第315話:パンダちゃんとゆきちゃん、黒井とカバン持ちの僕
「じゃ、行きましょっか。・・・っていうかどこへ?」
島津さんが、素なのか一人ツッコミなのかよく分からない感じで首をひねり、「ねえパンダちゃん?」と。
「え、パンダちゃんて?」
黒井が訊くと、「私のことです・・・」と佐山さん。
「パンダが好きなのと、あと、おでぶなので・・・」
「え、それでそう呼ばれてんの?ゆきちゃんひどいじゃん」
「ち、違います、別におでぶだからそう呼んでるわけじゃなくて」
「あっ、おでぶって認めた・・・」
「はっ・・・」
ロビーから地下通路に向かいながら、口元に手をやる島津さんをみんなで笑った。何となく、昨日黒井と打ち解けた感じのまま、佐山さんは自分が妊婦だということを肯定的に捉えているような感じがした。<おでぶ>だなんて言うことで、その体型を腫れ物みたいに見ないで、あっけらかんと笑えるように。
僕は自分がそんなデリケートな話題に入っていくのはとてもためらわれたが、黒井は全く平気みたいで、「大丈夫だよ、まだこれからだし」とよく分からないフォローを入れ、そのお腹に手を添えてすらいた。・・・島津さんのこともしれっと「ゆきちゃん」だし(本人は「えっ」って顔をしていたが)、まったく、女性と見れば甘えていいと思ってる?
黒井がどんな女性にどんな接し方をするかを考えながら歩いていたらつい先頭を飛び出して、あわてて立ち止まった。佐山さんが「もたもたで、すいません」と額に手をやる。ああ、そうか、ゆっくりでないと歩けないのか。
「山根さん、早く行きたくて気が急いちゃって。ほら、パンダちゃん、どっち?」
「え、えっと、しばらくまっすぐ・・・っていうか、ほんとにいいの?」
島津さんが<パンダちゃん>を微妙に茶化しながら気を遣い、年下ながら世話焼きのお姉さんになっている。僕と黒井が二人をはさむようにして、ああ、空いた土曜じゃなきゃこんなに横並びで歩けないな。
・・・。
どうしてだろう、話題の中心は佐山さん、そこに何かボケる黒井に、鋭くツッコむ島津さんという図式が何となく成り立って、仕事の話も出ないから僕は半ば見てるだけなのに・・・やはり居心地は、悪くなかった。
黒井の家族と一緒にいるあの感じと似ている。いや、あれより更に、僕はお客さんでもなくて空気みたいな存在になってるけど、でも、気まずくはないし、居たたまれなくもない。
前を向いて、ロータリーから見える空を見上げて、・・・さて、どこへ行くんだろう、なんて、思ってみたりして。昨日の、いや、今朝までのいろいろな心配は杞憂に終わって、このまま楽しく過ごせそうな気がした。
・・・・・・・・・・・・・・・
行き先について、それとなく黒井は聞かされているのかと思いきや本当に何も知らないみたいで、「じゃ、本当にミステリーツアーだ。・・・ねえ?」と、隣の島津さんが僕に。ちょっと口調がくだけてきて、少しこそばゆさを感じる。
たぶん、同い年くらい、なんだ。
三課の派遣さん、じゃなく、私服の一人の女性として見たら、少し、緊張してきてしまった。佐山さんよりも小柄で細くて、髪はおかっぱ風のストレート、目はぱっちりして、少しきつめの顔立ちで、言動とあいまって最初は少し冷たく感じる。でもこうしてみると茶目っ気も好奇心もあるし、黒井に対しまったくうっとりした視線を送らないのも安心できる。妹がいるとか言ってたけど、イケメンのお兄さんもいて慣れてるとか?あるいは、彼氏が黒井以上?(まさか)
「改札だけど、JR?ふつうにピッて入っちゃっていい?指定券とかいらない?」
「そ、それはいらないけど、ほんとに、行くだけっていうか、見るだけ・・・」
「だめだめ、言っちゃだめだよ。お楽しみだから」
「え、でも、やっぱりどうしよう・・・!」
島津さんと黒井に両側からたたみかけられて、佐山さんは僕に助けを求めた。冷静に、どの部分が不安で何に遠慮していて、どこがどうなるとまずいと思っているのか聞いてメリットとデメリットをきっかり天秤にかけて問題を解決したいけど、ぎりぎり思いとどまって、「・・・でも、ほら、死ぬわけじゃないし」と極論の素晴らしいアドバイス。
「いや、そうだけど」と島津さんが苦笑いで独りごち、黒井が「じゃあさあ」とにこやかに言った。
「これからみんな死んじゃうことにしようよ。パンダちゃんが行きたいとこにたどりついたら、みんな生き延びられんの。どう?よくない?」
島津さんは「うわ、また・・・」と顔を上げずに肩をすくめて呆れ、しかし佐山さんには届いたようで、「え、え、それなら・・・それなら、行った方がいいかも」と説得された。
「じゃあ、じゃあ行きます!・・・えー、でもでも」
「ほら早く!」
とにもかくにも改札を通り、佐山さんを気遣ってゆっくり階段をのぼった。いい雰囲気で楽しいし、佐山さんに頼られるようなのも悪い気がしない。そして、少しだけ、こうして四人でいるとまた僕が片想い中のような気がしてきて、そんな相手と一緒にいられることに胸を熱くしたりした。・・・いや、階段をのぼった動悸かもしれないけど。
・・・・・・・・・・・・・・・
ホームに来ていた総武線に飛び乗って、女性二人が座り、僕がその前に立ち、黒井は車内をうろうろした。「そういえばこないだ・・・」と、僕たちは何かの社内の話でしばらく歓談。佐山さんの隣が空くと黒井がさっと遠慮なく座り、島津さんに「そういえば黒井さん、金曜日なら本当に遅刻ですよ。言い出しっぺなのに」とつっこまれる。
