第343話:山猫は鳴き、黒犬は暴れる

 課長にミーティングの報告をして、あらためて、飯塚君と辛島君が来週から来ることを再確認。そうか、月曜・・・は祝日だから、火曜からこの島に来るのか。どちらもうるさいタイプではないから、課の雰囲気はあまり変わらないだろうけど。

「あ、そういやさっきね、あっちの高浦G長からも内線もらって。あらためてよろしくってさ。なに、お前さんすごい頑張ったんだって?」

「へっ、・・・な、何か聞いてるんですか」

 いや、早すぎる。本当に、この会社はこういう伝達だけはやたらスピーディーで油断がならない。

「いやまあ、しっかりやってもらって有難いって、褒めてたぞ。そういうわけだから、これからも頼むよ山根センセイ」

 とりあえず事態は丸く収まっていて問題ないようだけど、さっき「ダメすぎだろ」と言われたのに、褒めたのは課長に気を遣って仕方なくなのか?


 隣から西沢が「山根センセイすごいやん、俺と違って親しみやすいキャラやからかな・・・」などと言ってきて、つまりは自分は新人が近寄りがたい先輩で、僕はいくらでも近寄れる下っ端だと言いたいのだろうが、嫌味ではなく無意識の自慢だから放っておいた。

 ・・・ああ、何となく。

 高浦も、同じか。

 関口と似たような口の悪さだが、関口が心底面倒くさくてそうしているのに対し、高浦は西沢と同様、辛辣だろうが嫌味だろうがそれをコミュニケーションとして行っている。関口に「あんたの顔は見たくない」と言われたら字義通りの意味だけど、高浦や西沢はきっと違う。だから、高浦の中で「ダメすぎだろ」と「しっかりやってもらって有難い」はきっと矛盾しないんだろう。どちらも目の前の相手とのコミュニケーションなだけで、絶対的な評価じゃないんだ。



・・・・・・・・・・・・・・



 20時をまわった頃、<親友>が「俺終わったけど、帰れる?」と島に現れ、「あ、ちょい待って」とすべてを上書き保存。本当はいろいろ途中だけど、じゃあどこかで待っててもらうのかとか脳内会議を開いてる暇もエネルギーも残っていない。二人して島に「お先です」と声をかけ、周りから一体どう思われてるんだろう・・・なんて思いつつ。


 地下通路に出る前に「腹減らない?」とてんやに入り、無言で天丼をつついた。

 ・・・本当に、疲れた。

 黒井が味噌汁をかき込んで「あづっ」っと舌を出し、七味をかけすぎて「辛っ」と顔を歪ませるのを苦笑いで見守る。食べ終わったら「帰ろう」と、伝票は黒井持ち。


 その後も、何だかもう今日というか今週は色々なことがありすぎたのに、言葉が出てこない。脳内の会議室ももぬけの殻で、ただ、黒井と時々肩が触れ合うくらいの距離で地下通路を歩き、電車に乗り、そして、当たり前みたいに桜上水で降りていた。

 

 ・・・「帰ろう」って、お前のうちに、ってこと?

 途中のコンビニで飲み物などを買い、ああ、もしかして歯ブラシとか、髭剃りとか、替えの下着とか・・・物事は<そういう次元>に進んでいったりする・・・?

