第361話:イチャついている、馬鹿な二人
「・・・ねえ、それじゃあ、教えてよ、ねこ」
少しバツが悪くなった二人は、再度相合傘をして、見えない川を眺めた。
一体何をしてるんだろうと思いつつ、それでも、黒井と並んで立っているのが嬉しかった。
「・・・なんだよ」
「だから、その・・・お前が、俺のこと、結局、いつから好きなのか」
「・・・」
「ずっと前からずっと好きだったって、言ってたじゃん」
・・・。
確かにそう言った。あのディズニーの、花火の後に。
「な、なんで知りたいわけ?」
「・・・知りたかったら悪い?」
「・・・別に、悪くはないけど」
「・・・ぷっ、俺たち本当、今日、馬鹿だよ」
「別に、ずっと馬鹿だ」
「まあね。それで、いつ?」
「・・・、・・・去年」
「去年の、いつ?」
「・・・冬」
「冬の、いつ?」
「・・・十二月」
「十二月の・・・」
「もういいっ!ぼ、忘年会だよ、忘年会の帰りだよ、お前をタクシーで送る時だ!」
何だかもうやけくそで、傘を下ろして黒井の顔をまともに見たら、鳩が豆鉄砲を食らったように驚いていて、その顔に驚いた。素っ頓狂できれいだな・・・と意味不明なことを思った。
「・・・ぼ、忘年会!?へっ、忘年会?タクシー?・・・た、タクシーで何があったんだよ!えっ?」
「べ、別に、タクシーの中では何もない!お、お前が俺の肩によだれ垂らして寝てただけ!」
「へえっ?そ、それで惚れたってわけ!?」
「そ、そんな馬鹿なことあるか!」
ぷっと吹き出してしまったら、何だか神聖な思い出が汚されるような気になって、でも相手が本人だから仕方ないけど。それでも「何があったんだよ」「何だっていいだろ?」「何で好きになったんだよ!」「うるさい、そんなの知らなくていいんだよ!」であとは強引に退けた。
はあはあと息を切らして、悔し紛れに黒井が「ばーか」とつぶやく。
僕はお約束通り「馬鹿って言う方が馬鹿なんだ」と返した。確かにあの、タクシーに乗る直前から俺は馬鹿になったわけだけど、そんな馬鹿を好きになる方だって馬鹿なんだ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・
もうしばらく川(というか、もや)を眺めて、少しだけ互いに寄りかかったり肩が触れ合ったりしてたけど、ふいに「ここでこれ以上イチャついてたら俺たち捕まる」と黒井が不穏なことを言い、歩き出した。
「そ、それほどイチャついてない」と後を追うけど、時計を見たらもう十時半を過ぎていて、僕たちは階段をのぼって川を後にした。
・・・。
い、イチャついてる、とか・・・。
そんなの、<デート>と同じく本人の前で簡単に口に出せる単語じゃなかったのに、わりと自然に言えてしまった・・・。
・・・って、いうか。
二人とも、自分たちがさっき「イチャついていた」ことを、認めている。
それって、つまりさっきのキスは、僕たちが今までしてきた<切羽詰まった一方的な、何かの感情のなれの果ての行為>ではなく、<恋愛関係にある二人のイチャつき的行為>だって、お互いそういう認識に至っているという・・・。
「おい、ねこ、早く!俺が濡れる」
「あ、はい、分かったって」
追いついて、黒井に傘を差しかけて、隣の体温がそれだけで嬉しい。
・・・でも、あえて、頑張って理屈を紡ぎ続けるのであれば。
・・・もしかして少しだけ、僕たちは今、互いに対する感覚が変わりつつあるのだろうか。
二人ともきっと、今は少々の気恥ずかしさと、いけない秘密を共有しているというような優越感および背徳感、その他、わだかまりが解けた安堵、まだ冷めやらない興奮、そして相手をもっと好きになった気持ち・・・等々を感じている、と、思った。
もちろん、黒井がそう感じているかは分からないことだけど。
でも、そうだと思った。そう思うことに違和感がない。
以前なら絶対思わなかったことだけど、今はなぜか、黒井は手の届かないどこかの概念の存在じゃなく、また僕と黒井は完全に独立した別の個体でもなく・・・二人は地続きの存在だと思えた。それでもう、僕の思考の一人称は今、<僕>というより<僕たち>とか<二人>(黒井なら<俺ら>だろう)ですらあり、そして二人は吸い寄せられるように近くのコンビニへと向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
びしょ濡れの折り畳み傘で店内を濡らすのも悪く、僕だけ外で待っていたら、黒井がチューハイを二本買って出てきた。
うん、確かに、酒でも飲まないと、何となく落ち着かない。しらふじゃないということでバランスを取らないと、僕たちはきっとまだ、そんなに気軽にはイチャつけない・・・。
・・・そんなことも、やっぱり何となく、手に取るように分かった。
ああ、今まではただ「突然、この寒空の下でチューハイ!?」と振り回されるばかりだったけど、こうして見たら黒井だって何だか余裕がなくて、頑張っていて、その上僕のことが好きで、それってもはやかわいいとさえ思える。な、何だ、お前ってこんなにかわいい男だったの?
