42章:肉食系女子に狙われる草食系(?)男子

(会えない日々を越えて、イチャつきという領域へ)

第352話:二人の派遣さん

 十一月十日、月曜日。

 四課の島に飯塚君と辛島君が着席していて、来るなり「おはようございます」と声をかけられた。元の第二グループのG長席に飯塚君が座っていて、よく分からないけど何とも言えない感じ。

 そしてすぐに月曜朝礼が始まり、黒井の後ろ姿を見て、その髪は昨日見たとおり外からは何も分からなくて、少し安心した。

 続く四課の朝礼では、先週佐山さんから聞いていたけど、課長が新しい派遣さんを面談する話。うまくいけば早速明日から、佐山さんに付いて引き継ぎとなるらしい。

 四十代のオバサン、だっけ・・・。

 いやいや失礼だし、案外気のいい人かもしれないし、そもそも僕が選り好みできる立場でもないし。


 その後、打ち合わせ中らしき黒井を横目に一人でジュラルミンを処理し、飯塚君に「行ってらっしゃい」と爽やかに見送られて暖かい日差しの中、外回りに出た。



・・・・・・・・・・・・・・



 何となく、気持ちが、落ち着いている。

 地下鉄で座って営業の資料を整理しながら、そう感じた。

 黒井と一緒に住むことと<ぶり返す>問題については、円形脱毛症がその手前に割り込んできた形で、ひとまず来週まで様子見。一円玉の大きさのままで止まればいいけど、もしそうでなかったら、病院へ行くなり、何らかのアイテム(?)を見つけるなりすることになるんだろうか。でも本人の経験からして、突然一夜のうちに坊主になるようなことはないようだから、どちらにしても週末にまた確認するしかない。

 そうやって、いったん、同棲問題を横に置いて、奇行とは別の感じで黒井をフォローすることになった・・・というのもあるけど。

 やっぱり、自分の過去の感情と向き合ったから、なのか。


 あの肝試しの晩、それは黒井によって記憶の底から掘り起こされたけど、でもあくまで思い出しただけ、意識上に現れただけだった。

 ・・・あれから三ヶ月経って、自分の傷に初めて自分で、手を当てたんだな。

 いや、今だって、ちょっと考え始めると「馬鹿馬鹿しい」「たかが子どもの過ちだ」「お前が弱いだけ」という声が聞こえてくる。

 でも、その部分だけ凹んだクロの髪を撫でたあの感触を思い出したら、その声は少し、遠ざかっていった。



・・・・・・・・・・・・・・



 山積みになっているなと思っていた仕事が実はそれほどなかったり、でもちょっとした電話一本が妙にこじれたりしながら、夕方。

 帰社すると、課長が「ちょ、ちょ、山根?」と手招き。

 何か嫌な予感。


「あのね、今朝話した件ね。新しい派遣さんの」

「あ、ああ、はい」

「明日から一応、来てもらうことになって」

「あ、そうなんですか」

「・・・で、まあ、それは佐山さんにもさっき話してね、いろいろ、引き継ぎというか、教えながら今月中、やってもらうってことで」

「・・・はい」

 ・・・そこで課長は少し声を落とし、「しかしまあ、佐山さんも、体調とかあるわけだから」と。

「だから山根もそこらへん、随時フォローというか」

「あ、はい、分かりました」

「あのー、座って教えることはまだしも、どっかあちこち場所案内したりとか、そういうのね、時間見つけて、やってあげてほしいわけ」

 「了解です」「じゃ、頼むな」で自席に戻り、ふと、こちらに会釈している佐山さんに気づき、うんうんとうなずいてみせる。すると隣の西沢がこちらを向かないまま小声で「四十代の人やて?」と、何だか冷やかしの声。いや別に、僕の見合い相手ってわけでもないし、ただの業務の引継ぎの手伝いだ。さらっと「らしいですね」と返して、何でもない振り。

 ・・・でもまあ、別に、やっぱり落ち着いている。

 佐山さんがいなくなるのはさみしいし、そして別の派遣さんになじめるかというのも大きいけど、課長と佐山さんに頼られたり西沢に何か言われるのも、四課での自分の居場所がある感じで悪い気はしない。

