第314話:土曜日なのにうっかり出社する四人

 気持ちを切り替えて何とか仕事をし、帰社して、佐山さんと島津さんはもう上がっていたので、結局どうなったかは黒井に訊いてみるしかない。

 そういえば、夏の花火も、黒井がみんなで行こうと提案してたんだった。あの時はちょっと、何だ、二人きりじゃないのかと思ったけど・・・まあ、<付き合っている>今となってはむしろ四人で行きたいかななんて思ったりもして、ちゃっかりしている。

 でも、佐山さんも来月までで、しかもやっぱりここ最近どんどんお腹が大きくなっていて、出かけたくてもなかなか難しくなってくるだろう。ブレザーの上着で隠してはいるけど、まあ、三課・四課には事情は知れ渡ってるわけだし。

 やっぱり、きついのかな。シングルマザーは。

 結局お腹の子は女の子みたいだけど、その喜びを分かちあう相手が、いないんだものな。

 普段どれだけお世話になってるかって考えれば、今のうちに僕たちがどこかへ連れ出すのはいいことのかもしれない。っていうか、こういう青春もやがて終わって、四人組はいつの間にか解散して、キャビネ前もなくなってしまうのか・・・。

  

 そう思ったら急に、何かそういうイベントごとの機会を逃したくないような、明日を逃したらこの四人では一生これっきりになってしまうような・・・そして、もしそういう機会があるのなら僕は自分も出たいと、強く思った。消極的な、いろいろな懸念事項を検討した上でぎりぎり大丈夫じゃないかと判断するいつもの感じじゃなく、もっと積極的に、四人組の一人として僕も行きたい・・・うん、僕が、そんなことを思うなんて。

 ・・・ふと、何だか、卒業前の学生のような気分に浸りそうになって。

 もうすぐみんな離れ離れで、黒井も・・・いなくなってしまうような錯覚にとらわれた。

 <それ>を取り戻した黒井は、もしかしたらもう、僕から卒業していくだろうか?

 僕は別にそれを、卑怯だとも薄情だとも思わないけど、・・・クロがいなくなったら、何をして生きていけばいいのかは、分からなかった。

 ・・・でも、元々、こういうことでは、あった。

 クロは僕に<俺のために生きてくれたらいい>と言い、一緒に<それ>を取り戻してよと訴えた。それで僕は力足らずながらもそれを請け負ったのであり、しかしその帰結として、クロが僕の元から旅立つというのはあり得る未来だ。クロは僕のことを好きなままかもしれないし、僕の「好き」を受け止めてくれるかもしれないけど、・・・<魔法の石>を信じることと、クロが僕の元から離れていくかどうかは別の話なんだ。

 こればっかりは、男同士だからどうだの、好きと言うだの言わないのということでもない。

 全ての障害が取り除かれ、二人が何のためらいもなく結ばれたって構わないとしても・・・たとえば何かの映画みたいに、外国へ飛び立つ主人公を空港で見送って、僕はまたゆっくりと日常に戻る、なんてことも、十分あり得る話だ。

 ・・・そんなこと、ないよね、と、後ろの三課を振り返って確かめたくなるけど。

 そんなことも、あるかもねって顔を見てしまうのが怖くて、目の前の画面を見つめる。

 すると、ちょうど後ろからやや明るめの「お先でーす」が聞こえ、僕のデスクには手つかずの仕事がまだ山積み。ふと現実に戻り、まあ、そんな、あるかもしれない未来のことも、そして明日の約束(?)がどうなったのかも、今、正確にそれを知る術がない以上、考えたって仕方がない。

 そうそう、百年後には絶対みんな死んでるんだしね、と苦笑いで、百年後には絶対何の意味もない見積もりと粗利計算書に向き直った。



・・・・・・・・・・・・・・・



 十月十八日、土曜日。

 昨夜は結局電話やメールもなく、そのまま、朝になった。佐山さんや島津さんのプライベートな連絡先は知らないし、しかし仮に中止になっていたとしても、僕が朝から新宿に出向くだけで、誰が困ることもない。

 早めに起きて、しかし、やっぱり土曜日だと知ってしまっているからか、あるいは外の音とかから感じるのか、スーツを着るのにちょっと違和感があった。地球が一回転して日が昇るだけの同じ朝なのに、昨日の朝と違うのは不思議なものだ。でもまあ、あくまで金曜日というつもりで出社するわけで、私服でなくスーツなのは助かる。え、まさかクロはそれを考慮して提案してくれた?まさかね。

 ・・・まあ、きっと、スイーツ食べ放題とかの店に行って、女性二人がきゃあきゃあ言って食べ、黒井はマイペースで時々みんなを笑わせ、僕は何となくうなずいたり、たまに「~~ですね」なんて言われながら、九十分くらいを過ごす・・・ってところだろう。

