第317話:あらためて、自己紹介
デールと写真を撮ったことで佐山さんの気分はすっかり良くなったらしく、しばらくピクニック気分で園内を散策した。みんなマップを見ながら、あの乗り物がどうだという共通認識の下に話が盛り上がっているが、まあ、今日は乗らないんだし、僕は写真係だって別に、十分楽しいし・・・。
って、いうか。
はしゃぐと汗ばむくらいの陽気だが、曇りがちで風は涼しい。
そして、とにかくこの景色と雰囲気。
広くて、綺麗で、開放感がある。
夏、黒井と空港に行った時も感じた、空の(あの時は天井の)高さと、人々の華やいだ雰囲気と、いつもと違う景色。毎日オフィスビルと住宅街しか歩かないと、だだっ広い土地をただ歩くだけでもストレス解消と癒しになる。
しかも、誰と行動するだの、話題やテンションについていけないだの、そういうストレスは皆無なのだ(いや、話題にはついていけないけど)。本当に夢のようだ。
「じゃあ、山根さんは?」
「えっ?」
「だから、ジェットコースター、得意ですか?」
「・・・え、まあ、得意ではないけど、高所恐怖症とかではない、かな」
「スプラッシュマウンテンくらいなら平気ですか?」
「・・・えーと、たぶん」
十六年も前のこと覚えてないけど、「一生遊園地には行かない!」というほどのトラウマもないから、たぶん大丈夫なんだと思う。・・・まあ、その時それに乗っていれば、だけど。
「黒井さんはどうですか?」
「えー、俺?・・・へへ、どう見える?」
「うーん、得意そうに見えますよ」
「ん、やっぱそう?でも、えーとねえ・・・」
もったいぶる黒井に佐山さんが付きあい、島津さんが僕をちょっと見上げて、苦笑いで肩をすくめる。僕はそれに同意したい気持ちと、ちょっとだけ身内が醜態をさらしているような、謝りたくなるような気持ちもあった。うちの目立ちたがり屋が、すみません・・・。
「実は俺さ、あの、富士急の、フジヤマってあるじゃん」
「・・・ああ、ありますね」
「あれの先頭で思いっきりバンザイして乗って、降りたら、携帯はどっかですっ飛ばしてるし、首がむち打ちみたいになって痛いし、もう最悪。あれからもういいやって、あんまし乗ってないの」
「ええー」
女性二人は富士急(ハイランド、というやつか?)に行ったことがあるらしく、フジヤマは怖そうで乗ってないとか、でも他の遊園地の何とかには乗ったとか、しかしついていけない僕にも楽しそうに解説してくれた。しかし、一般的なアラサーの遊園地訪問数は一体いくつ位なんだ?
そのようにしてまた、キャビネ前のオアシスの雰囲気。でも今回は豪華出張版だ。なんて贅沢な。
そして佐山さんはマップを見ながら、僕たちが暇を持て余さないよう、妊婦でも乗れたり、みんなで楽しめるようなアトラクションやイベントを探している。
島津さんは、乗り物全般はもう頭になく、とにかくいい位置でパレードを見れるよう、時間と場所を模索している。
黒井はといえば食べ物のことばかりで、売店を見つけるたびに騒いでいる。そしてやはり道化役になって、食べたいけど我慢しなくちゃいけない佐山さんをキリキリさせ、そのことで島津さんを怒らせ、最終的には「今日だけいいと思います?山根さん」「山根さん、あの人に食べ物を見せないでくださいよ・・・」。
僕は投げられた球を返すのに精一杯で、それでも、何を言ったって誰かが拾ってくれて、恥をかくこともなくて、いろいろ考えなくても流れに合わせて楽しむことができていた。みんなやはりいつもよりテンションがちょっと高くて、課長や内線や契約書を気にする必要もなく、リラックス。周りの人がファストパスがどうとか言って小走りになるのを横目で見送りながら、佐山さんに合わせてゆっくり歩くのが心地よかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして散歩のようにゆっくり歩いていると、「あっ、カモ、鴨だっ!」と突然話題を遮って黒井が叫び、体勢を低くして走り出して、園内を歩いている(!)カモににじり寄っていった。
