第353話:オバサンとギャルの間で

 応接スペースに戻り、村野川と真木(マギ)に、支給されているキーカードの取り扱いや、月曜は全体朝礼があること、それから印刷してきたフロアの席表を渡して、それぞれの課の説明なんかをした。「レクチャー」とか言われたってまあ、このくらいしか思いつかない。

「じゃあこの縦長のフロアと、今いるこの応接のところがこちらの会社なのね?でもさっきお手洗いに行ったとき、制服の女の子たちが反対側へ歩いていったわよ?」

「あ、ああ、そっちは業務部といって、この階は全部うちの会社なんですけど、業務部は営業部と別なので、このキーではあっちには入れないし、行くこともなくて」

「え、業務部には入れないの?どうして?」

「そ、それは、あっちは契約書の処理と発注をしてるんですけど、えー、うちの東京支社だけじゃなく、全国の支社から契約書が来てて・・・つまり、うちの支社内にあるけど、あっちは本社みたいなものなので・・・」

「はあーん、こちらの、東京支社内の部署ではないのね。いわば全国の支店の、発注センターみたいなものなんだ。でもワンフロア貸し切りってなかなか大きな会社よねえー。別の階はもっといっぱい会社名が入ってたわよ?ほら、ロビーのところに・・・」

 ・・・。

 うん、飲み込みは早いし割と的確・・・なんだけど、一つ話すと十個くらいオマケがついてくるんだな。喉が枯れないんだろうか。

 しかし脱線ばかりでなく時々業務の質問もされるので、答えないわけにもいかないし、すっかり村野川のペースでこの<レクチャー会>が進む。村野川が司会と実況中継をして、僕はたまに意見を求められる解説委員のようだ。

 ・・・質問に答えるのは、別に、いいんだけど。

 ・・・けど。

 どうしよう。・・・もう逃げたい。

 その時、村野川が、そのむっちりした手首を締めつけている細い腕時計を見遣った。

「あらやだ、もうこんな時間だわ。お昼休みは十二時からよね?そういえば山根クンはお昼はどうしてるの?社員食堂なんかはないんでしょ?」

「そ、それはないので、各自・・・」

「お弁当持ってきてるの?」

「はあ、そういう、人も」

「どこで食べるの?休憩室なんかがあるの?」

「いや、それは、自席で・・・」

「ヤダ、私まだ席がないじゃない!・・・っていっても、今日は持ってきてないわよ?ねえ、真木さんは?」

 急に振られた真木は、曖昧な感じで「あ、いえ・・・」とやや微笑んだ。

 たぶん、弁当持参ではないんだろうが、このままだと「じゃあ一緒に」と言われるのは必至で、遠慮したいんだろう。

 ・・・しかし、案の定「それなら一緒に食べましょ!」と誘われると、真木は意外にもあっさり「それじゃ」と了承した。

 そして、もしかして自分が断れば僕にお鉢が回ってきてしまうから断れなかったんじゃ・・・と申し訳なく思ったのも束の間、「それじゃ山根クンも、行きましょうか!」と、既に僕もメンバーに登録されていたみたいだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 入社初日の派遣さんに昼食の案内をするのも社員の仕事・・・とは思ったけど。

 結局、村野川の主導で別のビルまで足を伸ばし、列に並んで大戸屋に入ったものの席を案内された時点で十二時半をまわっていて、これじゃ間に合わないと注文せず店を出て、近くのサブウェイで慌てて野菜サンドを頬張った。

 どうせ午後も<レクチャー会>が続くなら昼休みの時間なんかどうでもいい気がしたが、派遣さんはタイムシートでお昼休みの時間まで記入するし、おいそれと適当なことは出来ない。

 ・・・何となく、新人たちの研修をしているから、デキるような気になったのが幻想だった。

 帰り道、だんだんと返事がおざなりになっても村野川が機嫌を損ねずお喋りをしてくれるのがもはや有難いような気もしてきて、そしてろくに相槌も打たない真木をちょっと憎く思ったりもして、ああ、もう僕に舵取りは出来ない。


