第316話:到着
山手線に乗って東京駅で降りるとき、島津さんが「あ、分かった、私分かった、分かっちゃったすごい!」とめずらしくはしゃいだ。
「あ、ちょっと、分かっても言っちゃだめだからね!」
「はい、分かりました。言いません。でも分かりました!」
「ね、ねえ、ゆきちゃんほんと?」
「たぶんね。あー、これは、すごい、・・・何かすごい!」
東京駅に何があるんだろう?しかし延々歩いて駅から出る気配がないけど、中のお土産屋・・・ではないだろうし、近くにブリヂストン美術館とかあったっけ?女性が喜ぶ場所、というとお芝居でも観るとか?まさか宝塚?
僕なりにいろいろ考えたけど、だんだん、東京駅ではなく乗り換えるのだと分かってきて、この道のりは何だか記憶にあった。
・・・千葉だ。
入社直後、千葉のあの辺鄙な場所の研修施設に行くのに、みんなで乗った電車だ。確か、一人でずっと文庫本を読んでいた記憶がある。あれは確か、<ツァラトゥストラはかく語りき>・・・(さっぱり分からなかった)。
まさかあの研修所へ行くのか?
それが佐山さんの行きたいところ?
・・・そんなわけないか。
また女性二人をはさんで、しかし向こう側の黒井を意識しながら、僕は、あの場所にもしもまた行ったらどんな気持ちがするだろうと考えた。
あいつと、初めて会った場所。
正確には本社の入社式が最初だろうが、言葉を交わした記憶はないから、あの研修所が僕たちのファースト・コンタクトだったのだろう。あの電車にお前もいたの?僕が一人で本を読んでたのを、もしかして覚えてたりする?
五年前に思いを馳せて、そして、一ヶ月の研修を終えて帰ってきた時の自分の<拗ね具合>みたいなものも急に生々しく思い出して、どうして僕はあの時、班長会議でお前と一緒になっていながら、恋に落ちなかったんだろうと考えた。そうすると、あの時の自分がまるでさっぱり他人みたいに思えて、そしてその連続体である今の自分も急に誰か違う人みたいに思えてきて、歩きながら、右足、左足、でゲシュタルト崩壊を起こした。みんなが勝手に喋っててくれるのが助かる。僕は急に訪れた何かに浸りながら(溺れながら?)、長い行軍の末、京葉線についた。
・・・・・・・・・・・・・・・
周りの雰囲気とか、駅の案内板とかを見て、僕も遅ればせながらそれに気がついた。ああ、何だ、そうだったのか・・・って、いうか・・・。
「俺も分かった!葛西臨海公園でしょ!」
「・・・黒井さん、わざと言ってます?」
「え、だって俺水族館行きたいよ」
「しかも自分の時はそうやって口に出していいわけですか?」
「え、・・・ああ」
「ああじゃないですよ。っていうか違いますよ」
「えー何で?っていうかそんなのパンダちゃんに訊いてみなきゃわかんないじゃん」
「・・・そ、それは確かに」
二人にはさまれた佐山さんはすみませんすみませんと小さくなって、「・・・ゆきちゃんが当たりです、きっと」と言い、両手をグーにして頭に乗せ、耳を作った。もちろんそれは葛西臨海公園の魚ではなくて・・・ミッキーマウスだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
来た。
来てしまった。
東京ディズニーランドというところに。
みんな口々に、久しぶりだと言う。最近来てないと言う。ランドがいい、シーがいいと言う。何とかクルーズが新しくなったと言う。
かつて千葉県民だった僕が小学校の卒業遠足で一度来たきりだというのに、この時期はハロウィンがどうした、パレードがどうしたと晴れやかな顔でわくわくしている。
「あの、ほんとに、近くを歩いて、シンデレラ城が見えて、雰囲気が味わえればそれで・・・」
「何言ってんの、行こう、行こうよ!」
その時、走り出しそうな黒井のシャツの袖をそっと引っ張って制し、島津さんが「でも、乗り物・・・乗れないよね」と、誰にともなく言った。・・・ああ、妊婦がジェットコースターになんか乗れないか。
「あの、だからいいんです、ほんと、お金だって高いし、こうして舞浜を歩ければそれで」
「え、お金なんて別にいいよ。乗り物乗らなくたって、中を歩いたらいいじゃん。それに俺、腹減ってきた。中で何か食べればいいじゃん」
佐山さんはなおも、イクスピアリでお土産買うだけで・・・と粘るけれども、島津さんも「いいよいいよ、奮発しちゃう。パレード観たら胎教にもいいよ」と。
「そ、それはそうかもだけど・・・」
「ここまで来たんだし行こうよ、ね。お金のこと気にしてんなら、俺がみんなの分出すから」
そんなことを言われて、当然みんな「え、そんな」って顔で黒井を見るけど、本人は「あ、やっぱり」と早々に発言を翻して、「・・・俺たちが」と言い直した。
・・・うん?・・・と、思っていると。
わざわざ横に立って、僕の肩を抱いた。
「・・・そしたらいいでしょ?」
その手が肩をなぞり、上腕の辺りをぎゅっとつかまれ、その手のひらの体温で、何も言えない。