 そして、顧客リストを更新して印刷し、プリンターまで歩く。

 途中の三課で、ほんの少し歩を緩めてその席を見遣ると、黒井が一瞬僕を見て、はにかんで目を逸らした。

 僕もそそくさと顔を逸らし、照れ隠しに腕時計を見て、その黒いつややかな文字盤に顔がにやける。

 ・・・うん、まあ、四課で色々あっても、クロがいるから大丈夫だ。

 そう思えた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 火曜日。

 四課の朝礼。

「どうもご紹介に預かりまして、わたくし、村野川・・・ム、ラ、ノ、ガ、ワと申します。まだ慣れない職場ですけれども、一生懸命頑張りたいと思います。どうぞ、皆さんよろしくお願い致します」

 課長に促されて挨拶をした村野川なる派遣さんは、どう見ても、四十代ではなく五十代以上だった。

 佐山さんは「四十代といっても今は若い感じの人が多いですよ」と言っていたけど、村野川はどこからどう見ても立派なオバサンで、パーマの短い髪、どっさりとした花柄ワンピースにカーディガン(お腹も出ている)、僕よりでかいんじゃないかと思うほど大柄で、声も大きく、「うっふっふ、自己紹介ってほどじゃないけど、こんなとこかしらねえ!」と笑った。

 ・・・いや、ええと。

 実感が、ついてこない。

 この人が、佐山さんの、代わりになる・・・?

 何かの間違いじゃないだろうか。

 そしてそれぞれが、それぞれの思い(「チェンジ!」)を胸に秘めたまま、微妙にうつむいて会釈し、朝礼が終わって着席。

 村野川はまだ席がないので、課長がいったん四課の奥の狭いブースに連れて行き、最初の手続きの書類などを書かせていた。その間、四課の一同、それとなく無言で首をひねりつつ、横田が「いやぁ・・・」と口を開くも、二の句は継げず。新人の飯塚君と辛島君だけは「皆さんどうかしたんですか?」とでも言うように仕事の準備に勤しんでいて、うん、きみたちはまだ課に閉じ込められていないから事の重大性が分かっていないんだ。

 ・・・。

 ああ、佐山さんと島津さん、僕と黒井という四人のオアシスも本当におしまいなのか。

 いや、っていうか、村野川への引継ぎが始まってしまうなら、もしかしてもうすでにそれは終わっている?

 思考が止まって、何も、手につかない。

 いや、いや、別に、四課での営業事務がどうだとしたって、僕にはクロがいるし、これからもクロと一緒に行程表にハンコを押したりしてればそれで・・・。

「おい、山根!」

「は、はい!」

 呼ばれて課長席へ飛んでいくと、そこには村野川と、もう一人、茶色っぽいスーツ姿の若い女性が立っていた。



・・・・・・・・・・・・・・・



「ここじゃなんですから、いったんこちらへ」

 そして課長に引き連れられ、妹尾さんのいる受付にひと声かけて、景色が一望できる応接スペースへ。村野川は「んまあーっ、すごい眺めねえぇ!」と大声ではしゃぎ、まるで都庁の展望台をめぐるバスツアーだ。

「ここはですね、ウチがやってるセミナーのお客さんが来るところで、奥にはセミナールームが・・・」

 それとなく課長が「ここはオフィス外のスペースだから静かに」との説明をするけど、村野川は「あら~そうなんですか!セミナーをね!」と声のトーンは下がらない。・・・いや課長、苦笑いで視線を寄越されたって、あんたが採用したんだろ!

「えーそれではまあこちらにお座りいただきまして、ではあらためて、おはようございます・・・」


 ソファーの向かいに村野川とスーツの女性、こちら側に僕と課長。

 スーツの女性はてっきり派遣会社の担当者かと思ったが、そうではなく、彼女も今日から入社する派遣さんとのことだった。

 ただし、もちろん四課にではなく、セミナー部に入るらしい。セミナー部のトップは講師も務める小嶋先生だが、その右腕である伊藤さんが新人の世話に駆り出されているため、セミナー運営の雑用などを頼むのだとか。以前なら「ふうん」で済ますところだけど、セミナー運営といえばつまり、今僕がやっているミーティングルームでの新人研修のようなことであって、それは部屋の予約や時間確認のメール送信やレジュメの作成や印刷等々であり、そんなものを小嶋先生の元で任されるのかと思うとぞっとしなかった。