「・・・もー、何なんですかあの人!山根さん、回収お願いします!」
「えっ、な、知らないよ・・・」
「何か子どもっぽいところありますよねえ、黒井さんって」
「子どもっぽい、じゃない、まんま子ども。三課の小さい子!」
「ええー?」
「だってこないだ何してたと思います?備品のキャビネのとこで、消しゴム立てて、ガムテープ転がして、ボーリングですよ!?しかもガムテが何か歪んでてブレブレで、結局当たんなくて諦めて、ガムテとかはそのまんま出しっぱ!」
呆れが笑いを凌駕しました、と島津さんは語った。植え込みを越えて芝生に入り込んでいく黒井と僕を鋭いまなざしで交互に見て、はい、すいません、回収して参ります。まさか会社でもそんな遊びをしていたとは。
「・・・お、おい、クロ」
追いかけていって、ようやく、呼びかけた。
「ああ、届かない、カモに触れない」
「触るなってば。係の人に怒られるよ」
「羽を触りたいだけ」
カモは横目でこちらをチラチラ伺いつつ、植え込みの奥へぴょこぴょこと遠ざかっていった。確かに、羽が綺麗な、西洋の絵みたいな鴨だ。
「あーあ、行っちゃった」
「まあ、歩いてりゃ、またそのうち・・・」
「ねえ」
「うん?」
腰に手を当てて鴨を見送っていた黒井が突然振り返り、僕の背中に手を回して自分の方に引き寄せた。そして女性二人がこっちに来ないか確認して・・・って、何すんの、こんなとこで、まずいってば・・・。
「ねえ、ねこ、あのさあ」
「な、なに・・・」
頭をかがめて、小声で言う。なに、何だ、僕たちだけ二人でジェットコースターに乗りたいとか?それとも・・・。
「お、お前・・・あの、俺、お前のこと」
「・・・」
背中の手のひらがじんわり温かい。声は聞こえるけど、僕にはもうあんまり聞こえていない。
「どうしたらいいかわかんないよ、その」
「・・・」
「あの二人の前でさ、えっと」
「・・・」
「・・・もう、いいよね」
更に近寄って体が触れ合い、背中の手は肩に回って、ぎゅうと力がこもった。全身がその手の感触に集中してしまう。
「呼んでいい?」
「・・・え?」
「もう、やまねこって呼んでいい?」
「・・・へっ?」
黒井はもう一度後ろを振り返り、その時、肩を抱いたまま、僕の顔の側から振り向くから一瞬その顔が近くを掠めて、もうだめ。本当はお前が今どんな状態にあるのかとか、今言われたことの是非なんかをいろいろ整理しなきゃいけないんだけど、そんなのぶっ飛んでしまう。こうして身体が触れて、声を聞いて、お前が僕だけを見ていて、ふわんとお前のにおいがして、やっぱり刺激が強すぎる。
「・・・やまねこ」
「う、うん?」
「なんか、恥ずかしいけど・・・言っちゃっても、いいよね」
「・・・え、と」
「あ、来ちゃった。あのさ、お前も・・・俺のことクロって呼んで」
そう言って黒井はさっと僕を離し、「カモ行っちゃったよー」と女性たちの元に歩いた。そんなことを言えば当然島津さんが大人げないだのカモがかわいそうだの律儀にかまってくれて、佐山さんが「でもかわいいですよねー、あんよが」とフォローだか天然なんだか分からない感想を述べ、黒井が「足は黄色かったよ」「あ、そうですかー」とほんわかな雰囲気になり、そしてなぜか僕が島津さんに怒られる・・・。
「山根さんも何してるんですかー。一緒になってカモ追ってたんじゃないですよね?」
「ち、違う、けど」
「やまねこはカモに興味ないよ」
「・・・え?」
「あ、あのさ、こいつ、ヤマネコウジで、やまねこだから。・・・俺、そう呼んでるから」
「・・・は、はい?」
「あ、ゆ、ゆきちゃんは呼ばないで。俺だけそう呼ぶから」
・・・な、なにを、言ってるんだ?