「ねこ、どっちがいい?レモンとグレープ」
「・・・え、どっちでもいいよ」
「じゃあお前レモンね、・・・って」
いや、渡されても、傘と鞄で持てないし、開けられない。
「い、いいよ、クロ、先飲めば」
「そう?んじゃ」
そうして歩き出し、黒井は時々立ち止まって僕にもそれを飲ませた。いやいや、さすがに恥ずかしくて傘で顔を隠したけど、・・・っていうかそもそも相合傘で歩いているというのは気にもかけてなくて、どうやら感覚が麻痺しているようだ。
・・・でももういいか、<俺たち>こんなだし。
・・・・・・・・・・・・・・・・
帰りはすぐそこの両国駅じゃなく、もう少し歩いて都営新宿線の森下駅へ向かう。そこからなら桜上水まで一本だ。
ほろ酔いも手伝って、二人して寒いだの、あったかいもんが食べたいだの、やっぱり俺たち馬鹿だの言って笑い、まるで、あの「みつのしずく」に行った時のよう。
「・・・げほっ、ちょっと、お前、飲ますの下手だよ」
「えー?おまえが飲むのヘタなんだろー?」
そう言って、僕が口をつけたところに何の躊躇もなく唇をつけ、ぐいぐいと飲む黒井。
「クロ、お前は飲み過ぎ・・・んぐっ」
また強引に缶を口にあてがわれて、その角度が上がり、しかし僕がどんどん上を向いても、酒は一滴も来なかった。
「ん、んんっ(もう、ない!)」とうめくけど、缶を振るから最後の数滴がどっと出て、口の端からこぼれて垂れる。
黒井の顔が(それを舐めようと)近づくので、傘を持った手で慌てて拭った。
「何だよ、ちゃんとのめってばー」
「・・・い、今のはお前が悪いだろ!っていうかほとんど自分で飲んだんじゃないか、やっぱり酔ってる」
「んー、酔ってない、おれ酔ってないよ。あはは、ばーか!」
・・・・・・・・・・・・・・・・
地下鉄駅はあたたかく、冷えた身体に酒を入れた僕たちはそのまま欲求に従って、一直線にトイレへと向かった。
・・・そんなことすらも、やっぱり馬鹿みたいに、楽しい。
今までだってこんなことはただ楽しくて、でも恋心や下心にはしっかり蓋をしてたわけで、でも今はその必要もないなんて。
・・・。
だって、堂々と、横並びで、その音を聞きながら・・・放尿している!
こんなの、さっきのイチャつきなんかよりずっと犯罪なのに、こうしてできてしまう!(・・・という男子トイレのシステムがどうなんだ!)
