第336話:後ろめたいことの隠し方
互いの靴を脱いだ後は、腕を取られて電気もつけないまま部屋に連れて行かれ、そのままもつれるようにベッドに押し倒された。上で馬乗りになった黒井が僕のシャツのボタンを下まで外していく。その首から垂れるネクタイが手元を邪魔して、それは乱暴にほどかれて投げられた。
再びボタンにかけられた手を押さえると、唸り声とともに「離せって!」と弾かれる。
「・・・ちょ、え、クロ?」
そのまま、ベルトに、手がかかって。
とっさに、起き上がって止めようとしたけど、肩を押さえつけられて、また倒された。
「クロ、おい、お前」
「大人しく脱がされろよっ」
・・・。
その、少し癇癪を起こしたような声に驚いて、思わず動きが止まる。
その隙にズボンをぐいと引き下げられ、取り払われた。
・・・少し。
怖いよ、クロ。
素肌に触れる布団が冷たくて、でもそんなことより、ものすごく、無防備で。
どうしてだ、ずっと、ずっと、こうされたかったのに。
黒井に襲ってほしかったのに。
心臓は胸から飛び出すほど脈打っているけど、興奮ではなかった。
それからはだけたYシャツの襟首をつかまれて起こされ、強引にはぎとられた。
カーテンの隙間から漏れる薄明かりの中、黒井は僕の目の前で膝立ちになっている。
「・・・ねこ」
「・・・な、なに」
「俺のも、・・・脱がして」
「・・・どう、して」
「どうしてって?うるさいな、早く!」
「・・・な、何だよ、ちゃんと、言えよ」
「・・・言えって何を?」
「な、に・・・しようと、してる?・・・さ、さっき、一緒に、考えようって」
「そうだよ、だからそうするって!」
「いや、だったら、なんで、脱ぐ・・・」
ほとんど、泣きそうに、声が震えた。
そしてまた後ろに押し倒されて、黒井が僕の胸の上に突っ伏して、言った。
「怖いよ、なんか俺、怖くなってきた!」
「な、何が」
「わかんないよ、なんか俺、こういうの、やっぱし考えらんない!・・・お前ともう一瞬でも離れてたくないし・・・別々に、着替えるとか、できない!」
「は・・・?」
・・・き、着替え?
「俺のも脱がして、こんなの着てたくない。ねこ、脱がして、はやく・・・」
泣きそうな声は、もう、僕じゃなく黒井の方だった。
とにもかくにもその背中をとんとんと叩き、「落ち着け、おちつけって」となだめたが、「はやく、ぬがして・・・」ともうクロは泣き始めていて、「脱がすから、いったん起きて」と肩を押し、その上着を脱がせた。
脱がされている間もずっと僕の身体のどこかをつかんでいる黒井はもう、ほとんど幼稚園に行きたくない子どもだ。
「ちょっと、たたむから」
「いいよ、そんなの!」
「わ、分かったから。クロ、俺がついてるよ」
「・・・う、ん」
腕にしがみつかれて、二人ともシャツとパンツ姿で、風邪を引くと言ったら、布団にまぎれていた寝間着を渡された。・・・黒井はズボンを履き、僕はトレーナーの上を着る。いや、お前は上にTシャツを着てるけど、僕の下半身はパンツだけ。ほんのそこの、クローゼットまで、歩いて行かせてもらえないものか。
「やだ」
「あ、そう・・・」
横からがばっと抱きついてくる黒井の、Tシャツの肩から腕を撫でると鳥肌が立っていて、とにかく二人で布団に入った。
・・・・・・・・・・・・・
向かい合う格好で布団にもぐり、黒井は僕の肩と胸の間に顔をうずめている。息がかかってそこだけ温かく、頭と背中を撫でてやると、「ねこ・・・」と小さなつぶやき。
「クロ、とにかく、今は大丈夫だから」
「ねこ、俺、頑張ってんだけど、出来ない・・・」
「うん、えっと・・・具体的には、・・・何を?」
黒井が「うう、だから・・・」と接続詞を連ねる間、僕は僕で、急速に色々考えた。
まず一つは、ここしばらく大人しかったような気がするけど、元々黒井はこういう、感情先行でキレやすいやつだったということ。しかもそれを僕にだけはすべてぶつけていいと思っていて、だからこれが完全な素の黒井彰彦なんだろう。こんな大きな子どもを僕がどう扱っていいかなんて分かるわけがないけど、・・・でも、考えたら、僕の方だってたまに理屈が壊れてエラーを起こし、その時はいつもクロが必死に助けてくれていた。だから僕だって何とかしてやりたい。
それから、思い返してみれば確かに、あの去年のクリスマス・・・暗闇のトイレでのキスからこっち、クロは僕たちが男同士だということをほとんど気にしていなかった。そしてそれはクロが僕に告白してからも、あまり変わってはいないんだ。クロは男女がどうとかより、<それ>を取り戻すとか、小さな焚き火を消さないようにするプラトニックとか、そんな自身の精神面ばかりで、僕たちの社会面なんて本当に何も考えていなかったのかもしれない。
思ったよりも、それはもしかして、ずっと。
だからこそ僕は最初、ついその言動に期待をして、男だけど、友達という距離以上に近づくことも、出来るんじゃないかって・・・。
・・・。
・・・いや、僕からはろくに、近づいてはいないな。僕はただひたすら黒井が来てくれるのを待っていて、なおかつ片想いがバレないように・・・。
・・・ふと、あの、クリスマスイブを思い出した。
トイレでキスをされる、前日。僕たちはこの部屋でイブを過ごしていて、それはなぜかって、<淋しいクリスマス男子会>で黒井がキレて、僕とともに中座したからで。
イケメンなのに彼女がいないのは<そっちの気があるからじゃないか>とからかわれて、それでキレたクロを僕がなぐさめて、だから、僕はとにかく<そっち>方面はタブーなのだと学び、絶対に好きだなんて言えないと思った。
・・・つまり、クロはあの時は、同性愛的な扱いを嫌悪していたということ?自分の奔放な態度が<そっち>方面に誤解されるのを極度に嫌がっていた・・・?
