43章:同期の結婚式の二次会
(結婚という迷路に迷い込んだ僕)
第363話:匂いだけのアップルパイ
ミーティングルームの片付けを終え、真木と来週の研修について話しながらオフィスに戻る。
突然、四課に加えて三課仮配属の新人の研修まで任されるなんて、まったく、この会社はいつもどこからどうやってこういう人選とスケジュールが降ってくるんだろう。
「っていうか山根くんさ、これから三連休で、そんで来週の金曜までに研修って、火、水、木の三日しかないじゃんね。鬼スケジュールじゃない?平気?」
「・・・そうだ、連休だった」
「資料さ、私、自分用に一部取ってあるから、それまたコピーしとこっか?」
「あ、それはすごく助かる・・・」
「ねえ、それはそうと連休ヒマ?今度こそ遊ぼうよ」
「・・・あ、あー、実は同期の結婚式があって、それでいろいろ忙しくて」
「なんだ、そっかー。え、それじゃこれから帰りに飲むのは?」
「え、それは、えっと・・・」
真木の属するセミナー部の前でちょっと立ち話。
頭は黒井と行く初めての<結婚式>(の二次会)に飛んでいたけど、ふと、遠くの視界にそのシルエットを見つけた。廊下側から、三課の自席に歩いていくその姿。
一瞬で釘付けになり、ぼうっと見つめてしまう。
どうしてこんなに目を惹くんだろう、顔までは見えないんだからイケメン(顔面)は関係ないはずで、背の高さや体のバランス、姿勢と歩き方くらいの要素なのに、この社内で、いや、このビルで、いやいや、西新宿で一番・・・。
「・・・あ、あの人、高浦さんが言ってた『イケメンのガキ大将』だよね?もしかして彼が三課の黒井さん?」
「えっ・・・あ、う、うん」
「ふうん、山根くん、仲いいの?何か意外」
「・・・いや、まあ、同期だから」
つい言い訳して、慌てて三課方面から目を逸らす。まったく社内では自重しないと、危ない危ない。
しかし、脳内反省会を始めようとすると真木が「あ、もしかして・・・!」と小さく手を叩き、僕の顔を見て、そして黒井の方を見て、また僕を見て、顔を寄せて「・・・結婚すんの!?」と囁いた。
「・・・っ、・・・え、あ」
・・・。
・・・、け、けっこ・・・、あ、もう、バレ、・・・いや、・・・!
「へえー、結婚するんだ。ねえ、あんなイケメンのお相手って、どんな人?」
「・・・、あっ、・・・うっ、ん?」
「ほら私、イケメンはもう懲りたって前に言ったじゃん。申し訳ないけどさ、私ああいう人って結構メンドいんじゃないかって勝手に思ってて、奥さんどんな人だろって気になっちゃって!」
「あ・・・いや、違う、結婚するのは彼じゃなくて、別の同期で」
近くの一課の島に当の本人の鈴木がいるから、真木の方に屈んで、口元に手をやってひそひそ声で喋った。あー、えーと、そう、結婚するのは同期の鈴木であって、黒井が結婚するわけじゃなくて、だから、黒井が奥さんをもらうって話じゃないから安心してよくて、それで奥さんになる僕はどういう人なのかって説明もしなくてよくて・・・って、あれ?
「・・・っ、・・・お、おつかれ、さまです」
ふいに真木が苦笑いし、僕を肘でぐいぐいとつついた。
「・・・お疲れ様」
・・・。
顔を上げると、そこには黒井が立っていて、少しよそ行きの顔で、やや顎を上げて僕を見下ろすように微笑んでいた。
・・・あ、かっこいい、け、ど・・・。
頭のどこかで警報アラームが遠く鳴っている。何かがまずいらしい。真木が、僕の腕に自分の腕を絡めてぐらぐらと揺らす。うん、分かってる、分かってるよ、何かがまずいんだ。
「・・・何してんの」
黒井が、少し鼻で笑って、やや目を細めて僕と真木を交互に見た。
ああ、そうね、うん。僕と真木さんが一緒にいるのがいけなかった。腕がくっついてるというか、絡まってるのがいけなかった。頭が少しクリアになっていく。真木が笑いを噛み殺しながらまだ僕を揺さぶってるのは、さっき「あのイケメンはメンドい人なんじゃないか」なんて言ったから、「ヤバっ、本人来ちゃった!どーしよっ!」ってことだろう。うん、そうだね、本人が来ちゃった・・・。
そして、真木が「あ、じゃあ後で電話して?飲みながら、研修の打ち合わせもしよ?それじゃ・・・」と(う、打ち合わせ?)この場を辞そうとしたけど、しかし、黒井がそれを許さなかった。
「あ、あのさ、悪いけど研修のことだったらそれ、俺で間に合ってるから」
「・・・は、はい?・・・えと、何ですかそれ・・・?」
戸惑う真木をよそに、ぐいっと、引き剥がすかのように乱暴に腕を引っ張られて。
「まあ何でもいいんだけど、とにかくそれ、なくて大丈夫だから。それじゃお疲れ」
僕を引いた手はそのまま背中から肩にまわり、真木にごめんを言う暇もなく大股で三課方面へ連れ去られる。
そしてその手にぐっと力が入り、密着するように引き寄せられて(ああ、近い、近い)、歩きながら「お前、俺の前でああいうことしていいと思ってる?」と叱責。
あ、ごめんなさい。申し訳ありません。私が悪うございました。
・・・でも。
ああ、こんなの、まるで魔王の城から救い出されるお姫様みたい(?)で。
ちょっと、役得、みたいな?
