第365話:真っ赤なトマトの染み

 何とか受付で会費を払って会場の中に入ると、高い天井に、開放感のある大きなガラス張りの窓。それは夕方の藍色に染まり、テーブルのキャンドルの光がまるで星のように映っていた。

 ホテルのレストランってどんなところなのかと思っていたけど、カジュアルで健康志向の、木材をふんだんに使った内装。奥に進むと見上げるほど背の高い観葉植物に、真ん中は大きな円形のバーカウンター。立食形式のようで、特に席次などはなく、本当に合コンというかお見合いパーティー(?)みたいだ。

 しかし森本に言うと「山根君、お見合いじゃなくて婚活」とやんわり笑われた。

「あ、そうか、婚活か」

「なんか全然興味ないって感じだね」

「いや・・・まあ、別に」

「へえ、仕事に邁進?それとも、もう必要がない、とか?」

「・・・っ、さ、さあ、どうだろうね、うん」

 そ、そうか、僕はもう婚活は、す、済んでるってこと?


 何となく一番奥まで来て、ミニテーブルの上にアルバムや寄せ書きなどがあったので、とりあえずそれをぱらぱらとめくる。・・・あ、ここで「そういう森本くんこそどうなのさ?」と聞き返すのが礼儀だったか。もう遅いけど。

 手に取ったアルバムはいわゆる結婚式の前撮りというやつ(?)のスタジオ写真とスナップで、ハキハキした感じの新婦と、いつもの武骨な印象とはちょっと違う鈴木の姿があった。

 きちんとポーズを取った写真と、その撮影の舞台裏のような、新婦がドレスを踏んでコケている写真なんかもあったが、新婦はずっと新郎を完全に信頼した弾ける笑顔で、僕って黒井といる時こんな顔をしているんだろうか、たぶんしてない気がする、と思った。黒井を信頼していない、というより、自分を信頼していないんだろう。


 やがて時間になったらしく、会場の照明がじわじわと暗くなった。

 エモーショナルな音楽が鳴り始め、パッと、プロジェクターに映像が映し出される。黒井がどこにいるか分からないけど、とりあえずここで見ているしかない。

 ああ、これはいわゆる、新郎新婦のプロフィールビデオってやつか。

 誕生から、幼少期、学生時代、そして社会人。

 二人のスライドが交互に映され、中学、高校、大学と、それぞれの写真に写っているのであろう友人たちから次々と歓声が上がった。

 隣の森本が「何か鈴木君らしいね」と言い、僕もうなずく。

 もしこれを黒井と見ていたら何ともいえない気持ちになってしまった気もして、これでよかったのかもしれない。


 そして、ビデオが終わって二人の人となりは何となくつかめたが、しかし会場はまだ暗いまま。

 すると今度は無音のまま映像だけが流れ、それは手ぶれのするホームビデオみたいな、晴れ渡った青空。

 それからカメラはゆっくり地上に戻って正装の新郎を映し、「・・・緊張します」の一言の後、何と、昼間の教会での挙式の様子と、披露宴の様子がダイジェストで流された。つい数時間前の映像が、もう編集されてるってことか。

 最後は、披露宴会場で親戚や上司などを丁寧に見送る新郎新婦がカメラに手を振って、映像は終わった。


 ・・・と、きらきらー、じゃらじゃらりん~という音楽とともに、スポットライトが当たって、新郎新婦の登場。

 まるでワープしてきたかのような、不思議な感じがした。

 割れんばかりの拍手とピーッという指笛、「おめでとう!」の声の中、ああ、さっきの画面の中にいた人を今、生で見ているわけだけど、眼鏡のくっきりした視界ではむしろ現実感がなくて、映像の方が本物らしくすら思える。

 しかし、やはり今の映像のおかげでここは<結婚式の続き>という感覚になり、同期とその見知らぬ嫁さんのお披露目イベント(会費五千円)ではなく、ちゃんと、二人をお祝いする場という感じがした。流されやすい上にお安い感情だなと思いつつも、しかし斜に構える気にはならなくて、僕は手が痛くなるほど精いっぱい拍手をした。


