初恋

 娘は結婚して子供もいた。夫からは家も車も買ってもらい、10年も経つのに変わらず「お前といられて幸せだ」と言われる。


 娘にそんな夫がいることを母親は喜んだ。母親は自分がした苦労が娘にないことを喜んだ。


 父親は貧しく、自分の両親と同居するしかなく、共働きで家計を支えた妻なのに、なぜか親と一緒に辛く当たった。


 娘の父親は姑が嫁に辛く当たるものと信じていた。だがいざ、娘が結婚すると、夫の親は男の娘を大事にした。父親はそのことに激しく驚き、そして自分の愚かさに気付き妻に謝った。



 娘は幸せなのか。



 「人の意見を聞くのは無駄なことだよ。君にその意見を取り入れる能力があれば、また違う話になるが、人の意見は所詮は人の意見に過ぎないよ」


 中学生のころに、娘の幼なじみが言った。眼鏡をかけた猫背の男だ。



 「何であの子と友達なの?」



 娘の女友達が娘に聞く。猫背で、暗そう。あの人会話できるの?





 娘はいつも、彼とは違うグループにいた。



 彼は風邪で受験を失敗し、娘と同じ高校になった。



 娘の幼なじみは猫背のまま、老けていく。


 娘は、化粧が濃くなり華やかになっていく。


 幼なじみは、娘の自慢の容姿を誉めたことがない。だらしがない異性関係にも文句をつけない。


 娘の幼なじみは、娘のつまらない愚痴をきき、そして自分の興味のある話を娘に分かりやすく伝える。娘は話の半分もわからない。だが、幼なじみと話すと少しだけ頭が良くなる気がして彼とのお喋りを好んだ。


 幼なじみは運動神経が悪かった。でも、娘が退屈して誘えば、苦手なスポーツさえも付き合うのだ。


 いつしか娘は周りが羨む外見のいい男と付き合った。そして我が儘で別れた。次は優しい男と付き合った。仕事でかまってもらえずに、寂しくて別れた。今度は経済力のある男と付き合った。そしてその男と結婚した。


 幼なじみは娘におめでとうと言った。



 娘は、夫をとても大事にしている。彼が家族をとても大事にして愛するからだ。同じような愛で、応えたいと娘は思っている。


 昔付き合った男のことは、声も顔も、名前すら忘れてしまった。


 娘は時間ができると、自分が今まで「恋愛」と呼んでいたものはなんだったのか、と考えることがあった。


 誰のことも思い出さない。思い出したとして、何も心が動かない。




 高校の頃、雪がふった。娘は寒いのが苦手で休もうとした。だが、いつも一緒にいる友達が雪と一緒に校庭で写真をとろう、と電話してきたので娘は渋々登校した。校門の前で、娘をみつけて驚いた顔をした幼なじみと娘は会った。


「雪がふったから、休みだと思った」

 娘をみて、幼なじみはおかしそうに笑った。

「雨と雪は嫌いなの。でも今日は、友達と写真撮るのよ。雪と一緒に」

 娘が答える。一緒に教室まで連れ立ってあるく。門から昇降口まではゆるやかな坂だった。

「あなたは、こんな日でも真面目に来てるのね」

「皆、雪くらいじゃ休まないんだよ」

 幼なじみはいつも娘の行動を笑う。娘はむっとした。すると幼なじみは言った。

「でも、もしかすると、珍しくこんな日にお前と会えたら思ったんだよ」

 娘は幼なじみの横顔をみた。幼なじみは真っ直ぐ前を見ていた。

 



 娘は自分が死ぬとき、もう会うこともない幼なじみと、そしてこのときのことを思い出すかもしれない。


 猫背と、眼鏡と。あの独特の笑い方と。

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