第355話:どうしてこうなった
なぜだか、真木とともに都庁前方面に歩き、プロントに入っていた。
歩く間はずっと、肩に手を置かれ、僕がその背中と腰を支えるような形になって。
そして、「カンパーイ」とハイボールを飲んで、あれよあれよと、アヒージョを食べ、ピザを食べ、携帯の番号を交換し、一緒に写真を撮られている。
どうしてこうなったんだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
最初、真木は、僕に声をかけるなり「本当に今日は迷惑をかけてしまってすみません!」と殊勝に頭を下げた。僕は、その一瞬前に胸の感触を思い出していた罪悪感もあって、とにかく「いやいや気にしなくていいから!」と手を横にぶんぶん振った。転んだ時も顔を真っ赤にしていたし、きっとギャルっぽい見た目に反して、こういうことについては繊細というか、不器用なのかもしれない。あれから結局僕のところへは来なかったし、どうしたかなとは思っていたが(いや、そうは言っても胸のことを思い出していたわけだが)、きっと会社では言うタイミングがなく、それでも気にしてわざわざ出てきたところを捕まえたのかもしれない。
そして。
「ね、よかったらお礼にコーヒー一杯だけでもおごらせて!私の気が済まないの、お願い!」
地下通路でわめかれて、会社の人だって出てくるわけで。
僕はコーヒー一杯、いつものマックで100円、でもそれだとそこまで一緒に歩くことになる・・・と思い、つい「いや、でもどこで?」と訊いたら、「あっちのプロントでどう?」と新宿駅と反対側を示された。それで、ただこの場から逃げたいばかりに「そこまで言うなら・・・」と歩き出したわけ、だけど。
早々に「痛っ・・・やっぱりちょっと、足首ひねったみたいなの」と立ち止まり、「ちょっとだけ肩つかまってもいい?」と言われたら断れるわけもなく。そして、そのまま「ゴメン、手、当たるから後ろにやってくれる?」「よかったら背中の方、支えてもらっていい?」と、なぜか徐々にあれこれと言うとおりにさせられていて。
しかしとにかくコーヒー一杯だ、と店に入ったら、何だか薄暗くて、カフェらしからぬガッツリした匂いが漂っている。
僕が「あれ、コーヒー、なさそう・・・?」と訊くと、真木は「あーカフェタイム終わっちゃった。じゃハイボールね。私さ、ポイントカード持ってるから安くなんの!」と、さっさとレジで二杯注文して席に着いた。
プロントは、昼間にパスタなんかを食べたことはあったけど、夜は「バータイム」になって酒とつまみが出るなんて、知らなかった。
それでもとにかく一杯だけ飲んで帰ろうと思って、まあコーヒーじゃないから「お疲れ様、乾杯」とグラスを合わせることになり、「・・・いやそれでね山根さん!!」と今日の事故時の実況回想録が始まった。
「本っ当にわざとじゃないの!いきなり目の前に山根さんがいて、もう止まる間もなく突っ込んでててさ。もう私パニクっちゃって?マジ気絶寸前だよね!」
身振りが大きくて、表情がくるくる変わって、眉根を寄せたり、パッと楽しそうに笑ったり、何度も「でしょでしょ!?」とテーブルの上の僕の手をぽんぽん叩いたり。
さわがしい周りの音に負けずにそのちょっと掠れた声でまくし立て、ああ、オバサンでもギャルでも、女性は遍く本当によく喋るなあ・・・と思った。照明が薄暗いのをいいことに、何だか感心して、ぼうっと眺めてしまった。
しかし、村野川と違うところはちゃんとこっちに話を振ってくれたり、僕のペースに合わせて会話を成立させてくれるところで、まあ、ギャルというよりリア充なんだな。
・・・・・・・・・・・・・・
「・・・いや、でもとにかく、本当に怪我とかなくてよかったし、お酒もご馳走様・・・」
事故の様子を大方語り終わり、グラスを半分ほど空けて、もういいだろう、何事もなくうまいことリア充と三十分も話が出来て、よく頑張ったし、役目も果たせただろう・・・と席を立とうとしたところ。
「あ、ちょっと待って!・・・実は、まだ相談したいことがあって」
・・・。
急に真面目な顔になり、「あのさ、あの業務部のオバサン・・・おっと、あのリーダーみたいな人に言われたことなんだけど」と。
・・・社員としてはこれを聞かないわけにもいかず、しかし、その前に「ゴメン、空きっ腹にお酒飲んで、気持ち悪くなってきちゃった。何か食べない?」で、夕飯までおごらせるわけにもいかず、アヒージョとピザとチーズの盛り合わせを僕が購入。「アツアツ~、ウマ~!」でひととおり食べて、ようやく本題が始まった。
「私さ、これはホントにね、バックバンド禁止とか言われてないのよ。さっき就業規則みたいのもちゃんと読み返したし、派遣の担当に電話までしたんだけど、そんなの知らないって!ねえひどくない!?」
・・・。
・・・バックバンド。
僕には、ドラムとかベースとか、バックコーラスみたいな雰囲気しか思い浮かばない。
あ、もしかして、何か靴のブランド名とかか?
