第342話:台本はアドリブだらけ

 受付を訪ねると妹尾さんは朝と同様、業務終わりのルーチンで応接スペースをウロウロしており、僕と黒井の姿を見るなり「やだもう、なに!?」と笑い出した。

「なにって、今日は色々お世話になったし、なんか手伝いでも」

「えー?なにそれ、どゆことー?」

 そして黒井が銀色の重そうな会場案内スタンドを持ち上げると、「あ、それはそっちに」「オッケー」「今日は最後押しちゃってねー」と和やかに会話が始まる。それはあのバーガー屋のカップルみたいな腹の探りあいという感じはしないけど、それでも、僕には出来ない類いの会話だった。敵か味方か、単刀直入に話すか完全にごまかすか、どれでもないふわふわとした立場はむずむずする。


 ・・・それでも、ここに来る直前、黒井は言った。

「今度は俺、ちゃんと、『うまいことやれる』からさ。だからお前は何喋ってもいいし、俺に任せていいよ」


 僕はそれを信じて、僕なりの設定を詰める。僕は「初めてミーティングを仕切って、予約が出来ていなくて焦ったけど何とか乗り切って、親友にねぎらわれたら泣いてしまい、それが恥ずかしくて気まずくなってしまった」人・・・。


「よーし、運ぶものはいったん終わりかな。助かっちゃった」

「こっちのはいいの?」

「あ、うん、それは来週すぐ使うからそのままで。・・・っていうかそれで?さっきも言ったけど、私はなーんにも見てないんだからね?」

 ねー山根くん?と声をかけられ、やっぱりふわふわの足場が揺れる。それでも黒井に寄りかかる気持ちで曖昧に「すみません・・・」と濁した。

 妹尾さんは受付カウンターに戻り、カチャカチャとキーボードを打つ音。所在なさげにうろうろする僕と、ナンパでもするみたいにカウンターに肘をつく黒井。

「で、結局のところさ、・・・どこまで見た?」

「ぷっ!・・・だ、だーかーらっ、なんにも!」

「ホントだね?じゃあさ、新人たちにバラしたりしないよね?」

「・・・っ、な、なーにをー?」

 そんな、いきなり切り込んだりして、真顔で「キスしてたよね?」なんて返されたらどうするつもりだとヒヤヒヤしつ、何か魂胆があるんだろうと思っていると、・・・ふと、後ろに気配。

 もう誰も来ないと思っていたのに、応接スペースで打ち合わせとか始まったら、こんな話をしているわけにもいかない・・・。

 しかしその人物は「おい」とこちらに鋭く声をかけてきた。一瞬あの喧嘩騒動が蘇り、総務課長に怒られるのかと思って身がすくむ。

「黒井、お前また何かやらかしたの?どうも今不穏な会話が聞こえたんだけど」

「・・・え、何もしてませんって」

 黒井を名指ししたその人物は、ああ、たぶん高浦さんという新人のG長だ。元SSらしいが、確かに不機嫌で辛辣なところは関口とも通じるものがある。

「妹尾さん、今何かバラすのバラさないのって話してませんでした?」

「えっ?いやいや別に、なにも」

「おい、あれ・・・お前、山根だっけ?四課の?」

「あっ・・・は、はい」

「お前は何か知ってるの?知ってるんだろうなあ。ハイ、何?言ってみ?」

「・・・」

 高浦は手に持っていたファイルをバシバシと叩きつつ、真顔で僕に尋問する。この雰囲気がどれくらいどんなものなのか推し量ろうとするもその猶予は与えられず、早口で「何黙ってんだよ」と追い打ち。

 ・・・うわ、何この人。ほぼ初対面なのに。

 カウンターの向こうで妹尾さんはじっとして、手前の黒井は相変わらず肘をついたままこちらを見ている。少し離れたところに立つ高浦は、僕より背は低いが威圧的で、まるで意地悪な生徒指導の教師だ。

