第319話:マーク・トウェイン号、花火

 カントリーな音楽が流れる中、巨大な蒸気船マーク・トウェイン号が戻ってくるのを待った。

 かなりの人数が乗れるようで、待合の場所には行列が出来ているけれども、何時間も待つことはなさそうだった。ジェットコースター的な要素のないふつうの船だから、妊婦でも問題はない。

 何かに乗る、というのはやはりちょっとわくわくして、係員のハキハキした案内の声や、鐘の音や、近づいてくる蒸気のポーーという音で、否が応でも気分は盛り上がった。

 はやる気持ちを押さえて乗り込むと、中にはアナウンスというか、乗組員たちの会話の声が流れていた。それでいろいろな解説を聞かせてくれるようだ。

 しかし、ぞろぞろと進むのはいいものの、ゆっくり座って景色を見ながらクルージング、と思っていたのに、ベンチはほぼ埋まっていて、デッキからの立ち見のようだった。黒井が一人で「上まで見てくる」とどこかへ行き、僕たちは狭い階段を昇り降りするのを避けて、カントリーソングを聴きながら大人しく一階で待った。


 やがて船は出航したが、黒井は戻らなかった。島津さんは苦笑しながら、「ベンチ探してくれてると思ったけど、『見てくる』って、ほんとに見に行っただけかな?」と。僕はだんだんどきどきして、探しにいくふりで、そのまま二人でクルージング・・・とか思ったけど、すれ違ったまま人ごみをかき分けて船が一周してしまうのがオチだと思い、女性二人と西部開拓史を聞きながら過ごすことにした。マーク・トウェインというのはトム・ソーヤーの作者だとしか思っていなかったが、案内によると、水深二尋という意味らしい。ううん、マークというのが名前のマークとかけてるけど、ポイント、みたいな意味ということか。

「んー、<ふたひろ>って何ですか?」

「え、だから、<ひろ>って、単位のひろだよ。千尋のひろ」

「へえー、山根さん物知りですねー」

「いや、別に、何となく知ってるだけで、具体的に尋が何メートルとか、わかんないけど」

 しかし、そんなことでちょっと知ったかぶったら妙に持ち上げられてしまって、山根さんは頭がいいとか読書家だとか、いやいや、変な期待値上げないで・・・。

「歴史とか、得意そうですよねー」

「ほんと、そういうのってかっこいいですよね」

「・・・あのね、かっこいいのは眼鏡だけ!!」

「ぐあっ!」

 突然後ろから手が伸びてきて羽交い絞めにされ、いや、背中が喜んでるけど、もうちょっと力の入れ具合、加減してくれない!?人前だから!!

「ん、う・・・」

「あー、黒井さーん、どこ行ってたんですか」

「一番上。入れなかったけど」

「・・・ぐはっ」

 ようやく首から腕が外れ、しかし後ろからおぶさるような格好で、ああ、向こうの川岸のアメリカ先住民の方が見ていらっしゃる、っていうか島津さんと佐山さんが見てるって・・・。

「もう一周しちゃいますよ?ほんと、自由ですね」

「誰もいなかったらもっと楽しいのに。これ、貸切になんないかな」

「・・・無茶言いますね、ディズニー貸切とか、どんだけセレブですか」

 やがて黒井は定位置の佐山さんの隣に移り、佐山さんがぽつりと、「千尋っていい名前かも」とつぶやいた。島津さんが「おっ、山根さん、名付け親!?」と僕の肩を叩き、黒井が「・・・え、何それ」とこちらを見るけれども、華やかな汽笛と鐘の音で船旅は終わりを告げ、「気持ちよかったですねー」でアメリカ川とやらのクルージングは終了した。



・・・・・・・・・・・・・



 その後はまた少し歩いてパークの中心の方に戻り、ハロウィン限定スイーツを食べるべくお店探し。やがて見つけたアイスのお店でサンデーを食べながら、しばらくベンチで休憩した。

 頼んでから、ああ、僕はシンプルなふつうのアイスでも注文して、そしたら黒井が「ひとくちちょうだい!」なんて言ってきたかなあなんて、ちょっぴり後悔。いや、だって、確かに元々は佐山さんが塞ぎ込まずに気晴らしできるよう今日ここにきているわけで、だから黒井が妙に佐山さんにちょっかいを出して楽しませようとしてるってのは、分かってるけど・・・どうしても、こっちにも来てくれないかな、なんて思ってしまう。佐山さんには嫉妬しないけど、僕だって、きっと・・・構ってほしいんだろう。そういうの、見せつけられたら。


 それからベンチは確保したまま交代でトイレに立って、黒井と二人になれるかなと思ったけど、僕はみんながいつの間にか買っていたお土産の荷物番。久しぶりに一人の時間で、晴れた空を眺め、今更ながら、自分が東京ディズニーランドなんて場所に存在している事実がにわかには信じがたい。そしてその上、ちょっかいをかけてほしいなんて横目でチラチラ見ている相手に、本当は好きだと言われて付き合っているなんて・・・でも、<今>は、どうなのかな。

