションをきかせながらの着地を試みる。
しかしそれはかなうことはなく、着地した瞬間セレニアの葉は大きくたわみ、水面に波紋を作りながら飛沫をたたせる。
こ、これは、花なんて採っている暇はないぞ!
そう判断した俺は、兎にも角にも引きかえそうとセレニアの葉を蹴りあげた。
蹴り上げたつもりであった……。
が、どうやらこれも叶わなかったらしい。
爆発でもしたかのような大きな音と水柱を上げ、俺の体はそのまま水中へと沈んでいった。
できれば成功させたいと考えていたもので少し悔しい。
悔しいけど、こうなったらだダニエラ婆さんのお説教に付きあうしかないか。
そうだな。
3歳児のグラムは、狂暴な魔物がいると信じきっている。
そんな湖に身を沈めてしまっては、きっと慌てふためき這う這うの体で岸を目指すことだろう。
よし、そんな感じで行こう。
そう考え、泣き出しそうな表情を作り湖面から顔を出した瞬間……、
ザバアアアァン!
何か大きなものが飛び出したであろう水音が、俺のすぐ後ろから聞こえた。
「……えっ?」
血の気が引く音が聞こえる。
頭が真っ白になる。
振り返るのが怖くて仕方ない……。
「フシュルルルルウウウ!」
が、不気味な音と生暖かい吐息が背筋にかかり、俺はたまらず振り返った。
そこにいたのは鰻の化け物。
鰻と言えばなんてこともないように聞こえるかもしれないが、鎌首をもたげるその姿は2階建て家屋を優に超えるほどの巨大さ。
8つもある吊り上がった目で睨みつけるその表情は、ニヤリと笑みながら獲物に不吉を告げているようである。
そして大きく開けられた口からは、体液なのか涎なのかわからない粘着性の液体を滴らせ、サメの様に幾層も敷きつめられた凶悪な歯を覗かせている。
こんなもので噛みつかれたら、人間の体など簡単に千切れ飛んでしまうであろう。
に、逃げないと!
今すぐ逃げ出さないと死が訪れるのは明白だ。
しかし、恐怖で体が固まりガチガチと歯を鳴らすことしかできない。
そうこうしている内に、鰻の化け物は涎のような粘液を撒き散らしながら、大きく体をのけ反らせた。
それが何を意味するのか理解し、俺は耳をつんざくような悲鳴を上げた。
いつものようにゆっくりと見える……。
勢いをつけた魔物が、俺を捕食しようと目一杯に口を開け迫ってくる。
そしていつものように、うまく体を動かすことができない。
俺の第2の人生はこの凶悪な牙に引き裂かれ、あっけなく幕を閉じるのだろう。
少し先の未来を想像し恐怖に塗りつぶされそうになったその時――
『
ダニエラ婆さんの声と共に、鰻の化物の頭が音もなく宙を舞った。
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