「・・・その、バックバンドって、何のこと?」
「・・・え?」
「いや、何か、靴の名前?・・・実は全く分からないんだけど」
「・・・ぷははっ!あ、そっか、分かんないんだ!あーそっか、男じゃ分かんないか。バックバンドってほら、かかとのとこがなくて、紐で引っかけてるやつ・・・ってか山根さん自分で拾ったじゃん!あれがつまりバックバンドの靴だって!」
「・・・ああ、後ろが、紐で、バック・バンドか。・・・な、なに、紐が禁止ってどういうこと?」
「いやだからそれを私が訊きたいんじゃん!!」
それでふと足元を見ると、真木はあの脱げた靴ではなく、少し形の違う別の靴を履いていた。一応履けると思ったけど、やっぱり壊れたのか、あるいは禁止と言われてわざわざすぐ買いに走ったってことか?
すると真木は僕の視線に気づき、「ああ、つまりこれがバックバンドじゃない靴ってことね」と、足を伸ばしてかかと部分を見せた。まあ、ごく普通のハイヒールというか、パンプスとかいうのか、名前は知らないけど。
「今までこんなことなかったから、まさか禁止なんて思わなくってさあ。・・・何だろう、要するにちょっとサンダルっぽいから、チャラくて、正式っぽくなくて、ダメってこと?」
「・・・わ、分からない、けど」
「ここで働くのにわざわざ買ったんだよあれー。履きやすかったのに」
「ご、ごめん。それですぐ、新しいの買ったの?」
「・・・ん?・・・え、これはいつもの靴だよ?」
「・・・え、えっと?」
「・・・ああっ、あれは今ロッカーに、ほら、私、着替えたわけ!更衣室に置いてあんの。あれは社内用の置き靴ってこと!制服と一緒に履く靴。分かる?」
「・・・ああ、なるほど。靴も履き替えるのか」
「そうそう!更衣室入ったことないの?・・・ってあるわけないか!」
「な、ないよそんなの」
「いや見た方がいいよ、ここの会社、ロッカー狭いって。朝、人がいっぱいで着替えらんないしサイアク!ストッキング履く椅子もないんだよ?」
「・・・い、椅子?」
「・・・そっかそれも分かんないか!私ストッキングあんま好きじゃないからさ、でも制服着てる間だけ履かなきゃじゃん?そのための椅子」
「・・・椅子」
「あー、なにもう、色々相談したかったけど山根さんじゃダメか!」
「そ、それはそうだよ。そもそも、佐山さんじゃなく俺が派遣さんに教えるっていうのに無理があって・・・」
「あ、あれはあの課長の無茶ぶりでしょ!?だよね、あん時おもろくて吹き出しそうになっちゃったもん・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・
リア充と話すののよくないところは、何となく、これで自分もリア充の仲間入りなんじゃないかと、調子に乗ってしまうところだ。
周りのカップルやグループに引けを取らずに会話に花を咲かせて盛り上がり、ほろ酔いも手伝って、つい見栄を張ってしまう。
自分が女の子と一対一で話せていて、しかも相手がギャルのリア充で、しかも村野川と一緒のランチの時や郵便局ツアーの時と違って、男性一人という肩身の狭さもなくて。
「いやー、マジ山根さん楽しいわ。よく言われるっしょ」
「・・・あ、あるわけない、そんな」
「いーからいーから。あ、そうだ番号交換まだだよね、今しとこ?」
「・・・え、べ、別に、どうかな」
「えっ何で?教えてよ、とりあえずラインね」
・・・。
なるほど。仕方なく携帯電話を見せたら「うっそガラケーとか化石!?」と笑われた。