「おい、何、言えないようなこと?」

 詰め寄られ、0.1秒黒井の助け舟を待つけど、ないと分かればあとは自分の口を開いた。設定は決めてあるんだから、むしろただそれを述べることで妹尾さんへの自然な説明になるかもしれない。

「あ、あの、実は、・・・今朝、四課で、そこのミーティングルームで、その、仮配属の」

「ああ知ってるよ、道重課長から聞いてるしね。それで、何かあったわけ?」

「あ、いや、・・・ミーティングは何とか無事に終わって、・・・その」

「・・・その?」

 黒井のことを言おうとして、一瞬、人前でその名を呼びたくなくて、目線で示して逃げた。

「撤収を、手伝ってもらって、アドバイスをもらったりとか、それでその後・・・」

 ・・・あとは、ここで恥ずかしそうに「実は僕が泣いてしまって」と告白すれば、キスのことを薄々感づいているだろう妹尾さんも「あれ、そうだったの!?」となる、はず・・・。

「ちょい待ち。おい、黒井さあ、お前もしかして四課のことに首突っ込んでるわけ?」

「・・・え、別に、手伝っただけ」

「手伝った?・・・はあ?いい加減にしろよ、今回のことは俺が道重課長から言われてるけど、お前に何かしろなんて言ってないだろ?言ったか?」

「・・・言ってない」

 何だか話が違う方向にいって、そもそも別のところがまずかったのかと緊張が走る。

 ・・・しかし、険悪ムードは、どうやらここで頭打ちみたいだった。

「ったくお前さあー、ホント勘弁しろよ。せっかくあの七人を四課にめでたく出荷したんだから、もう構う必要ねえだろ。あとは山根に全部押しつけりゃいいんだからさあ・・・っと、本人いるか。ああ、今の聞かなかったことにして?」

「・・・え」

「で、妹尾さん?それでこいつらが何かした?」

「いや、何かってわけ、じゃ・・・」

「ハイ何した?いいから正直に」

 今度は矛先が妹尾さんに向いて、僕が「あの・・・」と口をはさむも、「黒井のトモダチは信用ならない」と一蹴された。妹尾さんが本当のことを言うとは思わなかったけど、黒井が「ね、言わないで!」とわざとらしく横から入り、高浦と黒井が二人で妹尾さんに迫っている。いや、本当に、迷惑だから!


 しかし押し問答になる手前で黒井が「あー、わかったよもう!」と両手を上げ、僕に目配せして「ゴメン」と一言。

「大人しく白状しろ」

「・・・んー、だからその会が終わって、俺が、頑張ったじゃんって・・・そ、そしたらちょっと、俺の褒め方が感動的だったから?・・・まあ、泣いちゃったりして」

「はあ?」

「新人が戻ってきたらやだなって、電気も消してドアも閉じてたら、妹尾さんに、抱き合ってんの、見られちゃって」

「はあっ?」

「それ、言わないでって、今頼んでたとこ!高浦さん邪魔しないでよ」

「何言ってんの?え、妹尾さん、本当?」

「・・・あ、えっと、本当」

「マジで言ってんの?おい山根、それ、泣くほどのどんな会だったわけ?」

「・・・いや、実は朝、ミーティングルームの予約が取れてないとか色々あってその、終わったら、緊張が解けてっていうか・・・」

 僕はとりあえず、今、今がそれなんだろうと思って渾身の説明を放ち、あとは情けなそうな、恥ずかしそうな顔をしているだけ。そ、それでいいんだろうこの流れは?