 じっと棚の歯ブラシを眺めていたら「買えば」と言われ、僕が持つカゴには缶チューハイとスルメに焼き鳥の缶詰が突っ込まれる。

 それを見ていたら、頭と身体が<親友>の枠からはみ出したがって、ムズムズした。

 ・・・金曜の夜に、部屋で酒なんか飲んで、一体どうなるんだ。

 飲む前から下半身が少し熱くなってきて、僕は努めて冷静に会計を済ませ、重たいビニール袋を両手に持って黒井のマンションに帰った。



・・・・・・・・・・・・・・・



「おつかれ!」

「乾杯!」

 ぐびぐびとレモンのチューハイを飲み、炭酸が喉に心地いい。

 お互い、ぷはーっとかくううっ!とか声が漏れ、アハハとかはあーとか気が抜けた。

「俺たち、頑張ったよね」

 黒井の言葉に「頑張った・・・」とつぶやく。この数日で、僕たちは会社での立ち位置を急ごしらえながら構築し、ひとまずひな型を作ったんだ。

「酒がうまいね」

「うん」

 まったく、酒を飲むのもだいぶ久しぶりで、まだひと缶も空けていないのに少しふわふわとしてくる。

 ・・・本当に、疲れた。

 足をだらりと伸ばしてベッドに寄りかかり、黒井は「焼き鳥あっためてくる」とキッチンへ。

 ・・・。

 ぐい、と缶をあおり、一人で二本目を開ける。

 高浦や妹尾さん、課長に西沢など、色んな人の声が頭にうずまいて、ぼんやりした。

 ・・・僕は会社の人たちとは頑張らないとうまくやっていけないけど、黒井はそこは平気みたいで、しかしそれなら、僕と黒井はやっぱり違う人種なんだろう。

 なのにどうして、黒井といると、こんなに落ち着くんだ。

 それはたぶん、僕が黒井に片想いをする前から、そうだったんだと思う。だからこれは恋愛感情に関係なく、そうだと思うんだけど・・・。

 ・・・どうして、黒井が、好きなんだろう。

 ・・・。

 何だか恥ずかしくなってまた缶をあおり、焼き鳥のいい匂いがしてきたけど、・・・いつの間にかベッドに突っ伏して、寝ていた。



・・・・・・・・・・・・・・・



 何となく、あたたかくて。

 頭に置かれた手が、くしゃくしゃと僕を撫でる。

「・・・ん、あれ」

 どうやら、寝ていたらしい。

 っていうか、クロが、隣に、いる・・・。

 ぐびぐびと喉を鳴らす音がして、「あ、おきた」とぐんにゃりした声。

「ねこ、おまえねちゃってたよ」

「・・・あ、ああ、ごめん」

「せっかくトリあっためたのに・・・おれがくっちった」

「・・・い、いいよ。ちょっと、疲れてたみたい」

「おまえ今日、がんばったもんね」

 そしてまた「えらいえらい」と頭を撫でられる。・・・ちょっと、酔ってるのか。

 眠い目をごしごしと擦って隣を見ると、クロはこちらを見ていて、うすく微笑んだ。

「ねえ、・・・続き、しよっか」

「・・・え?」

「キス・・・途中で、みられちったから」

「・・・」

 顔が近づいてきて、反射的に少し背けたら、直前で、止まった。

 別に、したくないとか、拒否してるわけじゃなくて・・・と考えながら、数秒の沈黙。 

 しかし、どうしよう・・・と思っていたら、小さな囁き声で「しよう?」と優しく言われた。

 何だかそれは、いつも考えすぎて、台本や下準備がないと何もできなくなってしまう僕を、包み込んでくれるみたいで。

 ほんの一ミリくらいうなずいて、きゅっと目を閉じた。

 そんなの「しよう?」に対する回答になってないし、分からなくても仕方がないのに・・・ちゃんと、ゆっくり、来るだろうというそのタイミングで、あたたかい唇が重なった。

 それはすぐに離れて、でもすぐにくっついて、ちゅっ、ちゅう、ぷちゅっ・・・と細かい音がする。詰めていた息が漏れ、僕の方からもそのキスに応えながら、だんだんと、頭が痺れるようにぼんやりとして。

 クロがいて、キスをしていて、クロの匂いがする。

 キスはしたまま、クロの手が僕の手のひらを握って、自分の頬へとあてがった。

 ・・・指で、その肌をなぞる。

 思ったよりもずっと、何だかその皮膚は薄くて柔らかくて、さらさらしていた。

 服越しに肩や背中はさすっても、今までほとんど触れたことのない、黒井の顔。

 お前って、こんなに、柔らかかったのか。

 それから少しずつ指をずらして、閉じた目元や、まつ毛や、それから耳にも触れた。そしてあたたかい首へと移ったら、ふうっと息が漏れて、唇が離れた。



・・・・・・・・・・・・・・



 元々緩めていたネクタイを目の前でシュルシュルと取られて、Yシャツのボタンを外され、脱がされた・・・というか、手首のところまで下ろされた。まるでそれは手枷のようになって、ベッドに寄りかかる形でラグの上で座っている僕は、手も足も出ない・・・ことは全然ないんだけど、何となくそのまま、手も足も出ないことに、した。

