待合室

 中性的な顔をした、少し太めの若い女が自分の母親と座っている。青いスポーツウェアの上下を着た、やはり少し太めの二十代。兄らしき男が離れて座っている。安っぽい緑の合成皮のソファーはコの字型に三つ。病院の待合室だ。コの字の横に親子らしき三人が座っている。下の部分には痩せた男が座っている。



「ガム、食べたい」

 若い女が唐突に言う。

「どうぞ」

 隣にいる母親らしき女が、待ってましたとばかりにガムをカバンから差し出す。

「ありがとう」


 母親らしき女とその娘は、双子のように身を寄せ合っている。母親は娘の肩に回して、娘というよりも自分を慰めているように見える。


 母親はガムを丁寧にカバンから出して渡す。そしてまた娘の肩に手を置く。大事そうに、十代半ばの娘の体を時折さする。ガムのやりとりとそのセットを三回ほど、繰り返す。兄らしき男は顔もあげずにずっとイヤホンで音楽を聴いている。


「お父さん、死んじゃったらどうしようか。無事に決まってるけど。」

 母親が唐突に言う。ガムを食べてる娘の口の動きが、速度を落とす。そしてゆっくりゆっくりとなり、動きが止まった。


「おじいちゃんみたいに?」

「そう。おじいちゃんみたいに」


 母親が答える。

 数秒後、いやだあ、と言って、娘が泣き出す。涙は出ていない。



「うそうそ。お父さん、簡単な手術だよ」



 母親は反対の手も伸ばして、娘を抱きしめる。ならば言わなければいいのに。斜めのコの字の下の部分に座る男は思った。だが、母親は手術が死に繋がることを娘に、中学生か、高校生になる娘に教えたいだけなのだ。だから、唐突に言いだしたのだ。娘がずっとガムを食べている間にも、教えたいことがあるのだろう。娘は、母親の言葉に「本当?」と何度も確かめる。「本当」と、母親が何度も答える。「だから、泣き止んで」と泣かせた張本人が言う。



「ガムちょうだい」

「はい」

「ありがとう」


 また静かな時間が流れる。


 とつぜん、娘が口を開く。


「お父さんも、おじいちゃんみたいに死んじゃうの?」


 さっきの話の続きだ。母親の話は娘に届いていた。


「そういうこともあるけれど大丈夫よ。お父さんはね、おじいちゃんのような、難しい手術じゃないからね」


 男は思う。何の手術だろうか。そして、私の父は、どの手術に当てはまるのだろうか。腹の中に、以前受けた手術で残っていたガーゼを取る。


 もう病院は弁護士を立てており、男と父親は言われるがまま。無料で受けなくてもよい手術を再度受けられ、個室になるというだけで、男にもその父親にも金銭的なメリットもなく、単なる開腹手術だと言うのだ。


 弁護士という言葉に何を言っても駄目だと思った父子は黙って説明を受けていたがが、息子やっとは聞いた。ガーゼは腐ってはいないのか、と。すると、周辺の組織とともに切り取りますから、と医者は笑顔で答えたのだった。


 不幸な父親の息子は、他にも同時に手術する家族がいる待合室なのだから、簡単な手術だろうと考えた。


「河合さん、河合さんのご家族はいますか?」


 看護婦が手術室から出てきた。不幸な男の息子が立つ。斜め前の母子と兄は、ちらりとも顔をあげない。興味がないのだ。河合と呼ばれた不幸な男の息子は小柄な看護婦の前に立つ。しっかりとした看護婦がはっきりという。


「手術、無事に終わりました。お父さんはまだ、麻酔が効いてます。後でお部屋で説明しますね」


「ガムちょうだい」


 河合と看護師はその声を背中に、目を閉じて寝たままの父親と広いエレベーターへと向かう。

 河合は平凡な人間だった。

 年金暮らしの父親と一緒に、低い給料で働くどこにでもいる男だった。女はいない。二人で家族は完結している。河合は思った。何となくだが、後で説明に来る医者は悪びれもせずに笑いながらくるであろうと。


 

 だが想像とは違った。医師は神妙な顔をしてきた。手術前の軽薄な態度と、友達かのように軽口を河合父子に叩いていたのははどこへやら。気のないが、肉体的に惹かれる女と寝る前と寝た後のような豹変ぶりだ。駄目な男の典型のようであった。


「無事に終わりました。また、抜糸するときに傷の具合を見たいので、予約を取って下さい」


 看護婦だけが、不運な手術を受けた男の息子に囁いた。

「その費用も、病院持ちですから」

と。

河合は、「あ、どうも」とだけ答えた。他にどうしようもない。怒っても泣いても、弱者はそういう定めなのだから。





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