 そして午後。

 いったんまた応接スペース戻るとセミナー部の伊藤さんが現れて、真木を開催中のセミナー聴講へと引っ張っていった。そして村野川には臨時のノートPCが支給され、四課に戻って設定作業。前の管理者のパスワードだのバージョン更新だの、あっという間に時間が過ぎる。そして佐山さんの隣に席を増やすべく、奥の狭いブースから机を引きずってきて、村野川が反対側を持ったら僕よりも力があって、もう苦笑いしか出ない。

 それでもめげずに「四課の営業事務とは」の解説を始め、随所で横道にそれつつも説明しているうちに、ちょっとだけ、これは新人研修でそのまま使える・・・というかもはや四課の新人七人が今ここで聞いていればいいのにと思った。


 それからようやく佐山さんにバトンタッチし、僕はノートPCとにらめっこ。

 しかし今度はセミナーが終わったらしい真木がやってきて、僕の隣に立ち、小声で「お、つ、か、れ」とささやいた。

「・・・あ、え、えっと」

 そうしてさっさと隣の横田の席に座ると、真木はためらいなく机に顔を突っ伏した。

「・・・あの、どこか、具合でも?」

 返ってきた答えは、「チョー疲れた・・・」。

 肩につかないくらいの長さでウェーブした黒い髪の間から耳がのぞいて、耳たぶに小さなピアスが一つついていたが、ふと見ると耳の上の方にまでたくさんの穴が開いていてぎょっとした。何だかやけに黒い髪もやたら毛先がバサバサしていて、もしかして金髪を染め直したという感じなのか?

 そんな風にして見ると、何だか急に、この匂いも香水なのかとか、上着のポケットにちらりと見えているのは煙草の箱で、声が掠れているのもそのせいかとか、日焼けというより日サロとかいうやつなのかとか、つまりもうすべてが不良というかリア充というか、要するに僕からは最も縁遠いギャルという生き物にしか見えなくなってしまった。



・・・・・・・・・・・・・・・・



 五時のチャイム。

 僕は佐山さん含め三人分の派遣さんのタイムシートにハンコを押し、「お疲れさまでした」とにこやかに見送った(つもりだ)が、あとはもう、なんだか何も考えられなかった。

 ・・・明日も、この、オバサンとギャルの面倒をみる?

 どうして僕が?

 何だか、世界が、違いすぎる。

 いやいや、僕はこんな世界の住人じゃない。オバサンでもギャルでもない世界に帰りたい。

 しかし、こっそりと三課を振り返っても黒井はいなくて、僕はただ、黒い文字盤の腕時計を見つめるしかなかった。


 帰宅した後、黒井からメールが来て飛びついたけれど、それは<明日は立て込んでて、とにかく土曜日に>というやや素っ気ない一言だった。

 ・・・つまり、明日はノー残の水曜だけど一緒に帰ったりは出来なくて、そしてとにかく土曜まではそっとしといてくれ・・・ってこと、か。

 いや、それは、仕方ない。

 僕は二人の派遣さんでいっぱいいっぱいだったけど、黒井だって、やっぱり髪のことは気が気じゃないんだ。


 ・・・どうしてだろう、たったの一日、初対面の二人に振り回されたってだけで、黒井のことがちょっと遠く感じた。僕が「クロ」と呼んで抱きしめたりキスをしたりするような相手が、本当に実在してるんだっけ。


 本当は電話して声が聞きたくて、その想像だけしてみたけど、一日中ですます調で説明をしていたせいで、自分がどんな風に喋るんだかよく分からなくなっていた。

 仕方なく、せめてありったけの想いを込めてメールの返事を打とうとしたけど、結局書けたのは<分かった、それじゃ土曜日に>という一言だけ。

 ・・・いや、「それじゃ」っていうのは、「お前がそう言うならもちろんそうするけど、本当は明日一緒に帰ったりゆっくり話したり、とにかくただ一緒にいてほしくて、いや出来ればほんの少しでも抱き合ったりキスしたりしたいんだけど、でも、お前だって大変だろうから・・・それじゃ」の略なんだよ!



