第358話:疑惑
日曜日。
結局、肉食系男子にはなれなくて、そして黒井からも、また真木からも今日はメールも電話もこない。
ただ一人、静かな部屋で家事をして、気晴らしにスーパーに行って、でも食欲はなくて。
胸が苦しくさえなってくるけど、それは用事があった黒井のせいではなく、僕を振り回す真木のせいでもなく、ただ自分のせいな気がした。
本来なら黒井に「今日は会えない?」とメールしてみるべきだ。
だって先週あの一円玉のハゲが分かって、それでとにかく一週間様子を見てみるという話だったわけで、僕はその経過について心配したり、気にしていたっていいはずで・・・。
・・・本音ではただ会いたいだけなのに、いつも僕は「べき」とか「はず」ばかり。
会って一週間も経ってない、もちろん付き合ってもいない真木が出来ていること(電話や、強引に誘ったり)がまるで出来ない自分が、情けなくもなる。
・・・もしかして、魔法が解けて、もう黒井は僕のことを好きじゃない、とか?
・・・だってそうとでも思わないと、この状況が納得できないんだ。でも自分から踏み込んで嫌な結果が出るのが怖くて、何もできない。
結局は自己嫌悪のループ。
それで、一番簡単な現実逃避として、昼間っから寝た。
やや久しぶりに金縛りにうなされて、でもそっちの方が居心地がよくすらあって、甘んじて受けた。
・・・・・・・・・・・・・・・
十一月十七日、月曜日。
朝礼で黒井の後ろ姿を見て、ケンカをしたわけでもないのに気まずくて、目を逸らす。
でも何だか違和感があって、あれ、何だかいつもより茶色い?もしかして・・・髪切った?
用事って、美容院だったのか?
いや、でも、ハゲを隠すためにも、このタイミングで切るだろうか?あるいは・・・え、か、カツラ、じゃ、ないよね?
・・・いや、まさか。
そんな不自然さはなかったけど、まさかと思ってしまうと、心臓が緊張してしまい、どんな顔で会ったらいいかもわからず、必死で一人でジュラルミンを処理した。
・・・どうしよう、もしも、そうだったら。
もしそうだとしたら、この土日のことは、そんなの仕方がないだろう。だから、素っ気ないメールや「嫌われたんじゃ」などという不安は吹き飛ぶけど・・・でも別の、どう接していいか分からないという新たな問題が持ち上がる。
もちろん、ハゲたからクロを嫌いになるなんてことは全くないけど。
でも、現実問題、どうしたらいいんだ。もちろん本人が打ち明けてくれればどうにか接し方を模索するけど、そうでなかったら、こっちから訊くわけにもいかないし・・・。
「おーい、山根くん?」
「は、はいっ!?」
「ちょ、ちょっと来てくれるかな?」
課長に連れられて、応接スペースへ。いったんオフィスを離れ、黒井の姿も見えなくなり、少し落ち着きを取り戻した。
課長の話は、村野川のこと。
ああ、そうだ、今日はあのオバサンのうるさい声を聞いていない。
「・・・というわけで、急にお辞めになりまして」
「・・・は?」
「いや・・・っはっは、参っちゃうよね」
「え、お辞めにって・・・ま、まさか、僕の指導が悪かったとか」
「あ、いやいやそれはない。一応、ウチがどうとかじゃなく、ご家庭の事情ってことで、伺っておりますけども。・・・はあ、どしたもんかね」
「・・・あ」
そういえば、郵便局の当番、村野川に任せればいいやと思ってろくに聞いていなかった。やっぱり自分でしっかり聞いてなきゃだめか・・・。
「え、なに」
「あ、いや、何でも。・・・え、でも、どうするんですか、佐山さんの産休もうすぐなのに」
「うん、それねえ。あと二週間だっけ?・・・うーん、一応、派遣会社の方も、次の人をすぐ探しますってことで、早急に動いてもらってはいるんだけど。・・・あれか、もう山根が制服着て、佐山さんの席座るか!」
「・・・へっ?な、何言ってるんですか」
「そしたら社員なんだからな、お茶くみとか何でもしてもらって、肩揉んだりとかもな」
「そ、そんなことまでしないでしょう。制服の意味も分かりませんよ」
「あっはっは、しゃーねーなまったく。いやいや冗談は置いといて・・・とにかく、次の人が来たら今度は急ピッチで引き継ぎしなきゃなんないわけだから、もう、また、おれが山根先生に頭下げるしかないのかなあ。嫌だなあ、つらいなあ、トホホ」
「嫌なら下げなくていいですよ。っていうか、や、やりますから。引き継ぎ、なるべく早く出来るように、ちょっと佐山さんとも相談して、マニュアルとか整備したり」
「ああ助かるねえ、殊勝なこと言ってくれるねえ」
「と、とにかくやりますから!」
オフィスに戻り際、廊下を歩きながら「あ、今度はね、なるべく若い人って言ってあるから!あっはっは」と、背中をどんと叩かれた。そ、それはどうも・・・し、しかし、またイチからレクチャー会、疲れるんですが。
・・・・・・・・・・・・・・
その後、キャビネ前で佐山さんと島津さんに今の情報を横流し。
村野川が非常識なんじゃないかとか、いや、傷が大きくなる前に辞めてもらって逆に助かったとか、今後の対策だとか。
島津さんが「パンダちゃんの負担が増えるじゃない!」と憤るのを残りの二人でなだめ、佐山さんが「私の教え方が悪かったかな・・・」と嘆息するのを残りの二人で否定し、そして僕が「前に作った営業事務マニュアルを使えないかな」と言うと、残りの二人は神妙な顔で黙った。
・・・あれ?