体面としては、男性二人が女性二人のチケット代を持つという格好つけた案には反論すべくもないが、「あ、うん、そうだよ、二人とも遠慮しないで」とか何とか言うべきなのに、黒井から顔を背けたまま言葉が出てこず、曖昧にうなずくだけ。あ、いや、お金を出したくないとか、そんなこと突然言われて困ってるとかでもなく、・・・って、いうか、顔を見合わせて「そんな、だって、ねえ・・・」と遠慮する二人の前で、いつまで腕をさすられていていいんだろう。
・・・何だか、勘違い、してくる。
そのスキンシップをこれまでずっと<ラッキー>として受け取ってきた僕だけど、今は、・・・好きだと言われている今は、ほんの少し、黒井の触り方が違う。そしてそれは片想いモードに戻ってしまっている僕には刺激がきつくて、表向き<同期の友人>という顔をしながらそんな風にゆっくり何度も撫でられるともう、・・・ちょっとまずい。
何だか耐えきれなくなり、もう横を向いて黒井の顔をまともに見ると、そのはにかんだ顔は少し目を泳がせた後、こちらを見て恥ずかしそうに微笑んだ。
もう一度腕を撫でられて、手は離れていった。
・・・・・・・・・・・・・・・
結局、まあここまで来てパークに入らないという選択肢はやはりなく、土曜で混んでいるけどそもそも乗り物には乗らないんだし・・・ということで、とにかくみんなで入ることになった。僕は、乗り物に乗らないなら入場券だけ買えばいいんだと思っていたが、ここにそういう券種はないらしい。だから全員が一日パスポートを買うわけで、それは6400円なわけで、出せないほど高くはないが決して安くもない。そして、島津さんが黒井に四人分買うよう言って並ばせると(黒井を列に並ばせるのはすごい手腕だ)、何やらスマホとにらめっこした。
「あの、山根さん、ちょっと」
「・・・は、はい」
そして佐山さんから少し離れてスマホの電卓を見せられ、その数字は8533。つまり、僕たち三人で佐山さんの分を出して割ると一人8533円になり、男二人が出すのではなく、三人から、これをちょっと早い送別会的なプレゼントにしようということだった。
「何か突然ですけど、いい、ですか?」
「それは、もちろん。じゃあ細かいのないし、これで」
僕は佐山さんに背を向けて万札を渡し、「お釣り、ありますから」の言葉を「いや、ほら、俺は四課だし」と論拠のない理屈で押し切った。島津さんは二秒黙って、「・・・それじゃ」と素早くグッチだかシャネルだかの財布にそれをしまった。それから佐山さんには何食わぬ顔で、「精算、ちょっと待ってね。黒井さんに聞いてからでいい?」と。
まずは佐山さんをとにかく中に入れてしまい、誰が出すの出さないの、やっぱりやめるだの言わせない作戦だったようだが、結局ゲートを通ったところでそれが始まってしまった。
「後でいいって、そんな、今払います。私が連れてきちゃったようなものだし・・・」
「でもパンダちゃんさ、ほら、ちゃんと来たから、さっき言ってたみんな死んじゃう話、生き残れてるじゃん!」
「・・・あ、確かに、無事来ちゃいましたね」
「それにさ、あ、見てあれ」
そう言って黒井が向こう側を指さした次の瞬間、佐山さんが「あーーーっ!デール、デールだ、デールーー!!」と、両手を口元に当てて今まで聞いたこともない黄色い声を出した。何だ、何だ、あれは、リスなのか?
「ゆ、ゆきちゃん、写真、写真!」
「わ、分かった。早く!」
「え、え?」
「ほら早く、一緒に撮ってもらおう!」
「え、一緒にとか無理、こんなお腹で無理、いいからただ撮って!私、携帯が」
「お腹とか関係ない。なるべく上半身だけ写してあげるから」
「でも、でも、デールに悪い・・・」
「何も悪いことなんかないでしょ。デールだってちゃんとしてくれるって」
「ちゃんとって?」「ちゃんとはちゃんとよ!」と笑いながらの押し問答は続き、その間に黒井が走って行って、「どっちがデール?ねえこっち来て写真撮って!」と、・・・日本語が通じるのか?っていうか初対面なのにタメ口?
しかしデールともう一匹は確かにプロフェッショナルで、手を振ったりうなずいたり、佐山さんのお腹を見て「わあ・赤ちゃん・素敵!」みたいなジェスチャーをしたりした。結局女性二人はデールたちとハグをして、黒井は何だか馬鹿みたいに「アハハハ」と笑いながら握手をして、僕が彼らの写真を撮った。佐山さんの携帯がなかなか鞄から見つからなくて、とにかく島津さんので撮って後で送るとのこと。
念のため二枚撮ってスマホを渡し、一瞬デールたちが「きみもどう?」みたいな顔で僕を見たけれど、近くに家族連れが来てこっちを見ていたので、僕は軽く手を上げ、横を向いて会釈をし、申し出を辞退する意思を示した。彼らは確かにプロフェッショナルだが、<そういう楽しみ方>の枠外にいる僕にとっては、完璧な敬語などよりずっとレベルの高いコミュニケーションだ・・・。
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