「予約が取れてない?それって何で?」

「いや、あの、僕がやったことなくて、うまくできてなくて」

「それでどうしたの?」

「せ、妹尾さんに無理言って、使わせてもらって・・・」

「はあ?そんなん自業自得じゃん。それで終わってホッとして?こいつによくやったって言われて泣いてんの?そりゃダメすぎだろ」

「・・・は、はい」

 うっ、客観的に言われると、それはその通り。

「で、泣いてんのを見られて、それをバラされないように妹尾さんを脅迫して?」

「・・・すみません」

「最低だなお前ら、ったく男二人で抱き合って泣いてたとか気持ち悪りぃんだよ!んなもん妹尾さんに見せんな」

 ちょっとどきりとしたけど、黒井はキレたりせず「だってさあー」と軽く流した。しかし妹尾さんが少し口を尖らせ「や、それは差別だよ、差別!」と。

「は、差別じゃないよ。俺、男同士だから気持ち悪いとか一言も言ってないからね。そういう偏見はないの。ろくなことしてねえのにメソメソしてんのを言っただけで、男女関係なくだよ」

「え、それじゃ・・・メソメソ差別!めそめそしたくなる時だってある!」

「あーそれはある。けどね、新人三十人分のメソメソを毎日聞いてらんねえんだよ。俺の方が泣きたいよ。あのさあ山根さあ、俺SSのグループ長になるとこだったのに、なぜか新人のG長やらされてんだよ、お前が泣いてる場合じゃないんだよ。・・・いやまあ、あの七人頼むな?もうこっち戻さないなら泣いてもいいよ。黒井のでよけりゃ胸でも何でも貸すから、頼むから俺の負担を少しでも減らしてくれ」



・・・・・・・・・・・・・・・・



 高浦は去り際、「けど山根、これから本当に頼むな。何かあったら言えよ」とあらたまった声を出し、「お疲れ!」とオフィスへ戻っていった。

 しばし、しーんと、空気が静かになる。

 ぽつりと、妹尾さんが「高浦さんってあんな人だったんだー」とにやにやした。

「俺の苦労が分かったでしょ?」

「・・・くふふ、ありゃあ大変だね」

 結局、そもそもの作戦がどうなったのかよく分からないまま、しかし黒井はこれ以上妹尾さんをどうこうする気はないみたいだった。僕はちょっとだけ、黒井がいつの間にか妹尾さんとも高浦ともずいぶん親しくなっていたことに嫉妬を覚えつつ、大きくため息をついた。

 すると妹尾さんが「山根くん、別に、だいじょぶだよ」と。

 ・・・ああ、<メソメソ>なんて言われてショックを受けたと、思われたんだろうか。

 いや、もう、何でもいい。妹尾さんが、僕が泣いていたという説明をそのまま信じてくれたのか、あるいは言い逃れをしたと思われているのか、それももうどうでもいい。今は脳みそがこれ以上働かない。

 そして僕は黒井に連れられ、「お疲れちゃん!」と見送られて受付を辞した。


 給茶機側からはオフィスへ戻らず(新人の島で高浦に会ってしまう)、誰もいない廊下に出て、奥の四課方面へのろのろと歩く。

「・・・疲れた」

 つぶやくと、無言で肩に手が置かれ、気持ち、抱き寄せられて。

 ・・・。

 互いのことは、見ないまま。

 たぶん、僕が台本にないアドリブのせいでショート寸前なのを、分かってくれている。

 見た目は呆けているだろうけど、頭の中は、さっきの会話のどこがどうだの、高浦という人物の立場や状況だの、情報の精査と分析と整理が同時進行。その上で、それらを踏まえた僕の個人的感想と考察が順不同に重ねられ、物事の認識が積みあがっていく。・・・しかし、それらは細かな部分部分の集合に過ぎず、たぶん<木を見て森を見ず>ということになっていて、黒井や他の人は<森>という共通認識があるからあんなふわふわした会話が成立するんじゃないだろうか。

 ・・・黒井と僕の会話は、どうなんだろう。

 たった二十分ほど知らない人と慣れない会話をしただけで、よくわからなくなってしまった。

 三課のドアの前で、肩からつーっと下りてきた手のひらがきゅっと僕の手を握り、離れていった。

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