い、いや、この変態具合はまだ隠すべきか。
「・・・ってクロ、まだ?」
「だって、お前よりずうっと前から俺、川辺で佇んでたもん」
「あ、そう・・・でも、<川>ってメール来たの結構直前だったけど」
「・・・直前?」
え、何の直前かって?それは僕が両国駅に着く直前・・・って、ああそうか、僕はあのメールに何も返事をしてないから、クロに分かるわけがない。・・・っていうか、黒井は、僕がメールに気づいたかどうか、そして両国に向かっているのかどうかすら分からなかったわけだ。ああ、サンマルクだのやっぱりやめるだの川にいるだの、勝手だなと思ったけど、本当に僕も十分、身勝手だな。
でも、いつもみたいに「返事を出さなくて済まなかった、迷惑をかけた」と謝る気持ちには、ならなかった。
そんなのお互い様で、お互い少し変態で、お互い好き合っている、と、思えた。
手を洗って、トイレを出て、ホームで電車を待つ。
待ちながら、レモンのチューハイを開けて二人で回し飲む。
やることなすこと、一挙手一投足、すべてがどきどきしていちいち楽しくて、そして黒井もそう思ってるのを感じたら、合わせ鏡みたいにそれは無限に増幅しそうだった。
「だからー、メールさー、もう、なんかめんどくない?俺ら」
「何だよ、メールがめんどい俺らって」
ベンチで黒井がややべたべた上戸になってきて、僕にもたれかかるように、ぐんにゃりだらしなく座る。前に飛び出した足をぐいっと曲げさせて最低限のマナーを守らせつつ、その緩めたネクタイからちょっと目が離せない。
「だからさ、メール、打つの、めんどいじゃん。俺は何かいまいち言葉にできないし、したくないし、しちゃうと何か違うし、お前は・・・何だか知んないけど、とにかく、もう、いいじゃん。わかってる」
「分かってるって、何が」
「言いたいこと。だから、もう、俺たち、空メールでいいじゃん。押すだけなんだから。あはは、朝起きたらおはようの空メールして、なんか思ったら空メールして、会いたいと思ったら空メールすんの。なんも書いてなくて、でも、相手が、なんか思ってるんだろうなって」
「・・・お、思ってる、内容が、わかるわけ?」
「わかんない」
「・・・どう返事すんの?」
「空メール」
「うはは、クロ、それ、意味わかんないだろ」
「わかんないよ」
黒井は少し苦笑いを含んだ、でも綺麗に口角が上がった笑みを返して、僕たちはしばし見つめ合った。それからやっと、ちゃんと明るい場所でクロの髪を見て、それは黒犬の黒髪ではないけど、山猫色の腕時計に合う綺麗な、何となく濃淡のついた濃い栗色だった。
「・・・似合う?」と、それに気づいた黒井が少し、照れた声を出す。
僕はうなずいて、その腕時計に手を伸ばし、ベルトに一瞬触れ、思ったことを示した。
手を引っ込める瞬間に、何となく、伝わったなと、感じた。
あとは「・・・ん」と缶を渡してひと口ずつ飲み、電車が来る合図。
・・・でも、黒井は立ち上がる気配を見せず、そのままのんびりと座って、「そういや、川のことだけどさあ」と。
それで僕は、ああ、一本見送ってもう少し話すんだなと、それを了承するように、再び缶に口をつけた。まだ木曜なのに、ホームでチューハイ飲んでるサラリーマンなんておっさんくさいなと思いつつ、クロと一緒ならおっさんだって何だって構わなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
あの隅田川は下っていくと築地やら月島まで、断続的に遊歩道みたいなテラス(?)が続いているらしい。
千葉から帰ってきた初夏の頃、客先でその辺りを訪れ、黒井はクラゲを見たという。
隅田川を、ただ流れていく、大量のミズクラゲ。
川の上流から流れてきたはずはないから、海側から逆流してきて、また戻っていく(?)ところだったようだが、一匹や二匹ではなく、いつまでもいつまでも、たくさん流れていたらしい。
そんなとりとめのない隅田川の話で、僕は、その頃の黒井は、きっとあの流れ星を探す目をして半透明の無脊椎動物を眺めていたんだろうと、容易に想像がついた。
そして、それを話す今の黒井の横顔は、それとはほんの少し違う表情で。
どちらの黒井も、ただ、いとおしかった。
僕が缶を捨てて、電車に乗って、黒井が桜上水で降りる。
僕は人混みに紛れて一瞬その手を握り、すぐ離した。
耳元で囁かれた「じゃあね」がいつまでも残っていて、十五分後、たぶん「家に着いた」という意味の空メールが来て、「おかえり」の空メールを返す。
勝手に笑みがこぼれて、こんなの楽しすぎるけど、でも、もし一緒に住んだら、こんなのもいらなくなっちゃうな・・・なんて、早くも、一人暮らしの日々を大事にしようなんて思った。
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