 その女性は「真木(マギ)と申します」と名乗って軽く会釈したが、緊張しているのか声がやや掠れていた。しかし、かといって新人社員のようなフレッシュさを感じないのは、やたらテカテカしている四角い爪のせいなのか、スーツのシワのせいなのか、よく日焼けした肌のせいなのか。

 ・・・いやいや、セミナー部に入る人をジロジロ見たってしょうがない。そんなことより問題は四課だ。


 それから村野川が課長の話す「我が社の概要」にいちいちうなずき、合いの手を入れ、「そういえば以前の職場でもね・・・」と横道にそれ、「あらやだ、オバチャン喋りすぎね!うっふっふ!」と豪快に笑った。

 ・・・。

「・・・まあそういうわけで、いったんお二人は今日明日くらい、うちの支社のいろいろね、どこに何があるとか、セキュリティとか、大まかに、共通のルールみたいなものをざっと覚えてもらって、少しずつそれぞれの業務に慣れていってもらえればと思います。それで、まあここに座ってるのがね、うちの四課の山根といいますけど、山根がいったんお二人にレクチャーしますので、ひとつよろしく・・・」

「・・・えっ?ふ、二人にですか?」

「あ、まあ、真木さんはセミナー部だけれども、基本は同じだから。まとめて説明した方がいいでしょ・・・」

 ・・・って小嶋先生に頼まれちゃったんだもん、と課長は言った。

 いや、いや、何が「だもん」だ。

 佐山さんが村野川に引継ぎをする時の、サポート役って話じゃないの?

 新人研修だけじゃなく、僕が派遣さん研修までするの?

 神妙な顔をしていると村野川が「山根クンね。どうぞよろしくね!」とこちらに笑いかけ、真木は軽い会釈を寄越した。



・・・・・・・・・・・・・・・



 ひとまず課長とともにトイレの場所だけ案内して、小休憩の後、二人はさっきの応接スペースで手続き書類の続きを記入してもらうことになった。

 僕はといえば、四課に戻って大急ぎで今日と明日のスケジュールをやりくりし・・・といっても課長に文句を垂れるほど予定が詰まっていたわけでもなく、今月の数字もサッパリなので、黙って任務をこなすしかない。

 すると佐山さんがそっと席に来て「すみません、私のせいで・・・」と。

「あ、いや、そんな」

「私がちょっと体調が不安定で、それで山根さんに・・・」

 僕は空いている横田の席に座るよう勧め、課長や他の営業も外回りに出かけたので、ひと息ついた。

「こんなこと言うのあれですけど、あの、私が聞いてた方とは違ったみたいで・・・」

「いやいやそんなの、・・・っていうか、別に、ほら、四十代かもしれないし」

 佐山さんは一瞬ぽかんとしたが、そう、別に村野川は年齢まで言ってないことに気づいて、二人で少し笑った。

「ああ、そうか。そうですよね、うふふ」

「それにまあ、年代はともかく、課長が面接して採用したわけだから、もうしょうがないし」

 僕はちらりと課長席を見遣ったが、佐山さんは「・・・いえ、・・・うーん」と煮え切らなかった。

「・・・うん?」

「ああ、その、派遣って、面接して採用・・・ってわけじゃないんですよ。面談はするにはするんですけど、『顔合わせ』っていって、その、面接しちゃいけないんです」

「・・・え?」

「あくまでこの会社と派遣会社との契約なので、派遣会社がどんな人を連れて来るか、それを会社側で選べるわけじゃないんですよね。あ、もちろん、就業の条件とかは事前に出して、派遣会社がなるべくそれに合う人を見繕ってくるわけですけど・・・でも課長さんが、その人の性格とか細かい年齢とかで、嫌だって言っても、それはダメなんですよ」

 ・・・へえ、そうだったのか。

 つまり、派遣さんというのは、派遣されてくる個人を会社で選り好みできないのか。

 チェンジ、は、できない、と。

 そして僕はふと、あのヒラヒラスカートの菅野のことを思い出した。

「それじゃ、あの、たとえば菅野さんは・・・」

「・・・ん、菅野さんは派遣じゃなかったですよ。あれは直雇用っていって、会社が直接雇うバイトさんだから、たぶん課長さんが面接を・・・」

 ・・・ふむ、課長が面接して選ぶと、ああなるわけか。

 その意味するところに気づき(つまり、趣味が如実に表れる)、何となく、二人で吹き出した。

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