 クセでまた腕時計を見て、そこには何もない。

 <今>が分からない僕は、しかし携帯で時刻を見るのも何だか野暮で、そのままの時間の流れに任せることにした。

 


・・・・・・・・・・・・・・・



 その後もおやつやジュース片手にしばらく休んで、佐山さんの娘(予定)と黒井の甥っ子の話題なんかでちょっとまったり、真面目な感じにもなったりして、そうこうしているうちに早くも日が暮れてきた。佐山さんはさすがに少し疲れてしまったみたいで、遠くにまわってきたらしいハロウィンパレードも眺めるだけでパスして、あとはお土産を買って帰ろうかな、とのこと。

「あの、みなさんはゆっくり夜まで楽しんでくださいね。パスポート、もったいないし」

「何言ってるの、妊婦を一人で帰らせられないでしょ?一緒に帰るって、ねえ?」

 俺、夜のパレード見たいと言い出しかねない黒井ではなく、適確に僕に訊く島津さん。もちろん僕は「そりゃ、そうだよ」と答え、すったもんだの末に「お土産を買い、温かい軽食を一つ食べ、最初の花火が上がったらそれを見て帰る」で決着した。昼間は暑いほどだったのに、やはり夕方になると急に冷え込むのだ。



・・・・・・・・・・・・・・・



 意外とあっさりショッピングが終了し、薄暗いシンデレラ城をバックに女性二人の写真を撮った。それから、何だかそういう流れで「みんなで撮りましょう」となり、そこへちょうど係員(キャストと呼ぶらしい)が通りかかって撮ってくれることになって、何と、四人で写真におさまった(女子をはさむ並び順で)。本当にどうしていいか分からない、一刻も早くこの「ハイ、ポーズ!」が終わって、写真も何かの拍子に削除されてしまえばいい、と思いつつ・・・。

 ・・・いやいや、シンデレラ城の前で黒井とツーショットとか、絶対あり得ないって気持ちと、まさかって気持ちが二分して、でも結局言い出せるはずもなかった。ノリで、「二人で撮って」と言えばこの瞬間にも難なくそれは達せられただろうけど、それが出来ない僕だった。


 それからまたアメリカンな方に戻って、ミッキーとミニーの肉まん・あんまんみたいなものを買った。島津さんがまとめて買ってきてくれて、男子はミッキー、女子にはミニーが配給される。黒井が佐山さんに「ね、耳取りかえっこして」と持ちかけ、佐山さんは「うん?おみみ?」と、母親っぽさが早くも顔を出していた。ああ、黒井が佐山さんにやたらべたべたしていたのは、いやらしい気持ちじゃなくて子どもが母親にまとわりつく感じだったのか?マタニティブルー(?)の佐山さんを励まそうというよりも、優しい母親代わりと見るや、駆け寄っていったというのが正解か。

「はい、じゃあおみみね」

「やったー、えへへ」

 見かねた島津さんが「黒井さんってほんっと、分かりやすく甘えん坊ですね」と苦笑い。佐山さんもさらっと「私も、ここまでとは思わなかったかも」と。僕はつい対抗意識を燃やしそうになるけど、本物の母性本能に叶うわけはない。・・・うーん、黒井はやっぱり甘えたいのかな、僕の甘やかしが足りないのか、やっぱりちゃんとした女性の方がいいのか、つい、どうしたら僕の元に戻って来てくれるのかなんて思っていたら、にわかに周りがガヤガヤとどよめきだした。



・・・・・・・・・・・・



 そうこうしているうちに壮大な音楽が鳴り響き、花火が始まったらしい。急いで立ち上がり、よく見える方へぞろぞろと歩く。「パンダちゃんあっちあっち。あ、ゆっくりね」と島津さんがめずらしくはしゃいで(本当はパレードも観たかったんだろう)、何となく、僕と黒井が後からついていった。

 夜空が突然眩しくなり、オーケストラのような迫力の音楽と、ハロウィンらしい少し怪しげな、ホラー風の盛り上がり。

 音楽に合わせて、花火が上がる。たたみかけるような、弦楽器の音階が小刻みに上がるのに合わせ、緊迫した雰囲気。そしてパーク中から聞こえる人々の歓声。

 ・・・ぞくぞく、した。

 花火を見ながらゆっくり帰ろう、なんて、無理だ。

 それは何ていうか、空気だった。

 何かが始まっていて、腹にまで音が響いて、勝手に興奮してくる。地域の花火大会なんかじゃなく、これは計算されたショーであり、一瞬で人を惹きこむ本物のエンターテイメントだ。

 それから一瞬の間、そして曲調が変わり、何やら歓声が上がる。・・・かぼちゃの形の花火?

 ロックな感じと、キャーとかフハハハ・・・みたいな演出の声。

 僕は馬鹿みたいにぽかんと上を見上げながら、何となくシンデレラ城の方へ歩く。ようやく建物に遮られない場所を見つけ、黒井とともに立ち止まったが、途端、音楽が止んでしまった。あれ、もう終わり?

 しかしすぐに、すべての悪夢は終わり、世界は平和になりました、みたいなエンディング風の音楽とともにまた花火が上がった。

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