「え、だって土曜は目覚まし鳴んないんだもん」
「だもん、って・・・。でも金曜と勘違いするって設定なら、ちゃんと鳴らさないと」
島津さんが「自分で言っといて、ねえ?」と僕を見るので、それに同調するか黒井をかばうか迷い、「あ、まあ、俺も平日しか鳴らない設定で・・・」とよく分からない返答。
「でも、山根さんはちゃんと来たわけですし」
「はいはい、こいつはちゃんとしてるって」
斜め前から無遠慮にふくらはぎを蹴られ、出かかった「いてっ」を飲み込んだ。
・・・。
・・・痛い。
最初はびっくりした衝撃だったのが、だんだんと、ちゃんとした痛みになってくる。
この痛みにはクロの気持ちが乗っていて、遠慮のないそれがきちんと伝わって、僕はたぶんはにかんで頬を赤らめていた。嬉しくて顔がにやけるので、うつむいて、無言で立ち続ける。これを、蹴ったり蹴り返したりのおふざけにしてごまかすのも妊婦さんに迷惑だと思い、やり返さず、そのまま。するとふいに伏せた視界に何かがぬっと出てきて、「これ持って」と鞄を突き出された。
「ちょっと黒井さん・・・!」
「軽いからへーき。お前、一緒に持って」
「軽いんだったら自分で持ったらいいじゃないですか」
「だってこんな、電車で忘れたりとか、まずいじゃん。俺つい手ぶらの気分になっちゃうし、・・・ね」
僕は確かに軽いそれを受け取って、自分の鞄と重ねて一緒に持った。金曜日という設定を無視して僕も重たいノートや資料は置いてきたのであり、渡されたら持つだけだ。
「もう、山根さんも甘い!黒井さん、本当に持たせるんですか?」
「だってパンダちゃんには持たせられないし、ゆきちゃんも嫌でしょ?じゃあこいつしかいないじゃん」
「な、何で、・・・なんで自分は持たない前提なんですか・・・」
島津さんはだんだんと呆れを通り越して笑いだし、何かのツボに入ってしまったみたいだった。パンダちゃん・・・じゃない、佐山さんもつられて笑って、とりあえず蹴られたことも鞄のこともうやむやになりそうだったので助かった。僕はまだクロと目を合わせられないけど、代わりに鞄を見て、少し年季の入った持ち手をこっそりと指でなぞった。
・・・・・・・・・・・・・・
やがて「あ、あ、次で降ります」と佐山さんがきょろきょろし、アナウンスは「秋葉原」。
「え、アキバなの?もしかして、行きたいとこって・・・」
島津さんの言葉を継いで、黒井が「あ、分かったメイド喫茶だ。妊婦メイドになりたいんだ」と意味不明な発言。
「な、何ですか妊婦メイドって」
「そーいうの、さしてくれるんでしょ?」
「え、メイド喫茶って、自分がメイドになるの?」
「違うよパンダちゃん、お客さんは、ご主人様」
「だよね、だよね。・・・っていうか、違うからねー!」
「あ、何だ違うの?じゃあもっとイケナイお店?」
「違いますー!」
「黒井さんイケナイ方から離れてくださいよ。いったいどんなの想像してるんですか」
「えー、よく知らないけどさ、ほら、コスプレとか」
「ま、まあ、それはあるでしょうけど」
そこで駅について、立ち上がりながら、佐山さんが「でもコスプレは、別にイケナくはないよねえ」と島津さんに。
「ま、まあね。でも今はいろいろあるから。女装した男の子のカフェとか」
「えー、何それ、オカマバー?」
「違う違う、オカマとかニューハーフじゃなくて、ジャンルとしては、<女装>?」
降りながら、何となく女性二人が先に歩き、僕と黒井が後から並ぶ形になる。
・・・。
黒井が前の二人に話しかけるか、あるいは話しかけられるかするかと、状況を窺いながらゆっくり歩く。しかし四人での話にはならず、またホームで横並びになるわけにもいかず、きゃっきゃと笑う女子の後からスーツの男二人がついていく・・・。
・・・何て話しかけていいか、分からない。
気分はすっかり片想いモードへとリセットされていて、<告白された>も<付き合っている>も、この空気の中では現実感がない。
無言のまま歩き、階段を通り越して、島津さんがエスカレーターを指さしている。どうやら乗り換えみたいだからメイドも女装も心配しなくて済みそうだけど、もはや行き先より、黒井と二人の時どうしていいかが問題だ。
下りのエスカレーターに、黒井が先に乗る。
縦に並んで、僕が後ろに。
鞄もあるし、一段空けて。
先に乗った女性二人が乗り換えの確認をする声は聞こえるが、間に別の人がはさまったので、見えはしない。
黒井がふとこちらを振り向き、一段上がってきて間を詰めた。
「ねえ、ねこ」
「・・・ん」
「あのさ」
「うん?」
・・・おはよ、と言って、その手ぶらの両手が、鞄を持っていない僕の左手を取って包むように握り、べたべたと腕を触った。頭では、こんなところを見られたら困るからやめろ、と思うけど、片想いモードでは隠すものは僕の恋心だけであり、される分には構わないわけで、触れられた身体はぴくりとも動かない。かろうじて「お、おはよう」と返し、僕は黒井の奔放なスキンシップを受けるだけの人。その指が今度はYシャツの袖から強引に入ってきて、手首を一周撫でる。ふと、そこはあの腕時計があった場所であり、お前が壊しちゃったんだろ・・・と思って、何だか気恥ずかしくなった。
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