第357話:都合のいい男、都合のいい女
十一月十四日、金曜日。
昼間は外回りに出たが、真木から何度もメールが来て、内容は今日の新人研修の資料の確認だけど、こういうのは私物携帯じゃなく業務用アドレスでやってほしい・・・。
・・・と、思いつつ。
心のどこかで、迷惑九割、でも一割、違う何かがあるみたいだった。
真木はイケメンには興味がないと言い、そしてどうやら、たぶん、僕に何らかのアプローチをしている(と言ってる間にも、<ありがと>の後ろにハートマークがついたメールが届く)。
それってつまり、あの爽やかイケメンの黒井さんよりも、僕の方がいいってこと?
いやいや、何ていうか、僕を好きとかそういうんじゃなく、いいカモだということだろう。それ以外に僕が選ばれる理由なんかないし、お金目当てじゃないとしたって、飲みに行くだのミオちゃんへの対抗意識だの(?)、ただいいように遊ばれているだけだ。
しかしふと、あの、郵便局の前で転んだ時の、真木のまっ赤になった顔を思い出した。
・・・まさか、あの時、僕に、惚れたとか?
思わずプッと吹き出して、自分の頭がおめでたいなと思った。そんなに僕に惚れる女子がホイホイいるなら、僕は今頃、男を好きになる暇もなく結婚してイクメンにでもなってるだろうよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
そして、夕方帰社して、研修。
最初の営業デビュー告知会も入れれば通算で三回目だからそろそろ慣れてきて、最初に研修アシスタントとして真木を紹介し、早速資料を配ってもらった。今日の資料は「各種契約書一式」で、金額や内容によって異なるいろいろな契約書に慣れてもらうことが目的。実際に契約した本物をコピーしたもので、社名の部分だけ塗りつぶしてもらってある。
そしてさっきまで「山根くん、机はコの字?めんどくさい!」などとわめいていた真木は、新人が席に着くと一応真面目そうに、ミーティングルームの隅でじっと立ったまま聴講していた。
そして、ホワイトボードを消そうとするとサッと寄ってきて無言でうなずいて消したり、ペンが掠れるとすぐ別のを手渡したりと、割と甲斐甲斐しく動いてくれた。しかもいちいち微笑みかけられて、ちょっといい気になってしまう。なるほど、講師一人より、助手がいてくれるとこんなに心強いものなのか。
「・・・というわけで、営業の仕事は契約書を取るところまでですが、その後、発注があり、納品があり、計上があり、請求があり、えー、そのお支払いの仕方にはさっき言ったような種類があり、それでようやくひとつの契約が完了になります。計上計上と言ってますが、それは、こちらの今月度の売り上げという意味でもありますが、お客さん側からすれば、基本的には契約書に書かれた<納品日>の翌月に請求が立つ、つまりその会社でその月にそれだけの経費がかかるということで、ただ何かを売りましたではなく、相手の会社の経営計画的なところまで考慮して、売る側と、買う側が、こう、こっちとこっちで、どこのタイミングで何が起こると何に影響するのか、卵の割れたギザギザみたいに、両者セットで<契約>というものを常に捉えるようにすると、全体が分かりやすいかと思います・・・」
いつの間にか、<契約>の発音が、平坦な「けーやく」ではなく「け」にアクセントがついた「ケぇやく」みたいな独特の言い回しになってきて、これは散々眠くなった民訴(民事訴訟法)や消費者法の諸先生方のそれだなと驚いた。そして、ああこうやってひたすら説明してるから眠くなるんだと思い立ち、なるべく全員に発言させるという黒井メソッドに立ち返る。
「それじゃあ、飯塚君の側のグループと、辛島君のグループでそれぞれ、お配りした契約書一式を見ながら、ちょっと気づいたことを話し合ってみてください」
・・・・・・・・・・・・・・
それから無難に、というかややあっさりと研修は終わり、後片付け。
本当は一人で出来ることばかりだけど、研修アシスタントの練習というのだから、なるべく真木にやってもらうことにする。ホワイトボードを消したり椅子を片付けたり、何だか掃除当番みたいな雰囲気だ。
すると、真木がどこからかミネラルウォーターのペットボトルを出してきて、僕に手渡した。
「お疲れ様、センセイ」
「えっ、こんなことまで、別にいいのに」
「いいからいいから」
確かに喉が渇いていたし、せっかく用意してくれたものを無下にもできないから、いただくことにする。口をつけると思ったより水を欲していたらしく、一気に半分くらい飲んでしまった。小声で「やー、いい飲みっぷりだね!」と茶化されて、少しむせかけた。
「そ、その、どうもありがとう。後で何か、ジュースでも・・・」
