第364話:会場に着いた僕・・・とマヤ

 十一月二十四日、月曜日、祝日。

 せっかくこれ以上ないほどちゃんとした格好をするんだから、今日ならどんなお洒落な雑貨屋や、あるいはブランド店にだって入れるかもしれないと勝手に淡い期待を抱いたけど、黒井から届いたメールは普通の待ち合わせ時間。二次会開始は18時で、終わった後どこかに寄る余裕はなさそうだ。

 うん、「もっと早く会ってどこか寄り道しよう」とか言ったっていいわけだけど、突き詰めてしまうとそこには頬を染めた乙女みたいな思考回路しかなくて、それを説明することなんてできないし。

 ・・・以前は、こういうのを頭のどこかに隠し持っていつつも、そんな素振りは見せずにお前に会えばよかった。でも、好きだと言ってしまっている今は隠さなくたっていいはずなんだけど、でもこんなポンコツでは失望される気がする、っていうか絶対に失望される。クロは僕のこんなところを好きになったんじゃないと思う(僕だって自分を疑う)。

 電車の時間をもう一度確かめて、<了解>と返信。

 あとは、昼前から風呂に入ってひげを剃り、スーツにブラシをかけて靴を磨き、意外と難儀しながらチーフを折ってポケットに挿した。


 会費はご祝儀袋に入れる必要もないというのでとにかく財布だけを持ち、腕時計をして眼鏡をかけ、鍵だけポケットに入れて家を出る。

 夕方前、穏やかに晴れ渡った祝日の住宅街。

 鞄がなくて、手がスカスカする。

 陽が傾いた時間からスーツで出かけるのは変な感じだし、チーフまで挿して歩くのは何とも落ち着かない。


 いつもより濃い色で、毛羽だってもいない、しかしほんの少しサイズが大きいこのスーツは就職の時に贈られた・・・というより勝手に荷物に追加されていた。

 きちんと就職祝いとして採寸して買ってもらったのなら、晴れがましいんだろうけど。

 それでも、かと言って「就職祝いじゃない」というわけでもないから、そういうことにして着ているけど、それはまた何かのアップルパイの匂いにすがっているだけで、本当は、新調したってよかったのかもしれない。

 ・・・まあ、本当は店選びやら試着やら裾直しやらが嫌で、結局放置しているわけだけど。

 


・・・・・・・・・・・・・・



 電車に乗ったらさらに手ぶらが居たたまれなかったけど、桜上水が近づくにつれて、緊張。

 少し早めに着いたら黒井はまだいなくて、眼鏡の視力で辺りを見回していたら、しばらくしてすらっとしたスーツ姿が見えた。


 ・・・あ。

 まずい。

 かっこいい。

 黒井はあの、四月に千葉に行った時の群青色の細身のストライプスーツで、薄ピンクのシャツに、僕の萌黄と対になる(と勝手に思っている)プラム色のネクタイとタイピン。そしてくしゅっと丸く見えている薄紫のチーフに、内側には銀色っぽいベストを着ていて、そのスーツ、本当はそういうスリーピースだったのか。

 ああ、二次会の服装マニュアルに書かれていた「華やかな格好」って、こういうのを言うんだ。

 女性のドレスはともかく、男が何色のスーツを着たってスーツはスーツ、上着とズボンだろと思っていたけど、そうじゃなかった。

 後ろ手に真っ赤なバラの花束でも持っていそうな雰囲気の黒井は、しかし何となく気まずそうにうつむき、僕のだいぶ手前で止まって「・・・よう」と言った。

「あ・・・うん」

 ああ、なんてこった、どうしよう。

 これじゃまったく、二次会に出る華やかなイケメンの若者と、式が終わってこれから田舎に帰る垢抜けない親戚みたいだ。


 そして藤色の空の下、黒井は二歩くらい僕に寄ると、やがて頭を掻いて「なんか恥ずかしい」と。

 一瞬、垢抜けないスーツの僕が恥ずかしいという意味かと思ったけど、でもたぶんそうじゃなくて、あまりにかっこよすぎる自分を恥じているのだなと、僕は何だか呆れてウンウンとうなずいた。すると黒井はもう一歩だけ僕に近づいて、そのままただ無言で立っていて、僕は息をしながら、黒井の存在を感じた。

 ・・・僕の、横に、クロがいる。

 だんだんその体温みたいなものが、なじんでくる。

 でも、電車がきてその窓に映った自分たちを見たら誰だこれって感じだったけど、しかし思っていたほど悪くはない気もして、今度は僕が恥ずかしくなって顔をそむけた。



・・・・・・・・・・・・・・・


 