 ・・・ああ、何かに似ていると思ったら、これは、あのディズニーの花火だ。

 周りの全員が同じものを見て、そこに負の感情はなくて、一体感とともに歓声を上げ、拍手をする。

 結婚というのは、こういう行いのことなんだ。

 僻んだり、疎外感を感じることはなくて、この集まりに僕もきちんと参加できているという気持ちになれた・・・けど。

 参加するだけで、主催できる気はしなかった。


「・・・それでは、おいでいただいた皆様に感謝を込めて、乾杯!」

「乾杯!!」


 いつの間にか用意されていたグラスを顔の高さにかかげ、口だけつけてまた拍手をした。

 頃合いを見計らってお洒落なジャズ風の音楽が流れ、そこここで歓談が始まる中、僕はシャンパンをぐいとあおって飲み干した。



・・・・・・・・・・・・・・・



 何となく人々の流れに合わせて料理のビュッフェ台に並び、皿にサラダっぽいものと、緑のショートパスタみたいなもの、チキンのトマト煮っぽいもの、そして一口大のフランスパンの上に何かが乗ってるやつを取って、最後にお酒のグラスを選ぶ。何だか自分でよそう給食みたいだなと思いつつ、それとなく同期の集まりのテーブルを探した。

 しかし、婚活的気遣いなのか大人のルールなのか、めかし込んだ同期たちは見事にバラバラのテーブルについていて、男女がうまく入り混じっている。ああ、料理を取ったらあとは同期たちにまぎれてしまおうと思ってたのに、どうすりゃいいんだ。

 黒井は、どこにいるんだろう。

 同期みんなでいるならまだしも、黒井と話しつつ同じテーブルの見知らぬ男女とも会話するなんて、居心地が悪すぎる。でもずっと二人で話し込んでるわけにもいかないし、いっそのこと別行動の方がいいのかな。


 ウロウロしていたら結局森本に声をかけられ、ついでにさっきの女エルフと取り巻きたちがやってきて何を話したものかと思っていたけど、余興のカラオケが始まってちょっと助かった。ガチムチ勢によるウルフルズの「バンザイ」に続いて、新婦のダンスサークル仲間による踊り付きのミニステージ。それらを「うるさいし下手」と斬って捨てるエルフはミキティーと呼ばれ、「そちらは新郎の何の人?自己紹介してもいいよ」「ここには下僕(ゲボク)を探しに来ただけ」と臆面もなく豪語していた。まったく、世の中にはこんなに色んな人がいるんだから、僕だってもう少し図々しく振る舞ってもいいような気がしてくる。


 何だかんだとしているうちにまたテーブル移動があり、気がつくと隣で黒井が同期たちと一緒になっていて、こっちにはまた別の女性が二人。

「・・・え、何だよそれ、俺知らないって!」

「いや言ったって。黒井さん聞いてないだけ!」

「マジでー?」

 ・・・。

 隣から、聞こえてくる声。

 黒井と話しているのは、今年の四月から地元の新潟支社に行った元一課の阿久津だ。聞き耳を立てていると、どうやらこの連休は地元の彼女を連れて東京に出てきているらしい。

「うっわ、それどーなの?」

「いや、実はそれがさ・・・」

「・・・それウケる、あはは!」


 ・・・どうして、だろう。

 こんなにも騒々しくうるさいほどの会場の中で、大勢の中から黒井の声だけ、耳がわざわざ聞きとってしまうのは。

 僕以外の誰かと話して、盛り上がる声。

 ちょっとかっこつけたような、やや軽くてチャラいような、いつもより大きめの声。

 こういうのを聞くのが嫌で、なるべく避けてきたんだ。

 一瞬そちらを見ると黒井はごく普通に楽しそうに喋っていて、同期たちも、テーブルの他の女性たちも、それとなく黒井の気を惹こうとしているような気がした。

 それを見るとつい、僕もその一人としてエントリーして、黒井から「あ、そういえばお前はさ」なんて話題を振られたい、注意を向けられたいなんて気持ちがわいてしまう。

 ・・・でももちろんエントリーするわけでもなく、そしてしないのなら声が聞こえるだけでもつらくて、何だか身の置き所がない。

 いっそのことトイレにでも逃げたいけど、でも、それも大人げないし負けたみたいだし(何に?)、しかし、かと言って目の前の女性たちの会話についていける気もしないし・・・。

「え、うっそ、お前それじゃ結婚とかすんの!?」

「・・・まあね」

「やっべー、そういうのしちゃうんだ。へえー」

「え、そういう黒井さんは?」

「俺?」


 ・・・俺は興味ないよ。

 またまたぁ、んなこと言っちゃって。

 いやあ、そんなのしたくないし、する意味もないし。

 ええ?でも、そのうち変わるかもよ?

 いや、俺は結婚なんか一生しない。誰がするかよ、したいヤツの気が知れないね。

 ちょ、黒井さん、今日この場でそれ言わない!

 あ、そういやこれ結婚式だった、忘れてた。あはは・・・!