「いいって、ほら、靴のこともあるし!あ、っていうかそう言うんならさ、今日また飲みに行こうよ」
「・・・え、今日?」
「私友達少ないからさー、誘う人全然いないの。ね、ちょっとだけでいいから付き合ってくんない?」
「あ、えーと、・・・残業、遅くなるかもだし」
「いいよ、待ってるから。ちょっとだけ!一杯だけ!ね?」
「いや・・・そ、それじゃ、悪いし」
何となく腕時計を見て、どうにか断れないものか。
しかし、どうにか言い訳をひねり出そうとしていたら、真木がふと「あ、その時計カッコいいね」と。
・・・黒い文字盤に、ほんの少し盛り上がって、ドーム状になっているガラスの風防。
思わず、照れた。
顔が、にやける。
持ち物を褒められてこんなに嬉しかったことはない。
「そ、そう・・・かな」
「え、うん。すごくいいよそれ。似合ってる」
ああ、まずい、顔が戻らない。クロも、茶色いベルトのそれをどこかで褒められたら、こんな風に感じたりするだろうか。「ちょっと見せて」で左腕を出すと、ちゃんとベルトやガラスには触れないよう、手のひらの方を握ってあっちこっちから見てくれて、カッコいいを連発され、本当にびっくりするほどいい気持ちだった。そりゃそうだ、クロからもらった時計がカッコよくないわけがない。
・・・とその時、バタンとドアが閉じる音。
一瞬で、あの、妹尾さんに見られた時の記憶がよみがえった。
まずいまずい、今回は違うとはいえ、ミーティングルームで男女問わずイチャつく男なんて思われたら大変だ。
「ほら、と、とにかく時間だし、まずは片付けて出ないと」
「じゃあ電話してよ?いい?」
そうして何とか部屋を出て、真木が受付に退出報告に行った。僕は「ゴメン!」とつぶやいて、さっさと一人で四課に逃げ帰った。
・・・・・・・・・・・・・・・
いろいろ手伝ってもらって、ついでにおだててもらって申し訳ないけど、真木には断りのメールを入れて家に帰った。
それでも、つい取り繕って<また今度>とか書いてしまったり。
すると罪悪感の反動なのか、付き合ってもいないのに飲みに誘って好きなようにお喋りを楽しもうなんて「都合のいい男」扱いじゃないか・・・とか思ったけど、あれ、もしかして世間ではそれって普通の「友達」か?
そして<しつこくしてごめん>と謝られたら、<こっちこそごめん>などと送ってしまって、気づいたら日付を越えていた。毎回、肉食獣に立ち向かうべくガツンと言ってやろうと思って、しかしこうして返事を重ねることで、懐柔されているような気もしてくる。なるべく客観的に、事務的に、クレーム対応のように頑張ろうとすると逆に空回りして、やっぱりいいように弄ばれてる気がするけど、結局「僕なんかを弄んで楽しいものなのか?」という疑問が浮かぶ。
大学時代の彼女の時だって、結局、「都合のいいカレシ」だった。
きっと僕にはそういう素質(?)があって、今回もそうなんだろう。
だってそうじゃなかったら、僕に、人に好かれるような価値なんてあるわけがない。
・・・あるわけが、ない。
・・・。
あらためて、黒井は、こんな僕のどこを好きになったんだろうなどと考えて、心をざわつかせたまま眠った。明日は土曜日で、ようやく会える・・・と思いつつ、でも実は、僕の方が黒井を「都合のいい男」にしてはいまいかと、そんな考えを振り払いながら、眠った。
・・・・・・・・・・・・・・
土曜日。
早めに起きて洗濯をして、黒井からの連絡を待つけど、なかなか来ない。
ただ「約束の土曜だけど、今日はどうする?」って言いたいだけなのに、メールを打とうとすると文面が浮かばなくて、ようやっと<何時ごろ都合がいい?>と送ったら、すぐに返信があった。
<ごめんちょっと用事で>
・・・。
画面を見たまま、しばらく固まる。
いや、いや、用事なら仕方ない、別にそんな、人間、土曜日に用事くらいあるだろ、そんなの当たり前だし大したことないし、世界人口の三分の二くらいは土曜に用事のひとつくらいきっとある・・・。
・・・手が、震えてきた。
論拠も何もないことは分かっていつつも、やっぱり僕なんか特に価値のない人間で、黒井からも必要とされていないのではと思ってしまう。昨日、真木の誘いを断ったのだって心のどこかで「俺は明日予定があるから」という上から目線があったわけで、でももしそれがないなら・・・。
急に、ひどく、心細くなった。
絵文字がカラフルで、断ってもなおしつこく、しかし要所要所でフォローを忘れない真木のメールに慣れてしまったせいか、<ごめんちょっと用事で>の一言は、えらく素っ気なく見える。
待っても待っても、追加の説明はない。
・・・もしかして、脱毛症が本当にひどくなり、一人で病院へ行くとか?