「ううーん、でもあれって、あくまで営業さんが営業事務の部分までやる時のためのマニュアルじゃないですか。あれをパッと渡されても、派遣の立場としては逆に難しいんじゃないかな、営業の基礎が分かってないと」
島津さんに指摘されて、僕は「あ、そうか・・・」とうなずく。夏に、僕が行程表を省いて監査が危うくなった例のマニュアルを活用できればと思ったけど、あれは今後の新人向けであって派遣さんには使えないか。
「でも私、今回村野川さんに教えてみて、自分でも整理できたり、ツッコまれた部分とか、ああなるほどなって・・・だから次の方が来るまでに、何か自分なりのマニュアルみたいの、作ってみます」
「うん・・・結局、合同マニュアルじゃなく、四課は四課のじゃなきゃダメだもんねきっと。私も三課用マニュアル、作っとこうかな。私らって結構、替えがきかないのかも」
それから、もう黒井は出かけた後のオフィスで、僕はずるずると居座って佐山さんのマニュアル作りを支えるべく、代わりに営業事務の雑用をこなしたりした。
なるべく黒井のこと(というか、黒井の髪のこと)は考えないように、別のことに集中していたくて。
そうこうしているうちに、あっという間にお昼のチャイム。
それを機に外回りに出る準備をしていると、後ろから「山根くーん!」とやや掠れた声。
「今日はまだいたんだー。ね、これからお昼?」
「え・・・、あ、いや」
制服姿の真木が、財布とスマホだけを手に歩いてくる。そうだ、このオフィスには肉食獣がウロウロしていたんだ・・・なんて。
「どこで食べんの?」
「あ、ちょっと・・・外、出ちゃうから」
「昼休みに営業行かないでしょ?この辺で食べてから行きなよ」
真木は「私もちょうど行くとこだしさ」と、すっかり一緒に行く前提になっている。いや、昼はどこかの牛丼屋かカレー屋で、一人で食いたいんですが・・・。
そして、「とりあえず下まで行こ?」と隣に並ばれて、鞄を準備した僕は今更座ることもできず、エレベーターまでは一緒に乗るしかない。ぐずぐず言いながら島を離れると、佐山さんに「行ってらっしゃーい」と見送られ、いや、違うんです・・・。
エレベーターに乗って、混んでいるからしばし無言。
・・・はあ、どうしても、ペースが乱れる。
真木は強引で人の都合を聞かないけど、西沢のような上から目線でもないし、別に、人間として嫌いというわけじゃない。
でも、黒井のことを考えたいけど考えたくない今の僕にとって、佐山さんとのお喋りは気が紛れても、真木はどうもだめだ。落ち着かない。どうしてなんだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして結局、真木はマックへ、僕はJRへ行くからそこまで一緒に歩くことになった。
早速「そういやあのオバハン辞めたの?」と訊かれ、さっきのキャビネ前と同じ説明をする。
・・・しかし、どうしてか、同じ話なのに何かが違った。
しいて言えば、それはたぶん事実確認行為ではなく、もっとエモーショナルなものだったからだろう。真木はいちいち僕の反応を引き出そうとし、かつ自分のそれをアピールして、感情的なキャッチボールをしようとしてくる。
途中、真木がすれ違う人と軽くぶつかって、僕の方によろけ、そのまま距離が縮まった。
それは僕を<落とそう>とするあざといアプローチにも見えるけど、元々こういう人かもしれないとも思うし、そして、黒井だって会ったばかりの頃の距離感はこんな感じで、でもあの時は明確な恋愛感情は持ってなかったはずで・・・。
「あ、山根くん、今ちょっと空いてるよ?ささっと食べてかない?」
「いや・・・ご、ごめん。もう行かないと」
「んー、残念。それじゃ、本当に今度、ご飯行こうね」
「あ、うん、また今度・・・」
「はーい、それじゃ行ってらっしゃーい」
そうか、真木と話すと、どうしても思考が黒井のことになってしまうんだ。
その上、女性と二人というのも、やっぱり後ろめたい。
佐山さんや島津さんならそれを感じないけど、好意を持たれている(たぶん)から、余計にそれを意識して、心がざわついてしまう。
