第362話:もうすぐけっこん
十一月二十一日、金曜日。
早朝から空メールに起こされて、でもそれも至福で、すぐにメールを返した。
バカップル、なんて単語が頭に浮かぶ。否定はできない。・・・できないことが嬉しい。
だってほら、ずらずらと、昨夜から十通ほどのメール履歴はすべて<黒井彰彦>、<本文なし>。
昔、もしも黒井と恋人になれたらハートマークがついたメールをしてラブホに行くのかなんて想像してたけど、何も書いてない無言のメールと川、なんて、まあ、俺たちらしいんじゃない?
・・・何十回目か、布団の中で、携帯を開けてにやける。
昨日まで本当に胃に穴が開きそうだったのに、今日はただ生きてるだけで幸せだ。
通勤中は心ゆくまで昨夜のことを反芻したり分析したりし、会社に着いて、今日はもう早速コーヒーでも・・・と、思った、けど。
三課のその席の、少し明るい髪色の黒井が、PCで何かを打ち込んでるのを見て・・・あ、無理。
無理だ、朝っぱらからイチャつきすぎて全社員(および派遣さん)からドン引きされそう。
通り過ぎる時、ちらっと黒井がこちらを見たような気もしたけど、プリンターに行く振りでそのまままっすぐ歩いた。いや、無理だろ?お前だって無理だろ?
・・・しかし、今まではこんなこともそっと自分の胸の裡に秘めるだけだったけど、これからはもう違う。<俺、朝からお前とコーヒー行こうと思って席に向かったんだけど、お前の姿を見たら一瞬で胸キュンしてそんなお前と一緒に歩いてコーヒー汲むとかどれだけイチャついちゃうかわかんなくてさすがに会社では無理だしっていうか会社では『親友』だったって今思い出したけどそんなのとりあえず今日は無理、っていうかお前その髪型かっこいいよ・・・>って内容の空メールが打てると思ったら、こんなプチ敗退も敗退じゃなく、とにかく早くメールが打ちたくて仕方なかった馬鹿な僕だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
外回りに出て早速(空)メールをし、しばらくして返信(空)があって、小躍り。
あー、伝えちゃった!伝わっちゃった!(?)こんなこと!
今までどれだけ、一方通行のコミュニケーションだったんだろう。
今までどれだけ、言葉を選びに選んで、間違いがないように、用件が正確に最短で伝わるようにというメールをしていたんだろう。
それでも正直、今も百通くらい連打で送信したくなる気持ちを抑えているし、そしてちょっとだけ、黒井のメールの方が僕の送信数より多い方が嬉しいから送るのを控えていたりもするし、まだまだ振り切れていないとは思うけど、僕にしては十分な進歩といえよう。
・・・早く、会いたい。
いや、ただ単に、何か会いたい。
連休はどこかへ行って、た、たとえば家具を見たり、生活雑貨や小物を見たり、おしゃれなお店を一緒に見て回ったり・・・!
ああ、だめだ、だめだ、そこからはもう、バラだかハートだかそういう真っ赤なものが押し寄せてきて、イチャつきというレベルをあっという間に超えて逮捕されてしまう。まったく、会社では親友だしプライベートでもプラトニックだし、しょうがないな、もう一回メールし・・・あ、あっ、しようとしたらちょうどメールが来た!黒井彰彦からメールが!空メールが・・・って、え、文字が書いてある!
・・・<結婚式、どうしよっか>
・・・。
・・・け、け。
けっこん!!!
・・・・・・・・・・・・・・・
ものすごい笑顔で丁寧に分かりやすく保守の説明をしてパンフレットを渡し、来週、契約の運びとなった。
担当者の左手の薬指のそれをまじまじ見てしまったり、旅行会社だったからつい「今はどんなところが人気なんですか」なんて訊いてしまったり。
結婚式・・・。
結婚式・・・。
けっこんしき・・・。
言葉の響きだけでうっとりするけど、それ以上のものは何もわいてこない。それが固体なのか液体なのか、抽象物なのか立体物なのか、二次元なのか三次元なのかさえ、さっぱり分からない。
どうしよう。
どうしようね。
俺たちのけっこんしき、どうしようね、クロ!