うつむいてニヤけていたら「・・・なんだよ!」と顔を覗き込まれ、その拍子に頭がゴツンとぶつかり、二人の「いてっ」がハモった。それでもう三課に着いてしまい、わずか一分の社内イチャイチャタイムは終了。
「お前、後でメール送るから」
「は、はい」
黒井が自席に戻り、僕も四課にふらふら歩く。背中から低い怒声で「ちゃんと読めよ!」。は、はい、よく読みます!
・・・・・・・・・・・・・・・
十一月二十二日、土曜日。
結局あれから、空メールは十三通届いた。
その全部に「馬鹿」「アホ」「浮気すんな」と書いてあるような気がして、悪いとは思うけど、ちょっとこういうのも、むしろ悪くない。・・・つまり、あれだ。ヤキモチを焼かれるというのに、こういう快感が伴うってことだ。なるほど、思わせぶりなことをして嫉妬を誘発するという行為にこんな効果があるとは知らなかった。世間のやることもあながち間違っていないんだな。
家事をしながら時折立ち止まったり座り込んだりして、黒井のことを思った。
一度メールをしてみたけど返ってこなくて、たぶんまだ寝てるんだろう。
何となくそれが分かった。
Yシャツにアイロンをかけながら、そういえば結婚式(の二次会)に何を着ていくべきだろうと思い至る。
慌ただしい日々が途切れてこうして穏やかな土曜になってしまうと、けっこんなどという行いも、そして黒井彰彦という男も、目の前にないからちょっと幻みたいだ。
結局夜になってもメールの返事はなくて、でも、不安になったり落ち込んだりする手前でとどまり、ホワイトシチューを作って食べた。またパセリを買い忘れた。
・・・・・・・・・・・・・・
十一月二十三日、日曜日。
メールが来たと思ったら、明日の二次会の会費徴収等の最終お知らせ。男性は五千円ですって、へえ。
こんなもの、もし黒井がいなかったら本当に断っていただろう。どうして五千円も払って気まずい思いしかしない集まりに参加しなくちゃならないんだ。
・・・明日、そこへ、行くのか。
それでも、黒井と行くならただの接待交際費になって、特に惜しくもなくなるから不思議だ。
クローゼットを開けて、冠婚葬祭用の一張羅を取り出す。
前に着たのは何年か前の親戚の法事だった気がするけど、結婚式(の二次会)も別にこれで、いいんだよな?
いや、でも、どのシャツ?どのネクタイ?・・・あ、そういえばご祝儀は?鞄はどうする、手ぶら?
従兄弟の結婚式には出たことあるけど、友人や同僚の結婚式、しかも二次会なんて初めてだから、何も分からない。そもそも二次会というのが何をする何の会なのかもよく知らない。式にまでは呼ばれなかったそこら辺の連中へのお披露目会ってことでいいのか?
取り急ぎネットでご祝儀と服装の件を調べて、会費を払えばご祝儀は要らないらしくほっとした。会場は汐留のホテルのレストランだけど、ホテルでの二次会なら式と同じくらいフォーマルが望ましく、黒系のスーツに白か明るい色のYシャツとネクタイ、白のポケットチーフを挿す、スリーピースがおすすめ、新郎より目立ってはいけない、靴は紐のついた革靴で靴下は黒、ビジネスバッグはNGなので、手ぶらか、カメラなどを持っていくならクラッチバッグ・・・。
・・・。
あっそう(クラッチバッグなんて代物、持ってるわけないだろ)。
注文の多さに呆れるけど、まあ、全部自由と言われても困るから、それよりいいか。
それからスーパーに買い出しに行き、二階の衣料品売り場で白いポケットチーフと新しい靴下を買って、お金を余分におろしておいた。
雑貨売り場では相変わらず、黒井と一緒に住んだ時に使えそうなアイテムに目がいって、ごほんと咳払いをして早足で通りすぎる。
うん、もし買うにしても、もっとお洒落な店で買うんだ。
そういえばいつだったか黒井の家にフランフランの袋があって、クロはそういう店で買うのかと思ったような気がする。雑貨屋だか家具屋だか知らないけど、そのフラン某で買えばいいじゃないか。きっとそろそろクリスマスのグッズとかがあったりして、二人でツリーだのキャンドルだの、何ちゃらカレンダーだの・・・。
・・・、って。
い、いったい僕はいつからそういう、両手を頬に添えて首をかしげる乙女みたいな思考の持ち主になったんだ?クリスマスなんてイベント、もう十年も二十年も前から気にしていないはずで、黒井のうちで一緒に住む・・・というか、言い方によってはルームシェアとか居候をするだけで改宗するわけでもないのに、どうして突如としてクリスマスがふいに勢力を増してくるんだ?
帰宅して買ったものを整理していたらメールが来て、空メールかと思ったら<結婚式、何持ってくの?>とのこと。仕方なく「ああ、それはだね黒井君(結婚式じゃなくて二次会ね)」とつぶやきながらさっき調べた受け売りを送った。
・・・何となく、この調子だとやっぱり、黒井は<結婚式>について特別な思い入れはあまりないんだろうな。
でも僕の方は何だか、甘い匂いはするけどどこにもアップルパイはない家の中をさまよってるような、そんな気分だ。
・・・クリスマスと同じく、自分が主体になれそうな気がすると、その存在が大きくなる。
でも、クリスマスはせめて万人に平等だけど、・・・結婚は、そうじゃ、ない。
まあそれでも、パイはなくたって一人でうろつくより二人でうろつけるなら御の字だ。
夜になり、会場への行き方や地図をネットで調べてから、着ていくものを全部吊るし、萌黄のネクタイを眺めながら寝た。
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