でも本当に楽しそうに笑うので、怒る気にもならず、また気まずくもならなかった。
「まだいるんだ使ってる人!スマホにしないの?」
「必要ないんだよ俺には。電話とメールだって滅多に使わないし」
「うっそでしょ?アプリなくて暮らしていけんの?えー、そんじゃとりあえずメアド・・・メールどこだっけ、あれっ、カメラ立ち上がっちゃった!」
まいいや、インスタ載せるねーの一言とともに、真木が隣に来て慣れた手つきで僕との自撮り?をして、まるで何かの手続きみたいに「よしアップ完了」と。それから「手打ちなんて久しぶりすぎ!」と言われながら番号とメアドを交換し、「うわ、喉乾いちゃった!」でもう一杯ずつ注文。
・・・その時携帯を開いたけどもちろんメールも電話も何も来てなくて、何となく、自分が今ここで何をやってるのかよく分からなくなり、「そろそろ帰ろうか」と切り出した。
・・・・・・・・・・・・・
どうしてこうなったんだろう。
地下通路を新宿駅に向かって歩き、途中で「やっぱり足が痛いみたい」と言われ、マックの隣の薬局(以前、黒井がミネラルフェアのおねえさんと食事をした時、ベネトンのコンドームを買った店)でシップを買い(なぜか結局僕が買った)、真木がその場で貼ろうとしゃがみ込むも「痛くてしゃがめない」と、・・・半ば予想できたけど、やっぱり僕が貼ることになった。見たところ、ほんの少し、わずかながら赤く腫れている・・・気がしなくもない・・・けど、本人が痛いと言えば痛いのだから仕方がない。
そして、今度こそ「お疲れ様、お大事に・・・」となるところが、「ああっ、山根さん待って!?」と引き留められ、足を指さされた。
「・・・ど、どうしたの?」
「靴!」
「・・・え?」
「ほら、これ茶色でしょ?どうしよう忘れてた、私あの、バックバンドの靴しか黒いの持ってないの。明日、社内で履く靴がない!!」
「ちゃ、茶色じゃだめなの?」
「ダメに決まってるでしょ!それくらいは私でも分かる、ってか茶色はナイ!」
「そ、そうなのか。でも別に、明日くらいはいいんじゃない?業務部と会ったのは郵便当番だからで、でもそんな機会はもうないし・・・」
「何言ってんの!私は明日の朝から更衣室であの嫌味オバサンに会うかもしんないんだよ!?怒られたらどうすんの!?」
「あ、ああ、そうか・・・」
「山根さん社員なのに全っ然分かってない!」
「ご、ごめん」
そうして、バックバンドではない、そして茶色でもない、かかと部分が覆われた社内用の黒い靴を今日中に購入しなければいけないという問題が持ち上がった。しかし時刻はもうすぐ21時になるところで、デパートや靴屋などはちょうど閉まってしまう。
まあ入社したばかりだし一日くらいは大目に見てもらえると思うけど、それでも、解決すべき問題を提示されるとついクリアしたい気持ちにもなって(アリバイ工作のような感じだ)。
靴、女性ものの靴・・・コンビニではスリッパくらいしか売ってないし、明日の早朝もだめだし、もちろん通販も間に合わないし、まだ知り合いも少ないのに誰かに借りるというのも大変だし(そもそも貸せる予備の靴なんてないか)、茶色い靴をマジックで黒く塗るのは・・・いや、普通の油性塗料で合成皮革にうまく塗れるのか・・・。
しかしふと、突然に靴屋の、しかも女性ものの靴のイメージが去来して、僕は「あ、こっちだ」と真木を連れて歩き出し、すぐそこの、記憶を掠った京王地下街の奥の靴売り場にたどり着いた。
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