いや、もう、何だか何もかもがどうでもいいような・・・。
しかし佐山さんが「ああ、名前に<ねこ>が入ってるなんてかわいい」と言うと、苗字の最後と名前の最初の文字の話になり「私<づみ>なんだけど・・・」「私はえっと、<まゆ>」「黒井さんは・・・<いあ>?」。
「あ、ゆきちゃん俺の名前知ってんの?」
「そりゃ、嫌ってほど契約書で見てるので、存じてます」
「え、何て言うんですか?」
「あのね、この人は黒井彰彦(くろいあきひこ)さんです。ですよね?」
「うん」
「そうなんですね。普段お呼びしないから、なんか新鮮ですね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうしてなぜか、あらためて、四人でフルネームでの自己紹介をすることになった。道の端に立ったまま、突然ディズニーランドで何をやっているんだろう。
「え、えっと、島津深雪(しまづみゆき)です。三課の営業事務をやっております・・・ってこれは要らないか」
「何でみゆきでゆきちゃんなの?」
「・・・ああ、みゆちゃんって呼びにくくて、みゅーちゃんになっちゃって、それで」
「ふうん。みゅーちゃんでもいいけどね。じゃあ次、パンダちゃん」
「あ、はい、四課で営業事務をしてます、派遣の佐山友梨恵(さやまゆりえ)と申します。もうすぐ産休予定です。よろしくお願いします」
ぴょこんと頭を下げられ、反射的に僕もお辞儀をする。名刺があったら交換会になっていそうだ。
「へえ、ゆりえちゃんっていうんだ!ゆりえちゃん」
「あ、いえ、パンダちゃんにしてください。何か恥ずかしい」
「あっそう?じゃあパンダちゃんね」
「そういう黒井さん、どうぞ」
「ん?うん。・・・俺は三課営業第一グループ、黒井彰彦。よろしく」
・・・。
島津さんと佐山さんは、律儀に「どうも、よろしく」「よろしくですー」と頭を下げた。
・・・僕は、下げなかった。
というか、じっとその顔を見ていた。
ただ、名乗っただけなのに。
初めて会って、一目惚れでもしたみたいだって、いう、のか?
しばらく見つめて、呼吸もしてなくて、思い出したように唾を飲み込んだ。
そのまま目が合って、見つめ返されて、眼鏡の視力で、彼の瞳が陽に当たって少し茶色いのが見えた。顔をくいっと上にあげ、「次、お前」と無言で促される。
「・・・や、山根弘史(やまねこうじ)、です。四課営業第一、です」
ようやく目を伏せ、思い出したように「あ、よろしく」と付け足す。
すると、前からすっと、白Yシャツの手。
「ねこ、よろしく」
腹がひゅうと透け、僕は「よろしく、クロ」とかろうじて声を出し、その手を握った。温かい。僕よりほんの少し大きくて、好きな手だ。どうしてだろう、世の中で好きな手と嫌いな手なんてカテゴライズはしてないのに、そしてこの手に惹かれて黒井を好きになったんでもないのに、その手は紛れもなく僕の好きな手だった。
手を握る僕たちに女性二人が戸惑いつつ、「あ、それじゃ・・・」と、遠慮がちに彼女たちも握手。そして、結局は全員と握手になり、細い指で少し冷たい島津さんの手と、ふっくら柔らかく色白な佐山さんの手も握らせてもらった。
自己紹介と握手を終えたら全員で「よろしくおねがいしまーす」と頭を下げ、笑いながら歩き出した。
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