・・・・・・・・・・・・・・・・・



 水曜日。

 また朝から村野川と真木につきっきりで、コピーとプリンターの説明をしたり、発送部屋へ案内して社内便や荷物を送るシステムを教えたりした。相変わらず勉強熱心というか豆知識披露に余念がない村野川と、大人しく聞いているようだけど実はろくに聞いてなくて、触っちゃいけないと言ったものを触ってその辺に置きっぱなしにする真木。

 昨日の<レクチャー会>ではひたすら村野川に辟易し、口をはさまない真木をありがたくも思ったもんだけど。

 真木のメッキは一日で剥がれてしまったらしく、村野川がトイレに立った次の瞬間「・・・ねえ今の話ウザくなかった?」と、鼻で笑いながらタメ口で話しかけてきた。

「・・・い、いや、まあ」

「しかもさあ、今のって山根さんの言ってる趣旨と違くない?なーんかズレてる気がすんだよね」

「・・・あ、うん」

 い、一応、内容は聞いててくれてたのか。

 そうして真木は一応手で隠しながらも「ふあああ」と大きなあくびをした。今日から制服を着ているものの(村野川はまだ私服だが・・・たぶんサイズがないんだろう)、真木の指には昨日はなかった金の指輪が二つもついていて、爪の色も変わっていた。

 そして、「ああ、ダルっ!」っとつぶやかれれば僕のレクチャー会自体がダルくてすいませんねという気になり、しかし次に「これじゃ山根さんが大変」とねぎらわれればそこまで悪い気もせず、その一言ひとことにやたら振り回されている自分がいた。

 いや、だから、ギャルって人と喋ったことなんかないんだから、距離感がさっぱり分からないんだよ。

 これならまだオバサンの方が楽な気さえする。

 そして村野川が戻ると真木はまた知らん顔であくびをし、僕が腕時計に救いを求める回数も増えていって、もう見るだけじゃ飽き足らず手のひらで撫でていたら、「山根クン、お昼の時間が気になって仕方なくなっちゃって!」と、今日もランチメンバーに登録されているみたいだった。

 


・・・・・・・・・・・・・・・



 昼は村野川がチェックしたというイタリアンレストランをのぞいてみるもやはり混んでいて、真木が「もう昨日と同じでよくないですか?」と、少し肌寒いがサブウェイのテラス席。しかし今日は村野川が席を立った隙をついて真木も僕に話しかけてくるようになり、二人それぞれへの対応でもう、ネジが飛びそうだ。

 村野川には一応丁寧語を使い、業務内容の話には真面目に返さなくちゃならない。

 一方、すっかりタメ口の真木には丁寧語でなくてもいいと思いつつ、でもだからってくだけた口調にもなれなくて、そして話す内容が村野川への愚痴だからコソコソしなきゃならない。愚痴の内容には共感しつつも、でも悪口になるのも立場上まずいし、基本的には苦笑いでやり過ごすしかない。

 そして、会話の対応に加えて、何だか人目も気になる。

 そりゃ、スーツの男とワンピースの大柄なオバサンと色黒ギャルっぽい制服OLという三人組は、何だか違和感があるんだろう。

 頭を抱えて逃げ出したくなるけどそうもいかなくて、トイレの個室でしばらくぼうっとしたかったのにすぐ昼休みは終わってしまった。


 そして午後。

 ようやくごく普通のPC画面説明を始めたところ、四課の島に「あのう、新しく入った派遣さんですか?」と人がやって来た。それは一課の営業事務の女性で、何やら、郵便当番がどうとかこうとか言い、「とにかく二時に行きますので」と告げて去っていった。

 佐山さんに助けを求めたが、「わ、私にも分かりません。郵便局って・・・??」と。

 すると三課から島津さんが来てくれて、どうやら、フロアの向こうの業務部がやっていた郵便当番を、支社全体の持ち回りにするという話らしかった。今まで郵便物はビルの地下の郵便局から業務部が持ってきて、営業部の分だけこっちの一課の営業事務が受け取り、そこから各課に配布されていたらしい。しかしこれだと一部に負担が大きいということで、まあとにかく全てをみんなで平等にという流れになったようだ。

 ・・・いや、それは構わないけど、どうしてこんなタイミングで営業事務の仕事を増やしてくれるのかな。


 そうして、今更新しい仕事を覚えても仕方なく、またビルの地下までの往復も大変な佐山さんを残して、島津さんとともに僕が村野川と真木を率いてエレベーターホールへと向かった。

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