第320話:告白2

 それからあっという間に美しいエンディングを迎え、歓声と拍手。僕はすっかり見とれていた間抜け面を引っ込め、「結構すごかったね」と強がる準備・・・。

 そして、普通モードで何か声をかけようかと思ったその時、黒井が僕の腕をつかんで大股で歩き出し、女性二人が見ていたであろう方から反対側へ遠ざかる。ちょっとした建物の陰に隠れ、黒井は、何だか僕から顔を背けて、笑っているのか、戸惑っているのか。

「ど、どうしたの・・・」

「・・・な、何かね、俺」

「う、うん?」

 顔は背けたまま、手で、目を拭った?

 ・・・まさか、泣いてる?

「あのね、だから・・・」

「え、うん?」

「いや、違うんだよ、何か、その・・・」

「どうしたんだよ、何か、あった?」

 喧騒さめやらぬ雰囲気の中、つぶやかれても聞こえないので、顔を見て唇も読むしかない。黒井は少し恥ずかしそうに笑い、ようやく、「何か、大きい音聞くと、俺泣いちゃうんだ」と言った。

「・・・え?」

「こういう、花火も、音楽も、映画館とか、特に大太鼓とかさ、聞いただけで何でか、涙が出てきちゃうんだよね。・・・心臓に、響くじゃん。それが俺、涙腺に繋がってるのかな」

 涙のにじんだ目で、もう隠さないで僕を見る。確かに、感動で泣き崩れているというよりは、何かの刺激で涙が出ているだけみたいだ。

「・・・えっと、そう・・・なのか」

「何か、ね」

「う、・・・うん」

 よく分からないけど、泣いてるのを女性二人に見られるのはちょっと恥ずかしいということだろうか。感動の涙、と、イコールではないらしいそれを、しかしこうやって僕に言ったように、二人にわざわざ説明したくはない?

「でも、さ」

「・・・うん?」

「その」

「・・・」

「・・・お、お前と、花火」

「・・・」

「ようやく、見れた・・・」

「・・・」

 ・・・。

 ・・・ああ、そうか。

 最初は東京湾の花火が中止で、神宮前の花火には行けず、お盆の島根の花火も中止だった。

 夜のディズニー、パレードや花火、というひとくくりで特に何も考えてなかったけど、そ、そうか、今二人で初めて、花火を見たんだ・・・。

 ・・・正直言って、僕はただぽかんとそのプロフェッショナルな技に魅了されていて、しかもあくまで四人で見ているという気分のままで、クロと二人で見たという気持ちにはなっていなかった。何をやっているんだと自分を叱咤したい気持ちと、ごめんという気持ちが渦巻くが、でももう時は戻らない。

「あ、その、俺・・・」

 ごめん、普通に見ちゃった、というのが正直なところだけど、さっきからの興奮と、突然のクロの涙もあって、何を言うのが正解かよく分からない。・・・別に、馬鹿正直に言わなくたって、感動したね、で十分なんじゃないか?それだって嘘じゃないんだし。

 しかし、何か言わなくちゃと思って口をついたのは「ごめん、俺、普通に見てた・・・」だった。

 ああ、何やってんだと言ったせりふを引っ込めたくなるけど、黒井は僕に半歩近づいて「あのね、俺も」と言った。

「・・・え?」

「俺も、ふつうに、楽しかった。こんな、ショーだけど、・・・流れ星じゃないけど、今の俺はそれでいいんだって、そう思える、今」

「・・・」

「あのね、こないだ、俺・・・」

 そう言って黒井は僕の左の手首を握った。腕時計のない、その部分。

「俺あの時、・・・あの時俺は俺だった。すごくああこれだって、もう、なんていうか、<そう>だった。懐かしかったし、できたし、満足した」

 あの水曜の、十時四十七分の話。やっぱりそうだった。お前は<それ>を取り戻してたんだ。

 黒井はなおも近寄ってきて、耳元で話す。そうしないと聞こえないのだ。いや、それでもところどころ聞き取れないけど、話の流れで何とか補う。

「俺、もういいんだ。別に諦めたとかじゃなくてさ、もういいんだよ・・・。もう、<あれ>を求めてキリキリしなくってもいいんだ。お前がいて、花火が楽しくて、そんでいいんだよ。俺ん中の何かが、もうそれで、いやそれが、よくなって、・・・あの時それが、何でか、ふいに・・・」

 黒井は、「えっと、だからあの時なぜか・・・」と繰り返し、僕の思考もそれを追った。やっぱりそうだったんだ、僕が感じたのは合っていたんだという思いとともに、でも、そういえば・・・とも思う。

 何が、きっかけだったんだ?