 ・・・痴漢プレイってわけじゃ、ないけど。

 二人とも無言で、何となくの暗黙の了解みたいになって、・・・僕が、身体を、触られている。

「・・・んっ」

 といっても、Yシャツを脱ぎ切っていないから、アンダーシャツを脱ぐことは出来なくて、シャツ越しに胸や腹をまさぐられているだけ。もちろんその手は胸の突起にも触れるけど・・・わざとなのか、あえてそれを弄ってはこない。

 鎖骨や肩もなぞられるけど、あくまで布越しで、素肌にも触れてこない。

 ・・・むしろ、目隠しでもしてほしいんだけど。

 黒井の顔を見ているわけにもいかなくて目を伏せるけど、そうすると自分の身体がクロの手で・・・い、いやらしく触られているのをじっくり見てるみたいになって、でも目を閉じてもそれが変な刺激になって・・・。

 息が、だんだんと、乱れてくる。

 それを見られているのが恥ずかしいし、でも、どこからか快感も染み出してきて。

 そして、手のひらで脇腹をつかまれて、あばらを探るようにそれが上下して、その指が脇の下まで入ってきた。

 いくらシャツ越しとはいえ、汗をかいてるかもしれないし、におったりしたら嫌だし、思わず身体がこわばる。

 でもそれを、くすぐったいのをこらえていると思ったのか、クロはさわさわ、こしょこしょと指を動かしてきた。


 ・・・い、いや、違うから。俺、くすぐったくならない体質だから。

 脇をきゅっと閉じてクロの手をはさんだが、それはむしろもっと奥へと侵入すべく動いてきて、ああ、逆効果か。


 それで力を抜いて手を解放し、好きにさせて、くすぐりは効かないんだって示そうと、思ったのに。

 ・・・いつの、間にか。

「ん、んんっ・・・」

 ・・・。

 ぞくぞくもするけど、安心もするような、おかしな感覚。ぐいっと押されると何だか腰が引けるようにまずい感じがして、でも、なおも身を預けているのが刺激的で心地よくもあるような・・・。


 何かに、似てる。

 いつの間にか顔が耳元に寄ってきていて、「ねこさ・・・ここいいの?」と掠れた声。

 ・・・猫。

 猫の、喉。・・・あごの下を撫で上げる、あの動き。すると猫はゴロゴロと喉を鳴らして・・・。

 でも、僕の身体はゴロゴロ言わなくて・・・。


「んっ、はあ、はあっ・・・」


 猫といっても、思い出したのは、あの地下通路で黒井に見せられた動画の山猫。スフィンクスみたいに座って、むさい顔で、でも声だけは、子猫みたいな。 


「・・・ね、感じるの?・・・俺にだけは、言っていいよ」


 ・・・。

 言って、いいって、言われても。

 これが<感じる>なのかどうかもよく分からない。


 そして、優しく甘い声で「ねこ」とまた囁かれて。


「みゃっ、・・・みゃーん」


 脇を撫で上げる動きが止まる。

 ・・・。

 ど、どうしよう、また変なことを言った。変な声が出た。

 おそるおそる顔を上げると、クロは目を見開いたまま何だか戸惑っていて、僕の喉からは、もう恥ずかしいついでにもう一度「・・・みゅう」とか細い声。

「ああ、もう、ねこ、・・・俺のやまねこ」

 がばっと抱かれるけど、やっぱり人間の声が出てこない。

 ど、どうしよう、どうしよう。


 しかしふと、クロにも、僕と同じように、気持ちよくなってほしいと思って。


 そうして抱きついてきたクロの脇に手を伸ばして奥に触れたら、「うわっひゃひゃひゃっ!!!」と黒犬が盛大に暴れて、顔面に肘鉄を食らって股間を蹴られ、もう絶対やらないと思った。

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