 電車で隣に立って、無言で、揺られる。

 隣の男に対しての思いはめまぐるしく変わって、親友みたいだったり、恋人みたいだったり、あるいは単なる同僚とか友人とか、とりあえずかっこいいとか、寄りかかって甘えたいとか、こいつは俺のものなんだぜとか、いろいろあって定まることがなかった。

 たぶん、二人だけでいる時は山猫で、会社では親友だけど、この集まりはどちらともちょっと違う感じで、僕はどういう自分でいればいいのか分からないんだろう。


 汐留に着き、何となくテレビ局っぽい雰囲気の駅ナカを歩いていると、似たような格好の集団がそこここにいたので服装への違和感は減ってきた。しかし彼らはお揃いの大きな紙袋を持っていて、ああ、そうか、引き出物ってやつがないから何かのパーツが欠けてる気がしたんだ。

 黒井もそれに気づいて、「あれ、今日はもらえないんだっけ」と少し笑った。その声の柔らかい響きでさっと緊張も解ける。こういうの、不思議だな。

「あれはご祝儀渡さないともらえない品物だろ、きっと」

「そっか。俺、マドレーヌが食べたかった」

「・・・マドレーヌ?」

「何か、前もらったのに入ってたやつがすげーうまかった気がする。あれまた食べたい」

「そんなの、どこのメーカーとか・・・」

 そういえば前の花見の時に、デパ地下で黒井がマドレーヌを買ってたっけ。

「あれいつだったかな、・・・ん、もしかして、姉貴の結婚式か」

「・・・ああ、お姉さんの」

「親族だけど俺も欲しいって言ったような・・・。お前、結婚式って最近行った?」

「・・・何年か前に、従兄弟のに出たけど」

「ふうん。・・・何もらった?」

 ・・・そういえば、何をもらったんだろう。

 ・・・。

 ・・・?

 ふいの質問に一瞬思考というか脳みそが宙に飛んで、次の瞬間に肉体に着地した感じで、でも回路は再接続しないでリセットされちゃってるから、思考はおろか呼吸や歩行という行為さえ意味が分からなくなるゲシュタルト崩壊。

 な、なんだっけ?

 視覚情報と肉体感覚とがあっちこっちして、拳で何度か頭を叩き、手のひらをぶんぶん振ってこちらに戻ってくるように努める。何だっけ?隣の人の質問、両足を交互に出す、息をする、えっと、ワイングラス。

「あ、うちのあのグラスね、ほら、クロも一緒に飲んで乾杯した・・・あれ、実は引き出物だったの」

「・・・」

「だって、じゃなきゃペアグラスなんてうちにあるはずないでしょ?」

 少し首を傾けて笑いかけたらクロがとっても微妙な顔をしていて、あれ、・・・クロでしょ?とってもかっこいいスーツだけど、・・・ん?

 ・・・今喋った自分の言葉は、聞こえてはいたけど、言った気はしてなくて。

 黒井が初めてうちに来た時のグラスの映像が頭に浮かんでたけど、それって<僕>じゃなくてあの<マヤ>が見た光景だから、それでそうなっちゃったのか。

 僕は、額ににじんだような気がする汗をぬぐい、「いや、うん・・・」とごにょごにょ言い訳をした。

 何とも気まずくて説明も微妙でうつむいていたら、「あ、会場あっち、行こ」と、たぶんマヤに気づいている黒井は僕の肩に手を回してエレベーターの方へと誘導した。その手の力強さに、何となく、クロは男なんだなあと、僕は自分だかマヤだかよく分からない思考をして照れた。

 うん、ちょっとまずいな、脳みそに貼られたふせんに今<お嫁さん>って書いてある気がする。どうかな、黒井マヤってちょっと可愛くない?・・・いや、いや、だめだって。



・・・・・・・・・・・・・



 大人しく黒井に連れられて会場の前に着くと、そこにはもうたくさん人が来ていて、新婦の友人らしき女性たちもいっぱいいた。そう、新婦がえらくヤキモチ焼きだということで、二次会は新婦の女友達と、新郎の男友達しか呼ばれてなくて、さながら合コンだと言われていたっけ。

 女性たちはファーを首に巻いたり、よく分からない布を天女の羽衣みたいに羽織ったりしていて、髪の毛はくるくる、小さなバッグはキラキラ、お化粧ばっちりの目元で黒井を見ていた。・・・いや、だからだめだってば。

 きょろきょろと辺りを見回していると、女性たちの奥に望月や榊原が見えた・・・けど、その横から突然「うおーっ、久しぶりだなあ!」「おう、お前今ベンチャー企業だって?」と野太い声。な、何だ、隣の会場の客?