 もちろんそんなものは何もないのかもしれない。

 しかし、十時<四十六分>に、何があったっけ・・・?



・・・・・・・・・・・・・



 記憶や思考や感情がごちゃまぜになり、しかし、頭の中の何かがそれを見つけたみたいだった。

 理屈は分からないけど、たぶん、そうだったのかもしれない。

 僕はこんな近くで、あえて黒井の顔を見た。暗いけど、目元はまだ少し涙がにじんでいるのが分かる。顔は、呆けたような、あるいは何かを探るような無表情。手首はまだ握られたまま。

 まだ、思い至ってないんだろう。

 ・・・黒井が<それ>を取り戻すきっかけになったこと。

 ・・・僕の、伝えていない、気持ち。

 あの時僕は「お前にまだ言ってないことがある」と、キスを拒んだ。

 どうしてかは、分からない。どういう化学反応なのかは分からないけど、その直後にお前は<それ>を取り戻して、そして「もういいんだ」と。

「あのね、クロ」

「・・・」

「・・・言っても、いい、かな」

「・・・」

 返事の代わりに、手首が強く握られた。


 心臓だけが、どきどきしていた。

 こんなところで、とか、その後どうする、とかの思考は退けた。

 何となく、右手で眼鏡を外し、胸ポケットにしまった。遠くの光が急にぼやける。本来の僕の視界。


 ・・・言いたいんだ。

 きっと、ただ、それだけだ。


「・・・」


 ・・・。

 お、おかしいな、言おうとすると、なんていう言葉を発したものか、単語が出てこなかった。

 はは、何だか笑っちゃうけど、どういう言葉で告白したらいいんだ?


「・・・クロ、聞いて、くれる?」

「・・・」

「あの、俺・・・す、すごく今更だけど・・・実は俺・・・」



・・・・・・・・・・・



 言う、と思ったら。

 その直前から、わっと、涙があふれてしまった。


「俺、ずっとお前が好きだったんだ・・・」


 情けない涙声。

 瞬きをするたび、涙がぽろぽろとこぼれた。

 でも、恥ずかしくなんかない。後悔してもいない。


「・・・」

「ずっとずっと、俺、お前に言わないまま、ずっとお前が好きだったんだ。言わなくてごめん。勝手でごめん。でも好きだ」


 抱きしめてくれた。

 Yシャツが濡れるだろ。

 ごめん。


「・・・知ってた。知ってたよ。分かってた。でも分かんない振りしてた。曖昧にしとかないと、こわくて」

「ごめん」

「言ってくれて嬉しい。こんなに嬉しいって知らなかった。ありがとう」

「・・・言っちゃったよ、ごめん」

「俺も好き」

「知ってる」

 黒井が身体を離したので、二人して涙を拭った。そして、笑った。

 なんだ、好きだって知ってたのかよ。ばか。

「お、俺がいつから好きか、知ってんのかよ」

「・・・そ、そこまでは分かんない」

「あっそ。じゃあいいや」

「な、何だよ、教えてよ」

「また今度」

「・・・はは」

 少し笑って、もう一度涙を拭う。な、何だ、言っちゃったらしい、大丈夫なのか俺。

 そして黒井が「あ、あのさ」と言って、「そ、それ!」と、僕が持つ二つの鞄を指さした。

「え、あ、はい」

 自分で持つということかと思って渡そうとすると、「ち、違う。・・・開けて」と。

「え?お、お前の鞄?開けるの?」

「そ、そう」

「あ、開ければいいの?」

 うなずくので、暗がりの中、ファスナーを探す。僕のみたいに二つに分かれてないから、開け口は一つ。開けてどうするんだろう?