「それでは、また来週お伺いします。失礼いたします・・・」
深くお辞儀をして、エレベーターのドアが閉まる。
・・・。
三秒数えて、鞄をひったくって、携帯を取り出した。
・・・新着メール、一件。
<一緒に行く?>
・・・。
結婚式に、一緒に行く・・・。
いや、そりゃ、一緒じゃなくて別々に行くの?っていうか結婚式ってするものじゃなくて行くものなの?
・・・ん?
頭のどこかがそれに思い当たり、僕の膨らみに膨らんだ気球のような気持ちは、一瞬で手のひらにしゅるしゅると収まっていった。
携帯を打って、<鈴木さんの、二次会のこと?>と送る。
・・・。
結婚式じゃなくて、二次会だよ、クロ。
俺たちは式には呼ばれてなくて、同期は、二次会にだけ呼ばれてるんだよ。
しょうがないやつだな、勘違いしてるのか、あるいは特に気にせず同じ意味で<結婚式>と打ったのか・・・うん、分かった、俺をからかって、こんな風に舞い上がったり舞い降りたり(?)するのを楽しんでいるか、もしそうじゃなければ、お前は結婚式という単語に特に何の感慨も持っていないってわけだ。
・・・前者だと、いいけど。
・・・。
・・・え、いやいや、ど、どっちにしろ結婚は出来ないんだし、だから式だって出来ないんだし、・・・す、するなら二人だけで・・・あ、だめだ、馬鹿が治らない、ああ、山根さん、乗る電車を間違えてしまいました・・・!
・・・・・・・・・・・・・・・
仕方なく四課に電話をして、佐山さんから真木に内線を繋いでもらい、新人研修に少し遅れる旨を伝えた。結婚式と電車のことはもちろん省いて、仕事が押しているということで。
「うん、とりあえず資料配って、先に読んでてもらって。・・・そう。・・・うん、そんなには遅くならないと思うから」
おっと、何だか、少し結婚風味が出てしまったかな。うん、いいよ、先に食べてて・・・なんて、クロはろくに一人で作れないから、僕が先に帰らないとな。
「またグループで話し合ってもらったりとかする?」
「あ、そうだね、それだと助かる」
「オッケー、じゃ、真木センセイちょっとやってみるよ、なんちゃって!やだー!山根くん早く来てー!」
「わ、分かった、走っていくから!」
「あははっ、待ってるからね!」
茶化しつつも、最後は「でも気をつけてね、私みたいに転ばないで!」なんて言ってくれて、ああ、もしかして真木も結婚間近とかで、毎日浮かれているから僕なんかにもやたら好意的なんだろうか?昨日までちょっと敬遠してたけど、今日は飲みに行ってもいいくらいだ・・・いやだめだめ、それって<浮気>になっちゃうからね。
そして、地下通路を走り抜けたら五分くらいしか遅刻しなくて、真木が資料の説明をしているところに滑り込んだ。
後ろからちょっとだけその様子を見て、声の大きさや姿勢、話し方、目線などいくつか気になるところがあり、でも多分それって自分にも当てはまるなと気を引き締めた。客観的に見ないとわかんないものだな。
・・・・・・・・・・・・・・・
無事に研修を終えて、片付け。
先週のこの時間、黒井に例の<浮気現場>を見られたみたいだから、今週は気をつけていたら、やって来たのは黒井じゃなくて高浦だった。
「おー、お疲れ。研修終わった?」
「あ、どうも、お疲れ様です」
「おつかれでーす」
「・・・おっ、敬語、上達してんじゃん」
「・・・うん?・・・え、ああ、<おつかれちゃーん>じゃなくて、<おつかれでーす>ね、あはは」
「ったく、本番のお客さんの前ではやめろよ。ちゃんとしてな?」
「はあーい」
真木と高浦が親しげな会話のキャッチボールをするが、しかし今日の僕はそんなことで拗ねたりしない。何を思っても後で黒井が(空メールで)聞いてくれるんだから。
「あ、それで、山根?」