 っていうか、だから、まだ開催されるかどうかもわからないんだってば。


 それだとしたって、まあ、空いた電車に乗って新宿が近づけば、やや緊張してきた。結局来たのは島津さんと僕だけで、二人でお茶とかになったらどうしよう。いやいや、取り越し苦労の余計な心配だな。どうせ心配するなら黒井と二人でデートになった時の心配を・・・うっ、考えるのは、やめておこう。あの水曜の十時四十七分からこっち、いろいろ分かったことや納得したこと、不安に思うこともあるけれど、今日がどうなるのかは結局分からない。黒犬教に入って久しいんだから、予定を決めず、理屈でジャッジをはさまず、何も考えずに行こう。


 新宿で降り、何もしなくても足はいつもの地下通路へ向かう。人が少ないのでいつもより大股で速く歩ける、けど、スピードは上げすぎず、落ち着いて。

 ちらちらと周りを見るけど、それらしき人影はなかった。でも、ロビーの手前のこんなところで出くわしてしまうのも何だかわざとらしいから、このままでいい。っていうか、ここまで来たら、だんだんと、むしろ誰もいなければいいという気にもなってきた。思考が一人モードになってしまうと、攻略本だけを延々と読んでゲームに手をつけないような時間を過ごしてしまう。


 まあ、<今のクロ>を知るのを、ちょっと、怖れてるんだな。

 クロが<それ>を取り戻すのを望んでいたくせに、いざそうなってみると、おびえている。いなくなってしまう可能性に思い当たった途端、身体が暗い不安の色に染まっていく。

 ・・・怖い、けど。

 行くしかない。



・・・・・・・・・・・・・



 そのまま回れ右して帰りたくなるのをこらえ、エスカレーターで会社のビルのロビーに上がった。

 うつむいて、上目遣いにちらちら見るけど、閑散として誰もいない。

 ・・・よかった。安堵してつい腕時計を見て、あ、ないんだった。そして携帯を見て、八時四十三分。メールも電話もなし。しかしひと息つこうとしたのもつかの間、「あー!」と声がした。

「おはようございます・・・ふふっ」

 いつもよりちょっと声が響くロビーで、振り返ると、私服の女性二人がいた。佐山さんはゆったりしたワンピースのような、マタニティ服ってやつ?

「・・・あ、ああ、おはよう」

「何だか変な感じしますね。おかしい、笑っちゃう」

「ね。ただいつものように来ただけなのに、・・・山根さんなんか、スーツで」

 島津さんはデニムのジャケットにミニスカートにブーツ。そうか、私服で来る彼女たちは普段、僕たちより早く来て着替えているわけで、今日も律儀にその時間に来たのだろう。その手にはコンビニの小さい袋があり、二人で時間を潰していたようだ。

「・・・だ、だって、それはさ」

「いいんです、いいんですよ。だってそういう設定、っていうか、今日、金曜日ですよ」

「そうそう、金曜日ですよー。ゆきちゃんだけじゃなく、山根さんも来ちゃったんですかあ?」

「・・・はは、そうそう。偶然だね」

「ホント、偶然!・・・あはは」


 黒犬とのごっこ遊びなら慣れているわけだけど、女性二人がこうしてそれに乗ってくれるのは、なんだかこそばゆくて、でも嬉しかった。さっきの不安は少し緩んで、楽しい気持ちがわいてくる。

 そうして立ち話で少し談笑し、コンビニの袋からチョコをもらった。「新作のダースですよ」とのこと。味もよく分からないまま食べ、そして島津さんが、「これで黒井さんも来たら、完璧ですね」とちょっとおどけてみせた。昨日僕が言った「来ないかも」という可能性を踏まえてのことだろう。それは話してあるのか、佐山さんも「ねー」と合わせる。僕は一応また携帯を見てみるけど、何もなし。時刻は、八時五十四分・・・。

 何となく、そのことにはそれ以上触れず、女性二人はお菓子のことを話している。僕はそれを聞くともなく聞きながら、顔を背けてはいるけれども、その、入り口が、気になって・・・。

 その時、視界の隅に、白っぽい影が、高速で。

 僕がそれに気づき、二人も振り返る。クロだ、あれは、クロだ。

 黒井はスーツにしてはあり得ない速さと靴音で走り込んできて「うおっ、ち、こ、くじゃーん!!」と遠慮のない大声をロビーに響かせた。そうして女性二人に笑いかけると、息をつきながら、僕に寄りかかる。

 ・・・僕の肩に、その肘が乗って、荒い息で、ふらりと体重がかかった。

 クロだ。

 ・・・腹が、ひゅうと透ける。ああ、好きだ。もう何でもいい。お前が好きだ。

 二人が「遅刻ですよー」とか「おはようございまーす」とか笑いながら声をかけ、黒井は僕を見ることもなく二人にピースして「えへへ」と笑顔。少し遅れて、その体温とともにふわりと黒井のにおいがして、僕は心の中で「おはよう、クロ」と泣き笑いでつぶやいた。

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