 自分の鞄もあるので少し苦労して開けるけど、暗くて中はよく見えなかった。

「あの、中身・・・一つ、取って」

「ひとつ?」

「いいから手突っ込んでいっこ取って!」

 言われるまま手を突っ込むと、何だか箱のような四角いものがあった。さらさらして、紙に包まれてる?同じ感触のものがもう一つあるみたいだけど、僕は最初に触れたそれをつかんで取り出した。

 手のひらにぎりぎり乗るくらいの、箱。渡そうとすると、「そ、それ、お前の」と。

「・・・へっ?」

「鞄、返して」

「あ、はい」

「・・・こっちが俺の」

「・・・?」

「あ、開けて、いいよ」

 どうやらプレゼント用に包装されたものみたいで、何だろうとどきどきしてくるけど、包みを剥がそうにもよく見えない。ビリビリ破りたくなんかないし、それとなく、もう少し明るい方へ移動した。ふと、あの二人が僕たちを探しているかも、と思ったけど、別に五分や十分、なんとかなるだろう。



・・・・・・・・・・・・・



 自分の鞄は下に置いて、丁寧に包装紙を剥がし、たたんでポケットにしまう。「まどろっこしいやつ」と笑われるけど、それでいいんだ。

 そうして、中からは、なんだか艶やかな、黒い箱。三角のマークがついている。

 開けて、みると。

 ・・・それは、腕時計だった。

「・・・お、お前、これ」

「・・・うん」

「べ、別に気にしなくてよかったのに。あんなの、そんな、安物だし」

「これだって別に高くもないよ。っていうかまあ、何となく。その、・・・弁償とかじゃなくて」

「・・・う、うん」

 それは分かっていた。黒井はそんなことをするやつじゃない。・・・ただ、何かぴんときたんだろう。

「ほ、本当はさ、オメガがよかったんだけど」

「・・・お、オメガ!?な、何十万、何百万すると思ってんだ」

「だって深海まで潜れるモデルがあるんだ。いいじゃん、何百万もしなかったよ」

「い、いいよそんなの。・・・って、いうかまあ、お前が、つければ」

 しかし黒井はそれには答えず、「・・・それ、色、なんだった」と。

「え、色?」

 あらためて見ると、文字盤は黒、シンプルなアナログ時計で、ここにも三角のマーク。革のベルトもたぶん、普通の黒だろう。

「黒みたい、だけど」

「・・・そ、そっか」

「え?」

「あ、えっとね」

 そうして黒井は自分の鞄から、今僕が開けたのと同じ包みを取り出した。・・・え?

「色・・・違い。ベルト、黒と、茶色と。どっちもいいなって思って、そんで、まあ・・・」

「は、はあ?まさか選べなくて二つとも買っちゃったのか?」

 なんて買い方をするやつだ、まったくお金に頓着がないな、いや、でも今なら未開封だから返品できる・・・とか、思ったけど。

 そうじゃ、なかった。

「じゃ、こっちが、俺の・・・。山猫色の、茶色」

「・・・やまねこいろ」

「お前のが、クロ・・・」

 ・・・。

 一瞬、箱を落としそうになり、慌ててきちんと閉じて、両手で握った。

 ・・・い、色違いの、お揃いってこと?

 お前が、山猫色で、僕のが、黒犬の・・・。それは今、僕がランダムで選んで取った色・・・。

「く、クロ、お前・・・、は、恥ずかしいことをするんだな!」

「い、いいだろ!?だ、だって、俺たち・・・」

「・・・」

 もうちゃんと、そういう関係じゃん・・・。

 僕は、そ、そうだねと答えて、落とさないうちに箱を自分の鞄にしまった。ま、まさかこんなものを一日中、僕がずっと持ち歩いていたのか。

 それでも、お礼を忘れていたから「ありがとう」と言うと、さっと唇に柔らかいものが当たった。・・・い、今のは「どういたしまして」の代わり?まったく、キザなやつなんだ、僕の・・・。


 ・・・僕の恋人は。

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