「はい?」
「実はな、まあそのうち、そちらの道重課長から正式に聞き及ぶかもしれないんだが・・・」
「え、何でしょう」
「ああ、まだみたいだから先にこちらからお願いしてしまうけれども・・・要するに、単刀直入に言えば、君がこれまでやってくれたこの研修の質を見込んでだね、・・・これを、四課だけじゃなく三課のやつらにもやってほしいという、こういうお願いなんだな」
「・・・」
「はは、いや、困るよな。今更だよな。そんなの御免だよな」
「・・・、え、と、・・・どういう、ことでしょうか」
「うん、日程は決めていいよ。えっと、次の研修は来週の金曜?」
「はい」
「そしたらそれまでに、今までやった分を、何とか時間作って三課のやつらに教えてもらいたいのね」
「・・・三課の、仮配属の、新人の方に」
「そう」
「これまでやった、研修を」
「うん」
「時間と、場所は、・・・こちらで決めて」
「構いません。ご自由に」
「な、何か、・・・新人さんたちの予定って」
「えー、来週はね、ちょうど金曜にセミナーがあって新人も接客させる。京プラのやつね。でも午前中だし、あと一課の懇親会があるけどそれは関係ないし、それだけ。だからこちらの予定は気にしなくていい」
「そう、ですか」
「じゃあそういうわけで、何か質問ある?」
「・・・えっと、・・・三課配属、の、正式なメンバーを、知らないんですが」
「・・・え、知らないって何だよ。四課でしょ?・・・って関係ないか」
「も、申し訳ないです」
「何だよ知らないのかよ、めんどくせーな・・・あー、山根さ、お前仲いいんだから、黒井に訊けば」
「・・・え、く、黒井に、ですか」
一瞬、息が詰まる。
これは、もうちょっと慣れないとまずいな。
「・・・いやすまん、仲良くたって公私混同はいかんよな。俺はあいつみたいに会社で仲良しこよしはしねえからさ。・・・じゃ、後で俺からメールする。三課の連中と、CCで山根入れて、研修するぞってメールするから、それの宛先で七人把握して?いい?」
「あ、は、はい」
「他には?」
「・・・え、っと、・・・い、一応、この研修は四課で今やってる業務行程で内容を組み立てていて、三課はもしかして違うところもあるんじゃないかなーとは、思うんですがそこのところは・・・」
「んー、・・・はっきり言うとね、それは別にいい。どうせ新年度やり始めたらイチからやることになるだろうし。細かく細かく教えても大差ないし」
「そう、ですか」
「・・・とにかく、そこは、四課のつもりでやってくれて構わない。っていうかほら、コンプライアンスというか、内部統制的にも、契約の取り方が三課と四課で違いますとか、逆にマズい話じゃん」
「そ、それはまあ」
「だからそれはもう、四課と同じ研修を三課も受ける、で構わないから。・・・他にある?」
「・・・それじゃあ、来週の金曜日には、三課と四課の新人の、合同研修というか・・・十四人、ですか」
「そういうことになるね。一応ここ、二十人までは入るから。まあ、分けてやってくれてもいいけど、時間二倍かかるし・・・っていうかね、一緒にやらないとまずい、いや一緒にやってほしいんだ」
「・・・は、はい?」
「うん。・・・例えて言えばね、激辛料理と普通の料理、交互に食べれば激辛もちょっとだけ中和されるだろ?激辛オンリーはキツいだろ?」
「・・・はあ」
「激辛、オンリーは、キツいんだよ」
「・・・?」
そうして、真木が「それどーいう意味ぃ?」と話に入ってきて、「あ、真木さんも、用事がなければアシスタント続投だからね、覚悟して」と、とにかく何だか来週から大変そうだということは分かった。
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