 ・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・



 ・・・。


 やや心配性のタエって子が結婚間近で、のほほんとしたサリナってぽっちゃり系が何と妊婦だった。椅子を探してこようかって言ったけど、立ったり座ったりよりも寄っかかってるだけの方が楽だって。

「いや、まあ、でもね、ぶっちゃけ結婚してよかったと思うよ。式は本当に大変だったけどね」

「んー、私は何か不安しかないんですけど。その、マリッジブルーじゃないけど、そんなことして大丈夫なの!?って気持ちになってきちゃって」

「ああ、それはある。でもさ、やっぱり、・・・これかな」

 サリナはそう言って、自分の左手を顔の前に掲げる。・・・ああ、指輪。

 銀色で、小さいけど石も入ってるみたい。ちょっとデザインが凝ってて、キラっと光った。

 いいなあ。

「なによー、自慢?」

「ああ違う違う、自慢じゃなくて、何だろう、いったん結婚指輪をして<奥さん>になっちゃうとね、それはそれで何ていうか、役割がはっきりしてるっていうか、そこにハマればいいんだなっていう、安心感みたいな。<奥さん>って顔と、あとアタシは今もう<ママ>の顔も入ってきてるけど、とにかくその椅子に座るだけって感じ」

「・・・それ、でも、どうなの?自分じゃなくて、期待された役割を演じるみたいにならない?」

「あーうん、それはそう。でもそれがまあ、思ったより悪くないというかね」

「へえ、そうなんだ」

「そんなもんかあ。・・・あ、私ちょっと飲み物取ってくるけど、サリナはウーロン茶でいい?・・・山根さんはワイン?」

 ・・・。

「それなら、あ・・・」

 あたしも一緒に・・・と、言おうとして、慌てて手で口を塞いで「う、ウーロン茶」と言ってむせた。サリナが「あ、だいじょぶー?」と背中をトントンしてくれる。佐山さんもそうだけど、何となく妊婦はあったかくて優しい。・・・いや、そうじゃなくて。


 やがてタエがウーロン茶を持ってきてくれて、とりあえずそれを飲み込んだ。

 ・・・うん、あたしは誰だ。

 いや違う、そうじゃなくて、また、記憶がろくにない。

 たった今夢から覚めたような心地。

 ここが結婚式の二次会だってことは分かってて、それで、ただ近くにいる女性たちの会話にまじってウンウンうなずいていただけ・・・だと思う。顔を上げてもう一度ウーロン茶を飲んで、見える景色は変わってないから、ほんの五分か十分ってところだろう。二次会のプログラムは進んでいない。

 ・・・何か、まずいことを言っちゃってたとしても、でもこの二人は同期でもないしこの場限りの出会いなんだから、別に問題はない。大丈夫、今だって特にドン引きされてる様子もないし、だったら、マヤが出てきて思いきりベラベラ喋ったってこともないんだろう。


 ウーロン茶で落ち着いたので、とりあえず手持ち無沙汰を紛らわすために皿のサラダとトマト煮を食べて、味覚が働いてさらに落ち着いてきた。

 うん、こういう立食パーティというのはきっと僕に一番向いてないんだな。今後は出ない方が無難だろう。誰かにずっと横で支えてもらえるなら別だけど。

 ・・・誰かって、誰だっけ。

「でも山根さん、ほんと、結婚出来たらいいよね。あ、そうだ、後でブーケトスやるみたいだから、一緒に出たら?・・・なんて、あははっ」

「ちょ、サリナ、無茶言わなーい!・・・でも、男性版のブーケトスみたいのがあってもいいよね。どうしてないんだろ」

「・・・」

「んー、でも私、そのマリッジブルーっていうのもさ、実は、カレがイマイチ乗り気じゃないっていうか、何考えてるか分かんないってのがあったんだけど・・・でも山根さんの本音聞いたら、あ、男の人だって言わないだけで本当は結婚したいし、不安もあるし、おんなじなのかなって思えたかも」

「・・・え」

 ・・・本音?

 結婚したいとか、言っちゃったんだっけ?

 あれ、でも、確か・・・誰かは、結婚なんかしないとか。


 思わず力が抜けて、手からフォークが落っこちた。

 慌てて拾おうとすると「あっ、ちょっと待って!」とサリナが手のひらで僕を制し、「あー、うごかないでー!」とテーブルの紙ナプキンを胸元に差し出す。見下ろすと、白いシャツに真っ赤なトマトの染み。

 二人が「こすんない方がいいよ」「おしぼりもらってこようか」と話す中、横から誰かが来て、まじまじとシャツの染みを見ると、僕の腕をつかんだ。

「・・・ちょっと、トイレ、行こう」

 女性二人は「あ、それがいいかも」「むしろ洗っちゃった方がね」と僕を見送り、僕は、よく知っているはずのその男からなぜか顔を背けて、腕を引かれるがまま、会場を出た。

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