 黒井もちょっと驚いていたけど、僕が敬遠した様子を見て取ったのか、それとなく一歩前に出て僕と野太い人々との間に入った。いや、本当にどうしてお前、今まで彼女いなかったの?

 しかし、やたらにガタイがよくてガチムチ系の彼らは立ち去る気配もなく、むしろ会場の入り口前に陣取って小さなテーブルを囲んでいた。・・・いや、スタッフには見えないし、何だろう、鈴木の柔道部時代の友達で、会費の回収とかのお手伝いに来てくれた人?

 ・・・あ、いや。

 友達か。

 お手伝いじゃなくて、参加者だ。

 すっかり、参加者は僕たち同期の男たちと新婦の友人だけなんだと勝手に思っていたけど、二次会には普通、学生時代の友人も参加するか。

 途端にアウェー感が増して、やっぱり帰りたい、いやでもクロがいるから大丈夫・・・と思ったら同期たちが近づいてきて「おー黒井さん、うーっす!」と、僕は輪からはみ出してしまった。


 黒井がこちらをちらりと見ていた気がするけど、ふいに後ろから「山根君?」と、なじみのない声。

「ああやっぱり、わあ、久しぶり!」

「あ・・・森本くん、久しぶり」

 目の前にいたのは、同期の森本だった。うん、これは森本くんという人だ。

 あの最初の研修合宿の時、僕が班長で、その班の男子が僕と横田と、そしてこの森本くんだった。

 ・・・。

 一瞬また、思考が飛んで、何かの映像が見えた気がした。きっと研修の時の何かだろう。脳みそは実にいろいろなことを記憶し、記録してあるんだな。・・・じゃなくて、ちゃんと現実に戻らないと。

「いやあ、山根君、眼鏡かけてたっけ?」

「あ・・・最近、ちょっと」

「そっか、でも変わってないね、何年ぶりなんだろう」

「そう、だね」

 森本は二年目から横浜支社に行ったから、およそ五年ぶりくらいか?

 合宿終了後の一年目は別の課に仮配属されたから、一緒にいたのはほとんど最初の一ヶ月だけだ。でも真面目で大人しいタイプで、確か副班長をやってくれていたっけ。


 そして森本と少し話していると、後ろから背中、というか腰のあたりをパシパシと叩かれ、振り向いたら女性に「あの、写真撮ってくれる?」と頼まれた。

 小柄で細くて、肌の色が真っ白で、ハーフのような顔立ち。鼻が高くてオレンジっぽいロングヘアはクルクルとカールして、例の羽衣天女のような布をまとい、それはまるで西洋の妖精とかエルフのような。

「あ、えっと、写真・・・」

 僕が応じるとエルフは微笑んでコクリとうなずいたけど、それは「すみません、お願いします」じゃなくて「何やってるの、早くして?」という笑みに見えた。そしてその予想は当たって、「あのね、この五人が写ってほしくて、背景はこっちで、写真は~~モードにして、~~でお願い。見切れないようにね」と。

 呆気にとられたけど、不思議なことに、指示を出されてしまうとやるしかなくなってくる。

 でも~~モードが分からなくて渡されたスマホを凝視していると、森本が助け舟を出し、写真を代わってくれた。


「助かった、どうもありがとう」

「いや、いいって。っていうかまさか、山根君まだあのガラケー使ってたり・・・?」

「・・・え、うん、使ってるけど」

「すごい、物持ちいいね。でもガラケーって、シンプルで逆にいいかもしれないね」

「あ、うん、まあ」

 ・・・そうか、僕はあの合宿の時からこれを使ってるのか。

 ポケットの中に手を入れて、その物体を握りしめる。

 森本も、僕も、この携帯も、そして黒井も、あの時からずっとそれぞれ存在していて、今また同じ場所にいるなんて、何だか変な感じだ。


 ・・・いや、しかし、こうして沢山の男女が入り乱れて、マヤが出たり研修時代を思い出したり、こんな高揚感と緊張感もある雰囲気で、自分の状態がちょっと心配だった。

 できればトイレでしばらく休みたかったけど受付が始まってしまって、成り行き上、森本と互いの支社の話をしながらその列に並んだ。

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