いや、もしかしたら、違うのかな。
訊いてみないと、分からないのかも。
・・・・・・・・・・・・・・・
黒井は、少しずつ思い出しながら、「決めつけられて嫌だった」「壁で塞がれるようで、怒った」「ケチをつけられたみたいだった」と、何とか口に出した。頭を抱えて顔をごしごしとこすり、「ううー」と唸りながら。
僕にとっては、過去を思い出し、今の議題に沿って解釈し直す行為は慣れていて当然のものだけど・・・たぶん、黒井にとっては昔のラジオにチューニングを合わせるような難しい作業なんだろう。事実を思い出すより感情を再現する方が、大変・・・か。
・・・そして。
「俺、あん時は・・・嫌いだったお前のこと、でも知りたくて、近寄ったから、それで、なんか」
「・・・」
「でも俺、別に<そっちの気>があってお前のこと狙ってるとか・・・そういう、そ、そんなんじゃ・・・」
・・・ああ、分かった。
黒井は新人研修でトラウマになった僕のことを知りたくて、特別な思いを持って近寄った。その<特別>の中身は憎しみや嫉妬みたいなものや好奇心や、とにかく色々なものが混じっていて、黒井はそれらを何も区別せず、キスするのも殴るのも同じポケットから何かを出すだけの行為。だからそこに<好き>という名前もつかず、もちろん<そっちの気>なんて勝手に名付けられるいわれはなかった・・・。
いや、違う。まだ違う。
僕の理屈の積み木が何かを見逃している。
黒井はそんなことでは怒らなかった。
特別な思いを抱く相手が<男>だったこと・・・は、関係ない。
あの時の黒井にとって、<それ>を取り戻すために、一縷の望みをかけていたのが僕だったんだ。新人研修で黒井を<空っぽ>だと見抜いていた僕なら、何とかできるんじゃないかと。
その望みに、ケチをつけられたようで、嫌だった。
そして多分、そのこと自体を、意識させられたくなかった。
・・・後ろめたかった。
どんなことでもあっけらかんとオープンに言ってしまう黒井には、基本的に隠し事がない。
それに対して僕は、もう最初っから隠し事だらけだ。すべてを自分の脳みその中に閉じ込めて、後ろめたい欲求は何も漏らさないように生きてきて、社会では理論武装して嘘もアリバイ工作も当たり前。片想いだって十ヶ月も黙っていたし、一日も保たなかったお前と違ってエリートなんだよ。
「クロ、だから、お前は」
「・・・え?」
「お前には、隠し事をごまかす機構が備わってない。俺みたいに、嘘とか計算で理性的に解決はできなくて、その出来事と感情の間に起きたエラーの行き先がなくて、それは多分マイクのハウリングみたいにキーンと増幅して・・・それで怒ってキレるか、さっきみたいに、身体の衝動に向かったりするんだ」
「・・・」
「だから、いいかクロ、そうなったらまた俺を呼べばいい。殴っても、キスしても、俺には何してもいい。全部気にするな、痛くても平気だから」
「・・・」
「そ、それで、結局どうすればいいかって、えっと、今からお前にそんな装置を後付けできないだろうから、とりあえず、なるべくそういう機会を減らすか。・・・って、いうか、俺が困るだろうって思って何も言えなくなったなら、・・・お、俺が、別の会社に勤めればいいのか。そしたら会社でのネックがなくなるし、板挟みにもならない・・・」
「・・・」
・・・どん、と、拳で強く、胸を叩かれた。
「このバカねこ」、と。
どうやら、理屈先行で、結論を間違えたらしい。
「ごめん」
「お前は俺と一緒にいたくないわけ?」
「い、いたいよ。いっしょに・・・」
照れながら言うと、僕の胸元にいた黒井がずり上がってきて、逆に、僕の頭を自分のTシャツへと抱き寄せた。
「もういい、もう怒ってないし、怖くない」
「そう、か」
「・・・でもくっついてたい」
「・・・ん」
「おやすみ、やまねこ」
「・・・うん、おやすみ、ク・・・っ」
おやすみのキスは、その長めの舌が奥まで入ってきて、じんわり動かずに、しばらくじっとしていた。黒井の口の中にいつもいて、喋ったり食べたり、時に僕を求めてくる、少し薄くて長い舌。さっきの親指とは全く違って、あたたかくてぬるぬる、少しざらざらする不思議な器官。それが今は僕の口の中にいて、何だか愛おしくてクロが好きだった。
それから舌がずるりといなくなって、「向こうむいて」と言われて背中を向けると、後ろからぴったりと身体が重なる。黒井が視界から消えてしまうと、ああ、結局僕たちが男同士でどう生きていけばいいのかは、話し合ってもいないし何の結論も出ていないなと思ったけど、後ろからまわされた手をしっかりと握って目を閉じた。
そしてふと、クロが<そっちの気>がどうのと言われて怒ったのは男同士とは関係がなかったのかと反芻し、あれだけ自分を抑えてタブーに触れないよう頑張ったのに、馬鹿だなあと思った。・・・まあ、抑えていなかったとして、だからって告白して押し倒せていたわけでも、押し倒してと頼めていたわけでもないだろうけど。
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