いやそれならむしろ、僕には相談してくれないということ?
違う、違う、きっとそうじゃない、本当に単なる用事なだけで、何でもないんだろう。クロは元々長いメールを書く方じゃないし、素っ気ないわけじゃなくて、別に普通なんだ、大丈夫だ、嫌われたわけじゃない・・・。
部屋をウロウロして胃が痛くなってきて、メールの音に飛びついたら相手は真木で、俺が求めてるのはあんたじゃないという思いと、でも真木は僕を見捨てないでくれたという変な安心と、でもどっちにしても、都合がいいのはどっちだよと自己嫌悪に陥るしかなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
会社のことで相談もあるし、会いたいと言われたけど、ちょっと今日は家を空けられなくてと断った(黒井の用事が終わったらもしかして・・・という微かな望み)。でもだんだん断り続けるのも悪い気がしてきて、つい<話を聞くだけなら>と送ったらすぐに電話がかかってきた。
ごく普通の業務上の相談には普通に乗り、昨日の研修の感想を聞き、真木の以前の職場の話を何となく聞き流した。
真木には別に嫌われたって構わないという思いがあって、気が楽ではあった。
僕は一体何をしてるんだろうと思いつつ、いや、でも土曜に用事の一つや二つは普通だし、だったら土曜に知り合いと電話でちょっと話すのだって普通で、どちらも何の問題もなく、これで世界は通常運転なんだと言い聞かせた。
・・・本当は、黒井に、会いたい。
でもそれが叶わなくて、こうして真木を「都合のいい女」にして適当に相槌を打っている。
そんなのはいけないという思いが九割、でもやっぱり一割、休日に異性と電話で話して、しかも好意を寄せられているかもしれないという優越感。もう、すぐにこの電話を切って黒井に電話してしまいたいけど、でも結局それで話せなかったり、忙しいと切られてしまったら、きっと自分は浅ましくももう一度真木に電話して「さっきは切れちゃってごめん」って言うだろうなという未来が見えて、この計画はやめた。
「・・・ねえ山根くん聞いてる?だからゴハン行こうよ!ね、いいじゃん」
「・・・え、いや、だから」
「今日はダメ?じゃあ明日。お昼でも夜でもいいよ?」
「・・・う、うーん」
「っていうか今日家空けらんないって、宅急便か何か待ってんの?だったら私そっち行こうか?宅飲みしよーよ!」
「ちょ、ちょ・・・ま、待って、何でそんな強引なの」
「ええ?強引じゃないって。ただちょっと飲もうって言ってるだけなのに、逆に山根くんが頑なすぎるんだよ。むしろ何でそんな飲みたくないの?そんなに私がイヤ?」
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「それじゃ、ほんの一、二時間も空けらんない?ホントにそんな無理?」
「・・・ご、ごめん」
僕は反射的に、「ちょ、ちょっと別の電話入ったから!」とあからさまな嘘をついて電話を切った。
もう何も言わない電話を転がして、しーんとした部屋で、僕も山猫なんだから、これくらいの肉食系男子になって黒井に詰め寄れたらいいのに、なんて思った。
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