いっそのこと、すぐに告白してもらって、すぐに断ったら気が楽なんだけどな。
やっぱり交際中の人は交際中の赤色ランプみたいのを頭にくっつけて歩けばいいのに(・・・もしかしたら、肉食獣はそんなことで諦めない・・・どころかもっとヒートアップするかもしれないが)。
・・・・・・・・・・・・・・・
十一月十八日、火曜日。
午前中。
今日は真木に見つからないように、そして黒井にも会わないように、そそくさとオフィスを出る。
黒井の髪の様子は怖くて見れなかったし、でもどうしてもメールとかじゃなく直接話したい気持ちもわきあがって、もう自分で、対処できない。
仕事中にもふいにそれが訪れて、いつものように状況を整理して悩みを解決したいけど、それをする集中力さえなかった。
もはや髪なんかどうでもいいじゃないかと怒鳴りたい気持ちと、いやそれはひどすぎると止める気持ちがぶつかって、自分の中で暴れていた。
夕方、何とか帰社してルーチンワークで気持ちを落ち着けていると、また後ろから「山根くーん」の声。思わず固く握ってしまった拳をゆっくり広げ、文書の上書き保存をしてゆっくり振り返った。
「おつかれー」
「ああ、お疲れ様」
「あのさあ、私実はまだコーヒーサーバーのことよく知らなくて、今度からお客さんにお茶出ししたりするみたいだから知っときたいんだけど、教えてくれない?」
「・・・あ、そうなんだ。それってでも、伊藤さんとか、妹尾さんに訊いた方がいいような」
「んー、今二人とも手が空いてないみたい。山根くんが知ってることだけでいいからさ、ちょこっと教えて?ね?」
・・・。深呼吸しながらとりあえず画面を見て、時計を見て、電話機を見る。
電話よ、今すぐ鳴れ!僕宛てで!
・・・。
だめか。・・・いや、別に教えるのが嫌なんじゃなく、真木といるとどうにもざわざわするから今は遠慮したいだけなんだけど、しかしそれは真木には関係ないし、業務なら仕方がない。
そうだ、これは業務。正社員の業務。
「・・・えっと、場所は分かる?」
「んーん、なんにもわかんない」
うん、僕もなんにもわかんないって言いたい。
・・・・・・・・・・・・・
そして、二人で給茶機に向けて、歩き出す。
こうやって並んで給茶機へ行くのは、黒井とだけなのに。
・・・いや、だから、業務!業務!
でも三課の席は見れなくて、あえて真木に話を振った。
「それでさ、もうお客さんにお茶を出すって話なの?」
「え、うん、すぐじゃないけど、ゆくゆくは私がやるんだって」
「ふうん。でもセミナー部も色々、覚えることも多そうで、何か大変そうだけど・・・」
給茶機のある狭いスペースに着いて、説明を始めたら「・・・あの、山根くん?」と怪訝な顔をされた。
「ん、なに?」
「・・・もしかして、何か怒ってる?」
「えっ?怒ってないよ。な、何で?」
「うーん、何か、ピリピリしてる・・・?」
「ちょ、ちょっと、仕事のイライラかな。真木さんに怒ってるとかじゃない」
「ホントに?」
「いや本当、何か、言い方キツかったりしたならごめん」
「私のせいじゃない?」
「違う違う」
「あーよかった。何か、怒らせるようなことしちゃったかと思って、どきどきしちゃった」
その後はちょっとぎこちなくなってしまったけど、真木が笑ってフォローしてくれた。
本当はここでクロとコーヒーが汲みたいし、肩や腕が触れ合ったり、いやもうちょっと肌に触れたりもしたい。
きっと、今、真木の手を少し握ったり、何か理由をつけて体に触れたりしても、嫌がられないだろう(たぶん)。そんな、普通ならあり得ないようなことはできちゃいそうなのに、どうしてクロとはそれができないんだ。
説明を終え、そのまま三課を通って四課に帰りたくなくて、トイレに逃げ込んだ。
うん、分かった。
やっぱり僕は黒井を欲している。
それは、精神的にも肉体的にも。
髪の毛なんか、どうだっていい。
でも、それは本人にとっては大事なことであって、軽んじてはいけない。
しかしそれであっても、そんなことは分かってるけど、俺はお前が欲しいんだ。
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